第23話 カーバンクルを助けろ


 ウルはギーの街の中を、なるべく河から離れないように走る。まだ人間の膝くらいまで浸水があったが、その程度の水はウルには何の障害にもならなかった。


  港にはカロンとブリジッタが残っている。二人に任せておけば残りの手下たちの制圧も時間の問題だろう。


 ウルはシャンテとタケトを乗せたまま、パシャッパシャッと水しぶきをあげて街の中の通りを駆け抜けた。

 軽やかに跳躍すると建物を飛び越えて、街の外へと出る。フィン河の下流方向に小さく水しぶきを上げる点がみえた。あれが、カスパルの船にちがいない。


「ウル! 走って!」


 シャンテの声にあわせて、ウルの足の動きがさらに早くなる。邪魔な建物がなくなったこともあってグングン加速していった。


「うわっ……」


 タケトはウルの背中にしがみついているだけで精一杯だった。途中、馬車の一団に行く手を阻まれそうになったりもしたが、加速のついたウルの身体はそれも軽々と飛び越えた。


 河の先に見える水しぶきの点がどんどん近くなる。帆船が目視できる距離まで近づいてもウルは足を弱めない。

 ついに、ウルは風の精霊の推進力をジェット水流のように使って進むカスパルの船と並んだ。そのまま併走するように河岸を走る。


「このあと、どうする?」


 舌を噛まないようにしながらタケトは前にいるシャンテに聞くと、彼女は注意深く河の方を見ながら応えた。


「沈んだ建物を伝ったら、あの船の所に行けると思うの」


 たしかに河岸に近いところには、高木や建物の一部がちらほら頭を覗かせている。もともとその辺りまで岸だったのが、今回の浸水で沈んだのだろう。


 と、そのとき。カスパルの船に変化があった。カスパルが船の上で何やらやっているのが見えてはいたのだが、彼が何をしようとしているのかようやくタケトたちも理解する。積み荷の一つが、河に投げ出された。そのあとすぐに、もう一つの積み荷も。


「あいつ……積み荷を捨てて、船を軽くして逃げ切ろうとしてやがる」


 カスパルが今、船の縁まで運んできた木箱には見覚えがあった。カーバンクルが入れられた二重底の木箱だ。それをカスパルは船の縁から体当たりをするようにして河に落とした。荷物がなくなったことで船が軽くなり、ぐんと船は加速する。


「シャンテ! やばい! さっき捨てられた木箱の中にカーバンクルがいる!!」


「ええっ!?」


「行こう、シャンテ。俺、カーバンクルを助け出す!」


「わかったわ。でも、どうやって……?」


 ウルは岸を蹴った。そして、走る勢いは殺さず、河岸近くに沈んでいる家の屋根の上を、高木を、教会の塔を次々に足場にして河を渡っていく。その途中で、タケトはウルの背中から河へと飛びこんだ。

 ウルは河に沈む建物を飛び石の様に渡って、船との距離を縮めていく。最後に大きく跳躍して、ウルは船に迫った。


「うわあああ」


 カスパルが跳んで迫って来たフェンリルの巨体に恐怖の声をあげるが、その声もすぐにバッシャ――ンという大きな水音でかき消えた。ウルが船に前足をそろえて飛びついたのだ。獲物を捕まえるときのように前足に体重をかけて船を押さえ込むと、船はウルの重さに耐えられずあっさりと水中に沈む。


 船はあっけなくウルに押さえつけられて水底に打ち付けられた。その直前になんとか河に飛び込んだカスパルがぷかりと水面に浮いてきたところで、ウルがカプっと口でくわえた。


「ウル。そのまま河岸まで連れて行きましょう。そうだ、タケトは!?」


 気絶してしまったらしく動かなくなったカスパルを口にくわえて、ウルは悠々と犬かきをして岸まで河を泳ぐ。その背中で、シャンテはタケトの姿を探した。しかし、波が立っていて人影のようなものはどこにも見えない。ウルで跳んできたので、一体どこの地点でタケトが河に飛び込んだのか、もはやよくわからなくなっていた。


「タケト――!!!」


 声を張り上げて叫ぶが、河を風が渡る音とウルが泳ぐ水音が聞こえてくるだけで、答える声は返ってこなかった。






 一方、河に飛び込んだタケト。


「ぷはっ」


 一度水の中に沈んだタケトは浮かび上がって、水面を漂いながら周りを見渡す。飛び込んだときは、たしかにまだあの木箱の位置を把握していたのに見失ってしまっていた。


(どこだ、あの木箱……)


 しばらくぐるぐると周りを見渡して、ようやく波間に顔を見せた茶色く四角いものが視界に映る。


(あった! あれだ、きっと……)


 思った以上に距離が離れてしまっていた。タケトは泳いでその木箱の元へと急ぐ。着衣したまま泳ぐのは想像以上に身体が重く感じた。河の流れも思っていた以上に早かったが、なんとか木箱へとたどり着いた。


 木箱は斜めに傾き、半分ほどが水の中に沈むように流れている。よく見ると、箱は完全には密閉されていない。接合部の釘打ちが甘いため、隙間ができていた。これでは水が中に入ってしまっているかもしれない。


(やばい……)


 カーバンクルたちは、木箱の底にある狭い空間に、身動きできない状態で押し込められていたはずだ。そんなところに水が入り込めば、あっという間に窒息してしまうだろう。


 タケトはこぶしで木箱の表面を叩くが、水の中に浮かんだ体勢では思ったように力が入らず、タケトの拳は跳ね返されてしまう。


「くそっ。なんか、硬いもんとかねぇのか……」


 そこでふと思い出す。自分が今もっている硬いものといったら、コレしかない。タケトは左手で木箱に掴まったまま、右手で腰のあたりをまさぐる。


(あった。良かった。落としたりしてなかった)


 腰のホルスターから精霊銃を抜くと、グリップの部分を両手で逆さまにもって、木箱の表面に思い切り打ち付けた。数度繰り返すと、木にヒビが入りはじめる。そして、次の一撃で精霊銃は木箱をぶち抜いた。すぐに銃を左手に持ち替えると、木箱の開いた穴に右手を突っ込んだ。

 そのタケトの指に、鋭い痛みが走る。


「いっ……た……」


 思わず引き抜いた指に、ぷくっと赤い小さな玉が二つできていた。血だ。

 そして、木箱の穴の内側から、ひょこっとリスのようなものが顔を出す。緑のふさふさした毛に、黒いドングリ型の大きな瞳。その額には、赤い宝石のようなものがある。これが、タケトの指を噛んだ張本人。カーバンクルだ。


「良かった、無事だったんだな」


 噛まれた指をしゃぶりながら、それでもタケトは顔をほころばせた。齧歯類の歯は長く細いので、傷口は小さく見えても案外深くて結構痛い。


 そのカーバンクルは、くんくんと黒い鼻を上に向けて空気の匂いを嗅いでいたが、ぱっとタケトの腕へと渡ると、タケトの肩から頭へと駆け上った。ついで、木箱の穴からは二匹目も顔を覗かせる。


 全部で五匹のカーバンクルが出て来た。みな、木箱やタケトの身体の上に避難する。幸い、全身がぐっしょり濡れているものはいるが、窒息するほどにはまだ水が入り込んでいなかったようだ。最後にもう一度木箱の中に腕を突っ込んで、全部のカーバンクルが木箱の外に出たかどうか確認した。


「うん。大丈夫そうだな」


 あとは岸に向かって移動するだけなのだが、そうこうしている間にもタケトと木箱はどんどんと流されていた。見渡してみるが、ウルの姿は見えない。あの大きな身体が見当たらないということは、随分と離されてしまったに違いない。


 と、そこへ大きな影がタケトに迫る。河に浸水した建物の上階部分がタケトのすぐ目前まで迫っていた。咄嗟に泳いで避けようとするが、流れが早くて足をとられてしまい、軌道を変えられない。どんどん容赦なく黄色い水が押し寄せて、流されていく。


 タケトはとっさにカーバンクルたちを全て木箱の上に乗せると、全身を使って木箱を建物にぶつかる軌道の外へと押し流した。木箱はなんとか軌道を逸れて流れていく。


(良かった……)


 と思った瞬間、タケトの身体は流れる勢いそのままに建物に思い切り叩きつけられた。


(しまっ……)


 全身に走る痛みに意識が遠のく。建物にぶつかり複雑な動きをする流れに飲み込まれて、タケトの身体は河の底へと押し流されていた。うっすらと開けた目に、遠くに見える水面に日の光がきらきらと差し込んでいるのが見える。それが、タケトが見た最後の景色だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る