春のお妃選び競技会 ③
5.もやもやする男
デイミオンはしょっぱい思いをあじわっていた。
叔母グウィナへの働きかけに失敗し、競技会の中止を引き出せなかったのがひとつの理由だ。それに、審査員たちへの介入もあまりうまくいかなかった。
もし、人間の国――たとえばアエディクラやイーゼンテルレ――の王妃を決める、という話になれば、それを競技会で選ぶなどというのはあまりにも突拍子がないと非難されるだろう。
しかし、〈呼ばい〉によって王位が継承されるオンブリアでは、王妃という地位に「世継ぎを生む」という価値観が含まれない。だから、この競技会も単に、デイミオンの一シーズンの相手を決めるという意味合いしかもたない。それなら、
だが、もちろん、デイミオンには大いに文句があった。
彼が立てた『つがいの誓い』は、カップルの
去年、まだリアナが
フィルがこの競技会のことをかぎつけたとすれば、候補者の姫君たちに入れ知恵してリアナ以外の女性に勝たせようと画策する可能性は十分にあった。いまのところ、護衛の名目で張りつかせているライダーたちからは、弟の接触を匂わせる兆候はないとのことだったが、あの男のことだ、油断はできない。
より大きな気落ちの原因としては、やはり、リアナがいないことだった。朝は一緒に朝食を取り、昼からの数時間は公務を手伝ってくれているのだが(ちょうど以前、彼が王太子だった頃とは逆に)、それが済むとレッスンやらトレーニングやらと称して意気揚々とどこかへ消えてしまう。そして、夕食と、そのあと少しばかりの夫婦水入らずの時間のあとは、彼女は城内のグウィナの部屋へと下がってしまうのだった。
もう、がっかりなんていうもんじゃなかった。失望ここに極まれりだ。
デイミオンが新妻に求めているのは、昼の時間も含めてできるかぎり長いあいだ一緒に過ごしてくれることだけで、もちろんより濃密に過ごしてはほしいが、それ以外の「貴族女性らしさ」や「王配としての器量」のようなものはそこにまったく含まれてはいなかった。第一、〈呼ばい〉の喪失によって王位を失ったとはいえ、もともと王であった彼女に不足があるとも思っていない。それなのに、リアナときたら……。
あの負けず嫌いを愛しているとはいえ、これがあと数日続くと思うと、
6.準備は念入りに
もやもやする新婚の夫をさておいて、リアナはやる気に満ちあふれていた。
靴音も高く練兵場にあらわれた上王の姿に、〈ハートレス〉たちが大いにざわめく。動きやすいリネンのブラウスとズボンの組みあわせは、彼らの訓練着と同じものだ。髪は編みこんでまとめてあり、普段とはずいぶん印象が違って見えた。
『まさか、リアナ陛下が俺たちとおんなじ訓練着きてここに来るなんて』
『やっぱり、お心の広い方なんだ。ライダーとハートレスを差別しない方なんだよ』
『そうだな』
『パートナーうんぬんの前から、連隊長やミヤミにも分け隔てなく接しておられたらしいもんな』
『そうだ』
『さすがだな』
兵士たちはおのおの、自分に都合の良いように解釈し、結果として上王リアナの株がすこし上がった。
「陛下」
トレーニングを依頼していた相手、つまり侍女のミヤミが、会釈して近づいてきた。リアナよりも若く、体格も小柄なくらいだが、ハートレスとして日ごろから鍛錬に励んでいるので適任だと目されたのだった。彼女と同じような簡素な訓練着姿で、黒髪は短いので結ばずそのまま、手には記録用紙を用意している。「お始めになりますか?」
「うん。お願い」リアナはうなずいた。
彼女は、ミヤミの指導のもと、筋トレを開始した。
「まずは器具を使わない、自重トレーニングからはじめるのがいいと思います。腕立て伏せやスクワットなどですね。簡単に見えますが、続けることで大きな効果を得られます」
そして、ミヤミはそのうちのひとつをリアナにやってみせた。続いて彼女にやらせ、角度や姿勢を細かくチェックした。「正しい姿勢で行わないと、身体をいためることもあるのです」
四半刻も続けると、リアナは汗だくになっていた。教官役のミヤミのほうは、彼女と同じくらいの運動をしていても涼しい顔だ。
いい頃合いにルーイがお茶を運んできて、休憩となる。
「実を言いますと、意外でした」
ほどよく冷めたお茶を二口ほど飲んで、ミヤミが言った。
上王のほうに用意されたのは冷水で、ここだけでもルーイの気配りが見てとれる。礼を言って、すぐに半分ほどをごくごく飲みほしたあと、リアナは返した。「なにが?」
「典礼や教養の方面とは違って、トレーニングは競技に直接関係しないでしょう。私のような兵士ならともかく、陛下がこのような訓練を受ける必要はないのでは、と思ったのです」
彼女にしてはかなり長文をしゃべったあと、ミヤミはまたお茶をひと口すすった。上王は顔の汗を布でぬぐった。
「そうでもないわよ。もちろん、付け焼き刃できる科目はきっちり準備してるけど、この機会に体力づくりに取り組むのもいいと思って」
「ですが、相手は五公十家の姫君がたでは?」
その問いに、リアナは急に真剣な顔になった。「そう……その姫君」
「あの二人には個人的に恨みがあるのよ。あとはあのタナスタス・ウィンター卿も参加してれば完璧だったけど、まあ贅沢は言わないわ」
「はあ」
話がつかめず、ミヤミは生返事をした。リアナは悔しそうに続ける。
「思えば、あの女――アーシャ姫には前にも冷や汁を飲まされたことがあったわ」
「煮え湯」ミヤミが指摘した。
「もしかして、冷や飯?」ルーイも首をかしげ、訂正例をあげた。
「ちょっと違ったかな」リアナは空咳をした。
「……とにかく、わたしが
(元)侍女たちはおし黙った。恩赦を受けた身とはいえ、アーシャ姫はリアナの暗殺をたくらんだ反逆者である。当然そのことを言っているのだとばかり思ったが、そうではないらしい。もちろん、姫の性格があまりよろしくないことは(とくにミヤミは)知っていたが、内心は『そんなことで』と思った。
「でも、セラベス卿は?」ルーイが尋ねた。「本が好きで、おっとりした方ですけれど」
「あの女はデイのシーズンの相手だったのよ! 対抗心を燃やして当然でしょ」リアナはさも当然のように言う。「わたしが眠れない夜を過ごしているあいだに、デイとあの女がやっていたことを思うと……」
思いだしたらまた腹が立ってきた、という様子で、上王はベンチに拳を叩きつけた。察しの良いルーイはすでに茶器を片づけていたので、割れたりせず無事だった。
「いいこと、たとえ政治の世界においても、最終的には腕力がものを言うのよ。わたしはあの二人に、個人的に、ものすごーく痛い目を見せてぎゃふんと言わせたいの。わたしの前にひざまずいて、『参りました』って言うところが見たいのよ」
(元)侍女たちは、また、おし黙った。アーシャ姫をぎゃふんと言わせたいリアナの気持ちは、まだ想像できなくもないが、セラベス卿のほうは完全にとばっちりだ、と思っていた。それに、この二人はどちらもフィルバートのファンでもあったので、デイミオンよりもむしろ彼の献身的な愛情を得ているほうがうらやましいなぁとも思った。
でも、二人はとても賢い少女たちだったので、無駄な口をはさむことはしなかった。
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