【AC1216】お風呂ふたたび 前編

 乳白色の湯のなかに、上王リアナは身を沈めた。

 広い浴場にゆったりと手足を伸ばし、ほうっと大きく息をつく。腕をのばし、侍女が身体を洗ってくれるのをありがたく甘受する。風呂に浸かったとたんに疲労が襲ってくるほど多忙だったのだ。その疲労が湯に溶けだしていくようで、ほっとする。それに……今日の湯はいい匂いがする。なんだろう?

「お湯が真っ白じゃない?」

 リアナが尋ねると、侍女は爪のあいだをやわらかくこすり洗いながら解説してくれた。「陛下がお取り寄せになった、新しい入浴剤だそうです。東部領シグナイの湯質だとか……」

「そうなの? たまにはこういうのもいいわね」

 夫の家があるシグナイにはまだ行ったことがないが、砂漠と岩地のなかにあるオアシスのような美しい場所だという。砂地に沈む壮大な夕焼けは、東の果てでしか見ることができないのだとか……そしてまた、最後の開拓地と呼ばれる危険な地域でもある。愛する男の生まれた地に思いをはせていると、ふいにその夫の声がした。

「楽しんでいるか?」

 その声に、侍女があわててぬかづく姿勢になった。すぐに手をふって「気づかい無用」のサインを送るのが、いつものデイのしぐさだ。

「デイミオン」

 あいかわらず慎みとは無縁の男で、なにも隠すことなく素っ裸で入ってきた。

「王配殿下の整容は、あとは私がやっておこう。下がっていいぞ」

「ちょっと……」あわてて出ていく侍女の後ろ姿に、リアナは眉根をよせた。「真っ裸で侍女の前に出るのはやめてちょうだい」

「なんだ。焼きもちか?」

「違うわよ。夫でもない男の裸を見せられる、若い女性の立場になってごらんなさいよ」

「俺の整容係も女性だぞ。気にするな。たぶん向こうも気にしていないから」

「そうかしら」

 そういえば、夫は生まれついてのだった。女官に裸を見られるなど、日常の一部なのだろう。

 デイミオンはなにひとつ気にする様子はなく、リアナの隣に身を沈めた。大きな音とともに、浴槽のふちを湯がつたってこぼれ落ちる。いつも、お湯がもったいないと思ってしまう場面だ。掬星きくせい城の湯は温泉だから、惜しむ必要はないのだが……。

「湯はどうだ? シグナイから取り寄せた入浴剤だぞ」

 気が利かないところもある夫だが、妻が喜ぶことを疑っていない様子はかわいげがある。そう思って、リアナは笑った。「素敵だわ。肌によさそう」

「この容積だから、樽が3つ来たらしい」

「すごいわ。……あのバラも東から来たの? いいわね」

「そうだな」デイミオンはざぶんと湯をかきわけて、浴場の真ん中あたりに固まっていた黒バラを手に戻ってきた。湯のもとといっしょに塩漬けになっていたらしい。

「ほら」

 大きな手のひらに、三つ四つほどの花が固まって載っていた。原種に近い花で、アエディクラのもののように花びらが十重二十重に重なっているわけではなく、バラにしては小さく質素だ。でも、ビロードのような手触りと漆黒の花びらはデイミオンによく似合っている。

「あなたの香油の匂いがする」

 男性的でスパイシーで、でもうっとりするような甘さもあって……。リアナは鼻先を近づけて香りを楽しんだ。

 王都ではなく、東の荒野に立つデイミオンを想像させられるような匂いだ。荒々しく、野生的で、力強くて……。その姿を隣で見てみたいと思う。

 デイミオンは花を湯のなかに落とすと、そのまま湯をすくい、彼女の肩にかけた。とろみのある白い湯を、塗りつけるようにする。ふだんのリアナなら、入浴中にいたずらされるのは怒るところだが……でも、少しくらいならいいかと思わせる効果がこの入浴剤にはあった。

 背後にまわって、首筋を軽く揉まれる。太い指で肩をほぐしてくれて、リアナは心地よさにため息をもらした。

「昨晩はずいぶん疲れていたみたいだな」

 その声には、面白がるような揶揄するような響きがある。

「ええと……悪かったわ。途中で眠っちゃって」

「気にしていないとも。俺は寛大な夫だからな」

 そう言いながらも、固いものが尻にあてられていては落ちつかない。鼻先がうなじの髪をかきわけて、口づけが落とされた。

「その……今からするの?」

「昨日のぶんだ」デイミオンは耳を甘く噛んだ。「それとも、今夜に延期するか?」

 背後からすっぽりと包まれ、熱い湯のなかでぬるぬると撫でさすられる。

「今でいいわ」恥ずかしくなり、リアナは小さくつぶやいた。たまに、たがいの業務のせいで床を共にできないことがある。そんな日の翌日は……飢えたように求められる快感は、夫婦生活のちょっとした刺激だ。でも、今は……今でもいい。




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明日の後編(年齢制限有)に続きます。カクヨムではないのでお気をつけを。

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