第17話 緑色したアレ


「ああ、そうだ。タケト。これをやる。外に出るときは、いつでも携帯しておけ」


 部屋を出るとき、官長に呼び止められて何かを投げ渡される。手のひらを開いてみると、ソレは木札のようなものだった。


 深緑色の見慣れない木材でできた、カードサイズの木札。厚さは一センチくらいで、その表面には紋章のようなものが銀色の線で大きく刻印されていた。その紋章にはタケトも見覚えがある。

 王宮の至る所で見るからだ。


「それは『王の身代しんだい』という。王宮に仕える者のあかしだな。王有地だけに生える特殊な木材でできているんだ。それを見せれば王有地はもちろん、保護区や大概の領主の領地にも入れるし、なにかと便利だ」


 なるほど、身代ってことはつまり所有物ということか。

『王の所有物』 この国で主権を持っているのは王なのだろうから、王宮で働く人間たちはみな王の持ち物という認識なのだろう。元の世界で公務員が『公僕』とか『公の奉仕者』って言われていたのと、ちょっと似ている。 


 木札をひっくり返すと、そこにはタケト・ヒムカイの名と、王立魔獣密猟取締官事務所……つまり、自分の所属先が掘られていた。

 まるで警察手帳のようだ。


 タケトは、その木札をポケットの中にしまうと、官長に礼を言って部屋を出ていった。

 そして、すぐにそのカーバンクルという魔獣が見つかったフィリシアの港に向けて王宮を発つ。今回は魔生物保護園のクリンストンも一緒だった。


 人数が多いので、タケトとブリジッタ、それにクリンストンの三人は乗合馬車で。シャンテはウルに乗ってそれぞれフィリシアに向かい、街外れにある森の入り口で落ち合うことになった。別の仕事で王宮を離れていたカロンは、そっちの仕事が終わり次第タケトたちのところに来るという。


 フィリシアへの道すがら。乗合馬車の休憩の時間に、タケトは路肩の切り株に腰を下ろすと、官長から借りた本を開いた。それは魔獣図鑑だった。

 図鑑には、この世界で存在が確認されている様々な魔獣がイラスト付きで解説されている。タケトは索引から『カーバンクル』の名前を引き当てると、ページをめくった。目的のページには、官長に届いたあの巻紙に描かれていたものとよく似た魔獣のイラストがあった。


 リスによく似た姿をしているが、もっと尻尾が太くてふわふわしている生き物。緑の毛並みをしていて、その頭には赤い石のようなものが嵌まっている。これがカーバンクルだ。


 その造形の可愛らしさから金持ちたちのペットとして人気があるうえ、さらにその頭の上の石のようなものが幸運をもたらすアイテムとして価値が高いらしい。


「へぇ。可愛いな」


 これは確かに、ペットにほしがる奴も多そうだ。素直にそう思う。反面、だからこそ乱獲されがちなんだろうなということにも思い当たる。そんなことを考えていたら、横からひょこっと小さな頭が図鑑を覗き込んだ。


「カーバンクルは、昔から、貴族のお嬢様や奥様方に人気だったんですわ。ワラワが少しだけお世話になっていた屋敷でも、飼われていたの見たことがありますもの。といっても最近は、随分数も減ってしまったと聞きましてよ? 」


「昔って、どれくらい昔? 」


 ふと興味にかられて何気なく聞いたタケトの言葉に、ブリジッタは「そうね」と顎に手を当てて小首を傾げた。


「もう、百年くらい前になるかしら」


 意外な数字にタケトは目を見開く。うっかり手に持っていた図鑑を落としそうになった。


「……え。ええっ!? ブリジッタって、いま、歳いくつなんだ!? 」


 思わず口をついて出た不躾な質問に、ブリジッタは顔をむくれさせてプイッとそっぽをむく。


「レディに、年齢なんて聞くもんじゃないですわよ。ソチは、いままで一体どんな躾を受けてらっしゃったのかしら? 親御さんの顔が見てみたいもんですわ。それとも、それが異世界の礼儀とでもいうのかしら?」


 と皮肉たっぷりに言われてしまう。


「いや、ごめん……えっと、失礼だったのは謝るけど。まさか、この世界の人間ってみんなそんなに長生き……とかじゃないよな」


 タケトの言葉に、ブリジッタはやれやれという様子で首を横にふると、タケトの顔に指を突きつけた。


「いいこと。次、同じ質問をワラワにしたら、今度は石化させて川に沈めますわよ? 」


 眼帯をしていない方の目で睨まれて、タケトは「ごめん」と謝る。川底の石にされるのだけは御免被りたい。


 タケトがあんまり肩をせばめてしゅんとしているので、ブリジッタもそれ以上怒る気力を削がれたのだろう。小さく嘆息すると、タケトの隣にちょこんと腰を下ろす。


「普通の人間は、そんなに長くは生きられませんことよ。せいぜい、五、六十年というところかしら。ワラワは……メデューサ族の生き残りなんですの。ですから、普通の人間とは成長のスピードも、老いる早さも違いますのよ。といっても」


 ブリジッタは、どこか遠くを見るような目をしながら言う。


「ワラワは、人間とメデューサのあいの子。ハーフってやつですわ。ですから、純粋なメデューサ族とも違う、半端ものってやつかしらね。人間にもなれず、メデューサとしても生きられない、中途半端な存在」


 そういう彼女の声はいつになく弱々しげで、普段、気位が高くて上から目線にいばっているブリジッタからは想像がつかない。そんないつもと違う一面を覗かせるブリジッタに、タケトはどう反応していいのかわからず、ただ黙って話を聞いていた。


 ブリジッタはピョンと切り株から降りると、フリルがいっぱいついた紫のスカートを翻して、くるっとこちらを向く。そのときにはもう、いつものブリジッタに戻っていた。


「でも。今はこれで良かったと思っていますわ。もしワラワの目が両方ともメデューサの目だったとしたら、両目とも隠さないと人間の社会では生きていけませんもの」


 ブリジッタの話しぶりからすると、生粋のメデューサは両目ともあの異形の目をしているのだろう。そして見るものを一瞬で石化してしまう。そんな目を両方とも持っていたとしたら、人間たちと暮らすには不便極まりないだろう。


 そのとき、乗合馬車の御者が呼ぶ声が聞こえた。そろそろ休憩時間もおわり。フィリシアに向かって出発するようだ。またしばらく、あの狭くて揺れる馬車で我慢しなきゃいけないかと思うとウンザリした気分になった。






 フィリシアの街のそばにある森で先についていたシャンテと合流すると、四人は情報提供のあった自警団の詰所へと向かった。ウルは、いつものように森に身を隠してお留守番。


 フィリシアはフィル河という大河の下流にある大きな街だ。フィル河のほとりに、石造りの家々が広がっていた。このフィル河は交通の要所になっており、船を使った商業流通の中心地として賑わっている。河には大小さまざまな帆船が行き交っていた。


「うわー、すげー」


 街中には縦横無尽に水路が走っていた。その水路を渡るために、街の中にはあちらこちらに橋がかけられている。そんな橋のひとつから、タケトは下を覗き込んだ。


 ふちすれすれまで水が湛えられた水路には、黄色く濁った水が結構な勢いで流れている。顔をあげると、水路の濁流だくりゅうがフィル河へと流れ込んでいるのが見えた。フィル河の川幅は東京の荒川くらいだろうか。河の水が黄色っぽい色をしているのは、泥を多く含んでいるためだろう。


「なんだか、前に来たときよりも水の量が多いみたい」


 不思議そうにするシャンテに、ブリジッタが当然でしょ? というように腰に手を当てて答える。


「いまは春先なんでしてよ。もっと上流にある山々から、大量の雪解け水がここに流れ込んでいるんですわ」


「あ、そっか。さすがブリジッタ、物知り」


「それに」


 そう言うブリジッタの表情が一瞬陰る。


「先月の豪雨の影響もまだあるのでしょう。この河の水かさが増して、浸水した町や村もあると聞きましたわ……この街はある程度、浸水しても大丈夫なように作られているらしいけど」


 言われてみると、街の建物はどれも丈夫そうな石造りで、二階以上の高さがあった。一階部分にはドアが一つついているだけで、窓がない。浸水して水かさがませば、一階は閉じて上階に避難するような構造になっているのだろう。


 きっと水はかなり引いてはきているのだろうが、まだ水路には溢れんばかりの水が流れている。どこからきたのか、木の板やタルのようなものも流れていた。


「ここに落ちたらやばそう……」


 河の流れをずっと見ていると、うっかり足を滑らせないか心配になってきた。タケトはぶるっと身震いをすると、ブリジッタたちの後についていった。


 ブリジッタたちは港のそばのとある建物の前までくると、その木戸をノックする。石造りの三階建ての建物だ。

 木戸の横には『フィリシア港 自警団詰所』と看板がかけらていた。

 

 戸から顔を出した自警団の人に中へと案内されて、二階にある会議室のような部屋へ連れていかれる。室内に入るとすぐに、奥に置かれた小さな檻が目に付いた。クリンストンが、足早に駆け寄る。


 木箱に鉄の棒が嵌められた小さな檻には、体長三十センチメートルほどの緑色の毛並みをした生き物がいた。ふさふさの尻尾、アーモンド型の黒く大きな瞳。そして特徴的なのは眉間についた真っ赤なルビーのようなもの。その生き物は、大きな瞳で目の前のクリンストンを見上げると、小首を傾げて不思議そうにみつめていた。あまり警戒心のなさそうな、その愛くるしい表情は何とも可愛らしい。

 

 そう。これが、カーバンクルだった。

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