3

 ギギギ………と、ドアを開ける音。音を立てないように忍び足で歩いてくる。私の(正確には椿の妹の)部屋に無断で入る者は、どうやら椿のようだ。

 どうやら椿は不束者ふつつかものらしい。一応、分厚い掛布団と毛布を被って寝たふりをしておく。ここで彼に何かしらの攻撃をして、彼に変に思われても困るし。

 私の腰から下が熱く感じる。緊張しているのか、それとも興奮しているのか。

 ユラユラと近づいてきた椿は、嫌らしく、ベットリと、私の頬に触れる。うう、気持ち悪い。そのまま顔を近づけてくる。このままではまずい。エジプト煙草の独特のツン、とした臭いが私の鼻へ吹きかけられる。我慢できなくなって寝返りを打った。起きていることはバレてないか? 自分を落ち着かせるためと、さっきの煙草の臭いを忘れるために、毛布の香りを深く吸う。心拍数が落ちていくのが分かる。流石さすが、保育園児の頃から使っているだけある。かなり落ち着いた。

「…チェ」

 そういって椿は、少し乱暴に足を踏みしめ、部屋の外へと出て行った。

 ………もういいかな。

 そして、掛布団の中に居たに合図を送るように、足でを何回か蹴る。すると、はモゾモゾと動き出した。そういえば今私は体操服のままなので、もしかしたら短パンの隙間から中身が見えていたかもしれない。あとで感想でも聞いておこう。

 プハッ、ハー!と、布団から出てきたソイツ……椿は大きく息を吸った。なかなかに蒸れたようだ。今布団の中から出てきた方の椿は、こういうのだった。


「な?言った通りだったろ?」


 @


 数分前。

「この家に椿と私のほかにもう1人いる」と言った椿に、誰だ、と問いただすと。

「帰ってきた時に『僕』と出会っただろ? そいつだよ」

 と、衝撃発言をぶちかました。まあ嘘かと思っていたのだが、よくよく考えてみると煙草を吸っていた方の椿は確かに違和感があった。椿の能力は確か『人の思考が色彩化して椿の脳裏に浮かぶ』だったはずだ。なのにアイツは煙草を吸う際に、『手から火を出していた』。まあ、1人に複数の能力があるのならまた話は別だが。それに、いま目の前にいる椿が偽物かもしれないし。

「とりあえず、今家にいる偽物の僕をこの家から追い出そうか」

 そして、椿は立ち上がった。軍隊を率いる将軍のように勇ましい。椿は大きく息を吸うと、何か念じるように、椿が立っている地点から右斜め上の一点を見続ける。なんだ、幽霊でもいるのか?それともシミが気になるのか?

 しばらくして、椿は自信満々に私に向かって言うのだった。

 その言葉の意味を聞かなくてもわかる。「いた」とは偽物の椿が今見ていた方向に「」ということなのだろう。なるほど、椿の能力はどんな風に活用するのかと思ったら、そういう使い方があるのか。そこそこ便利じゃないか。

 そこまでして気づいた。能力に関してもう私は疑うことはなくなっている。そういえば、あの偽物の椿も『指から火を付けていた』。あれも能力なのかと一人合点する。

「今の方向だとあれは………、確か物置かな。適当に使わなくなったものとか投げ入れていたはずだけど」

 いや整理しろや。

「うーん、何かを探しているっぽいな」

 なぜそんなのが分かるのか。そう聞こうとして思い出した。『人の思考が色彩化する』のだ。多分「何かを探している時の色」というのをよく知っているのだろう。

「とりあえず、佐伯さんを呼ぼう」

 そう言って、何かを探すようにキョロキョロと辺りを見渡しはじめた。

「くそっ、この部屋には設置してなかったか………。仕方ない、新しいの買うか………」

 まさかこいつは。

「あんた携帯電話知らないの?」

「『けいたいでんわ』?なんだそれ。人の名前か?」

 ちょっと何を言っているのか分からない。が、なるほど、世の中にはこういうやつもいるのだな。学習した。

「ほら、こういうやつ…ってあれ?」

 懐を探すが見当たらない。慌てて部屋に無造作に置かれていた、今日学校に持って行ったバッグの中をひっくり返すがどこにもない。キャリーバッグもひっくり返そうとするが、そこで思い出した。


 やっべ、携帯折ったわ。


「『けいたいでんわ』ってなんだよ?ねえ、持ってんのか?」

 横で椿が何かを強請ねだる子供のように私の体を横に揺らす。私は魂が抜かれたようにボーっとしてしまっていたのだ。勢いでやっちまった。あまりの怒りに折ってしまったのだ。親の存在より、毎日電話していた別の県に引っ越した友達の方が心配だ。

「『携帯電話』っていう電話を持ち運べるような機械があってだな…、私は持ってたんだけど………、昨日折っちゃった」

「………そんな簡単に折れるもんなのか…?」

 いえ、そんなことはないです。たぶん。

「ま、まぁ、ニセ椿に気づかれずに連絡すればいいんでしょ?」

「うん。ここから出て右のほうにリビングがある。そこに電話があるが、僕の偽物が電話線を切ってたから多分使えない。さらに奥の電話室も同じだろう。」

 この家には『電話室』とかいう電話専用の部屋があるのか。豪華だな。

「でも、こういう時のために実はもう一つ、『電話室』を作っておいた。しかも佐伯さん直通のね。場所はここから左に行って階段を上に昇る。その後すぐの部屋、『寝室』のベッドの下に秘密の部屋へ入るためのパネルがある。そこの暗証番号は413…」

「ちょちょちょっと待って、私が行くの?」

「え?そうじゃないの」

 椿は私の顔を疑いの色一切無いような眼差しで私を見つめてきた。うぐっ…、ちょっと可愛い。無邪気な子供は可愛く見えて仕方がないのだ。コイツが何歳か知らないが。この幼児顔め。

「大体、僕が移動したら偽物にバレるだろ。でもシヨなら、堂々としていれば大丈夫。トイレに行く、とかそんな理由で」

「因みにトイレは?」

「一階の右の廊下の突き当たり」

 全然方向が違ぇじゃねえか。

「二人で行けばいいじゃん」

「二人だとバレる可能性が高い」

 ………まあ、確かに。

 はあ。行けばいいんでしょ、行けば。

 そう、独り言のように呟いて、ドアを開ける。



「何やってるんだ。 独り言ばっかり」



 自分の心臓が跳ね上がる音が聞こえた。

 息が詰まる、という慣用句をよく理解できた。ドアノブを握っている手に汗が出てつるつると滑る。

 見慣れた顔。ドアの前にいたのは、椿だ。。さっきまで見ていた椿とは違う。何が違うのか、言葉で説明しろ、と言われたら無理だが、。なんとなく。

 本物の椿は、ドアが開いた瞬間、ドアの内側に隠れた。かなりギリギリだった。いや、見えたんじゃないか。それでいて、このニセ椿は私をからかう為に気づかないふりをしているんじゃないか。

「い、いや、今からトイレに行こうと思って…」

「そうか。トイレの場所は分かるか?」

「分かるわ!ナメるな!」

 ニセ椿を押しのけるように曲がる。

「そっちじゃない。反対の方向だ」

 バレたか。

「うっさい!」

 急旋回して歩き出す。そのまま行けると思ったのだが。

 ニセ椿は、余裕綽々と私の様子を楽しむように紫煙を廊下中に撒き散らした。臭う。この臭いはお父さんを思い出すから、嫌いだ。

 トイレへ着くと何故か男女別トイレだった。トイレ掃除も大変そうだ。そういえば、この家の掃除はだれがしているのだろう。まさか椿が自分でするわけもなさそうだし、たぶん佐伯老人か業者にでも頼んでいるのだろう。

 トイレには入らずに、そのまま左へ音を立てないように曲がる。すると右にも階段がある。なるほど、どうやらこの廊下は2階の廊下に繋がっており、そのまま椿が言っていた『秘密の電話室』へと繋がる部屋へ行けるようだ。と、一応描写説明はしてみたものの、ほぼ1階と同じような感じであり、迷いそうだ。

 2階から3階へ続く階段がまだある。この家は一体何階建ての建物なんだ。いくらなんでも1人で住むような広さじゃないだろ。

 ふと、椿の家族の存在を考えた。あいつはここに1人で住んでいる。他の家族はどうしたのだろう。母親、父親、妹………。妹以外病気や事故で亡くしてしまった、とか。もしくは、私と同じように親の不倫での離婚や離別。執事の佐伯老人や、妹以外頼れる人物はいないのだろうか。

 そんな思考を巡らせながら忍び足で歩いていると、椿が言っていた寝室へたどり着いた。ここまでニセ椿に合わなかったのは奇跡ではなかろうか。ドアノブを握ると。まさかと思ってドアを開ける。


 そこには椿がベッドの上でぴょんぴょんとはねていた。


「ほっ、ほっ……、お、なんだ、ふふ。僕に用かな」

 ………間違いなくこいつはニセモノだ。私のことを舐め回すように見る深緋色の目。どうやら私と二人きりの状況で興奮しているようだ。ニヤニヤと笑いながら私に近づいて、手を私の肩に乗せる。手付きが嫌らしい。このまま往復ビンタを百回ほどしてやりたくなる。いや、逆に考えろ。今はこいつの心に油断が生まれている。隙を見てベッドの下へ入り込み、佐伯老人へ連絡しよう。

 ニセ椿は私の肩から手を離し、勢いよくベッドへダイブする。ぼふっ、と体を受け止めるやわらかい音が部屋に響くと、ニタニタとピエロのような不気味な笑みを浮かべてこう言うのだった。

「どうだ、こっちへ来ないか。悪いようにはしない」

 この変態野郎め。貴様なんか泥水で顔を洗って小石が目の中に入ればいいのに。

 目の前の駄目人間を侮蔑する言葉が、心の奥底で、まるで沸騰したお湯の気泡のように湧いてくる。しかし、ここで自分の心に正直に答え、殴ったとしてもチャンスは訪れない。能力で反撃される可能性だってある。こいつがどんな能力を持っているかは分からない。ヒントは『指先から火を出す』のみだ。単純に火を出す能力なのか、温度を上げる能力を持っているのか、光を使う能力なのか、今のところ断定はできない。

 覚悟、を決めた。

 後戻りはできない。

 

 体操服のシャツを脱いだ。


 一応スポーツブラはしているので大事な部分は見えていないと思うのだが、風が当たるのでいつもより寒く感じる。と、同時に変態ニセ椿の目が私に興味を移す。

 簡単な話、あいつの目を数十秒見えなくすればいい。

 ぐっと、恥ずかしさをこらえて、シャツをニセ椿の顔にかけた。

 ニセ椿は喜んでいるが、そこがねらい目だ。顔を塞ぐようにシャツでぐるぐる巻きにした。ニセ椿は興奮しているが、次第に事の次第が分かってきたようだ。

「なんだァ………離せよっ、この!」

 ニセ椿がベッドの上で慌てている隙にベッドの下に潜り込む。上で変態野郎が暴れ回って埃が大量に落ちてくるが気にしない。

「あった…、パネル」

 そこには、暗証番号を入力するパネルがあった。テンキーの上には数字を表示するディスプレイがあり、意外と高価そうだ。


(ベッドの下に秘密の部屋へ入るためのパネルがある。そこの暗証番号は413…)


 椿に言われた通り、『413』と打ってみて、エンターキーを押す。しかし『Error : not enough』と文字が出た。

「はあ!?413じゃないの!?」

 思わず声が出た。ニセ椿の様子を確認できない今、大声を出すのは場所がばれる危険性があるからやめた方がいいのはわかっていたが、それでも思わず。

「まさか………」

 暗証番号は4桁、の可能性が出てきた。数字を打つ前にアンダーバーが表示されているのだが、それはどう数えても4つあるのだ。椿は嘘をついたのだろうか。


(そこの暗証番号は413…)

(ちょちょちょっと待って、私が行くの?)


 ………いや、話を遮ったのは私だ。私が悪い。

 こうなったら、1から順番に打っていくしかない。いや、ここはあえて9から打っていく。吉と出るか凶と出るか。とにかく急ごう。

「あのクソガキはどこ行った…」

 どうやら上のニセ椿の顔に巻いてあったシャツが取れたようだ。ならなおさら一層急がなければ。


 4139

『Password is incorrect』


 4138

『Password is incorrect』


「この部屋からは出てなさそうだな………」

 ニセ椿の声がする。


 4137

『Password is incorrect』


 4136

『Password is incorrect』


「くそっ、どこ行きやがったァァ!」

 部屋を荒らす音が聞こえる。


 4135

『Password is incorrect』


 4134

『Password is incorrect』


(早く開けよこのやろうっ…!)


 4133

『Password is incorrect』


 4132

『Password concerned』


 そうディスプレイが表示すると、目の前の壁が開いて奥に進めるようになった。


「やった!」


 そして気づいた。あまりの感動に声が出ていたのだ。その後に訪れる静寂。

 だが、『捕食者』がそれを聞き逃すはずがない。


「み・つ・け・た」


 そう聞こえたかと思うと、足に何かを掴む感触。そのまま引っ張られる。

「あぁ……、あああああぁぁぁああああ!」

 どれだけ地面に爪を立てても止まらない。人差し指の爪が剥がれる。一気にベッドの外に引きずられ、そのまま私の体にニセ椿が覆いかぶさる。

(殺される…っッ)

 必死に抵抗するが、女が男に敵うはずがない。両手首を左手だけで押さえられてしまった。

「安心しろよ。燃やしてやる。ヒャッヤ!」

 ニセ椿は舌舐めずりをした。いや、もはやコイツは椿じゃない。全くの別物だ。顔がゴミ箱に入っている用済みのコピー用紙のようにクシャクシャに歪んでいる。唯一、深緋色の目だけが面影として残っている。

「……こ……ずが」

「ァア?なにぃ言ってるんだお嬢ちゃん。ヨク聞こえねェなあ!」

 ほう、聞こえないか。ならば大声で言ってやろう。私の最後の抵抗だ。

「こンのクズが!テメエはか弱い女の子しか襲えねエのかよ!人間として終わってンなア!」

 少し涙混じりの叫びだった。目の前の男は一瞬面食らったように私を見つめていたが。

「ヒャヒャヒャヒャヒャッヒャッヒャッヒャヒャヒャッヒャッヒャッ………」

 我慢できなそうに右手で大きく高笑いをする。

 そして歪んだ顔を私に近づけると。

「それが楽しいんだろうがよウお嬢ちゃん。俺の手の上で踊らされてさァア!それを眺めるのがなのさぁア!ヒャッヒャッヒャッヤ!」

 この目の前の男の姿が狼に見えてきた。獲物を求める獰猛どうもうな狼。涎を垂らし、今にも噛みつきそうだ。

「さあ、よ」

 狼の手のひらに炎が灯る。と同時に吸い込まれるような強い風が炎に向かって吹き付ける。私はコイツの能力に丸焦げにされる。肌がパリパリになってしまう。




 




「その前に、自分のことを気をつけたらいいんじゃないかな」

 その声は、私でもなければ、目の前の狼でもなかった。

「つぅ…、椿ぃいい………」

 そう、椿だ。目の前のクシャクシャとした顔面ではなく、しっかりとして少し幼さを残す顔。その後ろには佐伯老人もいる。

「ああ?ガキとジジイ2人で何ができるってんだよ。その前に燃えちまうぜェえ」

 ニセ椿は私の体から身を起こして戦闘態勢に入る。


 が、体を飛ばされ奥の壁へ張り付く。

「がぁッ、ああ⁉︎」

 どうやらニセ椿はどうして自分が後ろに飛ばされたのか分からないようだ。

「椿さん、今のうちに」

「うん」

 椿は私の元へ駆け寄ると、私の手を握らないように注意しながらお姫様抱っこで寝室から脱出する。恥ずかしいからこの抱っこの仕方はやめてくれ。

 私の部屋まで運ぶと、ベッドに寝かせてくれた。

「なんで…佐伯老人が…?」

 確かに私は秘密の部屋へ入るためのドアを開けたのだが、連絡はしていない。なのになぜ佐伯老人がここにいるのだろうか。

「簡単だよ。僕が

 椿は私に経緯を教えてくれた。

 かくかくしかじか。 

 ………簡単な話、私が苦労してこっそりスニーキングミッションをこなしている間、椿は私の部屋の窓から脱出し、割と近い『CAFUNE』まで走って行ったそうな。

 ほう。

 「つまり私が命がけで暗証番号を探したあの時間はムダだったと、そういうことですか」

 すると、椿はニッコリとして。

「…うん、そだね」

 と悪びれる様子もなく笑った。

 ………この幼児顔め。


 @


 真夜中の、風が強く吹く小高い丘に建っている大きな家から少し離れた空き地に男はいた。どうやらかなり走ったらしく、肩で息をしていた。口からこぼれた涎を手の甲で拭く。

「ッァア、んなんなんだよっ、クソったれ」

 その姿は奈津 椿という髪の白い、赤い目の少年によく似た姿であった。

「もう、オシマイですかな」

 男の後ろからもうひとりの男が現れた。白髪交じりのヒゲを蓄え、青いエプロンをシャツの上から掛けた老人。佐伯 鱒であった。

「くそ、てめえなんの能力なんだぁ、言えよ!公平にしようぜ!」

 先にここに来た男が手を大きく広げ、佐伯に煽るようにつばを吐いた。

「俺は火を操る、それ以外には嘘混じりねぇ!」

 そう言って、大きく広げた両手から火の球を出す。その眩しさは、辺りがまだ夜だということを忘れさせるほどに強力。先ほどよりも強い風が男に向かって吹き付ける。

 しかし、その火球を見ても佐伯は驚く様子もなく、男との距離を詰めていく。

「なんだよ、ビビってんのかァ!心配すんなって、どうせあんたは死ぬんだ!この俺の炎でなぁ!ヒャッヒャッヒャッヤ!」

 男は手に持っていた2つの大きな火球を前に投げる。佐伯の目の前でそれらは重なり合い、爆発する。辺りの草全てが燃えカスとなって、同時に佐伯も燃えカスとなる。

「ヒヒヒヒヒィィィィ、ヒャヒャヒャヒャヒャッヒャッヒャッヤ!」

 我慢できなそうに男は腹を抱えて笑う。涎が口から溢れるが、もはや気にしない。



 その声が聞こえたとき、まず男は自分の耳を疑った。その声は先程燃やし尽くした佐伯のものだったからだ。男は目の前を確認した。確かに目の前には佐伯の燃えカスが散らばっている。そう、確かに燃やしたはず。自分の能力で………。

 声のする方向、つまり自分の後ろを振り返ると、そこには人がいた。佐伯だ。どこも怪我をしている様子がない。火傷の痕も見当たらない。服すら燃えていない。

「クッソ、何なんだよぉ。気持ち悪ィな!なんの能力か教えやがれ!」

 佐伯は特に慌てる様子もなく、平然とした表情で。

「あなたに答える必要があるのですか?」

 と返した。

「……ィイ、クソが!」

 と、男が小さく呟くと、体に、自分の手から発生させた炎を体に付けた。

「ゼッテェお前らは殺してやる。火で誰の顔か判らなくなるほど燃やしてやる!」

 そう叫ぶと、まるで燃え尽きた線香のように、男の体が灰になっていく。慌てて佐伯が男の体を掴もうとするが、その手に握られたのは、少し熱を帯びた灰のみ。

「………逃げられた、か」


 @


 結局、佐伯老人が戻ってきたのは私が襲われてから数十分後の午前2時だった。怪我1つ付いていないその、老人としては凛々しすぎる立ち姿に、内心安心と驚きが混ざった。

 佐伯老人は、ベッドで布団を被って寝込んでいる私と、その近くで見守っていた椿に深くお辞儀をすると。

「アイツの正体が分かりました」

 と、そう言うのだった。

「へえ、誰?」

 とは椿の言葉。私の頭に冷えたおしぼりを置くことに夢中でそこそこ興味の無さそうな返事である。

 私自身はニセ椿の正体に非常に興味があった。なぜ椿の姿をして現れたのか。クローンとか、科学の進歩で整形があそこまで出来るようになったとか。意外と私は人間の進化の過程とか最先端技術とか好きなのだ。

「彼は、阿坂あさか 火花ひばな。今世間を騒がしている連続殺人放火事件の第1容疑者です」

 そう佐伯老人が発したその内容に、私と椿の脳裏には同じ言葉が浮かんでいた。

(………誰それ?)

 目が点になった私達のために、ため息をつきながら佐伯老人は説明に入った。



 最近、ここ一帯の住居が連続で火事になっています。消防が火事を消した後、必ず皮膚がパリパリに焼け焦げた死体が2、3個必ず出てくることから、警察は殺人事件として捜査を進めています。どうやら犯人として名前が挙がっているのが阿坂で、毎回火事の野次馬の中にいること、死んだ人の人間関係に必ず名前があること、今阿坂の住んでいる家に1ヶ月近く帰ってないことなどから疑われているらしいです。


阿坂 火花についてですが、M県M市S町生まれで家族は両親と妹がいたようです。ですが、家族全員何者かに刺殺されています。犯人は未だに捕まっていません。阿坂自身は親戚に預けられたようですが、小学3年生の時消息不明。その後は行方が分からなくなっていましたが最近になって姿を現しました。噂によると、隣に白い格好の人間がいるとかいないとか……。



 佐伯老人の細かい説明を聴きながら、椿に耳打ちした。

「…なんで佐伯老人って事件沙汰に詳しいんだ?あんな内容ニュースでも取り上げることが出来ないと思うけど」

「…僕もよく知らないけど、警察に知り合いがいて教えてくれるらしい」

「…ぇえ⁉︎それって情報漏洩ろうえいなんじゃ…」

「…だよね、完全に犯罪級のことをやってるよね」

「………私の話を聞いていますかお二方」

 しまった。佐伯老人の話を一切聴いていなかった。

「はあ…、続けますけどよろしいですか」

(………コクコク)

 私も椿も頷く。

「ズバリ、阿坂が警察から見つからない理由は、

 ………はい? 

 話が発展しすぎていて全くついていけなお。なぜその結論に至ったのかを教えてほしい。

「あそこまでの精度だと人間業とは思えない。

 なるほど、佐伯老人が言いたいことはつまり………。

、ということか」

 椿も理解したようだ。

 能力は、「1人1つ」という制限が存在する(っぽい)。ニセ椿……阿坂は『火をつける能力』だった。しかし、佐伯老人の話では『能力による変装』の可能性が高いという。となると、『変装させる能力』をもつ人間がいないと成立しない。

「いずれ阿坂を捕まえなければ、また紫陽花さんや椿さんを殺しに来ます」

「そうだな、

「私と椿さんは別に問題ありません。ただ、紫陽花さんをどのようにして守るか………」

「最悪の事態まで考えて、万全の配慮をすべきだろう。僕たちがやれることはすべて行うようにしよう」 

 佐伯老人と椿は真剣に「私を守る方法」を考えているようだ。

「あ、あの」

 我慢できなくなって、手を挙げる。

「はい、なんでしょう、紫陽花さん」

「紫陽花」と呼ばれることに違和感がある。みんなはあだ名で呼んでくれるので、ちゃんとした名前で呼んでくれるのは初めてかもしれない。しかし、問題はそこではない。


宿?」


 …ああ……、と納得の声が誰かから漏れ、椿と佐伯老人は互いを見合わせる。

 真面目だね、と椿が呟く。そして二人とも早々に部屋を出ていってくれた。

 さあ、ここからは「戦い」だ。


 @


 翌日、宿題のせいで睡眠時間が短くなってしまった。重たい目を無理に開かせながら、綺麗になって帰ってきた制服に身を包む。無駄に大きいリュックサックに今日の授業の分の教科書やノート、筆箱を詰め込む。

「行ってらっしゃいませ」

「行ってらっしゃい、気をつけてね」

 一日ここに泊まった佐伯老人と、椿に見送られる。朝、人通りの多い交差点を横切って、ガソリンスタンドを理由も無く横目で眺めながら歩く。その先の女性が男性をもてなすような店の看板を左に曲がると学校へ向かう道だ。

 うん、いつも通りの時間に登校できた。

 私が通うM北高校は、山の上に作られた学校であり、校舎からの見晴らしは最高に良い(実際、3階は海が見える)のだが、学校に通うまでに階段を登らなければならない。もし、遅刻ギリギリでここにたどり着いた学生はこの坂を見て絶望し、遅刻を覚悟する。それほどキツイ階段なのだ。聞いた話によると、科学部の奴らがこの階段をエスカレーターにしようと今も開発中らしい。まったく、考え方がアホだ。

「よっ、標野さん。元気してる?」

 階段の途中で声をかけてきた男。どこかで見たことがあると思ったが、思い出すのが面倒なので無視して先へ進む。

「ええ……、覚えてないかい?江野だよ。江野目名!」

 ああ、なるほど。同じクラスだったか。しかも彩女の応急処置をした男か。

「………彩女は元気してたよ」

「そうかそうかそれは良かった!いやー血がブワッ、って出てきたときは冷や汗が出たけど、俺のムダ知識が役に立ったな!」

「………そうだね」

 ふと、彩女の病室に置いてあった血塗れのハムスターを思い出した。気分が悪くなる。なぜ私なんかに能力が付いたのか、神様が居たのなら問いたい。

「どうしたの?気分悪い?」

「いや、何でもない」

「気分悪いなら先生に言って保健室に行ったほうがいいんじゃない?」

 どうやらこいつは本気で私のことを心配してくれているようだ。ほんのちょっとだけ、気分が良くなった。ふむ、少しだけ感謝しよう。………少しだけな。

 階段を登り終わると、涼しい風が私の顔を撫でた。髪がなびいて私を後ろへ引っ張る。

 階段にはもう戻らないよ。

 そう思いながら、彩女のお母さんから貰ったシュシュを風で暴れる髪に通す。藍色の布が髪を締め付ける。隣で江野が何か花でも眺めているような、見とれている顔になっていた。

「…さ、行こっか」

 江野が昇降口を指差す。学校の入口は私達が登ってきた階段とは真反対の位置にあるため、また歩かなくてはいけない。

「な、競争しようぜ」

 …はあ?今やっと階段を登って疲れてるのに今度は走れ、というのか。

「いやだ」

「もーわがままなんだから」

 どっちがだよ。

「でもさ、走らないと遅刻しちゃうよ?」

 え?

 時計を見る。7時23分。7時25分までには昇降口へ着かないと先生にしこたま叱られる。

 ………。

「私が1位ッッ!!」

「えっ、ああっ、ズルい!」

 そうして汗だくになって学校の昇降口へたどり着いたとき、結局、私と江野はかなり叱られた。どうやら今日は運が無いらしい。まったく、最悪だ。


 いつもの席に座る。隣には江野。

 ………。

「いやなんでてめえが隣なんだよお!」

「俺は最初からこの席!」

 まじかよ、全然気にしてなかったわ。

「ていうかさ、標野さん。あんまり周りの人のこと気にしてなさすぎじゃない?もっと興味を持とうよ」

「どうでもいい」

 そう、どうでもいい。どうでもいいことは覚えないほうが楽なのだ。

「そうそう、今日転校生が入るんだって」

「へえ」

「どうでも良くないでしょ、大イベントだよ大イベント!」

「新しくひとり増えるだけでしょ。あんま興味ない」

「ええ………」

 江野は何かを悩み始めた。指先を重ねて、まるで神様に祈っているような格好だ。あれはシャーロック・ホームズの考え方と一緒だ。なるほど、彼はシャーロキアンだったか。確かに推理モノの小説は面白い。最近のはあまり読まないが江戸川乱歩や岡本綺堂は私もよく読む。

「そうだ!」

 何やら嬉しそうにこちらを見る江野。今日は運が悪い。嫌な予感がする。


!」


「はあ!?」

 しまった、思わず声を荒げてしまった。クラス中が私を見る。

「よし、それで行こう!」

「いやいや、あんたが勝手に決めてどうすんの!委員長とか、先生とかに相談しないと…」

「なるほど、それもそうか」

 よし、納得してくれたか。流石にそんな公開処刑はさせないでくれ。

 すると、江野は立ち上がり、何やら端っこの席で座っていた、丸メガネに話しかけた。私の方をチラチラと見てくる。

「OK!許可貰ったよ!」

 何勝手に許可貰ってんだよ。

「いやーありがたいよ-。ボクも案内担当を決めておけ、って先生に言われていたからさー。ほんと、頼むね」

 丸メガネが私の席に来て、社長に挨拶するほど深いお辞儀を私にする。うう。やめてくれ。

 ガラガラ…と教室のドアの開く音。先生が入ってきた。

多田ただ、案内役は決まったか」

 あの丸メガネに対して言っているようだ。丸メガネは多田という名前なのか。

「はいっ、標野さんがしてくれるそうです!」

 おおー、と教室中がざわめく。誰もしたくなかったんだな、分かるぞその気持ち。

「よし、じゃあみんなも知っていると思うが、このクラスに新しい人が入ってくる。みんな仲良くするように」

 先生が、転校生が入ってくるときのデフォルト的セリフを言う。ペットボトルに入ったお茶を飲む。これから転校生を案内しなければならない。緊張で喉が渇く。くそっ、よりにもよってなんで私が。

「じゃあ、入っていいよ」

 転校生に対して先生が声を掛ける。どうやら転校生はドアの外にいるみたいだ。やべっ、転校生が入ってくるっていうのにお茶を飲んでた。しっかり見て顔と名前を覚えないと後で恥をかくことになる。

 ガラガラ…という音とともにドアが開かれた。


 


 


 


 瞬間、私の口の中に合ったお茶は全て外に出てしまった。教室中が吹いてしまったことに驚いている。だが、そんなことより私は思い出したことがあった。

 そうだ。

 転校生として紹介された男は。


「テメエッ、なんでここに来てんだよォ!椿!」


 椿













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