【レビューお礼】⑥ 喜びの歌

【レビューお礼】空知音さま宛 

(※第二部、21話「睦ぶ ③」中のお話です)


                ♢♦♢


 


 レーデルルの鼻先に、ぴちゃんと水滴が落ちた。


 まだ幼さの抜けきらない若い雌竜は、小首をかしげて空を見あげていた。空はピンクと、モーブと、主人ライダーの目のようなスミレ色とが混じりあっている。夜の毛布があたりを覆うまえに、少量の雨が降るだろうことが、彼女にはわかっていた。


 辛抱強くじっと待っていると、水滴が細い糸のような雨にかわり、ぽつぽつ、しとしとと身体を濡らしはじめた。レーデルルはうれしくなり、屋根をつたい落ちていく水滴を鼻先で散らして遊びはじめた。彼女がやすんでいるのは、めずらしい半透明の丸屋根のうえで、分厚いガラスを通して腹の下がじんわりと温かい。なかには緑の木がたくさんあって、とても暖かいのがわかった。


〔オレンジ〕レーデルルは呟いた。〔オリーブの木。杜松ネズの木。ピスタシア。葡萄ブドウ

 虹色に光る肌にたっぷりと水滴をためてから、ぶるっと震わせて水滴を飛び散らせる。白竜の目は天候を読むためひときわ精密にできていて、夕焼けと自分の身体の色を反射させながら飛び散る一滴一滴を追うことができた。シャボン玉に似ているが、きらきらと輝いて、あっというまに消えていく。


〔キヌア、アワ、キビ〕

 遊ぶのが楽しくなってきて、ググッ、ググッと喉をならしながら旋回をはじめた。

〔雑穀は干ばつに強く、テラフォーミング直後の不安定な土壌でも十分な収穫が期待される穀物です〕

 声を送っても主人ライダーからの返答はないが、ルルはかまわずに続けた。〔また長期の貯蔵に耐え、コメや小麦のアレルギーを持つ人でも食べられる点も好適です〕

 彼女はググッと鳴いて小首をかしげ、主人の生命兆候バイタルサインを定時チェックした。体温と脈拍、呼吸が普段より上昇している。


 旋回をやめてドームの上にもどり、主人の健康状態についてデータをふりかえっていると、急に空が黒くかげった。

 と、びしゃっと音を立ててなにかが落ちてきた。

 レーデルルは急いでそのなにかをキャッチした。口を不器用に動かして、入ってきたものを味わう。

〔イカ〕

 好物の味に、思わず尻尾を屋根に打ちつけた。〔大きい大きい竜。黒い〕


 喜んで甘え鳴きしている彼女のそばに、黒竜アーダルが降り立った。夜の毛布そのもののように巨大で、皮膚は黒光りし、羽ばたきの風で水滴が一気に吹き飛ぶほどだった。

 アーダルは金色の目で彼女を見下ろすと、イカを少しずつ近くに落としてやった。ルルはうれしさのあまりぴょんぴょんと跳ねていて、そのせいでかえって上手に食べられずに苦労している。食べながら喉を鳴らしているのが、いかにも仔竜だし、抜けて生え変わった胸の羽毛もまだ婚姻色になっていない。それでアーダルは求愛行動ディスプレイを中断し、黙って彼女の食事を見まもった。

 

 レーデルルが満腹になったので、雄竜は自尊心を満足させたようだった。残りのイカを一気に飲みこみ、げふっと音を立てた。雌竜は大きな音にちょっと驚き、目を見開いたまま数歩後ずさった。

 害がないことがわかると、警戒しいしい近づいてきて、見事な雄竜のまわりでまた遊びはじめた。雄竜は巨体をぶるっと震わせて、雌竜に水滴がたくさんかかるようにしてやった。レーデルルは喜んだ。


〔雨。雨。雨〕


 この土地にはじめて雨が降ったとき、それはまだ酸性の、生命にとって死の雨だった。その原初の記憶があるので、彼女は混じりけのない善い雨に出あうと気持ちが浮きたつのだった。


 主人ライダー生命兆候バイタルサインが落ち着きをとり戻したので、彼女は記録を終えた。『船内の秩序を保つため、決められた期間外の繁殖行為はなるべくお控えください』という昔のガイドラインは、すでに撤廃されて久しかった。それで、良き伴侶を獲得したことを寿ことほぐ言葉を贈った。


〔あなた、うれしい。息、心臓、新しい血の王子さま。うれしい〕


〔そうね。うれしいわ〕ようやく、答えが返ってきた。


 何代も何代も前の竜たちは、穀物の実らぬ徒労を、愛するライダーたちが飢えで死ぬ絶望を知っていた。竜の記憶は薄れるということはないが、ライダーの子どもたちが地にえていくと、感情の記憶は重要性が乏しくなり、竜の言葉もしだいにわらべ歌のように謎めいたものとなりはじめている。

 しかし、それは若いレーデルルのあずかり知らぬところだった。

 共有感覚経路から流れ込んでくる、主人ライダーの満ち足りた感情が、ルルには心地よく感じられた。黒竜の喉にぐいぐいと額を押しつけて甘えると、大きな鼻先が頭上から背中をこすってくれた。


〔もう熱くない、もう冷たくない。もう悲しくない。小麦、たくさんの小麦。みんなうれしい〕


 小雨のなかで、レーデルルは喜びの言葉を歌いつづけていた。


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レビューありがとうございましたm(_ _)m


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