第7話 魔生物保護園の犬?
「さあ、乗って?」
伏せたウルの首根っこあたりに跨がるシャンテに促されるものの、タケトは躊躇っていた。
(え……この、巨大な犬に乗るの?)
伏せた状態にも拘わらずウルの背中はタケトの背よりも遥かに高い。さらにこれが立ち上がって走るわけだろ? 正直ちょっと……というかかなり怖い。高所恐怖症というわけではなかったが、それでも高さが全く平気なわけではない。
ウルが口のはしに引っかかっていた牛の足のようなものを、わずかに首を動かして跳ねあげるとパクッと口の中に
(いやいやいやいや……)
いま、ウルがちょっと首を動かしただけで、首根っこに跨がってるシャンテの身体が結構揺れてましたけど!? 落っこちそうってほどじゃなかったけど、しっかり捕まってないと危ないくらいには見えましたけど!? そんなことを思って、心の中で冷や汗を流す。
「ほら。大丈夫だって。ウル、すごく
シャンテが輝くような笑顔で、こちらに手を差し出してきた。
「う、うん……」
バリボリと砕かれる骨の音に『
さっきシャンテが上っていたところを見ていたので、見よう見まねで同じようにやってみる。ウルの長い毛を掴んでその横たえられた太い前足の上にあがり、そこからさらに背中へとよじのぼっていく。シャンテの近くまでいくと、彼女が手を引いてひっぱりあげてくれた。そのまま彼女の手に導かれるままに彼女の後ろに跨がる。
「しっかり掴まっていてね」
(え? どこに? どこに掴まればいいの!?)
どこを支えにすればいいのかわからず戸惑うタケトに構うことなく、シャンテの言葉を合図にしてウルが立ち上がった。
「ひゃ、ひゃあ!!!」
ウルが立ち上がった拍子にぐらっとその背中が大きく揺れる。タケトは落ちそうになって慌てて前にいるシャンテの細い背中に抱きついた。しかし、シャンテはそれを特に気にする様子もなく、元気に右手を挙げる。
「さあ。魔生物保護園にむかって、出発ー!」
「ひゃああああああああああ……っ」
軽やかに森に向かってウルが駆けだす。その背中で振り落とされまいと、タケトは必死にシャンテの細い身体に抱きつくが、つい悲鳴が口から洩れる。口を開けていたものだから、ウルが大きくジャンプした拍子に思いっきり舌を噛んでしまった。
(舌痛い……)
ちょっと半泣きになりながら小一時間ウルの背に揺られて、着いたのは深い森の奥に開けた広場のような場所だった。
舌の痛さに気を取られていたせいで、森の中を木々を避けながらひょいひょいと駆け抜けるウルの背中にいるという恐怖がかなり薄れていたのは確かなので、まぁ、よしとしよう。ウルの背中から降りたあと、タケトは手を上げて軽く背伸びをすると、広場をざっと見渡してみた。
広場にはいくつかの大小様々な柵がもうけられていて、それぞれの柵の中には小屋のような物も見えた。ここには保護されてきた魔獣が数多くいると聞いていたけれど、いまはまだ日が高くて小屋の中に引っ込んでいる魔獣が多いのだろうか。角と羽の生えた白馬や、岩の上でひなたぼっこしている真っ青なトカゲくらいしか見当たらなかった。
と、視界の端にとっとっとと走る馬のようなものを捉える。そちらに視線を向けると、見覚えのある
「あ、あいつだ!」
ヒポグリフのいる柵へと駆け寄ると、タケトはその柵に手と足をかけて身を乗り出した。ヒポグリフもこちらに気づいたようで、その猛禽類独特の鋭い目を向けると、キュイ――と一声鳴いて翼を羽ばたかせた。腹に白い包帯が巻かれているのが痛々しくはあるが、思いのほか元気そうでタケトの顔にも笑顔が広がる。
「あのとき。ありがとうな! お前が俺を踏まないでいてくれたおかげで、助かった」
タケトの言葉が通じたのかどうかはわからなかったが、ヒポグリフはタケトの言葉に呼応するようにキュイ!ともう一つ鋭く鳴いた。
そのとき、背後から聞き覚えのない声がする。
「そのヒポグリフ。エサも良く食うんっす。すごく元気っすよ。元気すぎて、ケガの治りが遅くならないか少し心配っすけど。治ったら、またあの保護区に返す予定っす」
舌ったらずな若い男性の声に、タケトは柵から足を下ろして振り返る。
そこには作業着のような薄茶のツナギを着た、タケトより少し低いくらいの背丈をした、二本足で立つ茶色い毛並みの耳の垂れた犬がいた。
「はじめまして。俺はこの魔生物保護園で飼育員してます、クリンストンっていいます! あなた、さっきシャンテさんが言ってたマトリの新人さんっすよね。よろしくっす!」
(こ、こいつもカロンと同じタイプの何か、なんだろうか。とりあえず……人なんだよな? 毛深くて耳が垂れてて顔が犬っていうとこ以外は人間っぽいもんな)
まごまごしながらも、なんとなく差し出された手を握り返すタケト。クリンストンの手はタケトと同じく五本の指があったが、手の甲は顔と同じで短く茶色い毛でおおわれていた。手のひらにはあまり毛はないが、直前まで何かの作業をしていたのだろう、その手にはまだ乾ききっていない土がついていた。握ると思いのほか皮膚は固く、そのうえ強い力で握り返してくる。よく働く奴の手だなと率直に感じた。
そして、タケトはふと気になった単語を聞き返す。
「マトリ?」
「ああ、魔獣密猟取締官のことっす。なんでも密猟者たちが略してそう呼び始めたのが、いつの間にか定着したって聞いたっすよ?」
「へぇ……」
そんなことをクリンストンと話していたら、彼の背後からひょこひょこと跳ねる銀髪が見えた。シャンテだ。
「ヒポグリフ、元気にしてたでしょ?」
シャンテの言葉に、タケトは頷く。
「ああ。安心した。怪我が治ったら、また元の場所に戻すんだって?」
「うん。基本的にはね。ここは魔獣を保護して、元の場所に戻れるようになるまで一時的に預かる場所だから。中には、ここが
どこか悲しそうな口調で、シャンテはそう付け加えた。
そうだろうな、とタケトも心の中で思う。あっちの世界でも保護した密輸動物は、
基本的に動物園などに預けられるのが通常だった。元の生息地に戻すことはしない。密輸の途中で他地域を通過した個体は、その過程で様々な病原菌に触れてしまう。その個体を元の生息地に返すと、他地域の病原体を持ち込んでパンデミックを引き起こしてしまう恐れがあるからだ。
だから、密輸された動物たちは一生を故郷から離れた地域で過ごす。二度と、帰ることはできない。
こっちの世界はそこまで病原体についての認識がまだないのか、魔獣たちは普通の生物と違って病原体の感染の危険度合が違うのかはよくわからないが、元の生息地に返すと聞いて少し嬉しかったのは確かだ。やっぱり、もともとの生息地ほど生物にとって住みやすい場所はない。そこに返せるなら、それが一番だと思うからだ。
なんて事を考えていたら、突然後ろから髪の毛を引っ張られた。
「な、なに!?」
振り返ると、いつの間に近寄ってきたのか、ヒポグリフの大きな
「あなたの髪の毛の色。真っ黒いから、こいつらが大好物な植物の葉っぱと間違えたんじゃないっすかね。ダメだよ、ヒポ。これ食べても美味しくないっすよ?」
なんて、クリンストンはヒポグリフに語りかける。
「うう……俺、将来ハゲるかどうか遺伝的に微妙なんだから、髪の毛は大事にしたいのに……」
母方の親戚たちは高齢でもフサフサだけど、父方の親戚たちはかなり髪の毛が後退している人が多いので、そろそろちょっと気になるお年頃だったりもする。
しかしそんなタケトの気持ちとは関係なく、ヒポグリフは今度はタケトの髪の毛に正面から噛みついた。
いや、噛みついたというよりも、なんだか頭をハムハムされる。痛みはない。
「あれ?」
不思議に思っていると、くすくす笑うクリンストンの声が聞こえてきた。
「それ。甘噛みみたいなもんっすよ。気に入られたんっすね」
その言葉を肯定するようにキュイ!とヒポグリフは鳴いた。
「そっか。早く、よくなって元の場所に返れるようになるといいな」
そう言ってタケトがヒポグリフの首をガシガシと指で撫でてやると、ヒポグリフは、やっぱりこちらの言葉がわかっているかのような絶妙のタイミングで、もう一度キュイ!と鳴いた。
と、そこへ。一人の長身の男がこちらへ向かって走ってくるのが見える。
黒い肌に、黒髪、金色の瞳をした男。そのさらっとした黒髪からは、ぴょこぴょこっと黒く丸い獣のような耳が覗いている。薄灰色の軍服のような服は、どこかで見覚えがあった。
彼はタケトたちのそばまでくると、肩を大きく上下させて息を弾ませながら、神経質そうな手つきで眼鏡の位置をなおした。鼻にひっかけるタイプの眼鏡だ。
「シャンテ。やっぱりここにいたんですね。官長がお呼びです。急いで現場に行ってほしいと」
「急ぎの案件? わかった、すぐ戻るわ。ウル!」
彼女が口元に両手をあてて森に向かって呼びかけると、すぐに森の中からウルが駆けだしてきてシャンテの前に伏せた。
「ほら、タケト。あなたも急いでください。初仕事でしょう?」
いま初めて会ったばかりの彼に親しげに名前を呼ばれて、タケトは「え? あ、はいっ」と、きょとんとしたまま曖昧な返事を返す。そのタケトの反応を不思議に思ったのか、彼もこちらを見て首を傾げたが、「ああ、そういえば」と何かに納得したように頷いた。
「昨日も会ったでしょう。僕ですよ。カロンです。昨日は力仕事のあとだったので獣化していましたが」
カロン? という言葉で思い出すのは、昨晩、魔獣密猟取締官事務所で見た黒豹の頭をした男だ。そういえば、着ている服があのカロンと同じだ。鼻にかけている眼鏡も。ということは……。
「……え、ええええ!? あの、黒豹の頭したやつと、同一人物!?」
「僕たちは獣人という種族です。クリンストンもそうですが。あなたの世界には獣人はいなかったんですか? おっと、そんなことより。早く来てください。ウルで王宮へ戻ります」
「あ、……う、うん」
こうしてシャンテとカロンそれにタケトの三人は、ウルに乗って王宮へと急いで戻ることになった。速度をあげて走るウルの背中は行きの時よりも遥かに揺れて、タケトはまた舌を噛まないように前に座るカロンの背中にしがみつくので精一杯だった。
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