第44話 書斎にいたモノ


 ルイーザはサーベルを握ったまま、ブリジッタのところへと全速力で駆け出す。すぐにタケトも追うが、追いつかない。


 二階に続く階段の下にいたブリジッタは、まるで驚いて固まってしまったかのように動かなかった。ルイーザはブリジッタの身体を両手で掴んで軽々と抱き上げると、その白く細い首筋にサーベルの刃をあてる。


「へへっ。これで勝負あったな」


 そして後ろから走ってくるタケトに向かって、胸に抱いたブリジッタとその首に当てたサーベルを見せつけた。


「おっと。止まるんだ。このお嬢ちゃんを痛い目に合わせてほしくなかったら、大人しく俺の言うことを聞き」


 と言いかけたところで、ルイーザは言葉を止める。ブリジッタがちょいちょいと下から、その人形のような細い指で顎をつついてきたからだ。


「なんだよ、お嬢ちゃん。暴れるなら容赦し……ね……」


 腕の中にいるブリジッタの顔を間近で見下ろした途端、ルイーザの表情が驚きに変わる。そして、それを最後にルイーザは石のように固まってピクリとも動かなくなった。眼帯を外したブリジッタの左目をもろに見てしまい石化したのだ。


 そのままバランスを崩してブリジッタもろとも後ろ向きに倒れそうになったところを、ようやく追いついたタケトが間一髪手で支える。もちろん、タケトはぎゅっと目を閉じておくことも忘れない。ブリジッタの左目を見たら、自分まで石化してしまうからだ。


「クスクス。たわいもないですわね」


 意気揚々と笑うブリジッタ。タケトは目をつぶったまま、


「……いいから、早く眼帯つけてよ。重くて倒しそう」


 文句を言ったら、ペシペシと頭を叩かれた。


「手助けしてあげたのに、偉そうに言うんじゃないですわ。そもそも、ソチが弱っちいから賊一人に手こずるんではなくって?」


 全くもってその通りなので反論のしようもないのだが、上から目線の態度にちょっとむかっとくる。支えていた腕を僅かに引いてグラッとさせてやったら、ブリジッタは肝を冷やしたのか「きゃっ」としがみついてきたあと、「何するんですの! 馬鹿タケト!」と今度は力一杯タケトの頭を叩いてきた。


「いててっ……悪かったよ」


「ほら。もう目を開けても大丈夫ですわよ」


 目を開くとブリジッタの左目はいつものように眼帯で覆われていた。

 彼女の手をとってルイーザから降りるのを手伝ってやり、ついでに石化したルイーザは邪魔にならないように廊下の隅に転がしておくことにする。ルイーザが握っているサーベルを取り上げようとしたが、石化してしまった手は少しも開かなかったので諦めた。


「それで、マンドラゴラ。二階で見つけたって言ってたけど」


「ええ。そうですわ。ほら、見てご覧なさい」


 そう言って、ブリジッタは階段の手すりを指さす。磨き上げられたピカピカな金の手すりに、べったりと何かの液体がついていた。どうやら食料倉庫にあったものと同じ、赤ワインのようだ。

 赤ワインのシミはさらに上の手すりにも、その少し上にもついていた。


「マンドラゴラは食糧倉庫で赤ワインを浴びたあと、ここをのぼって行ったのか」


「そのようですわね。それでカロンと二人で上の階に行って雫のあとを追っていったら、書斎に着きましたのよ。さあ、上の階に行く前にもう一度耳栓を嵌めなさい。叫ばれたらあっという間に死んでしまいますわ」


 言われたとおりしっかり耳栓を詰め直して階段をあがると、二階の廊下に確かに点々と雫が続いていた。その先には、片方だけ開いた扉がある。その扉の影には獣化したカロンの姿もあった。彼はそこから中の様子を伺っているようだ。


 タケトが歩み寄るのに気付いて、カロンはクイッと指で部屋の中を指し示した。カロンと場所を変わってもらってタケトも扉に背をつけると、顔だけ出してそっと書斎の中を覗いてみる。


 そこは、まさしく書斎と呼ぶのに相応しい部屋だった。

 両側の壁は天井まで届くほどの本棚で埋め尽くされており、その一段一段にぎっしりと本が詰まっている。ほかにも本を読むためのソファや、書き物をするテーブルなどが置かれ、まるで小さな図書館のようだ。


 そして、その部屋のほぼ中央。そこに見たことのない生き物の姿があった。その生き物は床に座り込んで、本を熱心に眺めている。


(いた……コイツだ……!)


 それは事前の予想どおり、体長五十センチほどの小柄な魔獣だった。

 長い薄緑色の髪の毛のようなものが全身を覆い隠している。その毛のあちらこちらからは、ぴょこぴょこと茎がのびて、ところどころに小さな葉っぱがついていた。顔も髪の毛と同じ色の長い口ひげで覆われており、本に添えられた手は根っこのようにシワシワで、全体的におじいちゃん感のある外見をしている。

 それは、植物のようでもあり動物のようでもある魔獣。

 間違いない。コイツこそ、この屋敷の住民たちを死に追いやったマンドラゴラに違いなかった。


 いまのところは叫ぶような素振りは見せていない。

 ただひたすらに、目の前の本を読みふけっていた。


(捕まえるなら、今のうちだよな)


 タケトは隣にいるカロンと目配せすると、カロンも頷いてくる。

 早速、精霊銃をホルスターにしまうと、肩にかけていた背負い袋をおろして中から畳んだ革袋を何枚か取り出した。


 当初の計画どおり、これにマンドラゴラを入れるつもりだ。そして、何重にもくるんで屋敷の外へと運び出し、ウルが持ってきた石の檻に閉じ込めて人里離れた場所まで連れて行く。


(こんな皮袋なんかで、本当に『死の叫び声』を防ぎきれるのかな)


 若干……いや、かなり不安ではある。でも、これより他に安全に運べる手段もみつからなかったのでやってみるしかない。ブリジッタの瞳の力で石化して運び出すということも考えはしたが、彼女の瞳は植物には効かないらしいので、第一選択としてはパスした。


 タケトはカロンに皮袋を二枚渡す。耳栓を詰め直して手に何枚かの皮袋を持ち、もう一度二人でうなずき合った。


(……行くっきゃないよなぁ)


 叫ばれたらどうしよう。正直、それが不安で仕方なかった。耳栓をしているせいで、高鳴る自分の鼓動がいやに耳につく。

 タケトはゴクンと唾を飲み込むと、書斎の中へと一歩踏み出した。


 こちらには全く気付いていないように部屋の中央でぽつんとしているマンドラゴラ。

 タケトは室内に足を踏み入れたと同時にマンドラゴラに向かって駆け出した。足音は聞こえないが後ろからはカロンもついてきていることだろう。


 逃げられるわけにはいかないから、全力で走る。そして一気にマンドラゴラに迫ると、皮袋を掲げて頭からスッポリと被せた。すぐに横倒しにして口を紐で結ぶ。そのときになってようやくマンドラゴラは異変に気付いたのかジタバタと袋の中で動きだした。


 しかしそれには構わず、カロンもマンドラゴラの前にあった本を避けながら、持っていた袋をさらに被せて袋の口を結ぶ。


「ごめんな……お前を捕獲しなきゃいけないんだ」


 そうタケトは呟きながら手は素早く動かして作業をすすめる。そうやって、四重にした皮袋の口をきつく締めたところで、ようやく一息ついた。


 幸い、マンドラゴラはいまのところ叫んではいない。たまに、袋の中でもぞもぞと動いてはいるが、鋭い爪や牙をもつ魔獣ではないので内側から破られる心配もないだろう。


「さてと。これを外まで運び出さないと……」


 そう思って顔を上げたとき、スッとタケトの頬に冷たいものが当たった。ひやっとした硬質な感触。後ろから伸びてきたそれは、剣の刃のようだった。


 動けない。いつの間にか、背後に人の気配がある。カロンは隣にいるから、彼でもない。まして背の低いブリジッタのはずもない。


 僅かに顔を動かして無理矢理後ろ見ると、頬に痛みが走った。

 当てられている刃で頬が切れたのだ。それでも後ろを目で確認する。タケトの背後に見知らぬ男が、嫌な笑いを顔に張り付かせて立っていた。


 タケトの後ろだけではない。カロンの後ろにも。さらにいつの間にか書斎の中に見覚えのない男が三人入り込んでいた。


(あああ、しまった……マンドラゴラに気を取られてて、気付かなかった……)


 しかも、いまはかたく耳栓をしているから、音で気配を察知することもできなかった。

 この分だとブリジッタもこいつらの仲間に掴まっていることだろう。


 迂闊だった。予想しておくべきだった。賊が一人入り込んでいたのだから、当然、他にも仲間が隠れて潜んでいることは考えておくべきだったのだ。それなのに、マンドラゴラのことで頭がいっぱいでそこまで考えが及んでいなかった。

 刃を喉元につきつけられながらも、タケトはニヤニヤと笑う目の前の男を睨み上げる。


(こいつらは、ルイーザの仲間……密猟者だろうな。マンドラゴラを盗みに来たのか。でも……お前らに渡すわけにはいかないんだよ)



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