第21話 密輸船


 フィリシアを発ってから数日後。タケトたちはギーの街へと到着する。

 ギーはフィリシアほどではないけれど、フィン河の上流域を代表するそこそこ大きな港街だ。


 しかし、河の水はこの街をも覆い尽くしていた。建物に残る水のあとをみると、一番酷い時期に比べてかなり水は引いてきているようだったが、まだ膝下くらいの浸水がある。家々の一階部分は水に浸かったままだ。


「水ってのは、なかなか引かないものですのね」


 と、ブリジッタはカロンに肩車された状態で、そんなことを呟く。背の低いブリジッタはスカートが濡れてしまうのを嫌がって、カロンに乗せてもらっていた。こうやってみると、明らかに種族は違うのだれけど、サイズ的にはまるで親子だ。


 じゃばじゃばと水を蹴って進む。ズボンは膝でまくっているから濡れはしないが、靴はずぶ濡れだ。


 さてと、ここでどうやって情報収集しようかな。まずは人が集まりそうなところにでも行ってみるか。そんなことを考えていたら、いつの間にか、さっきまでスカートをたくし上げて隣を歩いていたシャンテの姿が見当たらない。


「あれ? シャンテは?」


 視線を巡らせて探すと、離れたところに立ち止まっている彼女の姿が目に入った。建物のそばで誰かと話し込んでいる。


「どうしたんだろう? ちょっと待ってて」


 カロンに断ってから、タケトはじゃばじゃばとシャンテのところに戻る。


「どうしたの?」


 見ると、彼女はとある住居の入り口で、腰の曲がった小柄な老婆と話をしていた。

 タケトが戻ってきたことに気づいて、シャンテは「タケト」と助けを求めるような視線を向けてくる。


「あのね。この方が、街の反対側にあるお孫さんのところに行きたいそうなんだけど、足が悪いらしくて」


「孫は、こないだ出産したばかりでね。そのうえ旦那も怪我をして動けないって聞いて。近所の人に様子を見に行ってもらったりしてたんじゃが、上の子もまだ小さいし。手がかかるじゃろうから、どうしても心配で」


 その老婆は水の中で杖をついていた。この悪路の中、その足で街の反対側まで行くのは大変だろう。


「いいよ。おばあさん、俺の背中にのって?」


 タケトが背を向けてかがむと、おばあさんは遠慮して戸惑っていた。しかし、タケトが何度も乗ってと言うので。


「そうかい? じゃあ、お言葉に甘えて、乗せてもらおうかね」


 と、躊躇いつつも、タケトの背中に身体を預けてくれた。おばあさんの身体は、思いのほか軽い。タケトは立ちあがると、よいしょっと背負いなおす。シャンテにおばあさんの荷物を持ってもらうと、カロンたちにはひと言断って、シャンテと一緒にそのおばあさんの孫のところまで水を掻き分けて歩いて行った。


 お孫さんの住んでいる家というのは港に近い通り沿いにあって、タケトの足でも三十分近くかかった。おばあさんが一人で歩いていたら、いったいどれほどの時間がかかったことだろう。


「あ、お祖母ちゃん! きてくれたの?!」


 おばあさんに指示された建物につくと、中から若い女性が出迎えてくれた。ここの建物も床上浸水してるので、とりあえず背負ったまま室内に入れてもらって、階段の水が来てないところにおばあさんを降ろす。階段のうえから小さな五歳くらいの男の子と、もう少し小さな女の子が降りてきて、驚いたように目をまん丸くしてこちらを見ていた。


 タケトは腰に手を当てて、思い切り伸びをする。


「くぁー、なんとかここまでこれたぁ」


 はじめは軽いと思ったおばあさんだったが、足下の悪さに思いのほか体力を消費してしまい、想像以上に疲れてしまった。


「大ばーば!」


 男の子がおばあさんに抱きつく。その頭をおばあさんは愛おしそうに撫でた。


「ありがとうございます。いや、もう、俺がこんな有様で。お祖母さんのこと、ずっと心配だったんですよ」


 二階から男性の顔がのぞく。彼の片足は添え木を当てられ、包帯でぐるぐるに巻いてあった。そういえば怪我したとか言ってたっけとタケトは思い出す。


「この人、水で足を取られて、滑って転んで足を折ったんですよ」


 と、これはさっきの若い女性。奥さんなんだろう。


「いやー、面目ない。ささ、世話になったんだ。大したもんはないが、茶ぐらいならだせる。ゆっくりしてってくれないか?」


「いえ、俺たち仕事できてるんで。あ、そうだ……もし知ってたら、教えてくれると有り難いんだけど」


 乗りかかった船だ。ここでも情報収集してしまおう。

 タケトは彼らに、腕にトカゲの入れ墨のある連中を見たことはないかと聞いてみた。奥さんとおばあさんは『はて?』という顔をしていたが、旦那さんはその話を聞いて険しい表情になる。


「そいつは……世話になったから正直に言うけど。……関わり合いにならない方がいいと思うぜ」


 旦那さんは港の船から魚を買い付ける仕事をしているのだと話してくれた。それで港にはしょっちゅう行き来しているが、その港の片隅に筋の良くない連中がいるらしい。そいつらがみなトカゲの入れ墨をしているそうだ。

 奴らの船はいつも、港の下流側の端に泊めてあるという。船の特徴も教えてくれた。


「さんきゅ。それだけ教えてもらえれば、すっごい助かる。大丈夫だって、危ないことはしないから」


 そう笑ったタケトだったが、心の中ではそんなつもりはさらさらなかった。


 その足で、すぐに港へと向かう。そして、港の下流側のはじに、旦那さんが言ったとおりの外観の船をみつけた。中型の帆船だ。今は停泊しているため帆は畳まれているが、船の横には『リンダ商会』と書かれていた。


 既に日は暮れ始めていたが、船の周りでは、見るからに粗暴そうな男達がいくつかの木箱を積みこむ作業をしていた。

 荷を積み込んだということは、出発は明日の朝だろう。そうあたりを付けると、一旦その場をあとにする。


 そして、夜が更けたあと。タケトはカロンを連れて、再びギーの港へと出向いた。

 まだ時間にすると夜の八時くらいのはずなのだが、この世界の人たちはとても夜が早いので、街はすっかり寝静まっている。


 港に着くと、例の船から少し離れた場所で積まれた木箱の裏に身を隠し、船の様子を伺った。


「どんな感じ?」


 タケトは木箱に隠れたまま、隣にいるカロンに尋ねる。カロンは木箱の上から頭だけだして、双眼鏡で船を眺めていた。


 辺りにはタケトたち以外に人の気配はない。こういうとき夜目のきくカロンがいてくれると、とても助かる。今回は積み荷の確認をしにきただけなので、シャンテとブリジッタの二人には宿で休んでもらっていた。


 カロンは双眼鏡から目を外すと、こちらを見る。


「いまのところ、見張りは一人ですね。行きますか?」


「ああ、そうだな。とりあえず、カーバンクルが積まれてるかどうかを確認しなきゃ」


「そうですね。では、少し待ってください。準備をします」


 そう言って、双眼鏡をこちらに渡してくるので受け取ってカバンに入れる。

 カロンは大きく深呼吸した。そして息を深く長く吐き出したあと、彼の顔と身体に、変化が起こり始める。


 腕は盛り上がりだし、顔は口のあたりが前に突き出すような形で、段々と人の顔から豹の顔へと変化していく。さらに黒い毛が顔全体を覆いはじめた。時間は、ほんの数分ほど。それだけで、人から黒豹男へと獣化していた。腕や足も三倍ほど太くなり、若干背も伸びているようにも思う。


「……獣化してる最中って、はじめてみたけど。すげぇな」


 質量保存の法則とか、どこにいってんだろう。と思うものの、彼らにとっては生まれたときからこういう体質なのだから、別に不思議なことでもなんでもないらしい。


「獣化した後って、すごくお腹がすくんですよね」


「ああ……うん、なんかカロリーとか凄く消費すんだろうなってのはわかる。……俺のこと、喰わないでね?」


 なんて軽口叩いていたら、カロンは気分を害したらしく。


「ブリジッタのティーカップ割ったの、タケトだって本人に言いますよ?」


 むすっとした口調で言われた。


 この前、事務所の棚の拭き掃除をしていたときに、彼女のお気に入りのティーカップをうっかり落として割ってしまったのだ。こっそり後始末していたところを、カロンに見られていた。ブリジッタにはあとで謝ろうと思いながらも、いまだに謝れていない。


「ごめんなさい。ごめんなさい。ほんとに。今度、石化させられる覚悟ができたらブリジッタに謝るから、それまで待って」


 ブリジッタは絶対、怒って石化させてくると思うから、怖くて言えないのだ。

 そんなことより、準備は整った。


「さてと。行くか」

「そうですね」






 男は船の上で積み荷の木箱に腰掛け、ぼんやりと水面を見ていた。

 真上にのぼってきた月の光が水面に映り込み、風がふくたびに起こるさざ波で水面の月が崩れる。


 男はこの船の見張りだ。傍らに置いたランプの明かりと、上空にある半月以外に灯りがないのだから、ランプの明かりの外はほぼ暗闇だ。だから、見張りといっても大して見えはしない。ときおり、思い出したようにランプをもって船の中をぐるっと巡回もしてみるが、全長二十メートルほどの船なので十分もあれば見回り終えてしまう。


 何度目かの船内巡回を終えたあと、男は再び木箱に腰掛ける。春先とはいえ、夜になるとまだ結構冷え込む。男はぶるっと身体を震わせると、傍らにおいてあった酒のカップに口を付けた。


 そのとき。自分のすぐ後ろで、カタッという小さな音が聞こえた気がして、男は振り返ろうとする。

 が、振り向けなかった。その口元を何か大きく毛深いもので塞がれ、背中から包み込まれるように身体を拘束された。


(……!?)


 叫ぼうとしたが、口を塞がれてしまって声がでない。かろうじて、ふがふがとくぐもった声が漏れたくらいだ。


「おっと。静かにしろよ。悪いようにはしないからさ」


 ランプの灯りに照らされて、もう一人、彼の目の前に現れた。中肉中背で黒目のその男は、ぼんやりとしたランプの明かりの中で、ニコッと人なつっこい笑みを浮べてくる。


「こんばんは。マトリでーす。ちょっと調べさせてほしいことがあるんだ。いいかな?」


 有無を言わせない空気を感じて、男はヒッと喉の奥を鳴らした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る