第39話 王立図書館の盗難


 ある昼下がり。

 タケトは王宮のはじにある事務所のソファに座って魔獣図鑑を読んでいた。


 タケトが就いている魔獣密猟取締官という仕事に役立つのは言うまでも無いが、何十種類もの魔獣のことがカラーの絵付きで記されているので、単純に読みものとしても面白い。


「へぇ……魔獣って、植物もいるんだな」


 動物性の魔獣に比べてあまり数は多くないが、図鑑の後半には植物性の魔獣もいくつか掲載されていた。無生物の魔獣なんてものもいるらしい。


「当たり前ではなくって? 植物にだって、動き回ったり意思を持ったりするものはいるでしょう?」


 当然のことのように言うのは、向かいのソファにちょこんと腰掛けて上品にティーカップを口元に運んでいるブリジッタだ。


「いや……俺が住んでた世界には、動き回る植物なんていなかったけど……」


 植物と動物の違いって、自分の意思で動けるかどうかっていうのが大きいと思っていたけれど、こっちの世界には動く植物もいるらしい。となると、植物と動物の線引きって、どこで引くんだろうなんて疑問に思う。


 ちなみに、ブリジッタが美味しそうに紅茶を飲んでいるそのティーカップは、付与師のマリーから借りたものだ。騎士団長の妻であるマリーの家にはこの手の高級な陶磁器はゴロゴロあるらしく、気前よくその一つを貸してくれたのだ。


 ブリジッタが以前使っていたカップはタケトが掃除の時に誤って割ってしまったのだが、いまだにそのことを謝れないでいる。さっさと謝って石化でもなんでもされていれば良かったのだろうが、時間が経てば経つほど言いにくくなってしまった。


(……いっそ。忘れててくれないかな……)


 そんなことを近頃は期待もするのだが、


「そういえば、ワラワのティーカップはどこに行ってしまったのかしら。あれは、長年使っていて、一番のお気に入りだったのだけれど」


 なんてポツリと言うから、タケトは内心ぎくっと心臓が縮みあがる心地だった。


(今こそ、言わなきゃ……言わなきゃ。えっと……)


「あ、あのさ。ブリジッタ。そのカップのことなんだけど……」


 思い切って恐る恐る切り出すと、ブリジッタが顔をあげてこちらに視線を向けた。しかし、その視線はすぐにタケトを通り過ぎてその向こうにある窓に向けられる。


「……何かしら」

「え?」


 タケトはブリジッタの視線を追って、背後を振り返る。換気のために開けていた窓からは、ざわざわと複数の人の声のようなものが聞こえてきた。


 いつもは、小鳥の鳴き声や裏庭にある厩舎からの馬のいななきぐらいしか聞こえてこないのに。不思議に思ってタケトは立ちあがると窓へと寄ってみる。


 事務所があるのは王宮の二階だ。裏庭に面していて、窓から外を覗くと階下に衛兵たちの厩舎が見える。その厩舎にいつになく沢山の衛兵が出入りしていた。彼らは綱をひいて、自分の乗る馬を厩舎の外へと出しているところのようだった。慌てたような切迫した声が飛び交っている。


「なんか急いでるっぽいけど……」

「どうしましたの?」 


 隣にブリジッタもやってくる。彼女は背が低くて窓枠に届かないので、脇に手を入れて抱きかかえるようにして下を見せてやった。


「あら。何か事件でもあったのかしら」


 二人で窓の下を眺めていたら、こちらへと歩み寄ってくる足音が聞こえた。事務所の床板を踏み鳴らす足音で、すぐに誰だか分かる。


「官長……」


 ベリーショートな赤髪のヴァルヴァラ官長は、タケトのそばまで来るとひょいと下を覗いて腕を組んだ。昔、魔獣にやられたという酷い鉤爪痕の残る眉間を寄せて、ふむと唸る。


「衛兵だけじゃなく、騎士団にも出動要請が出たよ。私やカロンは待機だがな」


 官長とカロンは元々騎士団の所属だ。いまは王直属の機関である魔獣密猟取締官事務所も兼務しているが、騎士団の任を解かれたわけではない。いつもこちらの事務所にいるのでこっちの仕事の方が優先順位は高いようだが、何か有事があった際には前線へ出なければならない立場なのだそうだ。二人が普段軍服を身につけているのも、そのためらしい。


「何か事件でもあったんですか?」


 抱えていたブリジッタを降ろしながら、タケトが尋ねる。


 官長は顎に手をあててしばらく逡巡したあと、「まぁ、お前たちになら言っても構わんだろう」と前置きしてから話し始めた。


「王立図書館に賊が入ったんだ」


 それだけ聞くと、騎士団まで出動するほどの重大事態とは思えずタケトは小首を傾げる。


「王立図書館……ですか?」


「ああ。王都の中心部にある、石造りの大きな建物だよ。この国はもちろん、世界的に見ても類を見ない規模の図書館さ」


「国宝級の何かが、盗まれでもしましたの?」


 ブリジッタもことの深刻さがよくわからないのだろう。不思議そうに尋ねる。


「ふむ……実は、我々にも詳しいことは知らされていないんだ。ただ、賊が入ったのは図書館の地下にある禁書庫だというのはわかっている」


 禁書庫というからには、何やら禁じられた書物が厳重に保管してありそうだな。なんてことをぼんやりと考えていたら、窓からすーっと冷たい風が部屋の中へと吹き込んで首筋を撫でていった。


 外を見ると、つい先ほどまで温かい日差しが降り注いでいた青空に、いつの間にか厚い黒雲が覆っていた。急に日が陰って、あたりは薄暗くなる。一雨くるのかもしれない。


 タケトは肌寒さを感じてぶるっと身震いすると、ガラスの嵌まった窓をパタンと閉じた。

 ブリジッタと官長の会話はまだ続いている。


「禁書庫というと、限られた者しか閲覧を許されない書物や歴史的価値の高い古い本が保管されているところですわね」


「ああ。どうやら、そこの所蔵物がいくつか盗まれたらしい。禁書庫の入り口は、図書館の警備と騎士団の当直が詰めていたにもかかわらず、だ。手口の鮮やかさから、素人の犯行とは思えん。おそらく何かしら組織だった輩の仕業だろうと、上層部は推察しているようだがな」


 組織だった犯罪集団か、もしくは最悪、近隣諸国のスパイということも考えられるらしい。そのため、窃盗犯が逃亡する前に王都の周囲を衛兵や騎士団で封鎖して閉じ込める作戦のようだ。といっても、王都は城壁などで囲われているわけでもない。犯人を捕まえるのは大変そうだ。


「それで。盗まれたものって、何だったんですか? 禁書庫っていうからには、やっぱ本か何か?」


 タケトの問いに、官長は頷いた。


「そのようだ。古代の書物数冊と、その関連研究の論文が載った本が盗まれたらしい。どれも一点しか存在しない貴重なものだったようだ。とにかく。犯人を捕まえるのも大事だが、禁書庫の警備態勢もより盤石なものに組み直す必要があるだろうな」


 一点物の古代書物となると、やっぱり国宝級なんだろうなぁ。いくらぐらいするんだろう、なんてタケトが緊迫感の欠片もないことを考えていたら、バンと大きな音を立てて事務所のドアが開いた。入ってきたのは、金目の黒豹頭をした青年。カロンだった。


「官長! ここにいらしたんですね。良かった、タケトとブリジッタも揃ってる。これならすぐに出られますね。あ、シャンテは?」


「シャンテなら、ウルの散歩。たぶん、もうすぐ戻ってくると思うけど」


 タケトが答えると、カロンは肩で大きく息をする。いつも冷静沈着なカロンにしては珍しく、ここまで走ってきたようだ。


「そうですか。良かった……」


「出る、って。我々も、あの禁書庫荒しを探しにいけと命令が出たのか?」


 官長の言葉に、カロンは頭を横に振った。


「いいえ。別件です。王都にある大商人の屋敷でマンドラゴラが発見されました。あれの叫び声を聞いたようで、屋敷の主人や家人、使用人たちに多数の被害が出ている模様です。現在、屋敷は封鎖してありますが、我々にマンドラゴラを捕獲せよとの命令が出ました」


 そのとき、外からバラバラと雨音が聞こえてきた。とうとう雨が降り出したらしい。ゴロゴロと空が鳴る。遠くから聞こえる雷鳴が、事態の不穏さをより一層強く暗示しているようにも思えた。


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