第3章 カーバンクル&ケルピー

第16話 付与師って何だ?


「ふぁ……おはよう」


 タケトは目を覚ますと、目の前にあるいつもの光景を眺めながら「俺、なんで目が覚めるといつもここにいるんだろう」とぼんやり考えていた。


 その声に反応したのか、大きな顔がこちらを向く。じっとタケトを見つめてくる二つの巨大な目。ウルだ。

 今朝も目が覚めると、タケトはウルのお腹の上にいた。


(……おっかしいな。なんで毎朝、目が覚めるとここにいるんだろうな)


 昨日も寝るときは、ウルから離れたところで横になったはずなのだ。それは間違いない。毎晩そうなのだから。

 でも目が覚めると、なぜか百パーセント、ウルのお腹の上にいた。


 初めは驚いて叫んだりもしたけれど、最近は少し慣れてもきた。それに、ウルのお腹の上はじんわりと温かくて、特にお腹は毛がふわふわしていて気持ちが良い。


(まさか俺。寝ぼけて徘徊してるわけじゃないよな……)


 この世界に来るまでは、よほど深酒でもしないかぎり、目が覚めたら寝る前とは違う場所にいたなんてことはなかった。毎日、普通にベッドで寝起きしていたし、たまに寝ぼけてベッドから転げ落ちることはあったけれど、せいぜいその程度だ。


(俺が寝ぼけて自分でウルの腹にのぼってるっていうんじゃなけりゃ……ウルがわざわざ俺が寝たあと、口で咥えてのっけてるってことか?)


 毎晩? わざわざ? なんだかそれはとても奇妙なことのように思えたけれど、ほかに上手く説明もつかない。


(なんだろなぁ……)


 釈然としないものを感じながらも、タケトは頭をガシガシと掻くと、もそもそとウルのお腹の上から降りた。




 それから、数時間後。


「……あ、はい……大変おいしいです……」


 タケトは人見知りスキルを思いっきり発揮しながら、フォークに刺さったパイをパクっと口に頬張っていた。


 ここは王宮の魔獣密猟取締官事務所にある応接セット。そのソファに腰をおろしたタケトの前には、皿に乗ったパイと紅茶が置かれている。パイ生地はほどよく焦げ目がついて、中からはリンゴとモモを足して二で割ったような果物がのぞいてる。甘みが強くて美味しい。


 そして。

 目の前には、にこにこと笑顔を輝かせる一人の女性がいた。


「ほんと? 喜んでいただけて、光栄だわ」


 彼女は嬉しそうに手を胸の前で組むと、


「さぁ遠慮なさらず、たくさんあるからいくらでも食べて? 」


 と彼女の膝に置いていた大皿をタケトの前に差し出す。その皿の上の、ホールのパイからは、シナモンのようなスパイシーで甘い香りが漂ってきた。


 彼女は、年のころは三十前後といったところ。ふわふわとゆるく肩におろした柔らかい茶色の髪に、さっきからこちらに向けてくる茶色の瞳の眼差しはひたすら温かい。そして、腰のあたりをキュッと紐でしばるタイプの裾の長いワンピースを着ているので、もともと豊満そうな胸が余計強調されている気がする。


 さらに、彼女が座るソファの向こう側では、五歳くらいの男の子がちょこまかと走り回り、彼女の背中にはまだ一歳にもなっていないと思われる赤ん坊が、すやすやと寝息を立てていた。なんだか彼女自身からも、パイの香りとは違う、どことなく甘い香りがするような。


 服が窮屈そうな彼女の胸が目の前にあってちょっと目のやり場に困りながら、タケトはカップを傾けて紅茶をちびちび飲みつつ、思う。


(……この人、誰!?)


 この異世界に来てから、一週間。

 ここの魔獣密猟取締官事務所の面々とはだいぶ打ち解けられてきた気がしているが、こんな女性は初めて見た。


 この国では国教によって週に一回休息日があるらしく、今日がその休息日だった。そのため本当は職場に来る必要はないのだけど、シャンテがウルの散歩に出かけてしまって暇を持て余していた。それで、なんとなくぶらぶらとここにやってきたら、彼女に捕まったというわけだ。


(誰なのかわからない人と、二人っきり……。いや、ちびっ子たちはいるけど。まじまじと見つめられながらお茶するのって、つらい……)


 どうやってこの部屋から出ようかな、なんて考えを巡らせるものの、それにしたってこのパイは本当に美味しい。こちらの世界の食事は基本的に黒パンに、エールという名の黒ビール、それにキャベツの酢漬けとか豆のシチューとか、たまに肉っていう感じの素朴な味のものが多い。

 そんな中、このパイは、タケトがこの世界で食べたものの中では断トツの美味しさだった。


(このパイ食べてから、実は用事があってとか適当なこと言って失礼しちゃうか……いや、やっぱお替わりもらってからにしようかな)


 なんて考えながら、つい頬張りすぎたパイを紅茶で流し込んでいたら、突然背中をドンと押されて、うっかり喉につまらせる。

 涙目で咳き込んでいると、よく知った声が後ろから飛んできた。


「マリーのお菓子を独り占めしようなんて、百年早いですわよ」


 ブリジッタだった。


「独り占めなんか、してな……ゲホッ、ゴホッ」


「あ、マリーさん! こんにちは! わー!! パイだ、美味しそう……!! って……タケト、どうしたの?」


 と、これはシャンテ。いつもよりも声が弾んでいる。


 タケトは、ソファの隣にちょこんとお行儀よく腰かけたブリジッタに「何すんだよ、いきなり」という抗議の涙目を向けてみた。しかし、ブリジッタは意に介した様子もなく、ぷいっとすました顔をしている。


「みなさん、ごきげんよう。今日は休息日だから誰もいらっしゃらないかと思ったけれど、来てみて良かったわ。みなさんの分もたっぷりありますから、お茶にしませんか? 」


 マリーと呼ばれたその女性は、切り分けたパイを皿にのせると、ブリジッタとシャンテにフォークを添えて渡す。


 シャンテだけでなく、あの気位の高そうなブリジッタですら嬉しそうに受け取っていた。このマリーのパイには、何か人を惹きつける魔力でもあるのかもしれない。


 タケトを挟むようにしてブリジッタの反対側に腰を下ろしたシャンテは、機嫌良さそうにパイをフォークで口に運んだ。幸せそうにモグモグしているシャンテの姿が微笑ましくて、タケトはしばらく眺めていた。

 そのうち、あることを思い出して「そうだ」と呟く。彼女に聞きたいことがあったんだった。


「ん? 」


 フォークを咥えたままこちらに視線を向けたシャンテに、タケトは言う。


「食べ終わってからでいいんだけどさ。教えてほしいことがあったんだ」


「ん? 今でもいいよ? このあと、ウルとちょっと遠くの森まで午後の散歩に行こうかと思ってるし」


 まだ散歩にいくんかい! あれだけ身体がでかいとそんなに散歩量必要なの!? と言いたくなったけれど、とりあえず、今聞きたいのはそれではない。


 タケトは、腰のホルスターから精霊銃を取り出すと、そのレンコン状の回転式弾倉を指でずらして、弾倉の中に入っている魔石を取り出した。弾丸の薬莢のような長い楕円体をしたそれが、バラバラと六個、タケトの手のひらの上に落ちてくる。


 六個の魔石のうち、試し撃ちに使った一つは真っ黒い色になっていた。最初に弾を込めたときは、たしかルビーのような鮮烈な赤色をしていたはずだ。どうやら、精霊を使用すると中に封じ込められている精霊が出てしまうため、元の魔石の色に戻るらしい。


 試しに使用済みの魔石で撃ってみたりもしたけれど、空薬莢で撃ったときのようにただ引き金がカチッと鳴るだけで、精霊の弾は出てこなかった。


「これさ。一度しか使えないみたいなんだけど、弾の補充ってどうやればいいの?」


「ああ、これ? うーんとね。火の精霊を入れたかったら、焚火の中にでもしばらく放り込んでおけばいいよ。そうすれば、また火の精霊が溜まるから。でも、この魔石って全部、火の精霊用なのかな……? マリーさん、これ、何て書いてあるの?」


 シャンテは、タケトの手から赤い魔石の弾丸を一つ摘まみあげると、マリーに手渡した。マリーはシャンテの前に紅茶のカップを置くと、代わりにその魔石を受け取る。彼女は魔石を手のひらで転がすようにしながら眺めた後、じっとその表面を見つめた。明らかに、文字を読んでいる目だ。


「マリーさんはね。付与師ふよしさんなんだよ」


「付与師?」


 聞きなれない言葉に、タケトは聞き返した。


「魔石って、それだけだとただ精霊の力を封じ込めるだけしかできないんだけど。この周りに書いてある文字、精霊文字っていうんだけどね。それで命令文を書きつけることで色んな効力を発揮できるのね。で、その精霊文字で魔石に命令を付与する人が、付与師さん」


「へぇ……」


 この魔石の周りに書いてある文字はとても複雑で、誰にでも書けるものではないのだそうだ。確かにタケトは、カロンに無理やり飲まされたあの魔石のおかげで、公用語の文字は読むことが出来る。しかし、この弾丸に書いてある文字はさっぱり意味がわからなかった。


 精霊文字を解読し終わったらしいマリーから魔石が戻ってきた。


「そうね。この魔石に書かれているのは火の精霊のことだけね」


 ということは、ここに書いてある文字を変えることができれば、ほかの精霊を取り込んで弾丸として使うこともできるんだろうか。そんなことを考えていたら、マリーにもそのことが表情で伝わったようで、彼女は柔らかく微笑みを浮べた。


「知り合いの魔石屋さんにその形に石を加工してもらって、ほかの精霊を取り込める魔石の弾を作ってさしあげましょうか?」


 その言葉に、タケトは顔を喜色させる。


「ほんとに!? うわっ……お願いします!」


 願ってもないことだった。色々な精霊を使うことができれば、いざというときにと

れる手段の幅が広がる。それに精霊銃用の魔石が沢山あれば、銃の練習だってできる。


 正直。あのフェニックスの一件では、反省することも多かった。もし自分がすぐに銃を撃っていれば、もっと早くに密猟者たちを制圧できたんじゃないか。雛たちを危険な目に合わせることもなかったんじゃないか、と何度も自問した。


 撃てなかったのは、自分の腕に自信がなかったからだ。効果が強すぎて相手を消し炭にしてしまったらどうしよう、焦点がずれて雛たちに当たったらどうしよう……と心配が頭を過ぎり、引き金をひけなかった。次はもっと上手く立ち回れるように、精霊銃の練習をしたい。


 弾が沢山あれば、それができると内心喜んでいたら、ブリジッタが冷たい視線を投

げてきた。


「タケト。まさか、ただで貰おうなんて思っていませんですことよね?」


 え……と、タケトは言葉を詰まらせる。代金のことなんて、まったく考えていなか

った。


「……魔石って、高いんです……か?」


 (どうしよう。そもそも俺、金なんて持ってないし。シャンテに食事と寝床はお世話になってるし、服はカロンのお古を貰ったから、いままで金なんか無くてもなんとかなったけど。そういや俺、給料って貰えるんだろうか……)


 そんなタケトの不安を、マリーは打ち消すようにころころと朗らかに笑う。


「精霊銃用の弾丸は作ったことがないので、まずは試作品ということで無料でお渡ししますわ。気に入ったら、次は注文してくださいね」


 それは、もちろん。と、タケトは頷く。試作品とはいえ、とりあえずタダでもらえるのは、すごくありがたい。


「タケト。マリーさんからの注文は、絶対にお金、ちょろまかしたりしちゃダメだよ。マリーさんの旦那さんすっごく偉い人で、マリーさんのことすっごく愛しているんだから。旦那さん怒らせちゃったら、タケト、この王宮にいられなくなっちゃうよ~」


 なんてお替わりのパイを食べながら、シャンテが脅すような口調で言ってくる。


「マリーのご主人は、いまの近衛騎士団長このえきしだんちょうなのよ。まぁ、この国を動かす実力者のひとり、ってところかしらね」


 と、これはブリジッタ。当のマリーは、「愛してるだなんてー」とシャンテの言葉に顔を赤らめて、恥ずかしそうにくねくねしている。

 うん。絶対この人と旦那さんのことは怒らせないようにしよう、とタケトは心に決めた。


 そのとき。バンと扉が開いたかと思うと、官長が室内へ靴を鳴らして入ってきた。その手には丸めた紙が握られている。官長はタケトたちの前で足を止めると、握っていた紙を突き付けてきた。


「仕事だ。フィリシアの港街で魔獣がみつかった。無許可商売をしていた奴らを自警団が摘発したら、そいつらの売り物の中に違法魔獣がいたってんで、こっちに依頼があったんだ。すぐに調査に向かってほしい」


「何の魔獣ですか?」


 シャンテの問いに、官長は巻紙をほどくと、中に描かれていた絵をシャンテの前に掲げる。

 そこには、リスのような形の、尻尾がふさふさっとした動物が描かれていた。しかし明らかにリスと違うのは、その頭部になにか石のようなものがくっついていることだ。


「おそらく。カーバンクルだろう」


 新しい案件のはじまりだ。

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