第4章 砂クジラ(ユルルングル)

第29話 真夜中に抱きついて


『シャンテ! 行きなさい。ここは、私とガロンで食い止めるから』


 嫌だ! パパ。私、行きたくない! パパとも、村のみんなとも離れたくない!!


『ダメだ。シャンテ。ここにいては、お前まで母さんのように掴まってしまう。ウル。シャンテのことを頼んだよ』


 嫌だ! ウル、降ろして! パパ!!! ガロン!!!


「――やだ! パパ! ガロン!」


 そこは真っ暗な部屋だった。シャンテは天井を見上げて、ぱちくりと数回瞬きをした。窓から差し込んでくるわずかな月明かりで、ぼんやりと室内の配置がわかる。なんだ、ここは見慣れた自分の部屋だった。


「……夢……だったのね……」

 

 嫌な夢だった。昔の自分の辛い記憶、そのままの光景。二度と思い出したくないのに、何度も思い出してしまう悪夢のような記憶。

 

シャンテは自分の身体に腕を回して抱く。身体が小刻みに震えていた。背中には寝汗がびっしょりで、パジャマが張り付いている。

 シャンテは腰の辺りにあった毛布を引き上げてその中に丸まった。それでも、温かいはずなのに身体の震えは止まらない。

 

 怖い……たまらなく怖かった。

 人々の叫び声。森が焼ける熱波。血の匂い。

 そんなものがリアルに呼び起こされ、今も目の前にあるような錯覚を覚える。


(怖いよ……怖い……そうだ)


 シャンテは毛布を頭から被ったまま起き上がると、ベッドの下に置いた靴に足を入れる。こんなときはウルの傍にいけばいい。ウルの傍にいけば安心できる。シャンテはそのままドアを開け、階段をタタタッと駆け下りた。そしてダイニングを抜け、玄関のドアを開ける。おぼろげな月明かりが静かに辺りを照らしていた。納屋にまわるとその両開き扉に体重をかけてこじあけ、わずかに空いた隙間からするっと中に入る。


 納屋の中は天井の明り取りの窓から月明かりが届くため、まっ暗闇ではない。その薄暗い中で、大きな目が二つ光った。ウルだ。良かった、ここにいてくれて。


「ウル……」


 ウルを見て、ようやくシャンテの顔に安堵の笑みが浮かぶ。これで、大丈夫。もう、一人じゃない、と安心した気持ちが恐怖で凍えた心をじんわりと暖める。と、そのとき。


「う、ううん……」


 ウルのモノではない声がして、シャンテはびくりと身体を震わせた。しかし、すぐにその声の人物に思い当たってほっと息を漏らす。ウルのお腹のところに突っ伏して一人の男性が寝ていた。タケトだ。


「タケト……」


 ぽつりとそう呟いてしまう。別に起こすつもりはなかった。けれどタケトは、名前を呼ばれたためか「ううん…」と唸ると、むっくりと起き上がった。


「あ、ご、ごめん……起こしちゃった?」


「…………シャンテ?」


 ぼんやりした声。たぶん、寝ぼけてる。そのまま寝かせてあげなきゃ、そうも思っ

た。けれど、タケトの声を聞いたら、我慢していた感情がせきを切ったようにどっと押し寄せてきた。


「タ……ケト……っ」


 言葉の最後は涙声になっていた。シャンテはウルの身体に駆け上ると、タケトの胸に抱きついた。彼の身体はウルの毛皮よりもずっと硬かったけれど、同じように温かくて、なんだかとても安心した。


「ふえっ!? え!? シャンテ???」


 一方、タケトはとても慌てふためいた様子だったので、申し訳ない気持ちも湧いてくる。


「……ごめんなさい。タケト。でも……すごく怖い夢を見て。いまだけでいいから……落ち着いたら戻るから。いまだけ、こうさせてて。お願い」


 必死に頼むシャンテ。迷惑なのはわかっていた。でも、いまだけでいいからこうしていたかった。しばらくタケトは固まったままひと言も喋らなかったけれど。


「わかったよ……。好きなだけ、ここにいればいい。元々、ここはシャンテんちなんだし」


 そう言って、彼はシャンテの頭を優しく撫でてくれた。その思いのほか大きな手が心地よくて、いつしかシャンテは恐怖を忘れ、安らかに眠りの淵に落ちていった。






(あれから一睡もできなかった……)


 もうすっかり夜が明けてしまったが、寝不足の目をこすりながらタケトは納屋の外に出て伸びをした。


 昨日の晩のことをぼんやりと振り返る。昨日の夜中、納屋に突然シャンテが現れて、抱きついてきた。シャンテはすぐに眠ってしまったようだったけれど、こっちは彼女が胸の上に抱きつくように乗ったままだったので、もう一度寝るどころの話じゃなかった。


 彼女の胸や身体はとても軽くて柔らかくてそれは良かったのだけど、ちょっとでも動くと彼女を起こしてしまいそうで、身動き一つとることができないでいた。 


 え? これ、なんかチャンスなんじゃない? つか、なんのチャンスなんだよ。どうすんだよ。こういうとき。なんて頭の中は大混乱。

 悩んだあげく、彼女を起こさないように寝かせてあげるのが一番だろうという結論にいたって、そのまま朝までじっとしていたのだ。


 なんていうか、とっても疲れた。消耗したと言ってもいい。だけど、別に嫌だったわけじゃない。彼女が自分を頼ってきてくれたことが妙に嬉しかった。


 当のシャンテは、目が覚めるとすっきりした様子で、元気に「朝ご飯用意してくるね」と母屋の方に戻っていったから、まぁ、これでよかったんだろうと思うことにする。






 出勤すると、王宮にある伝書鳩の小屋に、タケトがフィリシアの古物商ダミアンに渡してあったハトが戻っていた。何か情報を掴んだら送ってくれるように頼んで預けてあったのだ。


 ダミアンからの手紙には。

 最近。ゴラ砂漠周辺にあるオアシスや街道沿いの街で、素性のよくないゴロツキたちを集めている奴らがいる。どうやらゴラ砂漠で大規模な魔獣狩りが行われるようだ。

 と書かれてあった。


 早速、王宮の魔獣密猟取締官事務所にいるヴァルヴァラ官長に、この手紙のことを伝える。彼女は煙管の煙を細く吐き出しながら、赤い眉の間に皺をよせて、ふむと唸った。


「ゴラ砂漠か……。あそこは、場所によっては帝国との国境に近いのがな……」


「帝国、ですか……?」


 まだ、いまいちこの世界の地理がよくわかっていないタケトがきょとんとしていると、官長は煙管を咥えたまま口端を歪める。


「あとで地図を見て確認しておけ。バージナム帝国。昔はバージナム公国という小国だったがな。二十年程前に革命が起きて、皇帝を名乗る人物が国を支配するようになった。それからは近隣の国々を攻め落としてどんどん領土を広げている面倒くさい国だ。元々うちと隣合わせになっていた国が攻め落とされてしまったせいで、お隣さんになっちまったってわけさ」


「へぇ……」


 なんかすごそうな国だな、というざっくりした感想しかいただいていなかったタケトだったが、官長が咥えていた煙管をピッとこちらに向けてきたので慌てて背筋を伸ばす。


「ときにタケト」


「はい」


「最近のシャンテの様子はどうだ?」


「シャンテの?」


 急に聞かれても何と答えていいのか返答に困る。ふと、今朝のシャンテの様子が思い浮かんだ。それを言おうか迷ったけれど、あんなに取り乱したシャンテは初めてみた。あれはあくまで例外的なものだろう。それ以外のときは、いつも明るくて楽しそうで朗らかだ。


「この事務所にいるときと、とりたてて変わった様子はありませんが」


「そうか……」


 官長はもう一度煙管を咥えて何か逡巡するように窓の外を見た後、タケトに視線を戻す。


「お前にも言っておいた方がいいだろうな。シャンテは五年前、私が森で拾ったんだ」


「え? 拾った?」


 タケトの驚きが滲む声に、官長は頷く。


「ああ。ちょうど私が国境警備にあたっていたときだ。国境近くの森で、ウルとともに倒れていた。ウルは身体中に火傷や矢傷を無数に負って瀕死状態で倒れていたのさ。シャンテもウルの傍らであちこち怪我をして気を失っていたな」


「え……」


 シャンテが前に言っていた言葉を思い出す。『故郷の村からウルと二人で逃げ出した』、そう言っていた。パパとママを思って沢山泣いたのだと。


「問題は二人が倒れていた場所だ。それは帝国との国境に近い森だった。さらに、保護されたシャンテが当時喋っていた言葉は、今はだいぶ薄れてはいるがイントネーションに帝国訛りがあった」


「それってつまり……シャンテとウルは、帝国領土内のどこかから逃げてきた……と?」


 タケトの言葉に官長は頷く。


「そう考えるのが自然だろうな。本人がどの程度まで覚えているのかはわからないが。そこで何らかの事件に巻き込まれて、逃げてきたことは間違いないだろう」


 バージナム帝国。そこにシャンテの故郷はあるのだろうか。そして、今もそこに彼女の家族は住んでいるのだろうか。気になることは多いが、緊張関係にある隣国となると、そう簡単に確かめに戻ることもできないってことぐらいはタケトにもわかった。

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