第42話 死屍累々


 パタン。

 思わず、扉を閉めてしまった。

 そして、後ろにいたブリジッタに怪訝な視線を向けられてしまう。


 タケトはポケットに入れてあった黒鉛の塊を手にもって、床に書き付けた。これは屋敷内で筆談が必要になることを想定して、事務所から持ってきたものだ。


『死んでる。すぐそこ。死体があった』


 タケトが書いた文字を読んで、ほかの二人の間にも緊張が走るのがわかる。


 被害者のことは散々話には聞いていたが、いままで見てきたところは荒れたところなどなかったのでいまいち実感が持てないでいた。それが、現物の死体を見つけたことで、俄然緊張感が増してくる。

 お互いに頷くと、もう一度タケトは扉を開いた。やっぱり床には先ほどと変わらず、マネキンのように微動だにしない女性の死体がある。


 視線をあげてみると、その部屋はかなりの広さがあることが一瞥できた。ちょっとしたパーティくらいなら開けそうだ。淡い緑色を基調とした上品な壁紙には、桃色の花々が描かれていた。部屋の真ん中にはゆったりとしたソファが置かれ、天井にはシャンデリアがぶらさがっている。どうやらリビングか客間のようだ。そして、横たわる死体を除いては、特に不審なものはない。ここにはマンドラゴラはいないようだ。


 小さく息をつくと、タケトはドアを開ける。

 部屋に入ってすぐのところに倒れていた女性以外にも、部屋のあちらこちらに数人が倒れていた。しかし誰一人としてうめき声を漏らすこともなく、みな床に突っ伏したり、ぐったりと椅子にもたれたりして動く気配はない。本当に死屍累々だ。

 タケトは女性のそばに膝をつくと、首元に指をあてる。


(冷たい。それに既に死後硬直が始まってる)


 死後硬直は通常、死後二、三時間ほどで始まる。顎や首からはじまり、段々と身体をくだっていき大体半日ほどで全身が硬直する。この女性の硬直具合から見て、まだ死後三、四時間といったところ。通報者の男が事態を発見したのも大体それくらい前になる。となると、やはりマンドラゴラによる被害と考えられそうだ。


 倒れている他の人たちも同様の硬直状態だった。おそらく同時に被害にあったのだろう。


(『死の叫び声』……か。声だから、同じ室内にいた全員が一瞬でやられたんだろうな。もしかして壁を通過したりもするのか?)


 壁すら通過して屋敷中に一声で拡散するとしたら、こんな耳栓なんてしていても意味は無いのかも知れない。

 タケトはしゃがみこんで、再び文字を書き付ける。


『ここにはマンドラゴラ、いないみたい。どうする? 二手に分かれて挟み撃ちするみたいに探した方が取り逃がす可能性は低いと思うけど?』


 その文字を黙って見ていたカロンだったが、おもむろにしゃがみこむとタケトから受け取った黒鉛でその下に新たに書き足した。


『いったんバラバラになってしまったら、マンドラゴラを発見してもそのことを知らせる手段がありません。なるべく目の届く範囲にいる方が賢明でしょう』


 さらにその下にブリジッタが書き継ぐ。


『そうですわよ。一人でマンドラゴラに出くわしたと思うとゾッとしますわ。ソチらが盾になってくれないと、ワラワのようなか弱い乙女はどうしようもなくなってしまいますのよ?』


 へぇ。ブリジッタは文字だけでも上から目線で偉そうなんだなぁと変なところに関心しながらも、二人の考えにはタケトも賛成だった。か弱いとかか弱くないとか関係なく、タケトもできるならば単独行動なんてしたくない。


 とりあえず、あまりお互いに離れないようにしながら、奥にあったもう一つの扉へと向かう。見取り図によると、この先は廊下になっているはずだ。

 通報者がマンドラゴラを見たのも廊下だったという。ということは扉の向こうにマンドラゴラがいる可能性もありうる。タケトは内心緊張しながらそっと扉を開けた。そして、先ほどと同じように顔だけだして様子をうかがう。


 廊下は室内と違って、かなり暗い。光の精霊の魔石は設置されていないようだ。代わりに壁に等間隔でつけられた燭台の上では、太いロウソクが明りを灯していた。そのぼんやりとした明りを頼りに目を凝らす。


 廊下の左手にはドアが並んでいた。右手にはガラス窓を通して中庭が見える。中庭の中心には、大きな噴水があった。ここの主はどれだけ噴水好きなんだろう。噴水を維持するには莫大な資金が必要だろうから、単に財力を見せつけたいだけなのかもしれない。ご丁寧に、ライトアップまでされている。あれも光の精霊の魔石を使ったものなのだろうか。噴水の向こう側にはこちら側とよく似た構造の通路も見えた。


 幸い、付近には死体もマンドラゴラらしき姿もなさそうだ。

 ブリジッタには廊下で見張ってもらって、目のいいカロンに窓から中庭とその向こうに見える反対側の廊下を調べてもらうことにする。その一方で、タケトは廊下にあるドアを一つずつあけて中を探ってみることになった。


 慎重に一つ目のドアを開けてみるが、そこはベッドが置かれた寝室だった。その隣も寝室。さらにその隣はウォークインクローゼットのような衣裳部屋だ。しかし、一向にマンドラゴラらしき姿にはでくわさない。屋敷の中は至って静かだ。もしかして、逃げたんじゃ? なんて疑問も湧いてくる。


 そして、五つ目のドアを開けたとき、タケトは部屋の中に動く影を見つけて思わず叫びそうになった。いや、耳栓をしていたから自分で聞こえないだけで、たぶん叫んでいた。そこは倉庫のような薄暗い部屋だったが、並べられた棚の陰からフラッと人影が飛び出してきたのだ。 


(ぎゃーーーーーーー!!!……って、あれ?)


 マンドラゴラはせいぜい体長五十センチくらいだと聞いていたが、陰から出てきたのはタケトより少し背の高いひげ面の中年男性だった。

 違う違う、というように手を顔の前でパタパタさせている。よく見ると、彼が着ているのは衛兵の制服だ。


(……なんだ、衛兵か。……って、あれ? 先に偵察に入った衛兵は死んだみたいなこと言ってなかったか? じゃあこいつは増援か?)


 少し疑問に思って、タケトは壁に『あんた、衛兵?』と書き付けてみる。そして黒鉛の塊をほいっと投げて渡す。男はそれを片手で受け取り、タケトの文字の横に書き連ねた。


『ああ。そうだ』


交互に黒鉛を使いながら会話を続ける。 


『外の衛兵たち、怖がって捕獲は俺たちに丸投げっぽかったけど。あんたは違うんだ? あんた一人?』


 タケトの疑問に、男はすらすらと書いて応えた。


『ああ。一人だ。流石に丸投げじゃ俺らも面子がたたないから手伝いにきたんだよ。魔獣なんて探すのは手が多い方がいいだろ? 庭を歩いてたらあんたたちの姿が窓越しに見えたから話聞こうと思ってな』


 そう言って男は庭の方を指さす。確かに、そちらには庭へ出れる戸口があって、その向こうには雨に煙る芝生の庭が見えた。


『俺はルイーザってんだ。よろしくな』


 そう書いて、男は気さくに笑った。


『俺はタケト。よろしく』


 そう言葉を交わして、気が付いたら壁は黒鉛の落書きだらけになっていた。こんなに壁を汚したら怒られるかもしれないと服の袖でこすってみたら、すぐに黒鉛は落ちた。袖は真っ黒になってしまったけれど。


 ルイーザとともに廊下に戻り、カロンとブリジッタに彼を紹介する。カロンの方も視界の届く範囲をくまなく調べてみたが、見える限りの範囲では不審なものは何もなかったという。


 それにしても、想像以上に部屋数が多い。まだ一階部分の半分も見終わってはいないが、この屋敷には二階と地下室もあるのだ。


『案外広いな、ここ。全部細かく見ていくと、すごい時間かかりそう。日が暮れる前に何としても探し出したいんだけど、間に合うかな』


 タケトはそう聞いてみた。いや、実際には口でしゃべっているわけではなく、床にしゃがみ込んで黒鉛で書いているわけだが。


『おそらくだが。マンドラゴラがいるとしたら、食物倉庫じゃないかな』


 そうルイーザが返してきた。


『魔獣だって腹が減るだろ。餌になるものがありそうなところに行ってるんじゃねぇの?』


『なるほど、それは一理ありますわね』


 とこれはブリジッタ。


『でも、ソチはマンドラゴラの餌が何かご存知なのかしら?』


『い、いや。知らねぇっす』


『マンドラゴラは地中に埋まっているときは普通の植物と同じように土から養分を吸って生きているようですが、土から引っこ抜いた後は赤ワインに浸してやるのが給餌方法だといわれています』


 これはカロン。みんながしゃがみこんで頭突き合わせて何やら床に書き付けている様子は、子どもが地面に落書きして遊んでいるみたいでちょっと面白い。なんて思っていたが、ふと気になることがあってタケトは書き足した。


『マンドラゴラって引っこ抜くとき怒ってあの死の叫び声で鳴くんだろ? そしたら、引っこ抜いた人も死んじゃうけど、どうやって引っこ抜くんだろう?』


 その問いには、ブリジッタが答えてくれた。


『犬をヒモで括り付けて、引っこ抜かせると言われてますわ』


『まじで。それ、犬が死んじゃうじゃん』


『そうなりますわね。それでも、そこまでしてでも欲しい人間は沢山いるんじゃなくって?』


 なんとも、気の毒な収穫方法だった。


『じゃあ、とりあえず食料倉庫付近を探してみようぜ。その地図からすると台所は二つ目の角の近くだ。食料倉庫もその付近にあるだろ』


 そう書いて、ルイーザはよいこらしょっとでも言うように膝に手をあてて立ち上がりそちらへと向かう。


(……あれ?)


 そのルイーザの後ろ姿を何とはなしに見ていたタケトは、僅かな違和感を覚えた。


(なんだろう……ああ、そういえば……)


 タケトはあることに気づいて、自分の足元を見た。革の靴は雨でいまだにぐちょぐちょに濡れて、道を歩くとき跳ね返った泥でズボンの裾もドロドロだ。


 それに対して、ルイーザの足元はとても綺麗だった。

 にもかかわらず、彼は自分たちよりもあとにこの現場に来たと言った。

 そのことに思い至り、すっとタケトの目が鋭くなる。


(こいつ……)

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