星のベッド ③

 子どもの泣き声というものは、基本的に場所も時間も選ばず、容赦ない。


「ロッタとけっこんする!」とわめいていたリアナは、しだいに「おうちじゃない」「イニがいない」と、また本筋に戻って泣きじゃくりはじめた。フィルとしては朝食を食べてほしかったのだが、それどころではないかもしれない。

 すでに、フィルの数少ない私服は、涙と鼻水でびしょびしょになりつつある。

(愛する女性の体液に――……)

 フィルはそう考えて事態をやり過ごそうかと思ったが、「いや、ないな」とあきらめた。つ、つめたっ。


 ここにいたって、最近敵対しがちだった兄弟ふたりは、顔を見あわせて微妙な視線をかわした。

 予想もしないところでリアナの初恋の相手を知ってしまった気まずさもある。しかし言うまでもなく、彼女の故郷はデーグルモールたちによって焼き払われ、当のロッタもすでに故人となっている。

 それを、彼女がもう一度知って傷つくようなことがあってはならない。あと、なんとしても朝ごはんを食べさせねばならない。


 ――ここは、一時休戦といこう。

 という合図であった。


 ♢♦♢


 〈血の呼ばい〉がない今、目の前の幼女が本当にリアナなのか確かめる手段もないし、だとしたら元に戻すにはどうしたらいいのかというのも、デイとフィルの手にあまる問題だった。王はすでに賢者ファニーと癒し手の長とを呼びだしていたが、早朝ということもあり、両者が城に上がるまでにはまだ時間がかかると思われた。つまり、それまでのあいだ、この女児の面倒を誰かが見なければならない、ということだ。


 兄弟には、こういうときに頼りになる心強い女性がいる。叔母のグウィナだ。彼ら兄弟の母親代わりでもある。

 ここしばらくは、戴冠式やら結婚式やらと行事続きだったので、王太子ナイメリオンと、その兄ヴィクトリオンとともに、城内に宿泊しているはずだった。


 だが――……


「まあっ、この子が、リアナ陛下さまなの?!」

 女児を前に、しゃがんだままらんらんと目を輝かせている美しい赤毛のグウィナは、とろけそうな笑顔ながら一種異様な迫力があった。

「なんてかわいらしいの、まぁまぁ、まだお寝巻なのね。はやくデイドレスを着せてさしあげないと……ぐほっ、ごほっ」

 グウィナは、はしゃぎながら激しく咳きこんだ。見れば、満面の笑みではあるものの顔は真っ青で、アイスブルーの目の下には黒々と隈をつくっている。


「グウィナ卿……」つきそいでやってきた、王の副官であるハダルクが、眉間にしわをよせて彼女を立たせた。「今日は執務なされないようにと、昨晩お願いしたはずですが」

 銀髪に緑の瞳のハダルクは、中級貴族ながら繁殖期ともなれば求婚の申し込みがひきもきらない人気の男性でもある。

「そうは言っても、ハダルク卿、リアナさまの面倒は誰が見ますの? それにヴィクとナイムも……げほっ」

「おふた方の面倒は私が見ますと申し上げたでしょう。あなたは一日安静になさい」

「でも、あなたにもライダー団のお仕事が」

 

 やりとりしているグウィナとハダルクを、甥たちはいくらか下世話な興味をもって見まもった。両者にはかなり身分差があるため、ふだんは親密な様子をみせることはないが、この二人はヴィクとナイムの両親でもある。つまり、子どもをなすような行為があるわけだ。


 好奇の視線に気づいたハダルクは、「こほん」と空咳をして二人を暗にいさめた。

「グウィナ卿は、疲労がたまると喘息がお出になることがあるのです。そういうわけで、卿をお送りしてきます」

「うん、いいぞ、ついでにおまえも半日くらい休んだらどうだ? 叔母上のつきそいで」

 デイミオンがよけいな気をまわした。

「そういうわけにも……卿にお休みになっていただいたら、私も戻ってきますので」

「頼む、ハダルク卿。ぜひ戻ってきてほしい」フィルが切実な願いを口にした。育児には、時として愛情とは違うジャンルの、単純な労働力が必要になるのである。


「はい。……あ、でもその間、のほうをお願いできますか?」

 ハダルクはそういうと、自身の息子たちを置いて、そそくさと退出していった。


 ♢♦♢


 状況が、なにも解決していない(五七五調)。


 フィルの前には、五歳児ほどに退化したリアナと、さらにほぼ同年代の甥二人が並んだわけであった。三人で仲良く遊んでくれれば……と思うほど、フィルの内面はお花畑ではない。


「ハッ」

 叔母譲りの赤毛のヴィクが、リアナを前に馬鹿にしきった声をだした。

「こんなちっさい子、しかも女だろ。遊びにも混ぜられないよ。デイたちが面倒みられないからって、子どもに押しつけるなよな」

 子どもとは言え、正論である。フィルは沈痛な面持ちでうなずいた。


「あのね」ナイムがおどおどした笑顔を浮かべ、デイミオンの袖をひいた。

「僕のおもちゃで遊んでもいいですよ。僕もう大きいもの」


「ナイム、いいのか?」デイミオンは破顔した。「ありがとう。助かるよ」

「けっ」

「ヴィク……」

 いい子のナイメリオンといたずら小僧のヴィクトリオン、という構造は、そもそもフィルにとってはいくらか心配の種ではあった。ナイメリオンがライダーにして王太子であり、ヴィクトリオンがハートレスと分かった今では、さらにその懸念は大きくなっている。しかし、いまのところはどうしようもないわけで……。



 ナイムが部屋から持ってきたのは、木彫りの仔竜が並ぶ手押し車だ。子どもが押して歩くとカタカタと木を叩く音がするやつ。

 リアナは試すように車を揺らす。カタ、カタと素朴な音がして、仔竜がぴょこぴょこと首を動かした。

「わあ、懐かしいな」と、フィルは目を細めた。

「そうそう、ヴィクもナイムも、よくこれで遊んでいたな」と、デイ。

「俺、こんな子どもっぽいおもちゃで遊んだことないよ」と、ヴィク。

「子どもはみんなそういうんだ」

 デイとフィル、それにヴィクは思わぬ懐かしさに、和気あいあいと昔ばなしに興じた。ナイムもにこにこと見守っている。


 だが、大人二人が目を離したすきに、思わぬおそろしいことが起こった。


 ――カタカタカタカタカタカタッ!! 


 リアナが激しく音を鳴らしながら、手押し車を爆走させて走っていったのだ。おもちゃと思われぬほどすさまじく鳴る木の音と、暴走する車のインパクトに、その場の全員が一瞬、固まった。


「えっ」

 フィルが声をもらしたときには、すでにリアナは爆音と爆風とともに回廊へと消えていった。

「リ、リア!? 待て!!」これは、デイミオン。


「あっはははは、マジかよ! おもしれー!」

「僕のおもちゃ! わあああああん」

 ヴィクとナイムの声が、そのあとを追った。


 

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