第50話 新しい生活
マンドラゴラは捕獲したあと、当初の予定どおり王宮の森の奥深くにある、いまは使われていない石造りの建物の一角に幽閉することになった。
その建物の廊下を何冊かの本を抱えてタケトは歩く。そして突き当たりにある鉄製のドアの前までくると、コンコンとノックした。
特に中から何か返答が返ってくるわけではないが、いつものことなので構わずドアを開ける。
中はほの暗い。窓は上部に小さな換気用のものがあるだけなので、ほとんど明りも入ってこない厚い石壁に覆われた部屋だ。元々何に使われていた部屋なのかは知らない。
その部屋の一角に小さな絨毯が敷いてあり、そこにペタンと座ってマンドラゴラが無心に本を読みふけっていた。
タケトは傍まで寄ると、手に持っていた本を絨毯の上に置く。
「ほら。新しい本。図書館から借りてきたよ」
二日に一度ほどここにきて、新しい本を渡してやるのが日課になっていた。毎回十冊ちかくもってくるのだが、それでもすぐに読み終わってしまうようだ。
マンドラゴラは光の魔石の明りをたよりに、本の上に突っ伏すようにして読みふけっている。
「ちょっと外に出ようぜ。王宮の食料庫から新しい赤ワインもらってきたし。腹減ってんだろ?」
その言葉にマンドラゴラは顔を上げ、むくっと上体を起こした。タケトが手を差し出すと、その手に抱きついてモソモソとタケトの腕から背中へと這い上ってくる。自分の足で歩くよりも、こっちの方が彼は気に入っているらしい。タケトは背中にマンドラゴラをへばりつかせたまま、部屋から出て外へと向かう。
庭に出ると、魔生物保護園のクリンストンがウルの背中に積んできた酒樽を降ろしてくれているところだった。その脇では、シャンテがタライを用意してくれていた。
タケトはマンドラゴラをそのタライの中へと降ろす。
そして酒樽の横についたコルクの栓を抜くと中から赤ワインが注ぎ出るので、それをバケツへと受ける。溜まったところで、タケトはバケツをどけると注ぎ口に直接口を寄せてワインを一口含み、それから栓をした。ワインなんて高くて庶民にはなかなか買えるものじゃないから、少しくらい拝借したって文句は言われないだろう。酒の味なんてあまり詳しくは知らないけれど、王宮の酒蔵にある品だけあって結構美味いと思う。
袖で口に垂れた雫を適当に拭うと、バケツの中身をマンドラゴラの頭からかけてやった。そして空になると、再び酒樽からバケツに酒を注ぎ入れるのを繰り返す。
マンドラゴラは水浴びをしている幼子のようにはしゃいで、嬉しそうにワインを手足でばしゃばしゃさせた。
「うわっ、やめっ。こっちまでビシャビシャになるじゃないっすか」
そばにいたクリンストンの着ている茶色いツナギに、まだらのシミができている。
「洗濯しないとな、それ」
タケトも顔にかかった赤ワインを適当に拭きながら笑った。
しかし、マンドラゴラは気にしたようすもなく、赤ワインの水浴びを楽しんでいた。
ちなみに入浴しているわけでも遊んでいるわけでもなく、これがマンドラゴラの食事風景である。自由に動き回るのでつい忘れがちだがマンドラゴラは植物に分類される生き物だ。そのため、一応口らしきものもついてはいるものの、栄養を摂取するのは全身の皮膚からの経皮経由になる。
「不思議だよなぁ。白ワインは嫌いで、赤ワインじゃなきゃだめなんだもんな」
ついでにいうと、若いワインよりもより熟成されたワインの方が好みらしい。食費の面から見ても、ある程度資産家じゃないと飼えそうにない。この赤ワイン代は魔獣生物保護園の公費で出してもらえるからいいのだけど、タケト個人で飼うとしたらあっという間に給料なんて飛んでしまう。
世話をし始めたころは、マンドラゴラに接する時にはいちいち耳栓をしていたのだけど、最近は外しているときも多い。怒らせさえしなければ『死の叫び声』をあげることはないことがわかってきたのと、あの一件の以来このマンドラゴラが怒った素振りを見せたことなどなく本さえ与えていれば始終機嫌が良さそうだったためだ。
おそらくこのマンドラゴラが執着しているのは本だけで、読書を邪魔されたり本を乱雑に扱われたりしなければ怒ることはないのだろう。
そんなことを考えながらマンドラゴラの食事風景を眺めていたら、赤ワインをあびて楽しそうにしていたマンドラゴラがピタッと動きをとめ、急にしゅんと俯いた。
「ヨム ヨム ホン ヨム」
お腹いっぱいになって、また本が欲しくなったらしい。
のそのそと樽から這い出ようとしだしたマンドラゴラの頭にタケトはタオルを被せると、ゴシゴシと薄緑の髪の毛のようなものを拭いてやる。
「まだだ。そんなビチョビチョのまま触ったら、本が汚れるだろ?」
その言葉にマンドラゴラは納得したのか、大人しくなる。まだ、モゴモゴと「ホン ヨム ホン」と呟いてはいるが、されるがままに拭かれていた。
そのマンドラゴラの前に、シャンテが一枚の服を差し出す。
「これ、市場で売ってたんだ。サイズ的にもマンドラゴラちゃんにぴったりじゃないかな」
それは木綿でできた白っぽいワンピースみたいな服だった。腰のあたりでヒモを結んで長さを調節するらしい。シャンテがマンドラゴラを抱きかかえてタライの外の草地のところに出すと、頭からスポッと服をかぶせた。
「よくそんな小っちゃい服、売ってたね」
タケトの言葉に、シャンテはフフフと笑う。
「たぶん、赤ちゃん用の肌着だと思うんだ。選んでたら店の奥さんに、おめでたなのかいとか言われちゃった……」
なんて言ってシャンテが顔を赤らめたので、タケトもなんとなく気恥ずかしくなって何と返していいのかわからず微妙な空気が流れる。顔が熱い気がするのは、ワインを飲んだせいだけじゃないはず。
もちろんそんな行為をした覚えもないので、おめでたとかそんなはずもないのだが。いや、シャンテはどうだかしらないけど。夜は納屋で寝るからそのあとシャンテがどう過ごしてるのか知らないし。って、いや、何考えてんだ、俺。と頭の中がわちゃわちゃテンパってしまう。
その妙な雰囲気を、空気を読まないクリンストンが容赦なく破った。タライに残ったワインを眺めながら。
「この残ったワイン。何かに使えないっすかね。マンドラゴラを浸したワインなんて、うまくすれば薬とかに使えそうな気がするんっすけど」
なんて言い出した。タケトは、クリンストンに振られた話題を渡りに船と感じて、彼の隣へいきタライを覗き込む。
「あ、ああ。なんか滋養強壮の薬効とか、ありそうだよな」
「あと、媚薬効果っすかね。そっちの方が効果高いかもしれないっすね」
と、うっかりまた妙な方向に話がいきそうになったので、「ああ、うん……」と曖昧な返事をしていたら、シャンテがクスクスと笑った。
「ブリジッタがね。貴族の人たちに小分けにして売ろうかしら、なんて言ってたよ。そしたらきっと高く売れるんじゃないか、って。さあ。マンドラゴラちゃん、お部屋にもどる? また、ご本、読むんでしょ?」
シャンテに言われて、マンドラゴラは嬉しそうにぴょんと跳ねた。そしてシャンテ
に手を引かれて、また建物の方へと歩いて行く。その二人のあとを少し遅れてついていきながら、タケトは考え込んでいた。
マンドラゴラは元より非常に貴重な力をもった魔獣だ。こんな、人里離れた場所にずっと隔離しているままでいいんだろうか。もちろん、本人が望まない方法で何か利用してやろうなんてことは考えてはいないし、王宮の中でマンドラゴラの未来予知を悪用しようという人間が出ないように彼の存在は一部の関係者以外には秘匿されている。しかし、本人が嫌じゃなければ幽閉する以外にもっとよりよい共存の仕方はあるんじゃないかな、なんてそんなことを考えていた。
部屋に戻って、再びかじりつくように本に向かうマンドラゴラを見ていたら、ふとある考えがタケトの脳裏を過ぎる。
(本……『死の叫び声』……そうか……そうだよな)
部屋の戸口に立って考えに耽っていたタケトに、ドアをしめようとしたシャンテが不思議そうに声をかける。
「どうしたの?」
「う、うん……いや。ちょっと、ヴァルヴァラ官長に相談してみたいことができたんだ。あと、王立図書館のサマンサ館長にも」
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