小話 ②【第二部読了後にどうぞ】

【小話3】デイミオン卿の浮気調査


(※第二部 3-4話あたりのタイムライン上にありますが、ギャグなので整合性は微妙です)


 早朝の練兵場にて。

 

「なに?」

 デイミオンは、はっとして声を低めた。「タナスタス卿から返事が来た?」

「はあ」ハダルクは防具の手入れに気を取られていたが、いちおう上官である男に返答した。

「ですが、繁殖期シーズンの申し込みはお断りするようにと、先日言っておられましたでしょう? それで……」

「ば……馬鹿! タナスタス卿のお誘いをお断りする男があるか!」デイミオンは怒鳴った。


「急いで謝罪と取り消しの手紙を――いや、直接行ってきたほうが」

 目に見えてそわそわする上官に、ハダルクはあきれたまなざしを送った。

「よろしいですけど、陛下にバレるとまずいのでは? それでなくても、繁殖期シーズンのことであまり心証がよくないようですし」

 黒竜大公の目に動揺が走った。

「……私の〈ばい〉対策は完璧だ、おまえが黙っていれば済むことだ」

繁殖期外恋愛うわきは感心しませんな」

「人聞きの悪いことを言うな。これは……視察だ」



 こちらは、王の謁見えっけん室。

「なるほどね」

 ふつふつと怒りを沸きたたせながら、リアナはひざまずく密告者を見下ろした。「デイミオンが。タナスタス卿と。デートと」


 密告者、つまりテオは、いちおう善意の忠告をした。

「あんま追い詰めちゃダメっすよ陛下、そゆことすると、男は逃げたくなっちゃうもんスから……」

 が、そんな男の都合に耳を傾けるリアナではない。午後の謁見予定を無理くりに午前に振り分け、さっそくデートを尾行する算段を立てはじめた。隣では、護衛(としか言いようのない役職)のフィルバートが、にこにこと事務作業を手伝っている。


 不毛な調査はやめておいたほうがいいのでは、と言おうとしたテオだが、かつての上官の視線に凍りついた。戦場ではその目ひとつが突撃の合図ともなった、言葉よりも多くを語る目が、「よけいなことを口に出したらおまえの然るべき関節をはずすが、雨の日がわかるようになりたいか?」と言っていた。


 いいえ、なりたくありません。ふるふる(首を振る音)。



 そんな男の本性など知らないオンブリアの王は、 

「言っておくけど。別に気になるからとかじゃないから」

 と捨て台詞を残して自室に引きあげていった。



**


デイミオン卿とタナスタス卿のデート先は、城下街だそうである。なにをしに行くのかはしらないが。

 いいご身分ね、と怒りをさらに溜めながら、リアナは外出の支度をする。


「目立つ服は避けたほうがいい。街着は持ってますか?」

 フィルが後ろから声をかけた。


「里から着てきたやつが確か……」


「それもいいけど、これはどうかな」

 背後から長い腕がのびて、クローゼットの端からデイドレスを取りだした。

 象牙色の生地に、ラズベリー色のブロード飾りがついている。袖とすそが活動的に短くなっているので、ワンピースといってもさしつかえないだろう。

「わ、かわいい」


 フィルがなぜ自分のクローゼットを把握しているのか。疑問に思ってもよさそうなところだが、リアナの小さい頭は今のところデイミオンの浮気疑惑でいっぱいなので、フィルに対する疑問が入る余地はなかった。


 素敵なワンピースに真新しいショートブーツ、という出で立ちを鏡に映す。なかなかいいな、と本来の目的を忘れてつま先立ち、くるりと一回転した。


「似合っていますよ。かわいいな」

 フィルが言う。手にはワンピースに合う色のコートなど掛けている。


「そうかなぁ」髪も簡単に結って、リアナは当初の目的も忘れ、すっかりご機嫌になった。



***


 リアナのご機嫌は、城下街に降りるまで続いた。


 尾行ということで、いちおう露店の影などにいる。竜車を降りたデイミオンは待ち合わせ場所らしい広場にたたずんでいる。リアナのご機嫌も急降下だ。


「これ以上近づくのは難しいな」と、フィル。「俺ひとりならぎりぎり背後までいけると思うけど、あなたも一緒だからね」

 そこはかとなく恐ろしい能力を披露された気がするが、リアナは細かいことは気にしない性質たちだ。


「大丈夫。秘策があるわ」

 にやりと笑うと、手を前に構えて竜術で弱い風を起こしはじめた。集中しながら説明する。

「こうやって……空気を集めると……小さい音が聞こえるようになるのよ」

「あぁ、そういえば白のコーラーがそういう術具を持ってましたね」

 便利そうだな、とフィルがのんびりと言う。


「秘儀! 集音!」



「ターニア」

 待ち合わせにあらわれた女性を前に、デイミオンは弾んだ声を出した。

「もうお返事はいただけないものかと思っていました」



「あれ、あの女性ひとは」フィルがつぶやいた。


「で、あの女は? 何デラックスなわけ?!」

 リアナは相手の女をにらみ殺す勢いだ。


 横から、フィルが解説する。

「オンブリア社交界の優雅なる一輪のバラ、レディ・ターニアこと、タナスタス・ウィンター卿ですよ。へえ……デイのやつ、やるな」


「どこのロースだかバラだか知らないけど、デイの三倍くらい太ってるじゃないの!」

「うーん、ちょっとふくよかではあるかな?」

 多産を最上の美徳とするオンブリアの男たちは、概して肉づきの良い女性が好きである。(経産婦なら、さらによし)


 美青年と、その三倍ほどの横幅がある貴婦人は、楽しげに連れだって近くのカフェに入った。しばらくすると飲み物など手にして出てくる。


「くやしいぃぃぃ」

「お察しします」

 柱の影からハンカチなどぎりぎり噛みしめそうなリアナだが、フィルは「そうだ」となにかを差し出した。


「朝ごはん、まだでしょう? さっき買ったんだけど、甘いもの食べませんか?」

 監視しながら嫉妬の炎を燃やすのにいそがしい少女の口に、フィルが長い指でなにかを押しこむ。さくっとして、まだ温かく、ほくほくしている甘いもの。


「だいたい、ほかにも通ってる女がいるくせに、むぐ」

「やぁ、貸本屋に入りましたね」

「あのセラベスとかいう女はどうなったの? そもそもわたしのことは? もぐもぐ」

「城下にも新しい店が増えたなあ。……マカロン、もうひとつどう?」

「もぐもぐ、その緑色のクリームの、おいしい。もう一個食べたい」

「ピスタシオのクリームですよ。俺もこの味好きだな」


 はたから見ると、二人は焼きたての菓子など仲良く分けて食べ終えていた。



****


「まあ、相手にとって不足なし、ということは認めるわ」

 リアナはしぶしぶと言った。


 視線の先には、恋人と呼ぶには少しばかり頼りない関係の青年がいる。隣の女性と楽しげに笑いあっては、治水工事の専門書や、イティージエン様式の建築、古竜の健康に良い食餌などについて会話が弾んでいる。

 そんなにも長くデイミオンと会話したことなどないリアナは悔しくてしかたがない。これが教養の差というものなのか。


「ノド渇きませんか? ローズマリーのサイダー、さっぱりしますよ」

 横から手が伸びてきた。しゅわしゅわとして冷たい液体を口にふくむ。「あ、これおいしい」



 しかし、二人が尾行をはじめて、もう半刻が経とうとしている。

 サイダーはおいしいし、城に缶詰めになっているよりも街を歩くほうが楽しいのは事実だが、そろそろ疲れてきた。


「歩き疲れたわ」つい、愚痴がもれる。

「あのデ〇女、意外と動けるわね。内ももを肉離れすればいいのに」

 王にも年頃の少女にも似つかわしくない暴言だが、フィルはにこにことそれを見守っている。


「少しくらい目を離しても行く先はわかりますから、ちょっと休憩しましょう」と言った。


 なぜか路地裏に招くので、不思議に思いながらついていく。と、ワイン樽に腰を下ろすようにうながされる。外出時には基本的に護衛の言うとおりにする習慣のリアナだ。黙って従うと、フィルが片膝をついてしゃがみ、靴を脱がせた。

「ほら、靴擦れが」

 言われてはじめて気がついた。たしかに、小指のあたりが擦れて赤くなっている。

「おろしたての靴なんか履いてきたからだわ」

 かわいいワンピースに浮かれて、新しいブーツを選んだ自分が悪い。ため息。あのターニア・デラックスのほうが賢いし、たぶんデイミオンに好かれている。さらにため息。


 だが、かいがいしく手当て用の布など取りだしたフィルを見て、びっくりする。


「そんなことしなくていいよ!」リアナは慌てた。

「今日は、オフだったのをつき合わせてるのに……」


「いいから、やらせてください」

 物腰はやわらかいが、相変わらず有無を言わせない青年だ。仕方なく、手当をされるにまかせた。お茶を淹れるときの手つきなどが優雅なので気がつかなかったが、こうして見ると意外とごつごつしている。剣だこというやつだろうか。



「はぁ……なんか、むなしくなっちゃった。デイミオンって、モテるのね」

 茶色のつむじに向かってつぶやく。「ルルとボール投げでもして、遊んでたほうがよかったわ」


「そうかな? 俺は楽しかったですけどね」手当てを終え、立ちあがる。「……こすれたところに布を当てているけど、また痛むようなら言ってください」

「ありがとう」

 優しい青年なだけに、リアナが気に病まないように気を遣ってくれたのだろう。まあ、楽しかったところもないではない。焼き菓子とか、しゅわしゅわする飲み物とか。「……かもね」



 腰を上げたリアナは、そろそろと足を踏み出してから、「帰ろ」と言った。


「帰りはおぶっていきましょうか?」

「もうー……フィルが言うと、なんだか冗談に聞こえないよ」



*****


 魅力的な女性との時間は早く過ぎる。デイミオンはそれを痛感した。そろそろ城に戻って、放り出した雑務に向き合わねばならない。あまり長く〈呼ばい〉を閉じておくのも心配だし。

 それで本題を切り出した。


繁殖期シーズンの申し入れがあった男性数名と、あなたがお会いしていると聞きました。こんなふうに、一度だけ、昼に」

「はい」

 ターニアはうなずいた。

「子どもも小さいものですから、しばらく家族水入らずで、繁殖期シーズンのお勤めもお休みさせていただこうと決めましたの。それで、これまでお誘いいただいた方に、お詫びとお断りを兼ねてご挨拶まわりをしております」

「そうですか」

 デイミオンは端正な顔に憂いをたたえた。「あなたのような方が……タマリスは火が消えたようになるでしょう」


「デイミオン卿こそ、今年の繁殖期シーズンは新規のお申し出を全部お断りなさったとか。きっと、特別に感じる女性にお会いになったのでしょう?」

 デイミオンは、本当に珍しいことだが、耳を赤くした。


「その……経験豊富なあなたに、ご意見を頂ければと思うのですが」

「もちろんですわ、デイミオン卿」

「仮定の話として、若い、繁殖期シーズン前の女性がいるとしまして。その、友人の話なんですが――」


 その相談は、さいわい帰城途中のリアナに聞かれることはなかった。



******


 お忍びの城下街探索には、ケブら数人が壁の染みのごとく護衛に貼りついていた。かつてフィルの副官だったテオは、だいたいこういう場合には彼の代替的な役割となるので城内に詰めていたが、戻ってきた王を見て一言言わずにいられない気分になった。


「なんであんたら、あんな密着して帰ってくんの?」


 自室までリアナを送りとどけ、詰所に戻ってきた男にそう尋ねる。


「陛下が足を痛めたんだ。靴擦れで」

 なにが嬉しいのか知らないが、しみじみと水など飲みつつ答える。「かわいそうに、こすれて赤くなっていた。新しい革靴はダメだな」

 言葉とは裏腹の、この世の春と言わんばかりの満面の笑みだ。

「ほおー」

 もしかしてその革靴は、という問いは飲みこんだ。関節をはずされて、雨の日をその痛みで察知できるような身体にされたくなかったからだ。がくぶる。


 フィルバートはじっくりと座って仕事をする男ではない。立ったまま報告書に目を通し、水を飲み終えると、さっさと扉に向かった。振りかえりざまにコインを投げ、テオがそれをキャッチした。念のため、灯にかざして確かめる。「毎度」


 テオが思うに、間諜スパイとはこうして使うものなのである。






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