第31話 支配と暴走


 砂クジラの声がやむ。しん……と薄気味悪い静寂が辺りを包み込んだ。


 不穏な様子を察して砂クジラから少し距離をとっていたウルのもとへ、カロンとブリジッタの乗ったラクダも近寄ってきた。


「そっちはどうですか」


「手はず通り、下にいた密猟者たちは行動不能にしたけど……上にいた奴らが何か妙なモノを砂クジラに取り付けてた」


 ふいに、冷たい風が辺りに吹き渡った。こんな砂漠地帯だというのに。昼に向けて力を増しつつあった太陽がジリジリと肌を焼く暑さだったにも関わらず、ひんやりした風がどこからともなく吹き付けた。



 ウォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォンンンンンンン



 もう一度、砂クジラが鳴いた。

 そして砂クジラはゆっくりと後ずさるように身体を動かして、乗り上げていた岩場からずるずると砂地へと戻っていく。


(あいつら、何をしようとしているんだ……?)


 タケトは砂クジラの上にいる白フードが気になった。そいつらのところへ行こうと考えるものの、シャンテはまだ何かに動揺している様子だったので、ウルに砂クジラに登ってほしいと直接頼んでみる。


 ウルは「ワフッ」と一つ鋭く吠えると、タケトの指示に従って砂クジラの尾っぽの方に回り込んだ。そして、比較的傾斜が緩やかなところへと飛び移り、そこから上へと登ろうとする。しかし、砂クジラの表面は潮を噴き上げたときの水分で身体全体が濡れていて、とても滑りやすい。ウルが爪をたてていても、傾斜がきつくなっているところまでくると、ずるずるっと下まで落ちてしまった。

 これでは、砂クジラの身体にくさびを打つでもしないと登れそうにない。


 そうこうしている間に砂クジラは後ずさりを終え、今度は方向を転換して砂漠の中心へ向けて泳ぐように移動しはじめた。砂を掻き分けて砂海を移動する姿は、まるで戦艦かタンカーのようだ。タケトとカロンたちも砂クジラから距離をあけて、しかし見失わない位置で併走するように追いかける。


 一方、上空には何か黒いモノが集まり始めていた。ソレは急速に集まって形をなし、空一面に厚く、黒く広がる。


 辺りはサッと影に覆われ薄暗くなった。一旦カロンのもとに戻ったタケトは、水面に炭を流し込んだように広がる上空の黒いものを見上げる。


「雲? 煙?」


「雨雲のようですね。……まずい、砂クジラが天候を操りだした」

「天候……?」


 そういえば、魔獣図鑑に砂クジラは天候を操ることがあると載っていたのを読んだ覚えがある。でも、そんなことが本当にできるなんて、あまりに非現実じみていたのでてっきりおとぎ話の類いかと思っていた。しかし、この光景を見るに空想上の話ではなかったようだ。


 驚いているタケトの肩にパラパラと何かが当たった。厚く天空を覆った黒雲から大粒の雨が落ちてくる。それはポツポツと乾いた砂地を濡らしはじめ、雨のシミはあっという間に水たまりになって本降りとなる。


 雨が降っているのは砂クジラを含む周辺一帯だけのようだ。百メートルほど離れた向こうは、煌々と太陽の光が降り注いでいる。局地的に黒雲が湧いているものの、砂クジラについて走っていると雲の外に出ない。どうやら砂クジラの進む方向に合わせて新たに黒雲が生み出され続けているようだ。


 黒雲からはゴロゴロという地鳴りのような雷の音も聞こえて、その音にタケトはぞくりと肝を冷やした。シャンテの雷の力なんて比では無い。本物の雷の音だ。こんな雷を喰らったら一瞬で焼け焦げるのは間違いない。


 その悪い予感は的中する。ピカリと視界が白に包まれた。ついで、ドン……バリバリバリという激しい音が鼓膜をつんざく。一瞬だけ光った稲光が、タケトからほんの十メートルほどしか離れていない大地に落ちた。続いて、二発目、三発目もカロンやタケトのすぐ近くに落ちる。


 明らかに、こちらを狙ってきている様に思えた。こちらも併走しているためまだ精度が追いついていないのか当たりはしないが、次第にタケトたちに近づいてきているように思える。


「あいつら……もしかして、砂クジラを操ってんのか!?」


 タケトはキッと砂クジラの上を睨み付ける。そこにはまだ、あの得体の知れない装置とその周りに数人の白フードたちがいた。

 あの装置を取り付けてから急に砂クジラが凶暴性を増したように感じる。こちらをピンポイントで狙ってきているようにしか思えなかった。


(そんなことって、できるのか……!?)


 シャンテの怯え方も気になる。


「タケト! 一旦逃げましょう! ここにいてはまずい!」


 カロンの言葉にタケトは頷くと、その場を離れようとした。

 と、そのとき。



 ウギギギッギギッギャャャヤャャゃヤアアァァァァァァァァ



 それまでと違った鳴き方で砂クジラが咆哮をあげた。砂クジラが砂を巻き上げて急停止し、同時にパッと雨もやむ。

 静寂の中、あの嫌な鳴き声の余韻が耳に残った。


「どうしたんでしょう?」


「うん」


 嫌な予感が強くなる。


 危険を感じたタケトとカロンたちは砂クジラからさらに距離を取った。その直後、砂クジラが頭をもたげ始める。タンカーの船頭ほどもありそうな巨大な頭が持ち上がり、砂がバラバラと砂漠に落ちた。のっそりと持ち上がった頭が天に向いたと思った瞬間、今度は地面に向かって落ちてきた。砂クジラが頭を砂地に叩きつけたのだ。


「う、うわああっ」


 ウルが伏せたのにあわせて、タケトはシャンテを抱きかかえるようにしてウルからするりと滑り降りた。そのまま、ウルの影に身を寄せて避難する。シャンテの身体を自分の内側に抱き込むと、姿勢を低くして目を閉じた。


 砂クジラが地面に頭を叩きつけた勢いで砂煙が巻き起こり、衝撃とともにぶつかってくる。まるで砂嵐のようだ。砂で覆われて、一瞬で辺りは暗闇になった。

 その後も、ゴォォォォンゴォォォォォンという地鳴りのような音とともに、大地の振動が伝わってきた。まるで地震だ。


(なんだ……? 砂クジラが暴れてる? 身体を地面にうちつけて、のたうち回ってる? なんで?)


 理由はわからなかったが、そうとしか思えなかった。


(あの白フードたちがそうさせているのか? いや、これじゃ、そもそもあれの頭の上に乗ってた白フードたちが一番危ないだろ)


 しばらくすると震動はやみ、風に流されて砂煙も消えて、辺りに明るさが戻る。そ

れを待って、タケトは目を開けた。


「……シャンテ。大丈夫だった?」


 タケトの言葉に、シャンテが頷いたのがわかった。大丈夫そうだ。

 砂煙が去ったあとの周りの光景は様変わりしていた。


 砂クジラは、いまもそこにいる。くたっと砂の上に横たわっていた。しかし、その頭の周りには大きなクレーターができている。身体を打ち付けた反動で砂が弾き飛ばされたのだろう。


 砂クジラの上の白フードたちの姿は既に消えていた。振り落とされたのか、それとも逃げたのかはわからない。

 ただ、頭の上に残されたあの装置が、赤くテラテラと明滅していた。禍々しさを増したようにタケトには思え、見ているだけでなんだか気持ちが悪かった。


 わずかな静寂の後、砂クジラはもう一度クワッと、自身の身体の三分の一ほどもありそうな大きな口を開けた。



 ギギッギギッギャャャヤャャゃヤアアァァァァァァァァ



 喉の奥からそう振り絞るように鳴いたかと思うと、砂クジラの頭上の厚い雲が成長をはじめた。それは先ほどの比ではなく、さらに大きく渦を描くように集まり、見る間に天を覆い尽くす。再び辺りが夜のように暗くなった。


 また雨が降り始めたが、今度はバケツの水をひっくり返したみたいなゲリラ豪雨となる。大量の水が砂の地面に吸い込まれていったが、すぐにその許容量をこえて雨は地面の上に貯まり、流れ出した。


 その土砂降りの中で砂クジラはフラフラと泳ぎ始めた。しかし、はじめはよろけて蛇行しているようだったその動きも、次第に加速がついていき直線的になる。呆気にとられて見ていたタケトとカロンたちも、砂クジラを追い始めた。だが、砂クジラは速い。それはまるで暴走とでもいえるほどの荒ぶった泳ぎ方で、前方にある岩や砂漠性の樹木も容赦なくなぎ倒して進んでいた。タケトたちは、追いつくだけで精一杯だ。


「どうしたんでしょう!?」


 併走するカロンが声をあげて聞いてきた。もはや、大声を出さないとお互い喋ることもままならないほど雨音も強い。


「わかんない! さっきは何かあの白フードたちに操られてる感じだった。でも、今はとてもそんな感じじゃない。操るのに失敗して、暴走したんじゃないか!?」


 タケトにはぶつかってくる大量の雨で、前もよく見えない。ただ、ウルの感覚だけが頼りだった。そこにカロンと一緒にラクダに乗っているブリジッタの悲鳴のような声が飛んでくる。


「まずいですわよ! この先にはオアシスの街がありますわ! このまま砂クジラが暴走を続ければ……!」


 ぞわりとタケトの背筋が泡立つ。このまま砂クジラが暴走を続ければ。


(オアシスの街を踏み潰す……!)


 どれだけの被害が出るのか、想像すらつかなかった。

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