第3話 軋轢

 それは家族が一つにまとまる時間、ちょうど夕餉ゆうげのできごとであった。

 食卓へ鳴り響く一本の電話、固定電話を引っ張ってから、まだ数ヶ月しか立っていないというのにも関わらず、ディスプレイに表示された電話番号は、家族の誰一人として知らない番号だった。

 父親がおそる恐る受話器に手を伸ばすと、間に合わなかったのか留守番電話に切り替わる。

「もしもし……」

 電話越しに聞き覚えのあるかすれた声がはっきりと聞こえた。

 その声が聞こえた瞬間、今までにぎやかだった食卓が一気に静まり返る。

「もしもし……留守電を聞いたら一度連絡をくれ。お前たち家族にはとても迷惑をかけたと思っている。色々と申し訳なかった。謝って済む問題ではないこともわかっている。ただ、できれば一度会って話したいことがたくさんあるんだ。少しでも話す気になったら、いつでも連絡をくれ」

 その後、機械的な音声が録音の停止を知らせる。

 父親は電話の前で身動き一つせずに立ちすくんでいた。


「ねえ……今のお義父さんよね」

 母が鋭い眼差しで父親を見つめながら発した言葉へ、身じろぎもせずに呆然とその場へ立ち尽くす父親。

 しばらくの間が空いた後「なぜ、親父がこの電話番号を知っているんだ……」と一言ボソッと呟きながら右手を顔の辺りまであげ頰をさする。

 私は父の表情と仕草を見た瞬間、あることに気がついた。

 父は普段から嘘をつくときに右の頰を摩る癖がある。

 今まで幾度も繰り返し行われてきたその行為に、気がつかない筈がない。

 母は父のことを心の底から信用していたため、疑うことを今までまったくしてこなかったが、私は違う。


「お父さん。何か隠しごとしてない?」

 そう私が父へ語りかけると、母が「何言ってるの?」と困惑した顔で反論をし始める。

「お父さんが、隠し事するわけないじゃない。そうよね!あなた!」

「ああ……」

「あと、これだけはお願い。お義父さんへ折り返しの電話は絶対やめてね。あなたのこと信じてるから」

 母が父へ向かって投げかけると「ああ……」と一言返し、食卓へ並べられた料理に手をつけず、肩を落としながら自室へ向かう父。


 このときから母も父親の不可解な行動に、うっすらと気がついていたのかも知れない。

 あとの祭りではあるが、このときにもっと違う行動をしていれば、もっと父のことを考えて行動することができていたのであれば、父がこの世から姿を消してしまうことはなかったのだろうとも思う。

 祖父へ電話番号を教えたのは紛れもなく私の父親で、私たちとは違い、父方の家族である祖父の愛情を一心に受けていた父は、いくら騙されたとしても実の父親である祖父からの連絡を無碍むげにすることはできなかったのだろう。


 よくよく考えれば、仮に私が父と同じような立場であったら、同じ行動をしていたのかも知れないと今更ながら思う。

 それほど家族の絆というものは固い結束で結ばれているのだとも思うし、ある意味、呪いの一種であるのかも知れない。


 水無月の長雨に蛙の鳴き声が鳴り響く夜の最中、蛙の鳴き声に混じり、ボソボソと話す一つの太い声で目が覚める。

「ああ……わかった」

 父の声だと気がついた私は、耳を澄ましながら下階の廊下へと続く階段に、足を忍ばせゆっくりと近づく。

 階段へ到達すると手摺りにしがみ付き、一段一段声のする方向へ、つま先を縦に伸ばしながら下る。

 ゆっくりと体を揺らしながら階段の中腹へ差し掛かると、体を支える力に限界を迎え、足に力が入ってしまう。

 ギッと音を立てて鳴く段差へ、誰かが降りてきたことに気がついた声の主は、最後に「明日、またそこで……」と一言だけ発した後、受話器を置いて、こちらを確認することなく居間の引き戸へと体を滑らせ、居間へ引っ込んでしまった。


 その光景を見た私は(ああ、やはり……)と思いながらも、何も言わずに踵を返し、自室へと戻る。

 自室へ戻ると兄を起こさないようにそっと布団へ潜り、悶々としながら朝日が登るまでじっと待ち続けた。


 キッチンから奏でられる賑やかな食器の音が耳に届くと、続いて一階から私たち兄弟を呼ぶ母親の声が聞こえる。

 居間に家族が揃うと、何ごともなかったかのように父親がリモコンを手に取りテレビの電源を入れた。

 そんな父を凝視する私に、母は違和感を感じたのか「どうしたの?お父さんの顔に何かついてる?」と私へ問いかける。

「ううん。なんでもない。それより今日の朝ごはん美味しいね」と一家団欒の空気を壊さないように取り繕う私。

 父は私の視線に疑問を抱かなかったのか、平然と構えていた。

 

 この時点で父が今夜、祖父と会うのはわかりきっていたことなのに、なぜ止めることができなかったのだろうと考えると、後悔してもしきれない。

 しかし、本心から父が祖父と会うことを止めたかったのかと言うと、実際にはそんなこともなかったと後で気づいてしまう。

 私たち家族にとって、たった一人の大切な父親であっても、今まで父親らしいことを成したことがあっただろうか。

 昔の家で祖父にいじめられている私や母を一度でも心配して助けてくれたことがあっただろうか。

 そう思えば、止めなかった理由にも納得いくのではないかと思う。

 大切な家族であっても、何度も裏切られることがあれば、愛情なんて無くしてしまうものだ。

 むしろ私は大切な父親ですら、この時点で恨む対象になっていたのではないかと思う。

 その頃私はまだ幼かったため、心の底から湧き出るこの黒く淀んだ気持ちがどういったものであるか理解ができていなかった。

 その日からずっと、この黒く淀んだ感情が常に私を取り巻いていた。

 成人になった今ならはっきりと言えるだろう。

 これは、父に対する恨みの感情であると。


 その後、朝食を済ませて学校へ向かう私と兄。

 学校では、謎の感情にイライラしながら一日を過ごした。

 学校から戻り家でのんびりしていると、父から電話がかかってくる。

「今日は帰りが遅くなると、お母さんに言っておいてくれ」と一言私に告げると、電話が切れた。

(祖父に今から会いにいくのか)

 そう私が察すると、母が仕事から戻ってくる。

「はあ……疲れた」

「お父さんから今電話があって」

「なんだって?」

「今日帰りが遅くなるみたい」

「そう……」

 母は一言呟いたあと、何かを察したかのように目線を空に向け、何も言わずなんとも悲しそうな目をしながら夕食を作る準備に取りかかった。

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BASTARD Mirai.H @wandering_life

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