第41話 死の屋敷
タケトは馬車からそっと路面に降りた。
雨が降り続いているうえ舗装もされていない地面は水たまりだらけだ。ちょっと歩くだけで、すぐに靴は泥と水でぐずぐずになってしまう。
カロンが馬車を置いて馬の手綱を鉄柵に結び付けると、衛兵たちのところに歩み寄っていった。
「魔獣密猟取締官の者です。状況を説明願えますか」
『
「お待ちしておりました! 現在、屋敷は完全に封鎖してあり、人っ子一人入れないようにしてあります」
「つまり、第一通報者が衛兵の詰所に駆け込んでから、何も現場確認はしていないと?」
カロンの金色をした鋭い瞳を向けられ、衛兵の一人はたじたじとしながら答える。
「た、たしかに、今現在、屋敷のどこにマンドラゴラがいるのかは、把握していません。初めに様子を見に行った衛兵がいましたが、その後戻ってきていません。屋敷の外から覗いたところ倒れているのが発見されたので、その後は一切の人の出入りを禁止し現場は封鎖しました。屋敷の外での目撃例も被害も報告されていないことから、マンドラゴラはまだ屋敷内にいるものと思われます」
つまり、まずマンドラゴラがどこにいるのか探すことから始めないといけないらしい。
「被害状況を教えてくださらない?」
衛兵を見上げるブリジッタに、彼は頷いて話し出す。
「屋敷内にいたと思われるのは、屋敷の主であるガラード・シュリック。それに、その妻と親戚三人。幸いガラード氏の子どもたちは学校の寄宿舎に入っているため無事が確認されています。それから執事と使用人が全部で七人。屋敷をたまたま訪れていた客人が二人。それに様子を見に行った衛兵含めて、計十六人です」
ほぼ一家全滅の様相を呈していた。
それだけの人間を叫び声一つで死に追いやった魔獣は、今もこの屋敷の中でさまよっているらしい。
(こわっ……めちゃめちゃこわっ。そんなとこ入って大丈夫なのかよ!?)
正直言って入りたくない。衛兵たちですら怖くて立ち入らない場所に、入っていってその元凶を捕獲してこなきゃいけないなんて、命がいくつあっても足りないじゃないか。でも、それが仕事なのだから行くしかない。消防士が火事を前に尻込みすることができないように、
タケトは正門を開けて、カロンたちと共に敷地の中へと足を踏み入れた。
衛兵たちは、心配そうに鉄柵の向こうでこちらを眺めているだけだ。やはり、敷地内に入ってくるつもりはないらしい。
入ってすぐのところに馬車寄せのスペースがあり、その先に屋敷の正面玄関が見えた。そのヒサシがせり出したところでシャンテはウルとともに待機していてもらうことにした。ウルは雨ざらしになってしまうけれど、そんなに大きな身体が雨を避けられる場所もないので仕方がない。
「さあ。準備しましょう」
そう言うと、ブリジッタが綿のようなものを渡してくれた。これで耳栓をしろということらしい。圧縮して耳に詰めると、外の雨音は聞こえなくなる。ブリジッタがこちらに向かって口をパクパクさせているので、耳栓をとってみると。
「どう? ほとんど聞こえないでしょ? ヤヌーの毛はとても密度が高いんですのよ」
ちっちゃな胸を反らせてドヤ顔で言われた。
確かにこれで耳栓をするとほとんど音は聞こえない。逆に、自分の心臓のバクバクいう音が体内に響いてうるさいくらいだ。この耳栓をしてしまえば、隣にいる人との会話も難しいだろう。中に入ったら筆談するしかない。
それでも、こんなことで本当にマンドラゴラの『死の叫び声』を防ぐことができるのか、不安はあった。
ブリジッタは膝をついてしゃがんだカロンの耳にもヤヌーの毛を詰めると、さらにピンと立ったカロンの耳をぺとっと寝かせて、何かべとべとした樹脂のようなもので塗り固めた。
「カロンは耳がいいですから。これくらいしないと安心できませんわよね」
あれは後で剥がすとき、大変そうだ。絶対、毛も一緒に抜けると思う。
(痛そう……)
気の毒だけど、いくら耳がいいとはいえ、カロンは重要な戦力なので同行してもらわないわけにもいかない。我慢してもらうしかなかった。
全員の耳栓の準備が整ったところで、ブリジッタが何かパクパクと口を動かした。きっと、「さぁ、いきますわよ!」とか言っているに違いない。
シャンテも胸の前で両手をぎゅっと握って何か応援の言葉らしきものを口にしてくれているようだが、こちらもパクパクしているのが見えるだけで何をしゃべっているのかはさっぱりわからなかった。
だから、「えっと、うん……がんばる」とだけタケトは返しておいた。
正面玄関の大きな両開き扉のノブを掴んで引くと、扉はあっさりと開いた。鍵はかかっていないようだ。
タケトはドアの隙間からそっと顔だけ覗かせ、室内を確認してみる。
意外にも屋敷の中は明るい。外は雨模様で薄暗いにもかかわらず、室内は晴天の昼間のような明るさだった。どうやら、光の精霊を入れた魔石が天井や壁に埋め込まれているようだ。さすが、大商人の家だけある。
そこは玄関ホールのようだった。シャンテの家の納屋よりも広く、天井も高い。壁も柱も床も、大理石のような淡いマーブル模様の石でできていた。その玄関ホールの奥、扉を入って真正面の位置に巨大な肖像画が掲げられている。
いかにも上等そうな服を着て、指には色とりどりの大きな石の指輪。ちょびひげのふくよかなおっさんだった。どうやら、この屋敷の主、ガラード・シュリックらしい。
(うわー……自宅の正面玄関にでかい肖像画とか、どんだけ自分大好きなんだよ)
若干引きながらタケトはあたりを見回すが、マンドラゴラはおろか、人の姿も見えない。
どうやら、ここは大丈夫そうだ。ほっと一息つくと、タケトはバックパックの紐を肩にかけなおして、室内に踏み出す。バックパックの中には畳んだ革袋が数枚入っていた。石檻はあまりに重くて人力では運べないため、マンドラゴラを捕獲するときはまずはその革袋で何重にも包んでから屋敷の外へ連れ出す算段だった。
タケトのあとから、カロンとブリジッタも入ってくる。
玄関ホールの壁際には左右に一つずつ扉があった。通報者の使用人が書いたという見取り図によると、この屋敷は口の字型になっているようだ。どちらの扉から行こうか迷ったが、とりあえず左の扉にとりつく。
そっと音を立てないように静かに扉を開けると、すぐ近くに誰かが倒れているのが目に飛び込んできた。
仰向けに横たわった女性らしき姿。
(ひっ……し、死んでる……!)
彼女の目は、恐怖に引きつったかのようにカッと見開かれたまま、瞬き一つしなかった。
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