第43話 お前は誰だ?
廊下の角を曲がったところで、その先に誰か倒れているのが目に飛び込んできた。
そばまで行って、確認する。うつ伏せになっていた身体を仰向けにさせると、恐怖に引きつった顔で何かを叫ぶように口を大きく開いたまま絶命していた。恰幅の良い身体、いかにも高価そうな金糸の刺繍がふんだんに施された服。間違いない。正面玄関のところに飾ってあった肖像画と同じ人物、この屋敷の主のガラード・シュリックだ。
彼が倒れていた場所から近い部屋のドアが半開きになっている。
タケトはガラードの瞼を手のひらで閉じてやると、立ちあがってそのドアへと近づいた。
おそるおそるその部屋を覗いてみると、どうやら寝室のようだった。ごてごてとした骨董品の壺や絵画が壁一杯に飾られている。お世辞にも趣味がいいとはいえないここが、ガラードの自室なのかもしれない。
部屋に入ってざっと眺めてみるが、やはりここにもマンドラゴラの姿は見当たらなかった。
ただ、ベッド脇のサイドテーブルの上に金庫のような形の木箱が置いてあるのが気になった。木箱には南京錠が三つもついていたが、今は扉が開いていて中には何も入っていない。
『この中に入れていたのかしら?』
と、これは隣に来て木箱を覗き込んでいたブリジッタ。
タケトは、小さく頷く。おそらく、ここにマンドラゴラを入れていたのだろう。
そして、必要があるときだけ扉を開け、予知能力を使わせて必要な情報を聞き出していたのかもしれない。
しかし、今日は何かの拍子にマンドラゴラを怒らせてしまった。そして、招いたのがこの惨事。
マンドラゴラを飼うと大きなリターンが得られるが、そのリスクもまた莫大だ。ご機嫌を損ねただけで、大惨事になってしまうのだから。
それにしても、随分小さな檻だ。こんな窓もない箱に押し込められていたかと思うと、マンドラゴラへの恐怖は一旦脇に置いておいて、気の毒にすらなってしまう。
魔獣だって生き物だ。この窮屈な箱に一日中閉じ込められて、マンドラゴラは何を思っていたのだろう。
(そりゃ、怒りたくもなるよな……)
自分だったら半日もたたず怒るだろうな、とタケトは思う。
ガラードの自室には他に手がかりになるようなものもなさそうだったので、部屋から出た。そこへカロンが駆け寄ってくる。
『あちらからワインのような匂いがします』
人並み外れた嗅覚をもつカロンの鼻が匂いを捉えたようだ。赤ワインはたしか、マンドラゴラの好物だったはず。
その匂いをたどっていくと、あるドアの前についた。両開き扉の片側が開いている。早速中に入ろうとしたカロンを、タケトは服を掴んで制した。
そして指で床を示す。そこには、目を凝らさないとわからないが、ロウソクの明りに照らされた雫がポツリ、ポツリと落ちていた。雫は部屋の中から続き、点々と廊下の先へと伸びている。床の上のその雫を指で触ってロウソクの光に照らすと、うっすらと赤みを帯びているように見えた。カロンに匂いを嗅いで確かめてもらうと、彼は大きく頷く。やっぱり、赤ワインらしい。
念のため扉の内側を調べてみると、そこは食物倉庫のようだった。窓がなくヒンヤリとした室内には棚がいくつも置かれ、今晩の夕食にでも使う予定だっただろう肉や野菜が保管されている。その棚と棚の間にある床に地下へと続く階段があった。それを降りると小さな小部屋に出る。壁際に置かれた棚に整然とワインのボトルが並んでいた。ワインセラーらしい。
その床には何本か割れた瓶が転がっていて、ワインの水たまりができている。どうやら部屋の外にあった赤ワインの雫はここから続いているようだ。
しかし、ここにも探している魔獣の姿はなかった。
となると、あの雫のあとが続くその先にマンドラゴラがいる可能性が高い。タケトたちは食物倉庫を出る。そのとき、隣を歩いていたルイーザが苛ついたように何かを呟いた。いや、声は耳栓をしていたので聞こえるわけもないのだが、口の動きで何を呟いたのかなんとなく察せられた。思わずタケトは足を止める。ルイーザは、
『おかしいな……どこ行きやがった』
そう呟いたように感じた。
まるでここにマンドラゴラがいると予め知っていたかのような彼の態度に、これはもう完全に黒だろと直感する。そもそも食糧倉庫に行こうといいだしたのも彼だった。もしかしたらルイーザは自分たちをここへと誘導したかったのかもしれない。
タケトは静かに腰に下げたホルスターに手を伸ばした。精霊銃のグリップを握ると、彼の背中に銃口をつきつける。
それに気づき、ルイーザも立ち止まった。ゆっくりと振り向いた彼の顔には、驚きでも困惑でもなく、口端を歪める卑下た笑みが浮かんでいた。そして、耳に詰めていた布を取り除くと、何か話しかけてくる。
タケトは近くにマンドラゴラがいたらどうしようと一瞬躊躇ったが、耳栓をしたままでは会話が出来ない。思い切って片耳だけ耳栓を外した。
「よう。これで、ようやくまともに話せるってもんだよな。ったく、耳が使えないってのは想像を絶する大変さだな」
ルイーザの言葉は、銃を背中につきつけられているとは思えないほど軽い。
「……お前。衛兵じゃないよな。増援なんて嘘っぱちだ」
「なんで、そう思うんだ?」
タケトはいつでも撃てるように精霊銃の撃鉄を起こす。ガチャッという振動がルイーザにも伝わったはずだ。
「靴だよ」
「……靴?」
思ってもみない返答だったのだろう。ルイーザは素っ頓狂な声をあげる。
「お前は俺たちのあとからこの屋敷に入って来たと言った。でも、お前の靴は全く濡れてる様子がない。だとすると、お前がこの屋敷にきたのはこの雨が降る前ってことになる。違うか?」
タケトの問いに、ルイーザはただ肩をすくめただけだった。それでも、タケトは話を続ける。
「おおかた、お前はこの辺りを縄張りにするゴロツキかなんかだろうよ。近くにデカい市場もあるしな。んで、第一通報者のやつが騒いでたのを聞きつけていち早く忍び込んでいたか、知り合いの衛兵に賄賂掴ませて入れてもらったかしたんだろ? でも、いざマンドラゴラを目にしたらとても手に負える相手じゃなかった。だから、俺たちに取り入って利用しようとしたんだ」
抑揚を押え語気を強めた声でタケトは言う。外の雨はいまだ降り続いている。窓にピカリと稲光が走り、一瞬廊下を明るく照らした。ゴロゴロと雷鳴が轟くのに合わせたように、ルイーザはくつくつと笑い声を漏らして肩を揺らした。
「いつから気付いてた?」
「リビングんとこにあった死体。あの中に、身なりが他と違う死体が一体あった。あれはお前の仲間かなんじゃないの? その衛兵の服は、初動で入ってきた衛兵から奪ったんだろ?」
今度は、ルイーザはハッハッハと声を上げて笑った。
「ご名答。あんた、すごいな。マトリなんてやってねぇで、衛兵にでもなった方がいいんじゃねぇのか? それでなくてもあいつら、腰抜けのボンクラばかりだしよ?」
衛兵は街や城を警備するいわば警察みたいなものだ。元は刑事のタケトからすると同業みたいなものではある。
「俺たちが
「そう、だな……!」
ルイーザはいきなり回し蹴りをしてきた。精霊銃を足で弾かれそうになり、タケトは後ろに跳んで攻撃を避ける。正直言って、銃は近接戦闘には向いていない。照準を狙っている暇はないし、かといってデタラメに撃てるほどこの銃に弾数はない。
ルイーザは振り向きざま、腰の剣を抜いた。衛兵がいつも腰に下げている、片刃の細長いサーベルだ。それを上段にふりあげると、タケトに向かって力一杯振り下ろしてきた。
タケトはそれをギリギリなんとか避けるものの、袖の端が切れて腕に薄らと血の筋が滲む。
(くっそ……こういうときのために、ナイフでももってりゃよかった)
再びルイーザが返す刀で斬りつけようとしてきたところに、廊下の奥から声が響いた。
「タケト! マンドラゴラよ! いましたわ! 二階の書斎ですわよ!」
ブリジッタの声だった。その声に反応してルイーザの動きが一瞬止まったかと思うと、彼は向きを変えてブリジッタのいる方へ駆け出した。
「やばい! ブリジッタ、そっち行った! そいつ、密猟者だ!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます