第25話 ウルの優しさ


 ケルピーが話したことによると。

 ケルピーには妹がいるんだそうだ。しかし、この妹はある野生の白馬に恋をしてしまった。彼女はその馬をずっと見ていたいがために、とある草原の池に出向いては、こっそりと覗いていたらしい。毎日毎日、自分の気持ちを言えないまま見に行っていたそうだ。ストーカーだなと思ったけれど、そんなことを口にしたらこのケルピーの機嫌を損ねてしまいそうなので、そこは黙っておく。


 あるとき、酷い干ばつがその一帯を襲った。もう数年前の話になるらしい。

 ケルピーは妹に、もともとあの草原はほとんど雨の降らない土地なのだから、しばらくあの池には行かないよう諭した。しかし妹は兄の言うことなど聞かず、そのまま池に通い続け、ある日から戻ってこなくなった。


 彼らケルピーは水の精霊の眷属けんぞくだとかで、水があればどこへでも水を渡って移動できるそうだ。しかし雨が降らず周囲に水がなくなってしまうと、移動ができなくなる。


『おそらく妹は今もあの池にいて、池の水とともに干からびているのだろう。あれ以来あの土地には雨が降っていない。それで、妹を助けにいって欲しいのだ。わずかな水でいい。それがあれば我らは復活し、水を渡って戻ってこれる。しかし、乾燥しきったあの地には、我は向かうことができない。だからこうして、人間を捕まえては頼んでいるのだ』


 たしかに、人間ならば、ある程度乾燥した土地でも行き来することはできるだろう。


「いいよ。じゃあ、詳しい場所を教えて」


 タケトはケルピーに内臓を喰われたくなかったので、すぐに承諾した。ついでに報酬も魅力的だった。


 ケルピーと約束を交わしたことで、ようやく彼から開放される。最後に『我を裏切るな。裏切ればどこにいても、お前を喰らいにいくぞ』と脅しをかけられた。そうなったら、そのケルピーの妹がいるっていう草原地帯にでも逃げるしかない。


 なんだか全身に酷い疲れを感じながら、タケトはトボトボと上流に向かって河沿いを歩いていた。ギーの街まで戻らなければ。ずっと河を下っていったのだから、逆に河をのぼっていけば街につくはずだ。


 溺れたことが想像以上に身体に負担になっているのだろう。ものすごく眠たい。いますぐこの場で寝たいけれど、こんなところでびしょ濡れの状態で寝たらすぐに風邪を引きそうだ。


 タケトはぶるっと身体を震わせて、少しでも暖をとろうと両腕で身体を抱く。と、そのタケトの目の前に黒く大きなものが現れた。

 その馴染みある姿を見て、タケトの顔が綻ぶ。


(良かった。やっと会えた)






「あ、ウル。戻ってたんだ。どう? タケトいた?」


 シャンテはウルの姿をみかけて駆け寄った。ウルは岸近くの草地に大きな身体を横たえさせている。タケトが河に飛び込んでからかなりの時間が経っていた。河の中には見つからなかったので、ウルと手分けして、河のこちら側とあちら側でタケトが流れついていないかと探していたのだ。


 するとウルが何か言いたげに、自分の背中をその大きな口で指し示めして、『ワフッ』と小さく鳴いた。

 ウルの横腹によじ登ってみると、そこにはウルの毛の中に突っ伏しているタケトの姿があった。


「タケト! 良かった!」


 シャンテは喜びの声をあげるが、タケトはピクリともしない。心配になって顔を覗き込むと、彼はスースーと気持ちよさそうに寝息を立てていた。


「きっと疲れたのね。ぐっすり寝てる。良かった。溺れたんじゃないかとヒヤヒヤしちゃった」


 シャンテは、自分が着ていたカーディガンをそっとタケトの身体にかけてあげた。


「もう少し寝かせてあげましょう。そのあとブリジッタたちの所に戻ればいいわ。この人も引き渡さないといけないし」


 ウルの傍らには、縄でぐるぐる巻きにされたカスパルが転がっている。こちらは気絶したままピクリとも動かなかった。






 その後、カスパル一味を地元の衛兵に引き渡して、タケトたちは一旦王宮へと戻ってきた。


 事務所で官長に報告をしていたら、そこにマリーがやってくる。彼女は試作品が出来たといって、いくつかの魔石弾を見せてくれた。


「これが水の精霊用で、こっちが風。こっちは大地で、こっちが雪。あと、火の精霊用も沢山つくっておいたから、いっぱい練習してくださいね」


 と、手作りクッキーとともにバスケットに入れて手渡される。クッキーは、ブリジッタとシャンテの二人にほとんど食べられてしまったけれど、アーモンドみたいなナッツが入っていて美味しかった。


 それに魔石弾ができたのは、ちょうど良かった。水の精霊の魔石弾が、ケルピーからの頼まれ事をこなすのに役立ちそうだ。


 ついでに、ケルピーに驚いて逃げてしまったカーバンクルの保護も、クリンストンに頼んでおいた。

 クリンストンは、


「カーバンクルは大クルミが大好きなんっすよね。わかったっす。すぐに保護に向かうっす」


 と、そのまますぐに馬で出かけていった。カーバンクルのあの人なつっこさなら、大好物の餌でおびき出されればすぐに掴まりそうな気がする。


 魔石弾は、溜めたい精霊が多く集まっている場所にしばらく置いておくと、自然に充填されるらしい。火なら、焚き火の中。水なら、河の中。雪なら、雪山に埋めておくといった具合だ。


 タケトは城のそばの小川に水の魔石弾を浸す。翌朝には、黒色だった魔石弾が美しい蒼色に変わっていた。中に入っている精霊によって、弾の色が変化するようだ。


 水の精霊を溜めた魔石弾を持って、すぐにシャンテとともにウルでケルピーに指示された場所へと向かった。

 そこは王都からだとウルでも一週間はかかるような、遠く離れた土地だった。


 途中、宿場町のようなものがあるときはそこに泊まり、そういうものがないときは野宿で済ませることもあった。もう気温も温かくなる季節だし、何よりウルのお腹にくっついて寝ていると温かい。そもそも普段から納屋の中でこうやって寝ているのだから、いまのタケトにとっては日常生活と大差ないともいえる。


 ただ、シャンテが隣に寝ていると思うと、ちょっとドギマギはしたけれど。彼女の寝顔は天使みたいに可愛くて、触っちゃいけないものなんじゃないかっていうくらい神聖なもののように思えた。


 王宮を発つ前に、ブリジッタに「いいこと? シャンテに手を出したら承知しませんことよ? もし手を出したら責任とりなさいよ?」的なことを散々釘さされたが、そんなことほぼ女性経験のないタケトにできるはずもない。


 いや、就職したてのころに彼女ができたこともあるにはあった。しかし、当時、蛇を自宅で飼っていたのだが、『私と蛇とどっちが大事なの?』と言われ、『どっちも』と答えたらあっさり振られた。それっきり、きっと俺、女の子と付き合ったりしちゃいけないタイプなんだろうなと思い込んで、そういうことから遠ざかってしまっていた。


 だって本当のこと言うと彼女よりも蛇の方が大事だったもん。彼女は人間なんだから何でも自分でできるけど、蛇は世話してあげないと死んじゃうじゃん……っていう思考回路してるからダメなんだということは、タケト自身、重々承知している。


「そういえば。俺、納屋で寝てるときさ。いつもウルから離れて寝てるのに、朝起きるとウルの腹の上にいるんだよな。なんでなんだろう」


 前の街で買った干し肉とチーズをパンで挟んだ簡単な夕食を焚き火の傍ですませながら、ふとそんなことも思い出してシャンテに聞いてみたことがあった。シャンテは、これも前の街で買った小さなリンゴを両手で持ってしゃくっと囓りながら、くすくすと笑う。


「あのね。たぶん、それ。ウルがタケトのこと心配してたんだと思うよ」


「心配?」


 シャンテはこくんと頷いた。


「私もね。故郷の村からウルと二人で逃げ出したとき、ずっとずっと不安で怖くて。ずっとウルに抱きついていたの」


 それは彼女の口から初めて聞く、彼女の身の上話だった。

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