第36話 砂漠の民


「っくしゅん」


 タケトはブルッと身体を震わせて、腕をさする。


 砂クジラの雄大な姿が見えなくなるまで見送っていたのだが、豪雨を散々浴びたおかげで全身ぐっしょりだ。

 そこに、雨雲の去った空から燦々と強い日差しが降り注いできて、いっきに服も身体も乾いていく。その気化熱で身体が冷え、ヒヤッとしたのだ。


「大丈夫?」


「大丈夫。ちょっと、冷えただけ。すぐ、この日差しであったまると思うし」


 心配そうに覗き込んできたシャンテに笑いかけた。

 びしょ濡れだったのはタケトだけではない。シャンテも、ウルも、みんなそうなのだ。


 と、そのとき、ウルが盛大に身体をブルブルさせて毛の水を切った。

 ウルが放った水しぶきは周りに飛び散って、せっかく乾きはじめていたタケトたちは再び水浸しに逆戻りだ。


「うわっ、ちょ、ウル! あっちに行ってくださらないこと!?」


 腰に手を当ててキッと見上げるブリジッタに怒られ、ウルは彼女の前に足を揃えてお座りすると、しゅんと頭を下げた。


「ごめんなさい、ブリジッタ」


 代わりに謝るシャンテに、ブリジッタは「まぁ、いいわ」と嘆息する。


「一仕事終わったことだし。ひとまず、近くの街にでも行きませんこと? いつまでもここにいたら、そのうち日干しレンガのようになってしまいますわ」


 それには、タケトも大賛成だった。

 と、そこに聞き慣れない男の声が飛んでくる。


「お前さんたち、よく無事だったな!」


 見ると、数匹のラクダに乗った男たちが、こちらに向かって走ってくるところだった。

 彼らは鮮やかな藍色のターバンを頭にかぶり、同じ色のポンチョのような民族衣装を身に纏っている。


「彼らはこの辺りに古くから住む、砂漠の民ですよ」


 隣にいたカロンが耳元に小声でささやき、そう教えてくれた。


「砂漠の民……」


 彼らはタケトたちのそばまで来ると、先頭にいた一人がラクダから降りてきて大股で近寄ってくる。


「俺たちは、砂漠の異変を聞きつけて様子を見にきたんだ。さっきまで、まるで嵐のような豪雨の中、砂クジラが暴れていたが」


 砂漠を渡る風に裾をはためかせながら近づいてくる彼は、タケトが見上げるほど背の高い屈強な男だった。口調は友好的だが、その目はまるで値踏みするようにこちらに鋭く注がれている。


「我々は、王の命を受けた魔獣密猟取締官です。砂クジラの件で、こちらに伺いました。もう危難は去ったと考えてくださって結構です」


 カロンが、ポケットから『王の身代』の木札を見せながら、そう説明する。

 男はカロンから手渡された木札をひっくり返したりして眺めていたが、本物だと理解したのだろう。カロンにすぐに返すと、


「危難は去った?」


 濃い髭をさすりながら、まだ信じられないという顔をしている。


「ええ。砂クジラの暴走は止まりました。もう心配ありません。あなた方は、ここから一番近いオアシスの街の方ですね」


「いかにも。我らはここからすぐのところにあるラクシャの街のものだ。さきほど砂漠を渡っていた行商人のキャラバンが街に駆け込んできてな。砂クジラがこちらに向かって暴走してくると聞きつけ、街は大騒ぎだ。なんとか、避難を促しつつ、我々は様子を見に来たのだが、砂クジラのあまりの荒れっぷりになすすべがなかった」


 男は、その時の光景を思い出したのか、表情を曇らせる。


「それが突如、暴走をやめ大人しくなった。何が起こったのかと思ってこうやって近づいてみたら、お前さんたちがいたわけだ。……暴走を止めたのは、お前さんたちか」


 男の質問に、タケトはカロンと顔を見合わせる。どこまで正直に話していいのか、迷ったからだ。しかし、カロンはあっさりとタケトを指さして告げた。


「ええ。止めたのは彼です」


「……え?」


 戸惑うタケトをよそに、男は感極まったような目でタケトを見つめる。そしてターバンをとってくしゃっと胸にあてると、泣くのをこらえるように顔を歪めた。


「……ありがとう。あんたのおかげで、街は、民たちは一人の犠牲も出さず助かっ

た。あれだけの巨大な砂クジラに襲われていたらと思うと、想像しただけで震えが止まらない。本当に、ありがとう……ありがとうっ」


 男はターバンを脇にはさむと、両手でタケトの右手を包むようにして強く握った。


「え? ……あ、はい……。で、でも、俺だけの力ってわけでも」


 真っ正面から感謝をぶつけられてどうしていいのかわからず、視線で仲間たちに助けを求めるタケト。


「いいではないですの。ソチがいなかったら、あの魔獣を止めることなんてできなかったのですから。ヒトの感謝は素直に受けなさいな」


 傍らにきたブリジッタにそう言われて、タケトはそういうものなのかなと思い直す。


「は、はい……」


「さあ、こんなところにいても、なんです。わが街に案内しますよ。どうぞどうぞ」


 男がしきりに言うので、状況説明もかねて、タケトたちはラクシャの街に向かうことになった。






 街は、そこからほんの一キロほどしか離れていない場所にあった。あと少し砂クジラを止めるのが遅くなっていたら、砂クジラの巨体はこの街を踏み潰し、甚大な被害が出ていたことだろう。

 それを思うと、今さらながら嫌な汗が背中を落ちる気分だった。


 街は池を囲むように広がっていた。池の周りには青々と緑が茂り、レンガをくみ上げた家が並んでいる。池の中を覗き込むと、ぼこぼことあちこちから水が湧いているのが見えた。地下水が出ているのだろう。


 道中、男が話してくれたことによると、かつて砂漠の民はあの砂漠の方々で遊牧をして暮らしていたのだそうだ。しかし、近年は定住する者が急増していて、その最大の街がこのラクシュなのだという。


 タケトたちは彼らに連れられて、池のほとりにあるこの街で一番大きな屋敷に招かれた。族長の屋敷なのだそうだ。


 案内された広間には、伝統的な模様が施された毛織りの絨毯が敷き詰められている。そこで待つように言われたのでそのとおりにしていると、奥から小柄な老婆が付き人たちを従えて現れた。


 真っ赤なサリーのような民族衣装に身を包んだ彼女は、タケトに近づくとくしゃくしゃの笑顔でその手を優しく握る。とても柔らかくて温かい手だった。

 あとで知ったことだが、彼女は案内してくれた男の祖母にあたるのだという。


「私は、ここの族長をしているシル・ラクシュという者です。このたびは、街を救ってくださって本当に感謝の言葉もありません。なにかお礼をさしあげたいところですが、ごらんのとおり、ここは砂漠に囲まれた街。家畜ぐらいしか私たちの財産と呼べるものはありません。王都に住むあなたがたは、ヤギやヒツジをさしあげても困るでしょう?」


「ヒツジ、ですか……」


「もし、ご入り用ならばいくらでも差し上げますが。ヤギでしたら百でも二百でも。あなたがたには、それだけしても返しきれないほどの大恩がありますから」


「い、いえっ」


 タケトは、自分がヤギを連れて王都まで帰ることを想像して、ブンブンと首を横に振った。その様子を見て、シルはコロコロと少女のように笑う。


「そうだと思いました。ですから、せめてもの私どもの気持ちとして、あなたがたを歓待させてください」


 それからしばらくして準備が整うと、宴が始まった。

 色とりどりのサリーを着た女性たちが次々と料理ののった大皿を運んでくる。ブタの丸焼きに、バナナの葉っぱを使った蒸し料理。魚のフライ。煮込み料理。他にも何の料理なのか見ただけではわからないものもたくさんある。

 タケトたち4人だけでは食べきれないほどの量だった。


「好きなだけ食べ、存分に飲んでいってください」


 それから砂漠の民たちを交えて、三日三晩、宴会は続いた。

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