第14話 フェニックスの怒り


 タケトと大男の乱闘が始まる、少し前のこと。

 シャンテとカロン、それにブリジッタにウルの三人と一匹は、林の木陰に身を潜めて廃屋の様子を伺っていた。


 ブリジッタは足を前に投げ出した格好でぺたんと地面に座り、高木に背を凭れさせる。そばにはウルとシャンテもいた。ウルは草むらに身を隠すにはあまりに大きすぎるので、隠れるというよりは漆黒の毛並みを上手く利用して、夜闇に紛れていると言った方がいいだろう。


「ふああああ」


 ブリジッタは小さな手を口にあてて欠伸をする。待ちくたびれて、少し眠たくなってしまった。凝り固まった首を伸ばすようにして、背を預けている高木を見上げる。


 その高木のずっと上。ブリジッタからは見えないが、上の方の枝にカロンがいるはずだ。彼は双眼鏡で廃屋を見張っていることだろう。普通の人間なら、月が出ているとはいえこんな真夜中では視界がかなり悪いはずだが、獣人であるカロンは夜目が効く。昼間と全く同じというわけではないそうだが、廃屋の周りで誰が何をしているか分かる程度には見えるらしい。


 木が揺れて、上からパラパラと葉っぱが落ちてきた。カロンが降りてきたようだ。ブリジッタが髪にひっかかった葉っぱを忌々しげに取っていると、カロンがとんと地面に降り立った。


「いま、タケトから合図がありました。やはり、あそこに雛はいるようです」


「わかった。じゃあ、すぐに行こう?」


 ウルに凭れて休んでいたシャンテが立ちあがると、淡い水色のワンピースについた土をパッパッと払いながら言った。彼女の美しい銀髪によく映える可愛らしい服だが、こうやって王宮の外に仕事で出るときは、ウルに乗りやすいようにその下にさらに白いズボンを履いているのをブリジッタは知っている。


 ブリジッタも相変わらず、紫を基調にしたひらっひらのドレスだ。昔、カロンに「そのヒラヒラしたの邪魔じゃないですか?」と言われて、ついカロンを石化させてしまったこともある。それ以来、カロンは何も言わなくなった。レディにはレディの事情ってものがあるのだ。そういう女心がこの黒豹男は全くわかっていない。


 そのカロンは手に持っていた双眼鏡を肩掛けカバンにしまうと、シャンテの言葉に頷いた。


「はい。僕と、シャンテで廃屋に入ってタケトと合流、密猟者たちを捕縛してきます。ブリジッタはウルと一緒に、廃屋の外に逃げる奴らがいないか見張っててください」


「わかっていますことよ」


 相変わらずの尊大な口調でブリジッタは答えた。


「じゃあ、行ってくるね。ブリジッタ」


 シャンテが、頑張るぞっというように手をぎゅっと胸の前で握った。そういう姿を見ていると、なんだか可愛らしくて、ブリジッタの口元にフフと笑みが浮かぶ。


「ええ。行ってらっしゃい。くれぐれも無理はしないようにね」


「うん。ブリジッタもね。ウルもブリジッタのこと、よろしくね」


 シャンテの言葉に応えるように、ウルはワフッと小さく鳴いた。

 廃屋へ向かう二人を見送って、ブリジッタは、さてとウルを振り返る。


「ワラワたちも、この辺りを巡回していましょうか」


 ウルがその大きな口でブリジッタの身体を優しく咥えると、自分の背中にあげた。その首元に横向きに足を揃えて座るブリジッタ。ウルが立ちあがると、ぐっと視線が高くなっていっきに視界が広がった。


「さぁ、行きましょう」


 ウルの毛を優しく撫でてブリジッタは言う。ウルは基本的にはシャンテの言うことしか聞かないが、このくらいの別行動ならば最近はできるようになってきたので非常に助かっている。


 ウルとシャンテの二人の結びつきはとても強い。それを時々、ブリジッタは羨ましいと感じることもあった。自分にもこんな頼もしい相棒がいれば、寂しい想いをせずにすんだのかもしれない、とそんなことを思うこともある。


「フフ。でも、こんな目を持ってたら、誰かと一緒に暮らすなんて無理ですわよね」


 なんせ、この左目を見ただけでみんな石化してしまうのだ。普段は眼帯をしてはいるが、一緒に暮らしているとうっかり外したところを見られてしまう危険もないわけではない。実際、朝に顔を洗っているところを偶然見られて、相手を石化してしまったこともあった。誰かと共同生活を営むには、なかなか厄介な体質だ。


 ブリジッタとウルは、廃屋の周りの林の中を巡回した。本来、森に住むというフェンリル種のウルは、まるで木々が自ら避けているんじゃないかと錯覚するほど、軽やかに林の中を進んでいた。


 と。しばらく林の中を巡ったところで、ブリジッタは何か甲高い鳴き声を聞いたような気がした。


「ちょ、ちょっと止まってくださらない? ウル」


 ブリジッタの言葉に、ウルは静かに足を止める。ウルの背中に腰掛けたまま、ブリジッタは夜の林に耳を澄ませた。しばらくして、またあの声が聞こえた。気のせいではない。細く甲高い、鳥の鳴き声。それはまるで泣いているようでもあった。


「こんな真夜中に、鳥の声……?」


 フクロウなどの一部の鳥を除いて、大部分の鳥は夜は目が見えないため活動しないことくらいブリジッタだって知っている。

 そのため、その声が非常に気になった。ブリジッタはウルに言って、木々が途切れている開けた場所へと出た。


 空を見上げると、月明かりに照らされた薄闇の中を一羽の鳥が飛んでいるのが目に入る。普通の鳥ではない。尾の長い、かなり大きな鳥だ。


「あれは……もしかして、シーラ霊峰のフェニックス?」


 間違いない。あのフェニックスだった。介抱したときの、弱々しい姿がブリジッタの脳裏に浮かぶ。飛び方が、まだ頼りない。しかし、必死に声をあげ、懸命に羽を動かして飛んでいた。


「雛を、探しているのね……」


 ブリジッタの人形じみた精巧な顔が歪む。鳥目で夜の空を飛んでも何も見えないだろうに、居ても立ってもいられなくて、飛び出してきたのだろう。ああやって、雛たちに鳴き声で呼びかけながら探しているに違いない。


「フェニックス!!! 雛なら、あそこよ!!!」


 たまらず、ブリジッタはフェニックスに向けて声をあげた。

 しかし、距離が離れているため、フェニックスに声が届いている様子はない。


「ウル、あのフェニックスを追いかけるわよ。雛の場所を知らせましょう」


 ウルはブリジッタの指示を理解して、すぐに駆け出す。ウルの足だと、少し駆けるだけですぐにフェニックスの真下へと追いついた。


「フェニックス!!! 無理をしないで!!! 雛なら、あそこ!!! いま、ワラワの仲間たちが助けるから!!!」


 ブリジッタの声に気づいたようで、フェニックスが空中で羽ばたいたまま、じっとこちらを見降ろしてくる。上空にあがった月を背にしたフェニックスの姿は何とも神々しい。そして、フェニックスはゆっくりとブリジッタが指さす先に顔を向けたように見えた。上空からなら、林の向こうにある廃屋の屋根が見えたことだろう。



 クィィィィィィィィィィィィ



 甲高い声でフェニックスが一つ鳴いた。さっきまでの泣くような声とは違う。大地を震わせるような力強い声だった。


 その声とともに、フェニックスの身体が一瞬にして燃え上がる。頭も羽も、長い尾も煌々こうこうと燃えさかる炎に包まれた。

 ほむらまとう雄姿。それこそ、フェニックス。神と崇められた、ヒノトリの本来の姿だった。


 フェニックスは火の粉を散らして何度か羽ばたくと、まっすぐに廃屋の方へと向かって飛び去った。


 そして、廃屋の上までくると、何度も強く大きく翼を羽ばたかせる。羽ばたけば羽ばたくほど、その身体に纏う炎が大きくなっていき、フェニックスの姿が見えなくなるほどの炎の塊となった。


 最後に一度フェニックスが鋭く鳴き、一際大きく羽ばたいた。それに合わせて、纏っていた炎の塊がフェニックスの身体から離れて廃屋の上にドンと落ちる。

 廃屋は太い火柱に包まれた。


 「うわぁ……、大変なことになりましたわ……」


 林の向こうから燃えあがる真っ赤な火柱を見ながら、ブリジッタは呆然と呟くほかなかった。

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