第2話 崩壊とともに
平成における中年世代の者は思い出したくもないであろう、経済史上最悪なできごとがきっかけである。
私という存在がこの世に生を受けたタイミングと言えば、そう、ちょうどバブル経済が崩壊し始めた頃のできごとだ。
私が産まれてすぐの頃は、不況の波が建設業界には完全に届いておらず、仕事もそこそこあった。
当時の好景気を楽しんでいた者は、常に浮かれていたため、後々どうなるのか想像もつかず、不況も一瞬のできごとであると楽観視していたことだろう。
私と母親は、家が金持ちでも祖父母からのイジメによる極貧生活を強いられていたので恩恵を受けたという記憶はまったくもってないのだが「まだ大丈夫、一時的なものだ」と祖父がしきりに言いながら、お金を湯水のように消費していたことを知っている。
その後、自分の家庭がどうなるのかも知らずに。
それからはあっという間だった。
大きな負債を抱えて、家は借金のカタに取られ、追われるように家を出なければならなくなる。
その頃、私には兄と姉がいて、ドラマでもよくあるような展開を迎えるのだが、裏稼業の人間に連れ去られそうになるという事件も発生した。
すんでのところでなんとか父親が引き止めたらしいが、その時の記憶は衝撃的すぎたのか、まったくと言っていいほど残っていない。
いよいよ家を出なければならなくなった際、祖父母は私の母と父に、大きな嘘をついた。
それは百万程度を返済に充てれば、家を追い出されないという嘘だった。
精神的に追い込まれている状態だったため、家が残るだけでもありがたいと思ってしまったのだろう。
父親にはもちろん貯金などない。
家族で真剣に話した結果、母親が私たちを育てるためにこっそりと貯めていた貯金を切り崩し、返済に充てるような形で話が進んでいった。
その夜は、不思議と安心しながら眠ることができた。
今まで辛かった分、何か一つでも救いがあるのなら人間は心から安心することができるのだろう。
次の日は、家族総出で祖父母を送り出す。
「これで返済が完了したら、家は大丈夫だから」
そのような台詞を口にしながら車に乗り、爽やかな顔をしながら家を出る祖父母。
まあ大概の人はここで気付くだろうが、祖父母がその日から帰ってくることはなかった。
祖父母の帰りが遅いことに心配した父親が電話をかけ始める。
何度コールをしても出ない祖父母へ次第に不信感を覚え始め「なんで出ないんだ!」と語気を荒げ、暴れ始める父親と、俯きながら声を押し殺して泣く母親。
兄が泣き出すと私も釣られて泣き、さながら地獄絵図のような状況だった。
母はここで一家心中も考えたと後々語っている。
数日間は無一文の状態が続き、食べることに困る生活が続く。
近所の目を気にしながら、ゴミ収集場に置かれた家庭ゴミを漁り、食べ物を探す生活、やっと食べ物を見つけたとしても、どこからともなくやってくる人間に「勝手に家のゴミを漁らないでよ!」と怒鳴られ、追い返される日もあった。
困窮した生活を送っていると、ある日姉が一万円札を握りしめて帰ってくる。
「お母さん……これ、知らないお婆さんがお母さんにって……」
一握りの優しい人間による、思いやりという人の温かさに触れた瞬間だった。
「誰に貰ったの?」
「名前を聞いたんだけど、最後まで教えてくれなかったの」
母親は一呼吸置いたあと「……そう」と一言だけ呟き、それ以上は何も言わなかった。
それからの生活は一変する。
慌ただしく母親が荷造りを始め、母方の実家へ戻る旨を私へ伝えた。
どうやら聞けば、父親と母親の結婚に母方の祖父母が絶対に幸せになることはできないと反対をしていたため、反対を押し切るような形で実質絶縁状態の結婚をしたらしく、久しぶりに実家へ頼りにきた母の
母方の実家は、今まで住んでいた場所からさほど離れてはいなかった。
初めて顔を合わせる母方の祖父母に、最初は戸惑いを隠せず母親の後ろに隠れていたものだが、次第に慣れてきたのか少しずつ話をするようになった。
母方の実家へ越してきてからの生活といえば、何に対しても初めてのことばかりで臆することもあったが、初めての経験をたくさんさせて貰うことができた。
越してきた当初、私は物凄く暗い目をしていたらしいのだが、どうやら暫く生活をしていくうちに段々と輝きを取り戻してきたそうだ。
母方の実家に戻って一番良かったことといえば、まっとうな食事を得られるようになったことだろうか。
暖かい食卓に並べられる数々の料理へ子供ながらに感動を覚えたことを今でも覚えている。
思えば、あの時に食べていた食事が人生の中で一番美味しかったとも思う。
それから数年が経過し、生計を立てるために父親と母親が仕事を探し始め、二人とも仕事が見つかると実家を出てアパートで暮らすようになった。
アパートで暮らすようになったきっかけといえば、二つ離れた兄の小学校の通学に不便だったことと、兄が今まで付き合ってきた友人たちと離れてしまうことに配慮して、アパート暮らしに変える方向で話が進んでいったようだ。
あの事件が起きた家から少ししか離れていないところでの生活になったため、引越し当初は色んなことが起きた。
楽しいこともあれば、それこそ恐ろしい思いをしたことだってある。
その中でも特に衝撃的なできごとだったのは、新興宗教の勧誘人が家の中へ強制的に乗り込んできたことだ。
あれには子供ながらに恐怖を感じた。
父親へ向かって「あなたには悪魔が取り憑いているわ」などと声を震わせて変なお札を手に持ち迫ってくる姿は、なんとも言えない恐ろしさを放っていた。
今、目の前でそんなことをされたら腹を抱えて笑ってしまうのだろうが、あの時の宗教勧誘人の演技は凄かった。
映画の脇役として出演すれば助演女優賞すら、かっさらえる程の演技力だったことだろう。
ただし今考えると、悪魔が取り憑いているという台詞、あながち間違いではないのかも知れない。
そんな恐怖を味わいながらも苦痛でなかったのは、上階に住んでいた年の離れた男の子と仲良くなって、毎日遊んでいたからだろう。
未だに顔を合わせれば「おう、久しぶり」なんて声を掛け合う仲であるのだが、お互い忙しいのだろうか、最近はまったく顔を合わせていない。
−−今、どこで何をしているんだろうな。
その後、年少組の一年間だけであったが、兄が通っていた幼稚園に通い、一年が経過したのち、また引越しをするようになる。
何がきっかけかと言えば、もう少し大きな家に住みたいというわがままがきっかけだったのだろう。
今度は元々住んでいたところからほんの少しだけ離れた地域へ引越しをする。
母親の希望通り、一戸建ての借家へ住むようになった。
その頃、中学生だった姉は一人部屋で、私と兄の二人は共同の部屋で生活をするようになる。
辛く、苦しい日々を乗り越えてまとまった一家族。
新しい生活にも慣れ始めていた。
あの頃のできごとを忘れさせるかのような温もりのある生活に、のんびりと流れる時間。
一言で言えば、幸せだった。
ただし、人生には波があるのだということを忘れてはいけない。
幸せの波が押し寄せれば、もちろんその幸せの波が一気に引いてしまうこともある。
それを思い知らされたのは、一本の電話が父宛にかかってきた時だった。
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