第19話 司法取引


 店の中は事情を聞くには少し狭いので、結局自警団の二階にある会議室に店主を運び込んだ。

 その部屋の奥の床にタケトは店主をどんと置く。


「あー、腕いってぇ」


 もう少し優しく置いてあげてもよかったのだが、死後硬直したみたいに固まった成人男性の身体は思いのほか重くて、腕が死にそうだったのだ。自警団の人と交代に抱きかかえてここまで運んできたけれど、最後に待ち構えていたここの階段がきつかった。


 前にこの会議室に来たときにはあったカーバンクルの入った木箱とクリンストンの姿は、もう既に無い。とっくに、魔生物保護園に向けて発ったのだろう。


「さてと。いろいろお話うかがわなくちゃならないですわね?」


 ブリジッタがシャンテのカバンから一本の細長いガラス瓶を受け取り、コルクの蓋を外しながら転がっている店主に近づく。そのガラス瓶の中には透明な液体と、何やらハーブのようなものが入っていた。


 ブリジッタは男の前までやってくると、ガラス瓶を逆さまにして中身を全部、店主に振りかける。ローズマリーとペパーミントを混ぜたようなハーバルな香りが、ふわと辺りに漂った。


(そっか。俺がはじめてこの世界にきたとき。石化から解かれたあと、なんかびしょ濡れになって草っぽい匂いが身体中からしてたけど、これを振りかけられてたんだな)


 振りかけられる前のことは記憶にないので、ようやく臭いの正体がわかった。あれは、石化を解く作用のある薬草を水につけて、薬効を染み出させたものなのだろう。


 以前のタケトと同じく、びしょ濡れになった店主は不思議そうに目をぱちくりさせながら、のろのろと起き上がった。困惑するのも無理はない。気がついたら知らない場所にいて、しかも草臭い水でびしょ濡れなんだから。


「さてと。話を聞かせてもらおうかな? 古物商のダミアンさん?」


 タケトは店主の前にしゃがみ込むと、そう声をかける。名前を呼ばれて、ダミアンはさらに目をぱちぱちさせた。なんで名前を知ってんだ? という顔だが、簡単なこいつの身元くらいは自警団から聞いている。


 ダミアン・アンダンテ。四十三歳。この街の裏町で長年古物商をやってきた男だが、若い頃にはカツアゲや窃盗など様々な軽犯罪でしょっぴかれた記録が残っていた。


「ひっ……お、俺っちは何もしらねぇよ。あれが魔獣だなんて、知りもしなかったんだ! ほんとだって。信じてくれよ! 高値で売れる珍しい生き物がいるから店に置いてくれって言われただけで、俺っちの方こそ騙されてたんだ!」


 そう言い募るダミアンを、タケトは呆れた顔で見つめる。


(よく言うよ。さっき俺たちが店に踏み込んできたとき、『マトリが来た!』って言っただろお前)


 こいつはタケトたちが来るのを警戒していたのだ。だから、タケトたちが来る前に店を畳んでこの街から出て行こうとしていた。


「何をおっしゃっているのかしら。ソチは、魔獣保護法違反でこれから牢に入れられ裁判にかけられるんですのよ? ソチだってこの街で商売している以上、そんなことはとっくにご存知でしょう? この国は王の意向で、魔獣保護には特に力を入れているんですのよ」


 と、ブリジッタ。彼女は会議室のテーブルにちょこんと腰かけて、自警団の人に淹れてもらった紅茶に美味しそうに口をつけていた。しかしその口調は氷のように冷たい。


「まぁ、店に置いたところまでしか確認できていないのですから、ソチのその話が本当だったとすると……長くて一年の拘留もしくは罰金五十万リドってところかしら。もっとも、余罪があるのでしたら刑罰はさらに膨れ上がりますけれど」


 ブリジッタの言葉に、ダミアンはひっと首をすくめた。


「た、たのむっ。俺っちには、リウマチもちのババアと病気がちなカカア、それに七人のガキがいるんだ。一番下なんて、先月生まれたばっかりでよぉ。俺っちがしょっぴかれたら、家族が路頭に迷っちまうんだ。なぁ、頼むよ。頼むから、なんとかしてくれよぉぉぉ」


 ダミアンは目の前にいるタケトの手をつかむと、涙ながらに語りだした。


(う、わぁ……)


 ダミアンからとめどなく出てくる、自分がいかに誠実でまじめかという主張。そしてそれにもかかわらず運がなくて辛酸ばかりなめているという苦労話。それらを、タケトは苦虫をかみつぶしたような顔で聞いていた。


 自警団から事前に聞いていた話によると、こいつは田舎に母親一人残してこの街に出て来て以来、ずっと裏町でこすい商売をしていたという話だ。ちなみに、結婚をした記録はない。もちろん子どももいない。去年、場末の売春婦から借りていた金を踏み倒そうとして、その売春婦から自警団に突き出されていたりもする。


(よくも、こんなに次から次へと作り話が出てくるよな……)


 たぶん。こいつは、この街の裏町や裏取引のことをよく知っている。

 そう、タケトの刑事としての勘が告げていた。こいつを情報提供者として取りこむことができれば、今後の密輸捜査も格段にやりやすくなるだろう。


「なあ。ブリジッタ。密輸の捜査に協力してくれたら、その分、刑が減刑されたりすることってあったりするの?」


 すました顔をして静かに紅茶を飲んでいたブリジッタが、ん?とこちらに目をあげた。


「そういう前例が、ないわけではないですわよ?」


 それを聞いてタケトは内心にやりと笑い、ダミアンは刑が軽くなると聞いて目を輝かせた。


「それ、本当っすか!? ぜひ! ぜひっ、協力します!! た……ただ……」


「ただ?」


「俺っちはしがない古物屋なんで、そんな大したことは知りませんがね。知ってることならもちろんあらいざらい話しますが……どんだけ役に立てるか……」


 と。ダミアンは申し訳なさそうにする。

 おそらくこの場にいる自警団も含め全員が、ダミアンの言葉を疑ってなどいなかっただろう。しがない古物屋としてこっそり生きてきた身では、さほど詳しいことはわからない、と。


 しかしタケトの感じ方は違った。ダミアンは、協力させられる範囲が極力少なくてすむように、自分を役に立たない小者だと周りに印象づけているように思えた。


 こいつはすでに、交渉を始めている。なら、こっちだってそのつもりでやってやろう。

 タケトは面倒くさそうに立ち上がると、両手を天井に向けてゆっくりと伸びをする。


「ブリジッタ。それって、官長とかその上の人とかに、了解とんなきゃいけないんだろう?」


 そう、いかにも面倒くさそうな声でタケトは言った。

 てっきりタケトも話に乗り気なのかと思っていたのだろう。ブリジッタは不思議そうに小さな首を傾げる。


「ええ。それはそうですわ。ワラワたちは王の命令のもと動いているんですもの。そういった微妙な判断は、ヴァルヴァラ官長に裁判所と調整していただかなくてはなりませんことよ」


「官長に頼まなきゃいけないのか……面倒くさいな。官長、怖いし」


 タケトはやる気なさそうに自分の肩を手で揉みながら呟いた。ダミアンはあっけにとられた様子だったが、目がオドオドと落ち着かなくなっている。まさかここにきて、突然に捜査協力の話を反故ほごにされるとは思ってもみなかったのだろう。自分は大事な捜査協力相手のはずだ。なのに、なぜ目の前の取締官は急にやる気をなくしたのだろう、ってね。


 こっちだってカーバンクルの密輸ルートについては、まだ何にも掴んじゃいない。どんな些細な情報だってほしいことは間違いない。でも、タケトはそんなことはおくびにも出さない。


「そんな厄介なことしたくないし……密輸の情報なら、なにも苦労してこいつからとらなくても、他にも手はあるんだしさ」


 かったるそうに言うタケトに、シャンテも「え?」という顔をしてこちらを見る。


 うん、わかってる。このダミアン以外に情報源なんて今のところまったくないのはちゃんとわかってる。これは演技だから、わかって。という願いを込めて申し訳なさそうな目をシャンテに向けてみたが、通じたかどうかは自信ない。


「そいつはもう牢屋にぶちこんどいてさ。次いこうぜ。次」


 そういうと、タケトはダミアンに背を向け、ドアに向かって歩き出す。

 そこにダミアンの慌てた大声が追いかけてきた。


「ま、待てよ! あらいざらい話すから! あのカーバンクルは、カスパルっていう運び屋から受け取ったんだよ! カスパルはこのあたりの運び屋の元締めだ! たのむ! 話すから、いかないでくれ!」


 さっきまでのとってつけたような弱々しさはすっかり消えていた。タケトは振り返って踵をかえす。ダミアンのもとに戻ってくると、にやりと笑った。


「そんならお話聞きましょうか? ダミアンさん。……無駄話ばっかしてっと、上への減刑の話、通してやらないからな。俺、気が短いんだよ」


「……は、はい……」


 タケトの釘を刺す言葉に、ダミアンは体を小さくしてうなずくしかなかった。

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