【レビューお礼】④ 幸福な家

【レビューお礼】@asami-kさま宛 ②

(※最終話のあと、ニザランでのお話です)

(※ややBL注意)



 〈鉄の妖精王〉の客人として与えられた古く小さなコテージを、クローナンはなかなか気に入っていて、なるべく居心地よくなるようにと細々こまごまと手を加えていた。傷んだ床材は張り替えたし、猫の額ほどだが庭もある。台所などはとくに気合をいれて、王城の厨房にも劣らないしつらえにしてあった。

 彼は皮肉まじりに以前の生活を『生前』と呼んでいたが、その、クローナン=アイス・ニシュクは青の竜騎手ライダーで竜王で研究者だった。聡明だが病弱な男に王の荷は重く感じられ、こうして解放されてみると、もはやもとの貴族の暮らしに戻りたいとは思わなかった。

 『研究』についても、戦時中の薄暗い記憶がよみがえってくるので今では手をつけなくなっていたが、その代わりというのか、手料理を作るのが日々のたのしみになっている。

 女官たちがどこからともなく運んでくる、得体のしれない食材にもだいぶん慣れた。近隣の産らしい水牛のチーズや野菜、どこで挽いてあるのかわからない小麦、アエディクラのオリーブ油まである。だが、それにもましてキノコ、キノコ、キノコ。『水竜の白いフン』『野分のわきのあとのあした』など、さっぱり本質のわからない名前を聞かされたので、自分で植生を調べ味見をし、散文的だが特徴のわかる名前をあらたにつけなおしている。前の例で言うと、『オオシロフウセンダケ』、『クリイロチヂレダケ』という名前にした。そのお手製のキノコ図鑑は、最近ではもっぱら〈夏の女王〉マドリガルのお気にいりだ。



 春の細い雨が屋根をうち、時おりぽたりぽたりと雨だれの音を立てた。


 隣には名ばかりの書斎があるが、ほとんど子ども部屋と化していて、いまはマドリガルが昼寝をしている。手のかからない静かな女児だ。数日前に、日持ちのするドライフルーツのケーキを焼いておいたので、昼寝のあとはそれを食べさせればよいだろう。ふと、姪の子ども時代を思いだした。アーシャは夜泣きが激しくて、食も細く、手のかかる子だったな。


 木のボウルに入れた材料をかき混ぜていると、扉があく音がした。雨音が近くなり、閉まるとまた遠ざかる。体格の良い男の、重みのある足音が近づいてくる。

 台所に入ってきた男に、クローナンはボウルの中身をすくったスプーンを差しだした。〈鉄の王〉は腰をかがめてそれを口に含み、しばらく考えてから、「焼く前のクッキー生地かなにかか?」とのたまった。

 考えた結果がそれか。クローナンはあきれた。

「そんなものを味見させるはずがないだろう。……マッシュルームのステーキにかけるチーズのソースだ」

「そうか」

「すこしクミンが足りない気がする」

「そうか」

 この男に味見を期待していたわけではなかったので、クローナンは自己完結して頭上のスパイス棚に手を伸ばした。背後からマリウスが手を伸ばし、彼にかわって素焼きの壺を取った。大柄な男で、こういうときに役に立つ(言いかえれば、こういうとき以外にはさほどの役に立っていない)。

「これか?」

 男が離れると、雨の残り香がただよってきた。そのときふと、かれが手にした紙筒に気づいた。「手紙か?」

「ああ。リアナからだろう」

 マリウスはボウルや野菜が載った作業台に浅く腰かけて、小さく折りたたまれた紙を開いた。伝令竜バードを使うので、あまり大きな紙は使えないのだ。

「なんて書いてあるんだ?」

 青菜を練りこんだ小麦の生地を作りながら、クローナンは尋ねた。地域身分を問わずオンブリアでよく食べられている、肉餡を包んだスープ団子ができる予定だ。


 マリウスは手紙を読みあげはじめた。


「『ニザランではいろいろお世話になりました』」

 簡素なあいさつに続き、ニザランを出たあとの彼らの動きが要点をまとめてつづられていた。ニエミとともに南部国境へ向かい、アエディクラとの戦争になりかかっていた黒竜部隊を止めたこと。和睦とその条件について。〈竜の心臓〉摘出後の経過。エリサ王の娘が、母とは違い和平の道を選んだと聞いたクローナンはずいぶんほっとした。〈竜殺し〉フィルにニザランに連れてこられたリアナは、『魔王』と呼ばれた母とはずいぶん異なってみえたが、肝が据わったところもあって、さすがにゼンデンの血筋だと思ったものだった。

 もの思いにふける間もなく手紙は終わったらしい。マリウスは裏面を読みあげた。


「『追伸1:デイミオンと結婚しました』」


「おお、そうか……」クローナンは歓声をあげた。「あの黒竜大公と、あなたの養女が結婚なんて、感慨深いな。黒竜の王と白竜の王配か。めでたいことだな」

 人間味(竜族味?)のあるコメントを返しているクローナンとは対照的に、リアナの養い親だった男はそこにはなんの反応も見せず、読みつづけた。


「『追伸2:わたしが相続した、あなたの元・所領は友だちにあげました。あしからずご了承ください』」

 そして、なぜかここで爆笑した。「ははは、ここを見ろクローナン。が間違っている」


「ちょ……えっ!?」この不死の身体になってからというもの、はじめてではないかと思うような奇妙に裏返った声が出た。「あなたの所領を……なんだって!?」


「うん。『所領エゲーロー』の二つ目の重なった子音が抜けている。ほら」言いながら、手紙をクローナンのほうに傾けて指さした。「あの子はせっかちだから、よくそういうミスをするんだ」

 そして、出来の悪い生徒を見る教師の顔で紙をながめ、「やれやれ」と首を振った。

 だがクローナンはそれどころではない。

「つづりどころじゃないだろう! あなたの所領をにやったと言っているんだぞ!? 五公十家の、先祖伝来の領地と軍隊と古竜とを!」

 それを聞いても、マリウスはベリー色の淡い瞳をぱちぱちさせただけだった。

「別にいいんじゃないか? ほかに相続人がいたわけじゃなし。タマリスで湿った場所の石をひっくり返して調べれば、親族の一人くらい見つかるかもしれないが」

 ハサミムシを探すような口調で言い、また紙をひっくりかえした。念入りに調べて、ほかになにも書いていないとわかると、興味を失ったように作業台の上に放りだした。紙はカゴに満載の豆のうえに落ちた。


「この豆はどうするんだ? くのか?」

 そう訊いてくるマリウスに、クローナンはもはや反論をあきらめるしかなかった。この男にはなにを言っても無駄なのだ。思えば、本当に、昔から、そうだった。ふつふつと怒りがわき上がってくる。


「あなたの家が断絶しないように奔走した私の苦労は、なんだったんだ」

「徒労だったな」

 マリウスはあっさりと言った。「なあ、この豆はどうするんだ?」

「豆なんかどうだっていい!」

 練った生地を怒りにまかせて切りつける。ちょうど切るものがあって助かったとこの男は思うべきなんだ。ほかになにもなければ、この男を切りつけたくなるに違いないのだから。


 そんなクローナンの作業を背後からじっとながめ、〈鉄の王〉は心底不思議そうに訊いた。

「どのみち家系はとだえていただろうに、なぜおまえが心配するんだ?」

 直截に言われて、クローナンは思わず顔をそむける。「やりようはあったはずだ。理解のある女性を探すとか。とは逆の女性もいる。性交渉の際だけ協力してもらって」

「おまえは医者だからそう言うがな、そのやり方ではちょっと私は盛りあがれないぞ」

「なぜそんな冷めたことが言えるんだ。竜祖から受け継いだ血族と家が続くようにするのが、五公十家に生まれた者のつとめじゃないか」

「まだそんなお題目を信じているのか。個人単位での努力は報われることもあるだろうが、いずれ竜は滅びるしライダーも消えていく。無駄な抵抗だ」


「どうしてあなたは……」あまりのセリフに、クローナンは声を失った。仮にも竜の子どもたちを護り導く立場の竜騎手ライダー、しかも〈黄金賢者〉であったのに、どうしてそんなことが言えるのか。「あんまりだ」


 感情が抜け落ちたようなクローナンの声に、マリウスはびっくりした様子で立ちあがり、彼を背中からすっぽりと抱きしめた。

「クローナン、すまない。またおまえを怒らせたか」

「やめろ、離せ」クローナンは背後の男を肘打ちしようとしたが、その手は読まれていて腕をつかまれてしまった。雨に濡れた男の匂いに、よけいにいらだちが増す。どうして身体を拭くのを面倒くさがるんだ、この男は?

「どうして怒っているかもわかってないくせに」

「だが、おまえに嫌われたくないんだ」

 怒りのまま握りしめた拳の上から、マリウスが褐色の大きな手を置いた。「おまえは責任感が強すぎる。王ではなくなって何年たつ?」

「……わかっている」

 クローナンはなんとか力を抜こうとした。「私はもう死んでいるんだものな。……だが、祖国だ。かれらがどうなっていくのか、気になるんだよ。衰退するとしたら、それを目にしたくないんだ。……こんな幽霊のような身体で、永遠に生きるかもしれないなんて思わなかった」

 マリウスは小麦にまみれたクローナンの指を撫でた。「……ああ、私もだ」

「じゃあなぜ私を生き返らせたんだ? 死なせたままにしておいてくれればよかったのに」

「一人になりたくなかったんだ」低く、甘い声が言う。

 クローナンは力なく笑った。「最低の男だな」


 しばらくして、大きな背中をまるめ、不器用そうに豆を莢から出すマリウスを、クローナンは次の作業に移りながら見まもった。

 かつては、この男と一緒に地獄に落ちてもいいなどと考えていたこともあった。もしかしたら今がその地獄なのかもしれないが、ゆるやかな呪いにも似た、人生とも呼べない暮らしの居心地のよさを、クローナンは後ろめたく思わずにはいられなかった。




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