魔獣密猟取締官になったんだけど、保護した魔獣に喰われそうです。
飛野猶
第1章 ヒポグリフ
第1話 飛行機の中にいたはずなのに
(嘘だろ!? 怖い……怖いよ、もうオウチ帰りたい……!)
タケトは頭を抱えて、うずくまっていた。機内アナウンスで、スチュワーデス……ではなくキャビンアテンダントから、そうしろと指示があったからだ。言われたとおりの体勢で足を踏ん張ってはいるが、床そのものが激しく上下左右に揺れるので、すぐにバランスを崩しそうになる。今にも身体をポーンとどこかへ投げ出されそうだった。
タケトはいま、乱気流に翻弄される飛行機の中にいた。
床が大きく跳ねるたびに、機内からは男のモノとも女のモノともつかない悲鳴が上がる。必死に歯を食いしばって不安を噛み殺していたが、実のところタケト自身だって今にも叫びだしてしまいそうだった。
タケトが乗るボーイング747型機は、タイのバンコクへと向かう途中の洋上で、突如発生した黒雲に突入。その直後から、激しい乱気流に襲われていた。嵐の中に舞う木の葉のように気流の中で翻弄されて、いつ墜落してもおかしくない状態だ。ジェットコースターより遙かに長い急降下を、もう何度経験したか覚えていない。
(やばいって。これ、やばいって。機内アナウンスも何も言わなくなったし。この飛行機、墜落すんの? 俺、ここで死ぬの?)
底なしの不安が、胸をチリチリと燻してくる。もし何かの幸運で無事に不時着できたところで、海のど真ん中に落ちても救助は来るものなのだろうか。いやそれよりも、無事に降りられるのか? いまどのくらいの高度にいるんだろう。落ちればどうやったって死ぬしかなさそうだし、それを考えると絶望的な気持ちになる。
(ああああああ、やっぱ、空港で見かけたチョコミントアイス、食べとけば良かったぁぁぁぁ)
死を真面目に意識しはじめたら、心の中に真っ先に浮かんできたのは、そんなしょうもないことだった。もっとこう、家族のこととか恋人のこととか、仕事のこととか思い浮かばないのかよと自分で突っ込みを入れたくもなったが、真っ先に気になったのがソレなのだから仕方がない。
実家の家族とはもう一年以上会っていないし、そもそも恋人なんていないし。そして、空港のターミナルにある洋菓子専門店の店先で、可愛い売り子さんがひらひらのエプロンをつけて盛んに呼びかけてたチョコミントアイスは、本当に美味しそうだった。
(くっそ……生きて帰れたら、絶対あの成田空港の店で見かけたチョコミントアイス、食べに行ってやる!)
なぜタケトが東シナ海の上空で飛行機墜落の危機にあっているのかというと、ことの発端は先週の金曜日に遡る。
タケトは大学を卒業して以来、三十二歳になるこの歳までずっと警視庁で働いてきた。いまは生活安全部生活環境課に勤務する現役の刑事だ。この課で扱うのは、国内外から持ち込まれる『種の保存法』違反や『ワシントン条約』違反の動植物取引。つまり、動植物の密輸や違法所持の摘発を行うのが主な任務だった。
その日、課長に呼び出されたタケトは一枚の紙を手渡された。少し厚みのあるその白い紙は、以前にも貰ったことがある。新しい辞令だ。
「
その辞令の紙には、『
「はい。最近、ペットとしても人気あるって……」
辞令の紙を黙読していたタケトに、課長はゆるゆると頭を横に振った。
「あれは元々、ペットに向いている生き物なんかじゃないのにな。アライグマなんかと一緒だよ。本来は野生の獰猛さを強くもった生き物だ。とても素人が好き勝手に飼い慣らせる相手じゃない。にもかかわらず、可愛い一面だけがテレビなんかで取り上げられて
課長は椅子に深く腰掛けたまま腕を組むと、厳しい目でタケトを見上げた。
「カワウソは現存している十二種全てが絶滅危惧種だ。特にここ最近密輸が相次いでいる、東南アジアのコツメカワウソは国際自然保護連合のレッドリストで絶滅危惧種Ⅱ類、ワシントン条約附属書Ⅱ。本来なら持ち込みには輸出国、輸入国双方の許可がいるはずだってのに、無許可でやたらめったら持ち込んでくるやつらがいる。どうやら日本人は、国内のカワウソを絶滅させただけじゃ飽き足らず、今度は他の国のカワウソを絶滅させたいらしい。密輸ルート解明のための先行調査を頼む」
「はい。すぐに現地に向かいます」
というやりとりがあって、いまこの東シナ海上空にいるわけなのだが、派遣先のタイに着く前に、運悪く飛行機事故で人生ジ・エンドになりかけていた。
もう何度目かわからない急降下が飛行機を襲い、機内は再び阿鼻叫喚に包まれる。
(ひゃーっ!)
身体の中に腕をつっこまれて内臓を押し上げられているような、そんな不快感に吐きそうになりながらも、タケトは座席で頭を抱えてうずくまった。
(嫌だ、怖い怖いっ。無理だから、こんなとこいるの無理だから! 死にたくない。誰でもいいから、誰か助けて! いますぐ俺を地上に連れてって!)
ちょっと泣きそうになる。いや、実際泣いてたかもしれない。なんかもう顔がべちゃべちゃになっているけれど、気にしている余裕なんてなかった。周りの乗客も半狂乱に叫んでいたり、ぐったりしていたり、泣いていたりめちゃくちゃだ。
そのとき。ふわと地面が持ち上がった感覚があった。永遠に思われた急降下が突然やんで、機体が安定したようだ。そこでタケトはようやく大きく息を吸い込む。あまりの恐怖にいままで息を吸うのを忘れていた。
タケトが座るのは飛行機後部のエコノミー席にある窓際の座席。左側には小さな窓があった。隣に座るサラリーマン風の外国人はさっきまで何やら知らない言語で叫んでいたが、今はぐったりしているところを見ると恐怖のあまり気絶したのかもしれない。こちらにもたれかかってくるその大きな身体を隣の席に押しやりながら、タケトはふと窓の外に目をやった。
窓の外は、昼間とは思えないほどの暗闇に包まれている。厚い雲の中なのだろうか。この黒い雲の中に機体が突入してから、酷く揺れ始めた記憶がある。その闇の中に時折、縦横無尽に稲妻が光った。
今もまた、飛行機のすぐ間近でバリバリという轟音とともに稲光が真横に駆け抜けていく。その光でほんのわずかな瞬間、窓の外が明るくなった。
(え……?)
タケトは目を
(なんだ……いまの……)
一瞬。ほんの一瞬で窓の外は再び闇に沈んでしまったが、稲光に照らされて何か爬虫類のような大きな顔が、雲間から浮かび上がったような気がしていた。
まるで、この機体と併走して飛んでいるかのような巨大な爬虫類らしきもの。
そう、あれはまるで……。
(ドラゴン……?)
飛行機トラブルの恐怖で幻覚を見始めているのだろうか。
一瞬、あの稲光の中に、この飛行機と併走して飛ぶ大きなドラゴンの姿を見た気がした。
(何、バカなこと……)
機体が揺れ始めるまで見ていた映画が頭の中に残っていて、パニックのあまり現実と混同しはじめたのだろうか。そういえばあの映画は、少し前に流行した異世界ファンタジーものの洋画だった。
しかし。アレは幻覚というには、あまりにリアルな質感をしていた。
タケトは、もう一度窓の外を確かめてみようと、身体を起こす。機外は相変わらず闇に包まれているが、今も時折遠くでピカッと稲妻が光っている。さっきのように飛行機の近くに雷が落ちれば、窓の外が明るくなって外の景色がどうなってるかがわかるんじゃないか。
もっとよく見てみようとタケトは座席のベルトを外す。そして、窓に手をついて顔を近づけた……つもりだった。
けれど予想に反して、手に伝わってくるはずの反発が感じられず、タケトの手はスルッと、まるで水面に手を差し入れたように何の抵抗もなく向こう側に通り抜けた。
「え……」
おかしい、と気づいた時にはもう遅かった。
「ふわっ!? あ!? え!?」
手に体重をかけていたせいで体勢を崩したタケトの身体は、機体の窓も壁もすり抜け、機体の外。暗黒の空へと投げ出されていた。
「きゃああああああああああ!!!!!!」
飛行機は無情にも飛び去っていく。その去りゆく機影に手を伸ばすものの届くはずもなく、タケトは稲光の轟く真っ暗闇の中を真っ逆さまに落ちていった。
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