第46話 いちかばちか


 タケトは文机の上から羽根ペンを取り上げると、その羽根をむしった。そして、細く白い芯だけにする。

 その羽根の芯を顔の前に掲げると、思い詰めた気持ちでジッと眺めた。


(うう……やっぱ、こうするしかないよな……)


 やりたくないけど、他にいい方法なんて思い浮かばなかったんだから逃げるわけにもいかない。タケトはゴクリと唾を飲み込むと、耳栓を外し、羽根の芯の端をしっかり掴んで先端を自分の右耳の穴にあてた。


 まだ心のどこかで躊躇したが、いつまでもこうしていたら余計怖くなるだけだ、やっちゃえば一瞬だって。そう自分に言い聞かせて、ぎゅっと目を閉じると、羽根の芯を耳に突き入れる。

 そのとき。



 ……シュ……サ……



 何か人の声のようなものが耳を掠めた気がした。


「え……?」


 きょろきょろとタケトは辺りを見回す。消え入りそうだったが、小さな声だった。カロンともブリジッタとも違う、子どものように高い声。しかし室内には自分以外、誰もいない。耳を澄ましてみるが室内からは物音一つしていない。雨が屋根のヒサシから落ちているのだろう、ポツッ、ポツッという雨音が外からわずかに聞こえてくるくらいだ。

 気のせいかな、そう思ったが。



 ……ゴシュジンサマ……



 もう一度。同じ声が耳を掠める。 


「え? なに? 誰かいんのか?」


 今のは確かに聞こえた。消えそうな小さな声だったけれど、言葉としてハッキリと聞こえた。


(ごしゅじんさま?)


 え、もしかして幽霊とかそういうの……? 

そういえば、この屋敷には死体が数多く転がっている事実を今さらながら思い出して、鳥肌がぶわっと浮かぶ。急に怖くなったのは、それが自分のごく間近で発せられた声のように聞こえたからだ。


 しかしこの部屋には自分以外誰もいない。周りにあるのは文机と、その上に置かれた自分の銃くらいなものだ。もしかしてこの机の下に誰か潜んでたりして?なんていう怖い想像が浮かんで机の下を覗いてみたりもするが、やはり何もなかった。机の引き出しを引いて見ても、紙の束と予備のインクが置かれているだけ。


(なんなんだよ……!)


 ちょっと泣きたい気分になる。

 もしかすると精神的に不安定になっていて、ありもしない声が聞こえた気がしたのだろうか。それなら、あり得る。不安定になるのは当たり前だ。沢山の人の死体を見て、さっきもまた目の前で何人も倒れたばかりなのだし。


(とにかく……この事態を、なんとかしないとな)


 気を取り直してタケトはもう一度、自分の右耳の穴に羽根ペンの芯を突き入れるとぎゅっと目をつぶる。

 そして一瞬躊躇った後、一気に奥まで突いた。


「いっ……」


 激痛が耳の奥に走る。すぐに芯を抜くと手の平で耳を押さえた。頭の奥がジンジンする。水中にいるように周りの音が、くぐもって小さく聞こえた。


 音をできるかぎり遮断するために、自分の鼓膜を破ったのだ。実は鼓膜が破れても音は完全に聞こえなくなるわけではない。それでも、かなり聞こえにくくなることは、昔、交番勤務時代に暴漢に殴られて鼓膜が破れたことがあったので知ってはいた。でも、自分で破ったのは初めてだ。


 耳から離した手の平を見てみると、赤い血がべっとりとついていた。加減がよくわからず奥まで突きすぎたのかもしれない。


 羽根の芯を左手に持ち返る。まだ、だめだ。片耳だけじゃ足らない。もうやりたくない、痛いことはしたくない。


(でも……躊躇ってる場合じゃない。早くしないと) 


 意を決して、左耳にも羽根の芯を突き入れて鼓膜を破った。


「ああ、くそっ! 痛てぇよ! もう!」


 タケトは掴んでいた羽根の芯を床に投げ捨てた。

 両方の耳の鼓膜が破れると、かなり聞こえは悪くなる。


 その耳に耳栓をつめると、先ほどよりもぐっと音を遮断できるようになった。もう、外からの音は全く聞こえない。


「……よし」


 これなら『死の叫び声』が満ちている書斎に入っても、両手で耳を押えずとも意識を保っていられるかもしれない。


 文机の上に置いてあった精霊銃のグリップを掴むと、横に振って回転弾倉シリンダーを出し、レンコン状の穴に収まっている魔石弾の色を確認した。手首をしならせて再び弾倉を元に戻す。


 その部屋から出ると、足早に書斎へ向かった。書斎の扉に身を寄せて、目を閉じると一つ深呼吸。あくまでさっきより聞こにくくなったというだけで、部屋に入った途端、即死する可能性だってあった。どうしても、緊張する。


 と、人の気配を感じて顔をあげると、目の前にブリジッタがいた。その後ろにはカロンの姿もある。二人とも心配そうにこちらを見ていた。


 タケトは弱く笑みを返すが、きっと緊張に引きつって上手く笑えてはいなかっただろう。精霊銃の撃鉄をあげて顔の前に掲げると、扉を背中で押し開ける。そして、自分一人が通れるだけ開けるとさっと書斎の中へと滑り込んだ。

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