第2話 気がついたら、轢かれかけてた
何かがサワサワと頬に当たって、くすぐったい。
「う……ん」
さっきからこちょこちょと頬に触れるものを煩わしげに手で掴んで、タケトは目を開いた。
手のひらには草のもみ殻のようなものがついている。イネ科っぽいけれど、何の植物かはよくわからない雑草。
そんな雑草が多く茂る草むらに、タケトは仰向けに倒れていた。
(……あ。あれ……? なんで俺、こんなところにいるんだっけ……?)
肌寒い風がザワザワと辺りの草を揺らし、身体を上ってくる。
視界の先には、雲が厚く覆う灰色の空があった。今にも雨が降ってきそうな寒空だ。
(空が高いな…….って、ここ、どこなんだっけ……。あれ? なんか記憶が……)
はたと自分の記憶を振り返ってみる。
(……そういや、俺、飛行機の中にいたんじゃなかったっけ。黒い雲の中に入った途端、すごく揺れだして……。そんで急に飛行機の壁が……)
その飛行機から落下したのだということを思い出して、タケトはガバッと身体を起こした。
キョロキョロと辺りを見回してみる。三六〇度ぐるっと見渡せる、ひたすらだだっ広い大地。わさわさと生えた膝下くらいの雑草が、風に煽られて波紋のようになびく草っ原に、ただ一人ぽつんとタケトは座っていた。
(どこだ、ここ。……草原?)
まるで草の海の中にいるみたいだ。連なる山々の姿が遠くに見えるものの、残念ながらここから見る限りでは、人工物らしきものは一切見当たらない。道路らしきものすら見えない。
念のため自分の身体も見回してみるが、特に骨が折れたり動きにくくなっているところもなさそうだ。痛みも特段感じられないし、服が破れているところもない。
(俺、落ちたのに……なんで、なんともないんだ?)
最後に覚えているのは、乗っていた飛行機の壁をすり抜けて落下したこと。真っ暗闇に投げ出された、足下に何もない落下の感覚を思い出してギュッと胃が縮みあがる。たしかに落ちたはずなのに、気がつくとこの草むらにいた。
(助かった……のかな?)
自分の身に何が起こったのかはわからなかったけれど、とにかくここに落っこちてきたらしいことだけは理解できた。草むらだったのが幸いしたのか、結構な高度から落ちたはずなのに怪我ひとつしてないようだ。
タケトは、安堵のため息を一つ吐き出す。よくわからないけれど、とにかく命だけは助かったようだ。そう思うと、なんだかどっと疲労感が襲ってくる。極度の緊張から解放された反動かもしれない。石のように重くなりそうな身体を、タケトは後ろに倒してもう一度草原に仰向けになった。
(とにかく。人がいそうなところを探してみるか。飛行機はどうなったんだろうな。俺がいなくなってることに、誰か気づいてくれたりしてればいいんだけど……)
さわさわと風に吹かれて草が波立つ。少し冷たい風は、湿り気を含んだ青臭い香りがした。
飛行機が離陸してからすぐにファンタジー映画を見始めて、一本見終わったあたりであの乱気流に巻き込まれた。ってことは機内での滞在時間からして、自分がいるのは台湾のどこかか中国南部のあたりだろうか。いまいち地理の知識に自信がないので、当てずっぽうだ。
とにかく民家を見つけて、そこで大使館への行き方を聞いてみよう。なんてぼんやり考えていたら、なんだか身体が震えているような気がして、タケトは訝しげに自分の手を掲げてみた。
「え、なんか揺れてる……?」
震えているんじゃなくて、大地が振動していた。地震の揺れ方とは違う。小刻みな振動。身体に感じるその揺れは、そうしている間にも次第に大きくなってくる。
震動はやがて音を伴い始めた。どこからともなく響いてくるドドドドッという重低音が耳につき始める。状況を確かめようと、タケトは上半身を起こした。その視界の左端に、モヤモヤと湧き上がる砂煙のようなものが映る。
音は、もはやゲリラ豪雨の雨音のように大地を鳴らしていた。
(何かが、派手に砂煙あげながら爆走してる……?)
砂煙は蛇行しながらもこちらに向かってきているようだった。どんどん大きくなるその砂煙の中に、何か大きな影がいくつも動いていることが確認できたころには、もう砂煙はあと数十メートルというところまで迫っていた。
「え……え? え……!?」
砂煙の一団は、何度か方向を変えたあと、真っ直ぐにこちらに向かってきた。運悪くあの砂煙の進行方向に自分はいるようだ。
「うわ、うわ……こっち来んな!」
タケトは地面に手をついて立ち上がると、足をもつれさせそうになりながらも走り出す。しかし、背後からは砂煙の一団がグングン近づいてきた。砂や草を跳ね上げて、足音はまるでドラムの早打ちのようだ。
やばい、逃げなきゃと心が焦る。一刻も早くアレの進行方向から脱しなければ、巻き込まれたらひとたまりも無い。
砂煙をあげているものは、はじめは四輪駆動車か装甲車の類いかとも思ったが、よく見てみるとそんなごついものじゃなかった。もっと俊敏なものが複数、こちらに向かって走っている。
もう、砂煙の先頭にいるものの姿がはっきりと視界に入る距離まで近づいていた。
「な、なんだよアレ――!!!」
タケトは猛ダッシュで逃げ出す。砂煙の先頭にいたのは、サラブレッドくらいの大きさの馬だった。しかし、頭が違う。馬じゃなかった。あんな馬なんて、いてたまるもんか。
その馬は、下半身こそ筋肉質な馬そのものだったが、頭は、鉤爪のように曲がった黄色いクチバシをした巨大な鷲の姿をしていた。背中には大きな翼まで生えている。さしずめ鷲馬というところか。
四本足で
(うわー! うわー! なんなんだよー! なんだよ、もー! ひかれるっ……!)
もうこれ以上早く動かせないと思うほど懸命に手足を振って逃げるタケト。しかし
鷲馬の進行方向から逸れればいいだけなのだが、自分のすぐ後ろまで鷲馬の大きな前足の蹄が迫っていて逸れる余裕がない。迫る足音が機関銃の掃射音のようだ。
タケトは焦るあまりに、草に足を取られて
(やばっ、踏まれる……!)
勢いよく地面に倒れるタケト。咄嗟に頭を守ろうと腕で押えてうずくまり、ぎゅっと目を閉じた。
そんなことしてもあの太い足に踏まれれば何の意味もないだろうなと薄ら思う。その直後、地面を穿つ激しい振動と音がタケトのすぐ近くを通り過ぎて行った。
音が去ったあと、状況を確かめようとタケトは地面に手をついて顔を上げる。
(良かった。運良く、踏まれずに済んだ……)
ほっと安堵の息を漏らしながら、通り過ぎて行く一団に目を向けたタケトが見た光景は、予想外なものだった。
さっきまで大地を踏みしめて走っていた鷲馬が、バランスを崩したのか勢いよく横腹を地面に叩きつけていた。キュイ——と甲高く
「あ……」
目の前で、あの鷲馬が人間たちに取り押さえられている。
(……もしかして)
自分があの鷲馬に踏み潰されなかったのは、幸運だったからでもなんでもなくて。
(あの鷲馬が、体勢を崩してまで無理矢理、俺を踏まないように避けてくれたからなんじゃ……)
そのせいで、あの鷲馬はバランスを崩して倒れ、追ってきた人間たちに捕まってしまったんじゃないか。そんな思いが湧き上がってくる。なんとも言えない、申し訳ないというか、後味の悪い気持ちが胸の内に広がる。あの毛皮の人間たちは鷲馬を捕まえて、どうするつもりなんだろう。殺してしまうんだろうか。
狩りの様子を呆然と眺めていると、馬に乗る毛皮の人間の一人がこちらに気がついた。何やらこっちを指さしながら大声で怒鳴ってくるが、何を言っているのかは全くわからない。聞いたこともない言語だった。とはいえ、何やら怒っているらしいことは雰囲気でわかった。
「え……あ……」
さっきまで現地の人を見かけたら助けを請おうなんて考えていたが、いまこの状況を
(いや、無理でしょ! こんな隠れる場所もないようなところで、馬乗った相手から逃げ切れるわけないだろ!)
鷲馬に同情している場合なんかじゃなかった。今度はこっちが狩られる番だ。
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