星のベッド ②
フィルは、自分の狭い寝台をなるべく多く占拠しようと小さな腕と足をいっぱいに広げきった幼児を、複雑な思いで見下ろした。
フリルのついたかわいい木綿の寝巻を着せられている、金茶の巻き毛の女児。いくらぱっと見でリアナだと確信を持ったとしても、よく似たよその子どもだと思うほうが自然だろう。
しかし、この不可解な現象を、なぜか素直に受けいれている自分に気がついていた。竜族の長い人生、そういうこともあるかもしれないな。
そして彼が予想した最悪の出来事は、残念ながらすべて現実のものになった。
まず、目を覚ました幼女リアナが、「おうちじゃない」「イニがいない」と言って泣きだした。さらに近衛兵が、「デイミオン陛下が、リアナ陛下の件で内々にお力を借りたいと、急ぎ閣下をお呼びでして」とやってきた。そして、フィルの腕のなかでぎゃんぎゃん泣いている女児に、驚いて数歩後ずさった。まさかこの涙と鼻水にまみれた生物が、先の竜王にして現王妃とは思えまい。
フィルの行動は迷いがなく、すばやかった。その判断の速さと正確さが、彼を戦場で生き延びさせてきたと言ってもよい。
まずは近衛兵に、王に『状況に心当たりがあるので、まずは落ち着くように』という趣旨の伝言を(それなりに気を遣って)伝えさせた。なにしろあの兄は、〈呼ばい〉が通じなかったというだけの理由でリアナが死んだと思いこみ、山ひとつ平野ひとつを焼き尽くしかけた前科がある。フィル自身状況がまったく理解できていないものの、ひとまずリアナが無事であることは、是が非でも理解してもらう必要がある。これは、王国の安全にかかわる最重要事項だ。
それから、すっかり五歳児になったリアナの顔をふき、抱いてあやしながら、「イニはちょっと用事があって出かけてるけど、すぐに帰ってくるよ」と嘘をつき(やむを得ない)、「待ってるあいだに朝ごはん食べようね、知らないお兄さんがいるけど怖がらないでね」「ごはんの前にもう一回トイレ行こうね」と声をかけた。文章にすればほんのわずかだが、リアナを納得させるには実に半刻近い時間と、無限の忍耐力、そして熟練の兵士であるフィルにしても相当な体力を要した。
♢♦♢
「…………で?」
竜王デイミオンは、
「それは、これから調べないと」
「そもそも、なんでリアナがおまえのベッドにいたんだ?」
「知らないよ。俺だって理由を聞きたいくらいだ」
妻がベッドにいないと朝から大騒ぎした王は、ひとまず続き間の食卓で、フィルとリアナを迎えた。当人は椅子にどっかりと腰掛けて、不機嫌そうに二人を観察している。
本来なら彼女が口にするはずの朝食が、食卓には並べられていた。季節の果物と、野菜のポタージュ。昨晩のフラットブレッドを温めたもの。発泡水とお茶。
警備上の理由でだいたいの様子は知っていたが、それでも兄夫婦の寝室に立ちいったフィルは静かに落ちこんだ。ここでこの二人が……と考えだすと、そのままライダーの暗黒面に落ちていきそうである。できれば見ないまま城を立ち去りたかった。
しかし、それもこれもリアナのためと思えば、しかたない。そう思って腕に抱いた幼女を見ると、ほぼ五歳児のリアナは、こちらもかわいい眉を思いっきりしかめていた。
「……だれ?」
「ええと」
そうか。もちろん、五歳児のリアナだとすれば、デイミオンを知っているはずがない。ショックを受けないよう、うまいこと説明してやらねばなるまい。
(ん? そういえば、どうして俺には聞かないんだ?)
フィルがふと頭に浮かんだ疑問にとらわれているあいだに、デイミオンが弟の気遣いを無視するひと言を放った。
「おまえの夫だ」
「おっと?」
おうむ返しする幼女に、デイミオンは『なぜそんなことをいちいち説明しなければならないのか』という顔でため息をつき、続けた。
「おまえは私と結婚しているんだ」
「ああー……」
それ、いま、言わなきゃいけないことかな?
説明に苦労するのは、俺なんだけど?
日課のトレーニングもできず、早朝からリアナに振り回されっぱなしの男は、ほかならぬ兄のせいでそろそろ忍耐が限界だった。
(だいたい、俺じゃなくてデイが面倒みるべきなんじゃないのか? 自分の妻なんだから――……)
「や、や、やだぁぁ!」
フィルの鬱々としたもの思いを打ち破る、幼女の全否定。
「しない! けっこんしない!」
「しないじゃない。もうしてるんだ」
「やぁぁ!」
自分の腕のなかでのけぞって、思いっきり首を振るリアナ。幼女の姿とはいえ、妻に全否定されてショックを受けるデイミオン。フィルは、少しばかり兄にいい気味だと思わなくもなかった。
まあ、どうせ、単にイヤイヤしているだけで結婚という単語の意味も知らないのだろうし。
だが、続く発言に思わず息をのんだ。
「この人としない! ロッタとけっこんするんだもん!」
えええ??
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書き忘れていましたが、本編の第三部39話と終章のあいだにはけっこう時間があいています。そのあたりのお話です。(「お妃選び」も)
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