『DEAD MOON DEAD NIGHT』

Passage2:──月が沈む。夜が終わる。

     夜明けと共に、お前は死ぬ──『DEAD MOON DEAD NIGHT』


 マルドゥック・シティの麻薬捜査官、フライト・マクダネルはダークタウンに足を運ぶ。

 捜査のためではない。そんなものは定時を告げる鐘の音と共にフライトの頭の中からはきれいさっぱり消え去っている。ポケットの携帯端末に、非常を告げる通信でも入ればまた話は違ってくるのだろうが、今夜はなんとなく大丈夫だろうというぼんやりとした予感の中に、フライトはいる。

 ──酒と、少量のドラッグ。

 酒は安いやつでいい。目新しいドラッグが入ったって、聞くしな。

 今のフライトの頭にあるのは、そんなくだらないことだけだ。

 フライトは地下へと続く階段を降りていく。目当ての店に辿りつく──“香龍庵カオルーファン”大陸系マフィアの息がかかった、向精神的で、健康的で、合法的な漢方薬、、、を販売している薬局。 

 ──建前上は。

 照度を落とした照明。据え置きのジューク・ボックスが安っぽい愛を歌っている。いかにも前近代的な阿片窟、といったアナクロニズムな内装。

 煙草混じりの饐えた酒の匂い。生薬の匂い。乾いた吐寫物の匂い。何だかよくわからない匂い──澱んだ店内の匂いを嗅いでいるうちに、フライトはなんだかいきいきとしてくる。

 店内を進む──奥のカウンターに座る/顔馴染みの店主──張石龍チャン・シーロン/もちろん、偽名、、、だ──に酒を頼む。

 「まず酒をくれ。シーロン。一番安いやつでいい」

 「ウチの店は酒類の営業許可は取っていない。飲茶だけだ。顔馴染みにうっかり酒を振舞ったところで、手錠をガチャンとやるつもりだろう、フライト・マクダネル刑事?」

 フライトはそれに大きく手を振って応える。

 「連邦の捜査官じゃねぇんだ。そんなに警戒しなさんな。おとり捜査みてぇな真似を、俺がするかよ」

 「そう広くもない地区だ。警官の顔は知れ渡ってる。特に、キャンディ好きな、甘党、、の刑事の顔はな」

 「違いねぇ」

 フライトはクツクツと笑う。──まったく、どうしてこんなことになっちまったんだか、とでも言いたげな自嘲の笑みが広がった。

 「その上、俺たち警察には、大陸伝来のサンピン組織の尻尾に噛み付くガッツもねぇときてる」

 シーロンから差し出された酒を煽る。安酒を煽るフライトを横目に、シーロンは愛飲の煙草──〝レッド・リミット〟に火を点ける。強いメンソレータムの匂いが、“香龍飯”の店内に広がっていく。

 自虐の中で浸る安酒は、ひどくフライトの胸の奥に染みていった。この街の警察は常に人手不足だ。戦争で男手が足りなくなったからだ。勇敢な男たちは皆、戦場に向かった。この街に残った若い男は、皆腰抜けか犯罪者だけだ。

──だからフライトのような腑抜けが、この街で警察をやっていける。

 「あんたらがたの臆病さは、信頼しているよ」

 「そりゃどうもだ。俺たちの臆病さと、あんた等の図々しさに乾杯ってやつさ。なぁ、シーロン。……こいつはただの個人的な興味から聞くんだが、最近この街に出回っている、ATL<エーテル>ってドラッグを知ってるか? 随分な人気みたいじゃないか」

 「それでも新しいキャンディの匂いには敏感なんだな。天国に行けるって触れ込みのドラッグだろ。……オクトーバー社で開発された新薬だが、インターネットの裏サイトで特製のレシピを公開した馬鹿がいる。ソフトドリンクの口当たりで、ダイナマイトみたく魂を爆発させちまうってわけだ。──こいつはもう、商売じゃないな。自殺に手を貸しているだけだ」

 「そんなに深く決まるのか?」

 「全盛期のジェイムズ・ブラッドマンの指捌ピックきで頭の中を引っ掻き回されるって言えば、オマエには、わかるか?」

 「そいつは……かなりヤバイ代物だな」

 「刃の欠片みたいなきらきらしたノイズの後に、幻想的な爆音がどこまでも広がっていく。合わせる酒の種類と体調にもよるが、シャープに決まれば、そいつが一晩中続く」

 「──あぁ。そいつは間違いなく天国行き、だな」

 「適量で入れば何てことないさ。一度にゼロ.三ミリグラム以内、アルコール度数が二十度以上の酒は避けろ。ウンディーヌの四十年ものあたりがいい。そいつがATLの安全圏ってところだろうな」

 「──その先は?」

 「オマエのハンドリング次第だな。──雪景色が見えるらしい。爆音の中に白いちらつきが見えたら気を付けな。引き返せなくなる」

 「一発で廃人クラッシュコースに乗りあげるってわけか。なるほどな、確かにそいつは商売にならない」

 当たり前の話だが、売人の多くはドラッグで客の肉体と精神を破壊したいわけではない。ゆっくりと客に薬物の耐性をつけていき、少量では効果が表れぬように薬物に依存させてから、末永くドラッグとお付き合いをしてもらう──この店の客のように。

 ATLのように微量で効果が大きすぎる銘柄は、売人からはあまり好まれない。

 「──いちから手取り足取り、指導コーチが必要か?」

 「おまえのコーチングはスパルタ過ぎるからな……。──深く決まりすぎて、小便と糞を漏らすのは、もう勘弁してもらいたいところだ」

 「おやおや。気持ちと言葉が一致していないって感じだな。口是心非コウ・シー・ジン・フェイ──オレの祖父さまなら、そんな風に言っているところだ」

 からかうようなシーロンの言葉に、フライトは曖昧な表情で返す。

 ──こいつのシゴキは、何事、、につけ、本当に容赦がないからな。

 「今、持ってるかい? 二gでいい」

 「相変わらず謙虚なことだ。“キャンディー・ドッグ”」

 キャンディー・ドッグはフライトに付けられた不名誉な綽名だ。麻薬キャンディを餌にマフィアの使い走り紛いのことをやる、甘いものに目がないバカな麻薬課の捜査員──それが、フライト・マグダネルという刑事に対する、ダークタウンでの共通見解だ。

 ピル・ケースからシーロンはカプセル状の錠剤を二粒取り出す/カプセルの中には薄く青い粉末のATL/カプセルをフライトは暗い照明に透かして、それを眺めてみる。

 「個人的に楽しむだけだからな。別に俺は街にヤクをばら撒きたい訳じゃねぇ。荒稼ぎをしてぇ訳でもねぇ。だから見逃されているし、目溢しをされている。──ジェイムズ・ブラッドマンの生演奏だぞ? 生きてる間だって単独ライヴはやってねぇんだ。聞き逃す手はねぇよ」

 「やっぱり変わり者だよ、オマエは。ま、ジェイムズの指捌きってのはオレの主観だけどな。……オマエのハンドリング次第で、会えるだろ」

 「ハンドル捌きは得意なほうなんだ。安全運転を心がけるよ」

 「そう願うよ。……ところで、実のところオレは、こいつをサバいてるドジ野郎に心当たりがあってな」

 「へぇ」

 「フラッド・ヴァーミリオン。身内、、を洗いな」

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