2


「はぁ」


 私の机の上には新品のように真新しい教科書やノート、参考書などが置かれていた。。新品特有の鼻につく匂いと、折り目の付いてない白いページ。開けづらい。

 クラスは喧騒の渦に飲み込まれ、誰が何を話しているのか全く聞き取れない。男子が追いかけっこをする。ガキかよ。すると1人の男子が私の机に当たったので睨んだ。男子は、「ゴメ」と軽く左腕を体の前に出し、片手のみを使って合唱のポーズをした。謝意の意味らしい。

なんだこいつ。

おはよー!」

 一人の女が私の後ろに座った。

 山元やまもと 彩女あやめ。何故か私と保育園から一緒という、変な繋がりがあり、彼女はそれを運命だと信じて譲らない。この世に運命とか赤い糸とかetc…なものは存在しないというのに。

 だが、かなりしつこい彼女ではあるが、人間性は朝のニュースで見る禿頭とくとうの政治家よりはかなり良い。天然キャラでありながら勉強は頑張っているらしく、平均よりかなり上だと聞く(本人談。何故か詳しい点数は教えてくれない)。

 彼女の特徴は、だろう。彼女はあのぬいぐるみを誰かに捕られると暴れる。

 小学生の時、彼女と同じクラスだった。担任はその時入ってきたばかりの新任の先生で、よく生徒を頭ごなしに注意していた。私も、座っていた椅子を担任に突然蹴られ、(このクソが)と心底思ったが、当時は私も小学生である。泣いてしまったのは道理だろう。

 私は、彩女がぬいぐるみを学校に持ってきていることを知っていた。バレるんじゃないかとハラハラしていたが、案の定、その担任は彩女が玩具を持ってきたことに腹を立てた。ぬいぐるみを無理やり捕ってごみ箱に投げ入れ、彼女の頬を引っ叩いた。そして大きな声で罵倒し始めた。その言葉の羅列は、今だったら警察沙汰な言葉ばっかりだった。彩女は担任の罵声に負けないような声で泣いていた。

 小学生ながら、当時の私はブチ切れた。これまでの先生や親(当時はまだ好かった親だった)にはない不条理さとバカらしさに腹を立てた。

 彩女は私より後ろだったので、担任は私に背を向け、彩女の席の真ん前で叱りつけていた。は私に背を向けていた。チャンスはそこしかなかった。

 音を立てずに席から離れ、担任と距離を取って構えた。

 あとは簡単だ。私は走り出した。その上履きの速いリズムが聞こえて、不審に思った担任は後ろを振り返った。

 しかし、すでに遅かった。

 私はジャンプをし、体全体を回転させながらからだ。ピンクの当時流行っていた魔法少女的キャラクターがプリントされたパンツが丸見えだったが気にしない。足に柔らかい感覚があった。メキ、と何かが折れる音がした。今思い返せばあれは鼻の軟骨が折れた音だったのだろう。ふふん、いい気味だ。

 その後、直ぐに担任から叱られそうになったが、私はすでに校長先生やら教頭先生やらに報告しておいたので、その担任が学校から追放されるに至った。

 さらにその後、彩女は病院で「精神的安定にはこのぬいぐるみが必要不可欠」と言われたようで、医者公認でぬいぐるみを持ってくるようになった。

 ま、癖はついに高校生まで治らなかったようだが。

 彩女をバカにしているわけではない。人間誰もが「他人から見れば変なものだが本人からすれば大事なもの」を少なからずひとつは持っている。私だって生まれた時から使っている毛布を今も大事にしている。もちろん、ソイツ毛布も私と一緒に家出をし、今は椿の家の、(元は椿の妹の部屋で今は)私の部屋に置いてある。


 ………奈津なつ 椿つばき


 何故彼はあんなにお金を持っているのか。実は、私の目の前に広がっている新品の教科書も彼のお金で購入した。


 @


 今朝、朝食を、冷蔵庫の中にあった余り物の寄せ集めで作った後に。

「実は、頼みたいことがあるんだけど…」

 椿の様子を伺いながら、恐る恐る言ってみた。

 かくかくしかじか。

 うんぬんかんぬん。

「そんなことか。全然構わないよ、なんだったらもっと贅沢に使ってもいい。今日の朝ごはんはかなり美味しかったし」

 と、椿は舌舐めずりをしながら答えた。

 はあ。

 さいですか。

 そして椿は、近くに置いてあった固定電話の受話器を取ると、どこかへ注文をしだした。

「…うん、うん、じゃあ、その教科書…うん、全部…え、いや僕が使うわけじゃないよ、じゃあよろしく」

 …どうせ金に飽かしてどこかの書店へ頼んだのだろう。そして数十分後、玄関前には大きな段ボールを持ったおじいさんがいた。白髪混じりのヒゲを蓄えた、まるで雰囲気が良い喫茶店の店主のような方だ。

「頼まれたものです。それにしても珍しいですな」

 彼は椿と知り合いのようで、気軽に話しかけている。

「珍しいって、僕が勉強しないって思っているんですか、佐伯さいきさん。 まあ、しませんけど」

 しないんかい。

「はっは。でも本はお読みになるんですな、あ、そうそう。昨日『芳村賞』の最優秀賞作品『洒洒楽楽しゃしゃらくらく』が入荷できたんですよ。どうです?」

「買います。いつもありがとう」

 どうやら本の名前のようだが、なんだ『洒洒楽楽』とは。酔っぱらいを指す四字熟語か?

「ところで、そちらのパジャマ姿のお嬢さんは?」

 佐伯、と呼ばれた喫茶店の店主みたいなおじいさんが、私に対して手を示した。そうか、私のことか。そういえばまだ着替えてなかった。早く制服に着替えなければ。

「ああ、こちらは標野しめの紫陽花あじさいさん。いま僕の家に居候の状態です。ただ、ご飯を作ってくれるらしいので僕としてはありがたいです」

 お前がここに住む『条件』としてだしたんだろうが。なんで私が自らやりますみたいな雰囲気醸し出してんだこの野郎。

「へぇ、それはそれは…」

 佐伯老人はゆっくりとうなずくと。

「どうも、わたくし、近くの純喫茶『CAFUNEカフネ』の店主、佐伯 マスと申します」

 なんと。本当に喫茶店の店主だった。しかし、なんで喫茶店の店主が本なんかお持ちになられているのだろうか。

「わしは、いつもは店主ですが、裏の顔は椿さんの執事をしてましてな」

 ほう。

 それはそれは、いつもご苦労様です。

「それで、椿さんから頼まれたら断れないのでな、裏でごにょごにょやって解決します…。意外と大変なんですよ」

 でしょうな。こんな朝早くからやっている書店など、どこを探しても存在しないだろう。お得意さんか、金でも積まなければ書店もシャッターを開けやしない。

 佐伯老人は重たい荷物から解放されたように腰を伸び伸びと起こし、「私はもう行きます」と深いお辞儀をされた。

「ああ、そうそう」

 佐伯老人は椿に近寄ると、なにやら噂話でもするように小声で話している。私をちらちらと見ながら。どうした、私はここに住むだけであって、何も怪しいことはしないぞ、ご老人。

「……ぐれも………いこ………しない…うにしてください」

 佐伯老人がニヤニヤしだした。下衆の顔だ。

 椿の耳の裏が赤い。何か変なことでも言ったのだろうか。ま、どうせ腐っても男なので「夜這いをしないように」などの性に関する忠告だろう。やはり下衆だ。

「いやしないから! 変なこと言うなって!」

 椿が顔を真っ赤にしながら否定した。

 …ふふ。


 佐伯老人は愛車の赤いワゴン車に乗って帰っていった。ワゴン車が動き出すと、「お気をつけて!」と、佐伯老人は窓を開けこちらへ手を振ってくれた。気を付けてほしいのは佐伯老人の方なのだが…。どうか前を向いて運転してくれ。

 家へ戻ると椿はソファに深く腰掛け、肘をつきながら。確かそのフォークは私が作った朝ごはんの時に使われたものである。まるでソフトクリームを味わうように、なまめかしく舌をフォークに擦り付け、そのまま口を大きく開け、フォークをかみ砕いていく。

 ばりっ、ぼりっ、ばりっ…。

 ごくん。

 そして残った持ち手のところを、チョコを溶かすように口に半分だけ入れながら、バキッ、ゴキッ、と金属が割れる(?)音を発しながら食していく。

 ゴクン。

 そして食べ終わる。

 椿は、私が椿の食事シーンに見とれているのに気づくと、ゆっくりとほほ笑んで、

「初めて…だったかな」

 と、少し照れた。コミックのボケのように後頭をぼりぼりと掻いた。


 @


 正直言って、椿があのカトラリーを食べた時、。なぜだろうか。もう既に私は「慣れた」のだろうか。

 眠たそうに眼を擦りながら、先生が朝のホームルームをするために教室へ入ったので喧騒が一瞬にして消える。出席を確認していく。やる気のない返事が教室のあちこちから聞こえてくる。欠伸をしながら先生が出ていくと、誰も次の授業の準備をすることもなく、遊びだす。

 仕方ないので深くため息をついて、後ろを振り返ろうと、彩女の方を見ようとした。

 彩女は既に席を立って私の方へ近づいていた。

「きゃあ!」

 いつの間にか床に落ちていた私のボールペンを彼女が踏んでしまい、足を滑らせ、私の手を偶然に握ってしまった。

「あ」

 誰が声を出したのだろうか。まあ、多分私だろう。なぜか私は、あの一瞬のうちに、彩女の手が私を握ってしまった時、椿を思い出したのだ。正確には、椿の一言が。

『触れた他人に傷をつける代わりに、自分の傷を治す』

 嘘だと思っていても、私は人に触れることに抵抗があったのだ。

 そして。私の指に静電気のような痛みが一瞬走った。しかし、私はそんな痛みはどうでもよかった。

 ぱりっ。

 と。

 煩い教室の中に乾いた音が響いた。その音は彩女の腕から聞こえた。見ると、手首から肘まで皮膚がパックリと裂けている。彩女は何も驚くことはなく、「いててて…尻もち着いちゃった」とのんびりしていた。

 そんな場合じゃない。

 彼女の腕から赤黒い液体が、彼女自身の足元に水溜りを作っていく。制服が赤く染まる。煩い教室が静かになっていく。その状況に追いつけない彩女は目をパチクリとして「え、なに?」と辺りをキョロキョロと見ている。

 肩にかけてあったぬいぐるみが血の池に落ちて赤に溺れる。ぬいぐるみを目で追いかけてしまった。彼女は下を見た。見てしまった。


 号哭ごうこく

 耳をつんざくような悲鳴。


 しかし誰も耳を塞がない。彼女に駆け寄り応急処置をしようと試みる男子。こういう時だけふざけない。

 私も駆け寄りたかった。しかし、椿の言葉が私の足に絡みついて動けない。

『触れた他人に傷をつける代わりに、自分の傷を治す』

 彩女が傷ついたのは。また、他の誰かを


 私のせいかもしれない。

 傷つけてしまうかもしれない。

 私のせいかもしれない。

 傷つけてしまうかもしれない。

 私のせいかもしれない。

 傷つけてしまうかもしれない。


「…し……ん……標野さん!」

 それは私の名前だろうか。私を呼んでいるのだろうか。

 気づくと、私の両肩を持って私を揺さぶっている男子がいた。先ほど、私の机に当たって片手で謝った男子だ。その手は血塗れだった。

「山元さんの止血はなんとか終わったよ。大丈夫。俺は先生を呼んでくるから標野さんは山元さんを保健室に連れて行って」

 肩に温もりを感じた。そして彩女を思い出した。

 私は肩にかけてある男子の手を弾いた。もしかしたらまた関係ない人を傷つけてしまうかもしれない。

 手を弾かれた男子は一瞬顔をしかめたが、私の手を握った。

「…っ」

「大丈夫だから」

 彼の手をほどこうとするがはずれない。それほど強く握っているのか。どちらの物かも分からない汗が滲み出る。

 ハッとした。こいつは私の手を握っている。しかし、彼は血が出る様子もない。やはり、私には能力はないのかもしれない。彩女が怪我をしたのも偶然かもしれない。もしかしたら発動する条件があるのかも知れない…。

「標野さん」

 彼がしつこく私を呼ぶ。わかってる。わかってるから。

「…彩女を保健室に連れて行く」

「頼むよ」

 赤黒い海に倒れている彩女を起こす。人間はこんなにも重いのか、と実感させられる。おんぶする形で、1階の保健室へと連れて行く。うぐ、重いな。血が吹くに付いて背中を真っ赤に染めていく。この濡れた感じ、昨日の雨とは違う。べっとりくっついてくる。イヤな感じ。

 保健室に着いた時には、足が疲れて棒のようになっていた。保健室の相川あいか先生は直ぐに救急車を呼んだ。応急処置の正確さに、相方先生は私を褒めたが私はなにもしていない。名前も覚えていない、あの男子なのだ。

「大丈夫? あなたも怪我していない?」

「いえ…、大丈夫です」

 そういえば、足の皮膚が剥げていたのを思い出した。先程から痛みが消えていたのだが、麻痺したのだろう。

「あの、絆創膏をもらえますか」

「どこか怪我したの?」

「はい、左足の皮膚が剥がれて…、昨日からなんですが」

 左足を指差す。

「どれ、見せてごらん」

「え。ええと…大丈夫です。絆創膏をもらうだけでいいんです」

 相方先生は大きくため息を吐くと、私に笑いかけて。

「怪我している子や悩みを持っている子を看病するのが私の仕事なの。私に仕事させて」

 相方先生は小さくて白い箱の中から消毒液を出した。知っている。あれはしみる奴だ。左足を先生に向ける。靴下が先生の手で脱がされる。じれったい。


「…


 そういったのはもちろん相川先生だ。どこを、って見ればわかるだろう。ここだよここ………。そう思って、人差し指を怪我した場所へもっていく。

「あ?」

 人間は、予想外のことが起きると変なことを言ってしまうらしい。。健康的な足だった。

「怪我なんてしてないじゃない」

「えっ、え、おかしい、だって、さっきまで痛かった…のに………」

「……疲れたならよく寝なさい。悩み事があるならいつでも相談に乗るわ」

 相川先生は何かを悩むようにしながら、私に小さな紙を渡した。そこには電話番号が書かれてある。名刺のようだった。

「先生…」

 信じてもらえないショックとはこんなにも大きいものなのか。心が重たい。胸の内にのしかかるような空気が溜まっていく。ため息で吐き出そうとするが出ない。

「人には。きっとあなたは今その時期ね」


 @


 私と、私の肩を揺さぶった男子は、その後の授業を体操服で受けた。

 先生は私と男子をとても褒めた。友達を積極的に助け、命を救ったとして表彰もされるそうだ。私はそんなことをしていない。やったのは彼…江野えの 目名めなだ。同じクラスだったが名前は覚えてなかった。興味があまりなくて。

 病院に運ばれた彩女は怪我した時の状況をほぼ覚えてないらしく、私が学校の帰りに見舞いに行くと、なんで病院に居るのか分からないという顔をしていた。皮膚が裂け、血が大量に流出した、という事を伝えると、流石の彼女の性格でも驚いた。


「保健室に連れてってくれたのはシヨウちゃんなんでしょう? ありがとう!」


 彼女は、私が「」と思っているらしい。違うのに。私は「」側なのに。

 私は、彼女に傷つけたのは自分だ、と、言いたかった。自分が傷つけた、という罪を彼女に告白したかった。

 彼女はどんな反応をするのだろうか。そんなことはない、と擁護してくれるのだろうか。それとも、大丈夫、生きてるから、と強がってくれるのだろうか。

 それとも、それとも、それとも………。

 耐えきれなくなって私は彩女から目を逸らした。逸らした先のテーブルの上に

 瞬間、激しい頭痛。罪が私の頭へ重く突撃する。時々降ってくる隕石が、地球に降り注ぎ、クレータを作るように。

「じゃあ、そろそろ帰るね」

 いつの間にか、私はそんなことを口にしていた。血塗れのぬいぐるみを見るたびに私は目眩でその場に崩れそうになる。

 彩女は名残惜しそうにしていたが、宿題があることを伝えると納得したらしく、「明日も来てね!」と言って手を振ってくれた。


 帰る際、病院の玄関で彩女の母親と出会った。

「シヨウちゃんありがとうねぇ、シヨウちゃんのおかげであの子は救われたんだよ」

 いいえ、違うんです。私は何もしていない。それどころか、彼女を傷つけたのは私なんです。ごめんなさい。

 こんな単純な謝罪でさえ言えない。辛い。呼吸が荒くなっていく。吐き気がすごい。

「いえ…」

「大丈夫? 顔色が悪いけど…」

 そうか。私は今動揺しているのか。こんな気持ちは初めてだ。友達を傷つけたことは今まで無かったからか。

「すみません、ちょっと忙しいので…」

「あ、ちょっと待って」

 そう言うと、彩女の母親は、紙袋の中からシャウエンの建物のような淡い青のシュシュを私に渡した。

「これはお礼」

 私の手の平の上にシュシュを置き、その上から手を重ねる。熱がシュシュ越しに伝わる。



 そう言って、彩女の母親は病院の奥へと消えていった。

 私の手のひらに置かれたシュシュは、人一人の命のようにずっしりと重たく感じた。


 @


 いつの間にか、私は走っていた。S町のはずれの小高い丘まで全速力で。時々激しく転んだ。膝の皮膚が擦れて、今日はもう何度も見た赤黒い血が私の体から漏れ出す。椿の家についた時には、私の体には擦り傷がたくさんついていた。

「おかえ………」

 傷つき、体操服の姿の私に、椿は呆気に取られたようだ。

「…どうしたんだい」

 何かに耐えきれなくなって、叫んだ。

……。なんなのよ! なんでこんな思いをしなくちゃいけないの! 友達が傷ついて! それで…!」

 悔しくて、ズボンの裾を強く引っ張った。ズボンがずり落ちる可能性でさえ気にしない。私の体の周りにくっついてくる、加害者の私に感謝するみんなの言葉が、今私に付いている擦り傷のように私を少しづつ擦って傷つけていく。このまま行ったら、そんな気さえする。

「それで…、でも私だけが得してばっかりで! 誰も私が加害者なんて気づかない! こんな能力なんて…」




 ………は。

 椿は、その赤い瞳が、深い赤…、いや深緋色ほどに赤色が濃く、よりグロテスクに光っていた。

 なるほど、私は、心の奥底のどこかできっと、ほんの少しだけ、椿が優しい言葉をかけてくれると思っていたのだろう。

 私は、彼のことを『理解者』だと思っていた。「人間じゃ理解できない能力」を理解してくれるためのかけがえのない存在になりえるものだと思っていた。

はきっと甘えているね」

 しかし、それも間違いだったと気づいた。

「人間という存在1人1人には、『ステータス』が存在する」

 椿は語りだす。その姿は民衆を操る独裁者のように雄弁だ。

「『ステータス』は、「-100から100」の目盛が打ってあるメスシリンダーのようなものだと思っていい」

 そう言って、両手を上げて右手を上に、左手を下にして何かを囲むようにするジェスチャーをしだした。メスシリンダーを表しているようだ。

「世の中で成功している人間は、この目盛りが100まで『何か』がたまっているんだ。まあ『何か』は今も分かってないんだがな」

 椿はため息をしながら立ち上がる。近くにあったエジプト煙草を右手で1つつまむと、。ジジジ…、と煙草に火が灯った音がすると、恋人の指をしゃぶるようにように、優しく咥える。すうーっ、と息を吸うと、煙草の長さが少し短くなって灰と化して高級感が漂う絨毯に落ちていく。焦げて穴が空く。そのまま私の方に近づいて、擦り傷がたくさん付いた私の顔に煙草臭い煙をぶち撒けた。

「成功した人間とは対称に、-100まで『何か』がたまっていない人間も存在する。それが、僕やなんだ。「能力」は、-100から100になるためのツール道具なんだよ」

 ………そんなの、私からしてみれば能力が存在することを証明するだけのただの詭弁だ。

「だから………何」


「君は、その能力をいらないと思っているのだろう?」


「…あんたさっき『無くなるはずない』とか言っていたじゃない」

「たしかにそう言った。本当はできないんだが、僕はの為を思って言っているんだよ」

 まるで異質な宗教の訪問販売の様に胡散臭い。

「僕の知り合いに『能力を結晶化して取り出す』研究をしている奴がいる。ソイツなら君の悩みを解決してくれるかもしれんな」

 椿が怪しく笑う。

「ま、考えてくれたまえ」


 @


 部屋に戻った。「考えろ」と言われたので、1人には大きすぎるベッドに大の字で横になって胸に手を置いた。椿の深緋色の目が忘れられず、部屋のインテリア全てがあかく見えてくる。

 結局、椿の変わり様に少々胸を突かれたのか何も考えられずに、そのまま朦朧として寝てしまった。


 ………。


 ……………。


 …………………。


 ………(…ヨ)………。


 ………(…ヨ、シ…!)……。


 何かを呼ぶ声が聞こえる。私の夢だろうか。


 ………(シヨ、シヨ!)。


 確かそれは椿が付けた私のあだ名…だった気がする。興味がなかったのですぐに忘れると思っていたのだが、それも昨日のことなのでなんとか覚えている。


「シヨ!」

 煩かったので目が醒めてしまった。

 そして、私の目の前には顔があることに気づく。椿だ。体に馬乗りになっている。私の両腕をベッドに押さえつけ、呼んでいるようだ。椿の赤い目が私を見つめる。

 いや、近すぎる。キスまでニアピンの状態だ。まさか、これはか?

 くそっ、やらせるか。


「っっおりゃああああああぁぁァアあああああああああああああぁぁぁぁああああぁぁぁああああアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!」

「ぅぅぅううううわああああああああああああああああああッグフうううううううううううううううううううううううううううううう!!!!!!????????」


 とりあえず、椿が腰に乗っていたので下半身は動ける。それを利用して両脚を持ち上げ、クワガタムシのように椿の体をがっちり固め、私の体から引き剥がす。そしてそのままブリッヂからの左回転で椿ごと体を回転させてそのまま椿をベッドに叩きつける。椿が叫び声の途中で『グフう』と言っているのはベッドに叩きつけられ内臓が口から出るような感覚を味わったからだろう。ふむ、技名を付けるとしたら「コークスクリュー・ライフル」とでもしておこう。

 というわけで立場逆転。私が椿に馬乗りになっている、なんとも奇妙な状態になった。……ちょっとだけ興奮する。

 とりあえず近くにあったボールペンを椿の首筋に当て、無闇に動かないように脅しておく。

「…えーと、どういう状況?」

 先に口を開いたのは椿だ。

「それはこっちが聞きたいんだけど」

 少しだけ、喉に当てたペンを少しだけ強く押し込む。

「わかったわかったから静かに…」

 ふむ、そういうならば仕方ない。喉元に当てたペンを外す。

「……馬乗りはやめないんだね…」

 私が寝てる時の仕返しだ。

 さあ、説明してもらおうか。

「シヨ、アイツにはあったか?」

「アイツって誰? ここには私と椿しか居ない…」


「帰ってきた時に『僕』と出会っただろ? 








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