第22話 ワラワの瞳をごらんなさい?


 見張りの男はなんとか逃げだそうともがいていたが、カロンに後ろからがっちり拘束されてしまっては逃げ出せるはずもない。タケトがこちらへの協力と他の仲間には黙っておくことを条件に出してその手に金を握らせたら、見張りの男はすんなりと大人しくなった。


 彼に聞くと、たしかに魔獣を積み込んではいるという。その積み荷をみせてほしいと頼むと、いくつか積まれた木箱のうちの一つがそれだと言ってみせてくれた。念のためにあけてもらったら、横幅一メートルほどの長方形型をしたその木箱には衣類などが入っていた。しかし、底が二重底になっていて、底の下にある空間に緑色の毛をした動物が数匹閉じ込められているのが見えた。間違いない。カーバンクルだ。


 この場で救出しようかとも考えたが、ちょうどそのとき港の方から人の声がしたため、タケトたちは慌てて木箱を元に戻すと、停泊してあった隣の船へと隠れた。


 男が数人、港の奥にある三階建ての家から出てくると、こちらに向かって歩いてくる。すっかり酒でできあがっているのか、ご機嫌な様子で下手な歌を歌っているやつもいた。そして、カスパルの船に乗り込むと見張りを交代した。ヤツらが出て来た建物が、アジトなのかもしれない。彼らは船の上で酒盛りを始めたので、タケトたちはとりあえずこの場は引くことにする。





 一旦、宿に戻って一眠りすることにした。考えてみると、ここのところずっとウルの腹の上で寝ていたから、ベッドで寝るなんて久しぶりだ。はじめはベッドに横になれるのが嬉しかったけれど、すぐに冷たさと硬さが気になって妙な感じがした。ちょっと落ち着かない。ウルのあの温かくて柔らかい腹の上が、少し恋しくなっていた。


 それでも疲れていたためかあっという間に眠りに落ちて、同室のカロンに起こされたときにはもう空が白みはじめていた。目をこすりながらシャンテたちの泊まる部屋まで行くと、彼女たちはすっかり身支度を整えて待っていた。


 簡単にこれからの段取りを確認すると、ウルを呼びに行くシャンテ以外の三人で港へと向かう。

 長雨もすっかりやんで、河もだいぶ落ち着いてきている。カスパルの船は昨日荷を積み込んでいたから、今朝出発することは間違いないだろう。


 カスパルの顔の特徴はダミアンから教えてもらっていた。頬に傷のあるスキンヘッドの男なんだそうだ。いつもカスパル自ら船に乗り込んで川を下ってくるそうなので、何としてもその現場をカーバンクルもろとも押えたい。


港の物陰に隠れて様子をうかがっていると、しばらくして、港の奥にあるあの建物から部下らしき男たちを引き連れた一人のスキンヘッドが現れた。太い右腕に刻まれた、トカゲの入れ墨。右頬には縦に斬ったような痕がある。


 ダミアンが言っていたとおりの特徴。周りの男たちの態度からしても、間違いない。あれが、カスパル一味の頭領。運び屋カスパルだ。


(さてと。はじめるか)


 タケトは一人で物陰から出ると、港の奥に停泊しているカスパル一味の帆船へと近づいた。


 周りで船を出す準備をしていた男の一人が歩み寄ってくるタケトに気づき、作業の手を止め怪訝そうにこちらを見た。そして立ち塞がるようにタケトの前に仁王立ちしたため、足を止めざるをえない。


「あん? なんの用だ、兄ちゃん?」


 見下ろしながら、男がすごんでくる。


 タケトからするとその男の方が明らかに自分よりも年下に見えるのだが、身体の大きな白人系の男から見るとタケトは童顔に映るようで、実年齢よりも遙かに若く見られてしまった。もうとっくに三十路も越えてるのになぁ、いつまで兄ちゃん呼ばわりされるんだろうと思いつつも、タケトは相手を警戒させないように少し笑みを浮べて言う。


「カスパルさんに用事があるんだけど」


「ぁあ!?」


 男は身をかがめて顔を近づけ、睨んできた。タケトは顔をしかめる。その仕草に男はタケトが怯えていると思ったようだが、単に男の口が臭かっただけだ。

 ちょっとした騒ぎに、他の男たちも手を止めてこちらを眺めているのがわかる。帆船の上にいるカスパルも、顔を上げてこちらを向いた。


「あ。カスパルさん。あなたにお伝えしたいことがあるんです」


 タケトは男の影からひょこっと顔を出すと、たったいまカスパルの存在に気づいたというような顔をして、立ち塞がる男を避けて帆船の方へ歩き出す。

 無視されたと思って頭にきたのだろう、男がタケトを捕まえようと手を伸ばすが、それをカスパルがスッと手をあげて制した。

 それだけで、男は伸ばした手を引っ込める。


 カスパルは肩にかけていた布で顔の汗をふくと、帆船の縁に立って腕を組みこちらを睨んだ。その傷のある顔で睨まれると、確かに迫力はある。ヴァルヴァラ官長ほどではないけれど。


「手短に済ませてもらえないか。こっちは時間がしてるんだ」


「はい。すぐに終わりますよ」


 タケトは港の桟橋を歩いて帆船の横までいくと、ポケットから緑の木札王の身代を取り出してカスパルに掲げる。こういう風に使っていいものなのかはよくわからないが、つい警察手帳のように使いたくなってしまう。


「カーバンクルを押収しにきました。カスパルさん」


 そこに刻まれた銀色の紋章を目にして、カスパルの目が大きく見開く。そして、みるみるうちにそのスキンヘッドの頭にくっきりと血管が浮き上がってきた。


「王家の紋章……お前、マトリか!!」


 カスパルは苦々しくそう吐き出したあと、「やれ」と部下たちに言葉短く命令した。桟橋にいる数名の手下たちが、腰に下げていた剣を抜く。


「……やっぱり、そうなりますよね」


 おとなしく捕まってくれる気はないらしい。タケトも腰のホルスターから精霊銃を抜いて手下たちに向ける。銃を向けられては、さすがに手下たちもすぐには近寄ってこなかった。その間に、帆船の上にいたカスパルは船中央にある太いマストに取り付いて、そこから垂れていたロープを思い切り引いた。


 マストくくり付けてあったロープが解け、白い帆が降りる。帆は河を渡る風を受けて、バンと強く張った。

 つ……と船が桟橋を離れて動き出す。


 と、そのとき。大きな人影が桟橋から帆船へと飛び移った。その影はマストに飛び上がると、さらに上へとのぼりだす。

 獣化したカロンだった。


「ひ、ひゃあ!」


 突然飛び移ってきた豹の姿をした人間に、カスパルは腰を抜かさんばかりに驚いていた。


 カロンはマストのてっぺんまでのぼると、そのまま帆に両手の爪をひっかけてシャーっと降りてくる。そのため帆はカロンの爪に大きく切り裂かれて、縦に割れた。これでは、風を上手く受けられない。


「逃がすわけがないじゃないですか。こうやって破くために、帆を張ってくれるのを待っていたんですよ。なんなら、マストごと折ってしまってもよかったんですが」


 帆を一番下まで裂き終わって、カロンは立ち上がると、ずり落ちそうになっていた鼻の上の眼鏡をくいっと手の腹であげた。


「ひぃ……」


 筋骨隆々な黒豹男が船に乗ってきたのでカスパルは一瞬おびえたそぶりをみせたが、そこは部下たちの手前、逃げ腰のままでいるわけにはいかないと思ったのだろう。腰に刺した幅広の剣を抜くと、両手で構えてカロンに対峙する。


 そこに。くすくすという場違いなほどの軽やかな笑い声が響いた。


「いけませんわ。おじさまがた。その物騒なものをお捨てになって?」


 タケトには聞き覚えのある、その子どものような高く明るい声に、カスパルの手下たちは「なんだ?」と訝しげに視線を向けた。それが命取りだとは知らずに。


 見た瞬間、手下たちはその場で固まる。彼らが見たのは異形の目。ブリジッタの、見た者を石化させる黒い目だ。それで、桟橋にいた大部分のカスパル一味たちは戦闘不能に陥った。


 一方、異変にようやく気づいたのだろう。港の奥にあるカスパル一味のアジトから、手に手に武器を掲げた男が数人出て来た。加勢にくるつもりらしい。

 しかし彼らは桟橋に駆けつけることはできなかった。


 バリバリバリという空気を裂くような音がして一瞬目の前が眩しくなったかと思うと、彼らの上に小さな雷が落ちた。男たちは動けなくなり地面に倒れ伏す。


 タケトが視線をあげると、アジトの建物の屋根に大きな獣がいた。建物よりもデカいんじゃないかというその身体。ウルだ。そのウルの背に乗るシャンテが、アジトから出てくる人間を手当たり次第に雷の力で攻撃していた。


 ウルはこちらを睨み付けるように屋根の上で前掲姿勢をとったまま、ぐるるるる……と低いうなり声をあげる。その犬歯をのぞかせた口からは、赤い炎がちらちらと覗いていた。普段はモフッとしていてデカいワンコという印象しかないウルだが、こうやって攻撃姿勢をとるとさすがに犬の迫力じゃないなと感じる。森の主、フェンリル。森の秩序を守る災厄。そう、魔獣図鑑に書かれていたのをタケトは思い出していた。


「いまから、ここの建物は私たちが封鎖しまーす! どうか、動かず私たちの指示に従ってくださーい!」


 とシャンテがウルの上から叫ぶのが聞こえる。


(相変わらず、行動抑止力高いよなぁ……ブリジッタもシャンテもカロンも)


 こと他人を拘束することにかけては、彼らはスペシャリストなのだと改めて思い知らされた。


 特にシャンテとブリジッタは、一見、非戦闘員のようにもみえるけれど、彼女たちがいなければ大勢の荒くれ者たちを一度に取り押さえることなど不可能だろう。

 タケトは眼帯をはずしているであろうブリジッタの方は見ないように気をつけながら、辺りの状況をざっと確認する。今この状況で動いているカスパル一味は……。


「くそっ、なんだこれ! おい! お前たち、どうしたんだ!!」


 カスパルと数人の手下たちがまだ動いていた。彼らはブリジッタの目を見ていない。明らかにあちらを見ようとしない素振りがうかがえる。彼女を見ると他の手下たちと同じように行動不能になる、ということを学習してしまったらしい。


「ちっ……」


 タケトはまだ動ける手下たちに銃を向けつつ、船の上の様子に注視する。剣を振り回すカスパルにカロンも剣を抜いて応戦しているが、相手はなかなか腕が立つようでまだ取り押さえるまでに至っていない。といっても、パワーでは明らかにカロンの方が圧してきているので、決着がつくのは時間の問題かもしれない。


 と、そのとき。

 カスパルが帆船の上で一歩大きく後ろに跳んで、カロンと間合いをあけた。そして、木箱の上に飛びのり剣を大きく振り上げると、それを力一杯投げ飛ばした。


「この化け物どもが!」


 剣は回転しながらカロンの上を飛び越える。帆船の外、桟橋の先。その回転しながら飛ぶ剣の先にいたのは、ブリジッタだ。明らかに、カスパルはブリジッタを狙っていた。


 咄嗟にカロンはその獣並みの瞬発力で跳躍して、頭上を飛び越えた剣の柄を掴む。が、そのために帆船から桟橋へと下りてしまった。


 ノーマークになったカスパルに向かって、タケトが精霊銃を放つ。しかし、まだ軌道が安定していない。放った火の精霊は蛇行しながらマストにぶつかって、大きな穴を開けた。カスパルは、「ひっ」とかいいながら帆船の床に転がって精霊銃の攻撃から逃れた。


 タケトが精霊銃の撃鉄を起こして次弾の引き金を引こうとしたとき、ボッという、何かが噴射するような音とともに帆船が動き出した。帆はカロンにボロボロにされたときのまま、ほとんど風を受けていない。にもかかわらず、帆船が動き出したのだ。船は見る間に桟橋から離れていく。その帆船の後部、元の世界の船でいうとスクリューがある位置で、何かが勢いよく噴射しているのが見えた。


「しまった。あの船には風の魔石が取り付けられていたようです」


 船の後部、水中部分に取り付けられた風の魔石から吹き出す風圧によって、カスパルが乗る船はどんどんギーの港から離れていく。

 まるでジェットスクリューのようだ。

 このままでは一番捕まえたかった相手を取り逃がしてしまう。カーバンクルもあの船に乗せられたままだ。段々と小さくなっていくカスパルの船を苦々しく見ていた

ら、そこに。


「タケト!」


 シャンテの声が響いた。同時に、ふわりとウルが舞い降りる。


「ああ。追いかけよう」


 ウルが下げた頭にタケトが掴まると、ウルはポンと放り投げるようにしてタケトを背中に乗せた。


「わわわ……」


 タケトが体勢を整えてシャンテの後ろに跨がったときには、既にウルは港の建物を飛び越え、街の大通りを河に沿って走り出していた。

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