【AC1219】ネッドと図書室の幽霊

 子どもは城の図書室に来ていた。


 わが家同様に慣れた城ではあったが、絵のない本はまだ読まない年齢だったから、ここに来るのはめずらしい。表情にはやる気がみなぎっていた。小さな手をいっぱいに伸ばし、兄から借りた鍵を鍵穴に差す。ずいぶん苦労して開けるあいだ、背後の竜騎手がはらはらしていたのにも気づかず、意気ようようと部屋に入る。


 野営地をさがす兵士のような熱心さで、子どもは図書室のなかを探検した。天井に届く本棚は、見あげれば首が痛くなりそう。書架台だって、彼にとっては柱のようなものだ。鎖でつながれた稀覯本。製本を待つ羊皮紙の束。絨毯に舞い落ちるほこりの、きらきらした光の粒。


「何用か?」


 ふと声をかけられて、子どもはふり返った。光を背にして暗く、見あげるほど大きな男だった。だが、父親を見慣れていたので怖いとは思わなかった。

「ぼく本を探してるの」

「おまえの節年齢としで読める本は、ここにはあるまい。戻って、乳母めのとに聞くがよい」

 男の忠告を無視して――あるいは意味がわからなかったのか――、少年は続けた。「大きい本がいい。おもいやつ」

 子どもが本棚のあいだをうろつきはじめたので、男はため息をついて、後ろをついていった。

 小さな足でとことこと歩いては、背表紙をなでたり、棚のあいだをのぞいたりしている。

「これにする。とって」と、一冊の本を指さす。

「実体のない私には取ってやれん。扉の前の竜騎手を呼べ」男は言った。


「ううー」

 ひときわ重そうな本を引き抜くのに失敗した子どもは、あきらめてその隣の、いくらか薄い本をなんとか引っぱりだした。革装の本は重い。書読台まで運ぶことはできなかったらしく、通路の絨毯のうえに本を置いて真ん中あたりをひらいた。

「読めもするまいに、どうするのだ、子童」

「んー」

 子どもは仕立てのよさそうなズボンのポケットをあさり、なかからなにかを取りだした。小さな草花だ。

「押し花にするの」

 子どもは言った。「しおりにして、冬至節の贈り物にお母さまにあげる」

「それはいいが……」

 男は困惑したように子どもと本を見下ろした。「草の汁が本につくのではないか?」

「んー」

「それは貴重な本なのだぞ。子童にはわかるまいが……」

 男の小言がわかったわけでもないだろうが、子どもはジャケットの裏から薄紙を取りだして本の上に置いた。そこに注意深く草花をならべる。庭園から拾ってきた白い花びらや、お気に入りの遊び場で摘んだ星型の小花。押し花に向いていると庭師が分けてくれた紫の花……。子ども特有のもたもたした手つきで行きつ戻りつする作業を、男は背後から見まもった。


「ネッド。探したぞ」

 作業に没頭しすぎるあまり、時間を忘れていたらしい。子どもが気がついたときには、少年が彼を見下ろしていた。

「しおりを作ってたのか?」

 通路にぱらぱらと置かれた小花から、そう推測したらしい。幼児にはまだ重そうなその本を、兄は代わりに持ってやった。「本は持ち出せないから、書架台に置いて戻ろうな。……ん? 書名がないのか。古そうな本だな」

 少年は本に惹かれ、両手で持って裏返した。古語で書かれた日記のようだ。ここに収められているということは、歴代の王ゆかりの品だろう。弟が乱雑にあつかっていないといいんだけど、と彼は思った。著者名も書名もないのを確認すると、書架台に置いて「押し花作成中」とメモ書きを残した。

「影のおじさん、もういない?」

「おじさん?」

 弟に問われ、少年――イスはあたりを見まわした。「誰もいないぞ。……さ、夕飯に遅れる。戻ろう、ネッド」

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