第26話 タケトがこの仕事についた理由


「私もね。故郷の村からウルと二人で逃げ出したとき、ずっとずっと不安で怖くて。ずっとウルに抱きついていたの。移動するとき以外ずっと。お母さんとお父さんを思い出して泣いてた。でも、ウルはずっとそばにいてくれた。たぶん……ウルはそのことを覚えていて、タケトのことも同じように慰めようとしたんだと思うよ」


「俺を?」


 慰められるような覚えはないんだが。きょとんと不思議そうにしていると、シャンテはクスクスとまた笑った。


「タケト。いまはそうでもないけど。こっちの世界にきたばっかのころ、すごく落ち込んだ顔してた。こう、顔にずっと影がかかってるみたいに、すごくいっぱいいっぱいな感じがして。はじめはそういう人なのかなって思ってたけど、ウルにはきっとわかってたんだろうな。タケトの不安とか心配とか、そういうの」


「……そっか」


 目覚めるたびにウルのお腹の上にいたのは、タケトを慰めようといつも抱き込んでくれていたからだったのだと思い至る。たしかに、一人でいるよりも、ウルのもこもこした大きな身体に包まれている方がずっと安心できた。その温かさに何度、癒やされたかわからない。


 それと、シャンテの言葉が気になってもいた。

『故郷の村からウルと二人で逃げてきた』と彼女は言った。ふと、シャンテの家のリビングにある一枚の絵を思い出す。あれは、シャンテの描いた故郷の村の絵だったんじゃないだろうか。


(一体、どういう理由があって逃げてきたんだろう……)


 聞いてみようかどうしようか、でもたぶん言いたくないことなんだろうな。なんか辛い記憶っぽいしなと迷っていたら、シャンテの方から違う話題を振ってきて機会を逃してしまった。


「タケトはさ。魔獣とか動物のことになると、すごい必死だよね。河に飛び込んだときも、フェニックスのときも、びっくりしちゃった。元の異世界にいたときも、同じ仕事してたんでしょ? なんで、この仕事しようと思ったの?」


 なんで? と問われて、タケトはうーんと考える。


「警察官……えっと衛兵とか自警団みたいなやつ。それになったのは、なんとなく安定してて、格好よかったから……っていうくらいの理由なんだけど。今思うと、自分にあってたかなと思う。でも動植物の密輸捜査をする部署には、自分で希望して行ったんだ。庁内公募で、動物の世話が好きで詳しい奴って条件で募ってたから。手を上げたら、あっさり異動させてもらえた」


 元の世界でやっていた仕事も、絶滅危惧種になっている動植物の密輸ルート解明や調査、捜索など今とほどんど変わらない。つくづく自分はそういう仕事に縁があるんだなと思う。じゃあ、なんでそういう仕事に携わりたいと思ったかというと。


「俺さ。実家は父子家庭だったんだ。両親は俺が小さい頃に離婚して、俺は父親に引き取られた」


 父親は優しくて子煩悩だったけれど、仕事が忙しくてあまり家にはいなかった。土日も仕事に行くことが多く、休日は小学校併設の学童保育もやっていなかったので、タケトはよく一人で家にいた。そんな息子を心配して、父親は近所の動物園の年間パスポートを買ってくれた。


「その年パスで、俺、そこの動物園に暇さえあれば入り浸っていたんだよね」


 たぶん、自分の動物好きはそのころ培われたのだろう。しょっちゅう行くうちに動物たちのことを覚え、飼育員とも仲良くなっていた。家に一人でいるのが寂しくても、動物園にいれば平気だった。


 その動物園にはゴリラが数頭飼育されていた。近年、ゴリラは数を減らしており、動物園での飼育数も減っている。しかしその動物園にはまだ数頭のゴリラがいた。


 小学生だったタケトは、その『ゴリラの森』と名付けられた飼育スペースにもたびたび訪れては、ゴリラたちを眺めてぼんやり過ごすのが好きだった。あるとき、一頭だけポツンと別の檻に入れられているゴリラがいることに気づく。


 そのゴリラは他のゴリラよりも身体が大きく、毛が長めのように思えた。

 ゴリラは集団で生活する生き物だと図鑑で見て知っていたので、タケトは顔見知りの飼育員にそのゴリラのことを聞いてみることにした。


「ああ、ダイアのことかい。あの雌ゴリラは、他のと少し種類が違うんだ」


 他のゴリラはニシゴリラに分類されるニシローランドゴリラであるのに対して、そのダイアはヒガシゴリラに分類されるマウンテンゴリラだった。


「あの子はね。密猟されてアフリカから連れてこられたのを、ここで一時保護しているんだ。でも、マウンテンゴリラの飼育はとても難しいから。すぐにもっと研究もできる環境の良い施設に移されることになっているんだよ」


 そう飼育員は言った。


「密猟?」


 はじめて聞く言葉だった。きょとんと聞き返すタケトに、飼育員は作業の手を止めると、被っていた帽子をとり、胸の辺りでくしゃりと握ってダイアを見た。その目

は、どこかもの悲しそうだった。


「ああ。あの子はアフリカの密林から来たんだよ。ゴリラは希少動物だから、捕獲は禁止されている。でも、子どものゴリラは一部の愛好家に人気があってね。だから違法な密猟が絶えないんだ。……タケト。ゴリラは、密猟者に子どもが狙われたらどうすると思う?」


 小さいタケトは何もわからず、ぶんぶんと首を横に振った。飼育員は、なんともいえない辛そうな顔でタケトの頭をぽんぽんと撫でた。


「ゴリラはとても家族愛の深い生き物なんだ。だから、子どもが襲われると、ボスのシルバーバックはじめ群れの全員で密猟者に立ち向かう。雄も雌も全てのゴリラが命をかけて、銃を構えた人間達に向かっていく。だから、密猟者たちがゴリラの子どもを手に入れるには、群れの他のゴリラたちを全て撃ち殺さなければならない」


 そうやって、あのダイアも連れてこられたんだよ。と、飼育員は語った。

 その話は、幼いタケトには衝撃以上の何物でもなかった。


「あの時の、飼育員さんの話が未だに忘れられないんだ。だから、俺はこの仕事を続けてるんだと思う」


 そう言ってタケトは笑う。


 シャンテはどこかびっくりしたような目でタケトを見ていたけれど、それ以上何も言葉を発することなく。二人はただ、ちらちらと燃える焚き火の赤い炎を黙って見つめていた。




――――――――――――

 【おまけ】 現在日本に現存しているゴリラは20頭ほどで、その全てがニシローランドゴリラです。マウンテンゴリラはかつては飼育例がありましたが、現在日本にはいません。

 マウンテンゴリラは現在、最も絶滅が危惧されている絶滅危惧種IA類に指定されています。1981年には全世界の生息数が254頭と絶滅直前にまでなりましたが、保護活動の成果により2018年時点で1000頭ほどに回復しています。

 マウンテンゴリラのうち3分の1が生息するヴィルンガ国立公園では現在も地元レンジャーたちと組織化された武装密猟グループとの争いが続いており、主に過去20年間に殺害されたレンジャーの数は170人以上にのぼります。

 密猟されたゴリラの赤ちゃんや解体された大人ゴリラの肉の売買代金は、テロリストたちの資金源になっているともいわれています。

 また、ゴリラを初めとする野生動物の肉が売買によって食用にされることが、エボラ出血熱のような未知の感染症の発生源になっているのではとの危惧もされています。

 密猟と戦う人たちは、野生動物を守るだけでなく、森を、環境を、そして人類そのものを守って戦っていると言えるのかもしれません。


参考:ヴィルンガ国立公園公式ホームページ(https://virunga.org/)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る