【AC1222】昨日からも明日からも遠い今日のため
毎朝、今日こそは死ぬに違いないと思って目をさます。
天幕のまわりは静かだった。フィルは一瞬、まだ早朝かと思ったが、そういうわけではない。本来なら、もう朝の点呼を済ませていなければいけない時間のはずだった。だが、人の気配はごく少ない。寝起きのぼんやりした頭が、その理由を思いだすのにしばらくかかった――そして思いだす。昨日の戦闘はずいぶん長引いた。すでに残り少ない部下がまた死んだ。
起きあがる意味などあるのだろうかと思いながら、惰性で寝床を片づけていると、テオが天幕の入口から顔を出した。
「いちおう生きてはいるんすね」
と言う。上官に向かって失礼極まりない、とは思わなかった。自分もそう思ったからだ。こいつ、まだ死んでなかったんだな。
「早く点呼を取ってくださいよ。格好がつかないでしょ」
「数えるほど残っているのか?」
「さあ」
金髪の男は、なげやりに肩をすくめた。「だけど、あんたが確認しなきゃ」
たしかに、部下の言うとおりだった。嫌がる身体を引きずって天幕を出、ぱらぱらと集まってきた兵士たちを数える。
「……ずいぶん減ったな」
「補給部のやつらもいないですね」
テオではない別の兵士が言った。「ま、どうせ食料なんか調達できやしないんだが」
皮肉げな顔が筋肉に刻まれたような黒髪の男を、フィルはぼんやりと見やった。こいつも、まだ生きている。
「敵前逃亡は死罪に相当する。追っかけてって処分しますか?」その黒髪の兵士、スタンが言う。
「いや……いい」
フィルは首をふった。この敵地のなか、どうせどこにもたどり着けるまい。ここより多少はましな地獄を選んだところで、だれも責められないだろう。どのみち、そんな
食料はとうに尽きていたが、フィルは部下に命じて火を起こさせた。湯のひと口でも、ないよりはましだろうと思ってのことだ。
「あー、あのクソいまいましいライダーの若様が生きてたらな。すくなくとも、火種くらいにゃなるんだが」
「死んでしまったものはしかたないだろう。これを使え」
フィルはため息まじりに言い、ポケットからマッチ箱を出してテオに放った。イティージエン兵の死体から剥いだ持ち物にあったものだ。それも、もうあと残り数本といったところだが。
無言のまま、小さな炎を見つめて時間が過ぎた。王都のスラムにもないだろうというほどぼろぼろの鍋に、血と泥まじりの薄汚い水が入っている。それでも湯気を見て反射的に唾液がわき、そのせいで空の胃が痛んだ。こんなことなら、湯など沸かさないほうがまだましだったかもしれない。
そんな投げやりな時間を打ち破る、数名の兵士の足音。顔など見るまでもなく、おなじハートレスだとわかった。フィルバートは、だが自分の耳が信じられずにのろのろと顔をあげた。つい昨日も、部下の死体を数えたばかりだったから。
「おっ、湯は沸いてますね?」
聞き間違えようのない中年男の声が響いた。「よろしい。では調理にかかりますかね」
「ヴェス」
驚いた声を出したのは、フィルではなくスタンだった。
「おまえいったい、今までどこに……いや、それよりも、なにを持ってきたんだ?」
「今日は冬至節ですからね、多少はまともなものを食ったって、バチは当たらんでしょう」
いなくなったとばかり思っていた補給係の兵士ヴェスランは、見ると軍服ではなく民間人の変装姿だった。しゃがみこんで鍋を湯をのぞき、そこにナイフで食材を削いでいく。
「食いもんだ……」素直なテオが目を見ひらいている。
「カビの風味つきパンに、しなびた芋。革靴よりちょっとマシというくらいの乾燥肉ですがね」
「もう、このへんじゃ木の根っこまで食い尽くしたじゃないか。どうやってこんなものを……」と、スタン。
「買ってきたんですよ。人間のふりをして、あっちの補給隊にぶら下がってる女どもを引っかけてね」
「……女?……」
「軍たって剣をぶら下げた男ばかりじゃない。飯炊きも、あっちのほうを処理する女も必要でしょう」
「だけど、どうやって近づいたんだ?」
「そこのレフがね、出入りの行商人に化けて。そりゃあうまく化けて、護衛の男を騙して通してくれたんですよ」
ヴェスがナイフで指さした先には、おなじ補給係のレフタスがいた。うす汚れていてもいつも通りの仏頂面で、まるで領地にいるときとかわりなく見えた。
「そうはいっても、おまえ、金はどうしたんだ」フィルも思わずそう問うた。
ヴェスランはにっと笑うと、腰の革袋を出してひらいた。なにか……糸くずのような、乾燥した細長いものが入っている。「サフランですよ」とヴェスは言った。「デーレンのあたりに自生してるのを見つけて、採っておいたんです。南部風のメシを炊くにはこれが要るんだ。女どもは、宝石より喜びますよ」
「そんな……そんなもので……」
フィルは絶句してしまった。野生の花のめしべにそんな価値があることも、それを食料と替える方法も、まったく知らなかったからだ。戦場のことなら隅から隅まで知り尽くしていると思っていた自分が恥ずかしくなった。
「野生のクミンとコリアンダー、松の皮を剥いだやつでとろみをつけて。それにとっておきの塩がありますから、隊長どのにはそれを召し上がっていただきましょうか」
その日の朝食は、創意工夫に富んだものとなった。乾燥肉はどうやってか柔らかく煮込まれ、野生の香辛料で食欲を増す香りがつけられていた。肉の味を吸った芋に、カビを落として香ばしくあぶったパン……。フィルをはじめ全員が、皿までなめつくす勢いで食べた。「スターバウのご領主さまが見たらお嘆きになるでしょうね」とレフが言う皮肉にさえ、反論する余裕はなかった。
毎朝、今日こそは死ぬに違いないと思って目をさます。大切な仲間をすべて失い、名誉も戦果も得られることなく、悲嘆のなかで絶命するに違いないと。
だが、それは今日ではない。だとすれば、フィルは指揮官としてこの地獄を先導する責任があった。昨日も、明日も、永遠と思えるほど遠く隔たっていようとも、まだ生きている。今日を生き延び、できればこのうちの何名かには明日の朝日を拝ませたい。そのためにも、いまは食べて力をつけなければ。
フィルは決然と匙を口にはこんだ。
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