第27話 ケルピーの妹(乾燥中)
そこは、ほとんど砂漠といってもいいような土地だった。
いや、もとは乾燥地帯周辺部にある草原だったらしいが、ここ数年雨が全然降らないとかで、すっかり砂漠に飲み込まれつつある。
まばらに草や低木が映えた地面をウルで駆けながら、タケトは地図を広げた。
「たぶん、この辺りでいいはずなんだよな……」
簡単な地図と、ケルピーが教えてくれた現地の様子をヒントに目的地を探す。ケルピーが記憶していた数年前の情景とは少し様子が変わっていたので、探すのに時間がかかってしまった。けれど、それでもなんとか、それらしい場所を見つけることはできた。
そこは集落があった場所から、少し離れたところにある池のあと。
集落の住民はとっくにそこを捨ててどこかに行ってしまったようで、レンガ造りの家々に今は誰もおらず、井戸も涸れていた。
池のあとだとわかったのは、そこが少し窪みになっていたのと、周りに
タケトは元は池だった窪地の淵に立つと、精霊銃を両手で握る。そして静かに銃を上に向けた。いま入っている魔石弾は、水の精霊のもの。
引き金を引くと、銃口から高く高く水が吹き上がり、そのまま重力に従ってバシャーンと落ちてきた。しかし乾燥しきった大地はすぐに水を吸ってしまう。タケトは何発も同じようにして、水を放った。
やがて池が水を貯め始めたころ、風もないのに水面が揺れだした。タケトは精霊銃を下ろして、その様子を見守ることにする。
揺れはやがてさざ波のように揺らぎ、ボコボコと泡立ち始めた。その波の合間から、突如、ボスッと細く長いものが付き上がった。それは足のようにも見える。馬のような細く長い足。それが一本、二本と水中から出て来てしっかりと水面を捕らえると、踏ん張るように力をこめた。
次の瞬間、ザバーッと馬のような頭と首、それに上半身が出てきた。フィン河で出会ったものとよく似ている。ケルピーだ。
ただ、フィン河のケルピーは河の水を反映してか黄緑色っぽかったのに比べて、こちらはここの大地の色を映しこんだように赤茶っぽい色をしている。
赤茶のケルピーは後ろ足で水面に踏ん張ると、四本足で立ち上がった。そして、最後に水を切るように、ぶるぶるっと身体を大きく震わせる。
「ケルピー、だよね。フィン河にいるケルピーに頼まれてきたんだ。妹を助けてくれって言われて」
『……兄に、ですか……?』
赤茶のケルピーは、パカパカと水面に蹄を響かせて歩き、タケトのいる池の岸へと近づいてくる。
『兄は、怒っているでしょうね。馬に恋をして、こんなことになってしまった愚かな妹など……』
赤茶のケルピーは申し訳なさそうに頭を下げる。どことなく仕草が、フィン河のケルピーよりも柔らかい。
「いや……うん。ただ、……心配してたんだと思う」
(というか、相当心配してただろう。あいつ。自分でここに妹を助けにきてやれないのを、すごく悔やんでいたみたいだったし。それで、手当たり次第に人間に頼んでいたようだった)
そんな兄ケルピーの様子を思い出して、くすりとタケトは笑うと、妹ケルピーに向き合う。
「お兄さんが来れないから、俺たちが迎えに来たんだ。一緒に来てくれるよね?」
シャンテがウルの背に畳んでおいてあった革袋をもってくる。馬一匹が入れるくらいの大きな革袋だ。それを、タケトと一緒に広げた。
『はい。もちろんです。ありがとうございます』
妹ケルピーはそう言うと、可憐に笑ったように見えた。そして、池の中から後ろ足で大きく飛び上がると、タケトとシャンテのもつ革袋の中にバシャーンと飛び込んだ。一瞬にして革袋の中は水でいっぱいになる。その口を締めて、ウルの背中に乗せた。革袋は中身が水同然なので、ウルの背中の形にあわせて、くたっと張り付くように乗っかった。それをタケトとシャンテで落ちないように手で支えながら、ウルに言う。
「さあ。フィン河に戻ろうぜ」
帰りはまっすぐ戻ってくるだけだったので、行きよりも短い日数でフィン河の
彼女はよほど嬉しかったのだろう。そのあとしばらく河の上をぐるぐる走り回ったり、まるでイルカのように水中から飛び出してジャンプしたりしていた。
「よかったね。彼女。すごく喜んでるみたい」
とシャンテ。その言葉に、タケトも頷く。
「ああ。ずっと、ここに帰って来たかったんだろうしな……」
そういえば、ケルピーは人間を喰うという。それをわざわざ河に戻してやるのは同じ人間としてどうなんだ? と思ったりもしたが、彼らはもともとここに住んでいたらしいから、まぁいいや、ということにしておく。魔獣の寿命は人間よりもはるかに長い。おそらく人間たちがこの河の畔に街を築くより前から、彼らはここに住んでいるのだろうし。
そもそも、戻さないと自分が喰われるわけで、こうする以外に選択肢がなかったので仕方ない。
「さてと。頼まれたことは終わったし、俺たちも帰るか」
とタケトが河から離れようとしたとき、すぐそばの河の中からむくむくと人の背丈ほどに水が沸き上がり、それはやがて黄緑色の馬の姿となった。
あの、兄ケルピーだ。
『人間よ。我が妹を戻してくれたこと、礼をいう』
「これで約束は果たしたからな。俺のこと喰わないでよ? ついでに、ほかの人間もなるべく喰わないでほしいけど、それは言っても仕方ないなら別にいいや」
『……別に、かまわん。人間が美味いというだけで、人間を喰わないと生きていけないわけではないからな。我らは魚もワニも喰う』
ああそうなんだ……なんて思っていると、兄ケルピーは河岸にあがって、トコトコとタケトの傍まで歩いてきた。ケルピーが歩いたあとは、地面に蹄状の小さな水たまりができている。兄ケルピーは首を後ろに回して自分の半透明の身体に口を突っ込むと、タケトの前に咥えたものを落とした。
金のネックレスや大きな宝石のついた指輪など。そんな高価なものがタケトの前で小山のようになる。
それを見て、タケトはにやりと笑った。これだけでも、相当な価値がありそうだ。
「なあ。今度は俺が頼みがあるんだけどさ。この宝物のたぐい、海の底の沈没船からとってきたって言ったよな? これで全部じゃないんだろ? できるだけ沢山、持ってきてほしいんだけどさ」
『なんだ。これだけでは足りないというのか。お前は強欲だな』
兄ケルピーの呆れ声に、タケトは笑って、
「な? お願い。できるだけ沢山ほしいんだ」
と頼み込む。
『わかった。夕方にまた、ここに来い。そのときまでに、用意しておこう』
そう兄ケルピーは約束すると、岸を蹴って河へと飛び込んだ。ジャポンと水しぶきを浴びて河の中に沈んだ後、大きく跳躍して水面に飛び出してくる。そして、首を上にあげて一声鳴いた。すると、はしゃいでどこかへ駆けていってしまっていた妹ケルピーが戻ってきて、二頭は河の中心で再会した。久しぶりの再会を喜んで二頭で抱き合うように首をこすり合わせたあと、そのまま彼らは河の上流へと走り去ってしまった。
夕方、タケトがその河岸に戻ってみると、金銀様々な宝物が山のようになっていた。それを手にして、タケトはニヒヒと笑う。
翌日の早朝。
フィン河上流にある村々では、騒ぎが起こっていた。
このあたりの村にはどこでも、河の神を祭った
誰が置いたものかはわからない。ただ、夜のうちに何者かが訪れて置いたことは間違いないと思われたが、誰が置いたものかは皆目検討もつかなかった。ただ、村には大きな獣の足跡だけが残されていた。
フィン河の氾濫で村が沈み、粗末なバラックに身を寄せ今日の食糧さえ不自由していた村人たちは、「これは神の思し召しだ。これで村が復興できる」と諸手を挙げて喜んだという。
「なにも。全部あげてしまわなくても、良かったんではなくって?」
王宮にある魔獣密猟取締官事務所のソファに座って報告書を書いていたタケトの隣で、ブリジッタが紅茶を飲みながらそんなことを言ってくる。
「だって。俺、別に金目の物とかいらないし。それより村の人の生活が持ち直して、もうカーバンクルの密猟に手を出さなくても暮らしていけるようになるのが、何よりだから……あ、そうだ」
タケトはズボンのポケットをまさぐると、向かいのソファに座って報告書を書くのを手伝ってくれていたシャンテに、握った手を突き出した。
「なに?」
タケトがシャンテの手のひらに渡したもの。それは一つの指輪だった。古代文字が彫られた金のリングに翠の宝石がはまっている、かわいらしい指輪。
「え? こ、これ、私に?」
戸惑うシャンテに、タケトはにこにこ笑って言う。
「ずっと、食費とか、納屋に住まわせてもらってる代金とか払ってなかったからさ。今度給料もらったら払おうとは思ってたけど。そんときまで、それを売って足しにしてよ」
と、そんなつもりで指輪を渡したのに、シャンテはタケトから受けとった指輪をぎゅっと握りしめたまま胸に抱いて、硬直してしまった。なんだか、顔が赤くなっている気もする。
「どうしたの? シャ……」
シャンテの様子を怪訝に思って尋ねようとしたタケトは、言葉を言い切る前にブリジッタに後頭部を殴られた。
「いってぇな! 何すんだよ! いきなり」
かなり本気で殴られたような気がする。その小さなコブシで殴られたとは思えないほど後頭部がジンジン痛い。
「何すんだよ、ではないですわよ! 男が女性に指輪を贈る意味を考えなさい!」
「へ?」
何のことやらさっぱりわからずキョトンとするタケトに、ブリジッタはやれやれと盛大な溜息をついた。
「ったく……この子はどうしてこうなのかしら」
とブリジッタはまだワナワナとコブシを握りしめている。一方、シャンテは指輪を握りしめたまま、ブリジッタとタケトのやり取りが面白かったのか、楽しそうに笑っていた。
後日、カロンにこっそり『男性が女性に指輪を贈る意味』とやらを聞いてみたところ、「ああ。それって結婚してほしいっていう意味ですよ」とさらっと言われて、頭を抱えるタケトだった。そんなつもり、全くなかったのに。
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