第45話 死の叫び


「まんまと俺たちの計画に嵌まってくれたもんだよな。さあ、そのブツを渡してもらおうか」


 そう目の前の男は喋っているようだったが、言われたタケトは耳栓をしているので言葉までは聞き取れない。しかし、口の動きと男の表情で言いたいことは大体わかった。

 ただ、黙って男を睨み上げる。


「ぁんだよ。その目は。……生きてここを出れると思うなよ!」


 そんなことを叫ぶと、男はタケトの胸を右足で思い切り蹴りつけてきた。タケトは尻餅をつくように倒れて激しく咳き込む。蹴られた瞬間、息ができなくなったかと思った。そして再び剣の切っ先を鼻先につきつけられるので反撃もできない。


 男がこちらから目を離さないまま何か声を張り上げると、背後の扉から新たにガラの悪そうな男たちが二人入ってきた。こんなにも沢山の賊がこの屋敷に隠れていたことにタケトは内心驚く。


 刃物で威嚇されているのはカロンも同じで、彼の俯いた顔には悔しそうな表情が浮かんでいた。これが山や森の中なら、カロンの鼻はおそらく潜んでいる者のニオイに気付いただろう。しかしここは常に沢山の人々が行き交っていた商人の屋敷。人間の匂いなどあちらこちらに染みついていて、気付かなかったとしても無理はない。


 新たに入ってきた男たちがマンドラゴラの皮袋に近づき、その袋の端をそれぞれ掴んで持ち上げた。しかし、どこかに連れて行かれそうになっていることがわかったのだろうか。それまで大人しくしていたマンドラゴラが、袋の中でぐにゃぐにゃと激しく暴れだした。その拍子に、男の一人が袋を取り落としてしまう。


 一瞬、賊たちの緊張した視線がマンドラゴラの袋に集まった。

 その隙を逃さず、タケトは自分に向けられた剣の柄を下から力一杯蹴り上げる。マンドラゴラに気を取られて油断していたのだろう。タケトに刃物を向けていた男は、その衝撃で剣を取り落とす。男は痛そうに顔を歪め、落ちた剣を拾おうと床に手を伸ばした。しかしそれよりも早くタケトは足のバネを使って跳ね起きると、素早い動作でホルスターから精霊銃を抜いて男の顔に突きつけた。


 一方、カロンもタケトの反撃を合図に、背後から刃物をつきつけていた相手の腕を両手でしっかり掴んで、勢いよく引いた。柔道の背負い投げのように肩越しに前方へと相手の身体を投げ飛ばす。相手は背中を床にしこたま打ち付けて痛みに悶えた。


 乱闘の様相を呈してきたのを見て、マンドラゴラを抱えた二人も慌てだす。そして袋を持ったまま、急いでその場から逃げようとした。その際、床に置かれた本に足を取られ、転びそうになる。すべった拍子に本の装丁が外れてページが何枚か散った。


 そのとき。マンドラゴラの袋が突如、風船のようにぶわっと膨らみだした。何が起こったのか分からず、運んでいた男たちは足を止めて目を白黒させる。そして、怖くなったのだろう。思わず袋から手を離してしまうが、それにも関わらずマンドラゴラの袋は落ちることなく空中に留まっていた。袋は彼らの頭上よりも少し高いくらいの位置まで浮かびあがると、風船のように内側から膨れ上がり、パンという音とともについには破裂した。


 そして中から、マンドラゴラが出てくると、ふわりと床へ舞い降りる。

 床に足がつくやいなや、マンドラゴラはとととっと数メートル走ったかと思うと急に立ち止まって、ペタンと床に座り込んだ。


 みな、ひと言も発することもできず、ただマンドラゴラの動きを視線で追う。タケトもそうだった。一瞬、襲ってくるのかと身構えたが、そんなことはなさそうだ。


 マンドラゴラは床に座り込んだまま、電池が切れたかのように動かない。そして、数秒経過したあと、マンドラゴラが顔を上に向ける。タケトには同時に、マンドラゴラの身体が膨らんだように見えた。

 それが大きく息を吸い込んでいる動作だと気付き、その意味することを予想して、さっと血の気が引く。


「やばい! みんな早く逃げろ!!!!」


 叫ぶと同時にタケトは扉に向かって走り出す。一刻も早くここから逃げなければ。

 その背後から。


 ヒギギキキャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア


 悲鳴とも、嗚咽ともつかない声が襲ってきた。


「……っ」


 その声は耳栓をしていても、僅かな隙間を通り抜けてタケトの耳に滑り込んでくる。たまらず足を止めて、タケトは手で耳を塞いだ。それで少しマシになったが、心臓を鷲づかみにされたように胸が苦しくなり一瞬意識が遠のきそうだった。頭が割れそうに痛い。


 目の前では賊の男たちが一人二人と、口から泡をふき、恐怖に顔を引きつらせて倒れていくのが見えた。


 ヒギギキキャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア


 これが『死の叫び声』。

 悲鳴のような、金属がきしみ合いこすれ合うような、不快極まりない音の暴力。


(やばい……ここにいたら、俺もああなる……!)


 その場に崩れ落ちそうになるのをなんとか踏ん張って、再び足に力を込めて駆け出した。まずは、あの扉の向こうに出なければ、ここにいたらものの数秒で死んでしまう。


 タケトは意識が途切れそうになる直前、なんとか扉までたどりつき、その開いた隙間から廊下へと逃げ延びることができた。


 後ろを振り向いて書斎の中を一瞬見回してみたが、賊の男たちはみな床に倒れ伏してピクリとも動かない。耳栓をしていなかったのか、それともしていたけれど遮音性が低かったのか。どうやら致死量に達するまでの『死の叫び声』を聞いてしまったらしい。その向こうでマンドラゴラが上を向いて『死の叫び声』を発し続けている。


 タケトはすぐさま扉をしめると、力なく扉に寄りかかる。厚い扉を隔てたことで、胸の苦しさが急に和らいだ。安堵で、何度も大きく深呼吸する。良かった、生きてた。

 すぐ目の前にはカロンがいた。足の早い彼はタケトより先に書斎から逃げ出していたようだ。


 廊下では賊の一人らしい若い男に、ブリジッタが刃物を首にあてられて掴まっていた。しかしその賊も、この惨劇に驚いたのだろう。どうしていいのかわからず、はた目からもはっきりと分かるほどに震えている。


「たぶん……お前の仲間はもう、ダメだと思う」


 そうタケトが呟くと、賊の若い男は叫び声をあげて刃物とブリジッタを放り、逃げ出した。

 しかし彼も密猟者の一人。逃がすわけにはいかない。

 獣化していたカロンが間髪いれず追いかける。すぐに距離を縮めると男の背中に飛びついて勢いのままに床へと押さえつけた。これで密猟者はすべて片付いたことになる。


(さて、と……あとは、マンドラゴラをどうにかしないとな)


 扉を通してもかすかに聞こえてくるあの独特な叫び声。あの声がやむ気配は今のところない。けれど、人が聞けば死に至る声を、放置しておくわけにもいかない。


(やめさせるか、それでなければ……)


 ブリジッタが黒鉛で床に何やら文字をかきつけはじめる。

『回収不能ならば 被害をこれ以上広げないために 処分もやむを得ませんわ』

 そう書かれていた。


(そう……なるよな。やっぱ……)


 処分。つまり、マンドラゴラを殺して止めるしかないということだ。

 本当は、やりたくない。でも、誰かが止めないといけない。このまま放置しておいたら、さらに被害者を増やすだけだ。

 タケトは頬を手のひらでパンと叩くと、顔を上げた。


「わかってる。ちゃんと、やる」


 耳栓をしているブリジッタには聞こえないとは知りつつも、タケトはそう呟いた。

 手に持っていた精霊銃を顔まで掲げて、最後まで心の中に残っていたわだかまりを吐き捨てるように小さく息を吐く。そうすることで、ざわざわしていた胸の内が落ち着いた。


 さて、どうしよう。精霊銃を握れば手が塞がってしまう。しかし、耳栓だけで書斎に入れば、マンドラゴラの『死の叫び声』のせいで苦しさのあまり動けなくなってしまう。どうすればいいんだろう、と必死で悩んだ。


(聞こえなくさえすればいいんだ。聞こえなくさえすれば)


 タケトは一旦扉の前を離れると、捕まえた男を縄で縛り上げていたカロンの横を通り過ぎた。

 カロンは不思議そうな顔をしていたが、何も答えずにタケトは書斎の隣にある小部屋に入って、キョロキョロと室内を見回す。


(なんかないかな。なんか……)


 そして、壁際に置かれた文机の上のあるものに目が留まる。


(あった! これでいいや!)


 タケトは足早に文机の前までいくと、精霊銃を机に置いて、代わりに羽ペンを手にとった。

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