第9話~正直者のタヌキと化かし上手のキツネ~
「私、園長の事が好きなんだ」
フェネックは言った。
「えっ…………?」
最初何を言っているのかわからなかった。
聞き間違なのではないかと自分の耳を疑う。
周りの音が一瞬で消え去り、目に見える景色が色を失い崩壊していくような目眩に襲われる。
え、と発音した声は不自然なまでに上ずっており、そのことにすら気付いていないタヌキはその場から動けなくなってしまった。
「えぇーーーーーーーーーー!!?!?」
「ふっふっふー。相変わらずタヌキの反応は期待を裏切らないねー」
「そ、そんな…………。フェネックちゃんが…………」
嘘だ、という気持ちより先にどうして、と思った。
これまで散々からかいながらも、一番身近で協力してきてくれたのは他ならぬフェネックだ。
今回だってまたからかっているのかもしれない。真っ先にそれを疑った。でなければ、明日に控えた園長とのPIPライブデートを目前にしてそんなことを言ってくるはずがないのだ。
「と、言ってもまぁ、私の言う好きっていうのは多分タヌキが考えてるのとはちょっと違うと思うけどねー」
「どういう……こと?」
「ちょっと散歩でもしながら話そっか」
◇
「パーク・セントラルを取り戻す時さ、ちょうど私とアライさんはここで戦ってたんだー」
懐かしいな、とキレ長の目を更に細め遠くを見るように彼女が呟く。
夕暮れ時の森林公園は人影も殆どなく、並んで歩く二人の影法師だけがゆらゆらと揺れていた。
目の前に見える大きなアスレチックが重々しく視界を塞ぐ。遠くから見えるアスレチックはこの公園のシンボルともいえる立派なものだったが、よく見るとそこかしこに傷がつき塗装も剥がれており、まだここでの戦いが完全に過去のものになっていないことをまざまざと表していた。
「フェネックちゃんはどうして」
「ん?」
訊かずにはいられなかった。乾燥してひび割れた唇がピリピリ痛む。
「フェネックちゃんは……どうして、園長さんのこと、ずっと内緒にしてたの」
彼女は黙っていた。
答えられないというよりは答えを選んでいるように、口元に指を添え虚空を仰いでいる。
夕日のオレンジ色が嘘みたいに赤く、暗みがかった藍色の空と混ざり合うことなくぼんやりと揺らめいていた。
時間の流れがここだけ止まっているかのように遅く感じる。
やがて彼女がゆっくりと口を開いた。
「私はね、パークでアライさんや皆と馬鹿なことして面白おかしく過ごすのが大好きなんだ。絶対に失いたくないって思ってるし、いつまでもこの楽しい時間が続けばいいなって思ってる。私にとって園長はそんなかけがえのない世界を守ってくれた命の恩人なんだよ」
彼女のいつになく真剣な眼差しがタヌキを射止める。こんな顔は見たことがなかった。
そしてまたふっといつもの砕けた表情に戻って続ける。
「私がさっき言ったタヌキの考える好きとは違うっていうのはそういうこと。だからまぁ、そんな構えなくても大丈夫だよ」
ぽん、と彼女の手が肩に触れる。そうして初めて、自分の身体が思っていた以上に強張っていたことに気付いた。彼女の体温がその掌を伝って氷のように固く硬直した全身を溶かしていく。
タヌキはようやく安堵の息を漏らした。
「良かったあ……。てっきりフェネックちゃん、本当に園長さんのこと好きなのかと思っちゃったぁ」
「なーに言ってるのさー。仮に私が園長にそういう感情を抱いていたとして、どうしてタヌキに協力するのさ」
「そ、そうだよね。でもフェネックちゃん、優しいから……」
「私が?」
思わず彼女が聞き返す。
「うん、優しいよ。普段は全然そんなこと考えてる素振りも見せないのに、実は誰よりもパークや皆のこと一番に考えてて、いつもどこかで自分に無理してるんじゃないかって思ってたの。そういうとこ、園長さんとちょっと似てる……かも」
彼女はタヌキの話を目を丸くして聞いていた。「ぷっ」という吹き出すような声が聞こえてきたのはそのすぐあとだった。
「ふ、ふふふふふ……」
「えぇ!?どうして笑うの!?」
「ご、ごめんごめん。タヌキがあんまりにも面白いこと言うからつい」
堪え切れない、といったようになおも口に手を当てて顔を伏せる。その様子をタヌキはただおろおろしながら見つめることしかできなかった。
「はぁ~あ、やっぱりタヌキは凄いなぁ。皆が認めるだけあるよ」
うんうん、と一人納得するように頷く。タヌキの反応も気にせず「実はね」と彼女が語り始めた。
「私が本気でタヌキを応援しようと思ったのはつい最近のことなんだ」
「えっ」
彼女が再びゆっくりと歩き出す。それに倣うようにタヌキもそのあとに続く。中途半端に近くて遠い距離感だった。
「最初はほんとにちょっと面白そうだから付き合ってみるか程度だったんだ。でもまさかあのタヌキがここまでやってくれるとはねぇ」
「あのってどういうこと!?っていうかそんな気持ちで今まで協力してたの!?」
思わず言い返すがフェネックは怯まず続ける。
「だって最初の頃なんか毎日園長のこと尾行して木の陰からニヤニヤしてるだけだったんだよ?」
「そ、そんなに酷くないよ!」
黙って聞いていれば全くもって酷い言われようである。だが形ではそう言ったものの心の中ではどこか否定し切れない自分がいることがもどかしかった。
最初の頃を思い出す。
彼女に言われた木の陰から園長の姿を眺める自分は何だか自分じゃないみたいで、随分と昔のことのように思えた。
今でも彼を前にすると緊張することはある。
だが前みたいに緊張のあまり言葉が出てこなくなったり情緒不安定になったりということはなくなったし、今では彼の方から心配して家を訪ねてくれるまでの関係性になった。
自分が何か特別なことをしてきたとは思えないが、それでも彼との距離は確実に縮まっている。
あと一歩、だと思う。
「告白するんでしょ、明日」
その問いに呼吸が一瞬止まる。
首根っこを急に掴まれた時のように息が詰まり言葉を失った。
「どうして……それを」
「どうしても何も、今までのタヌキを見てれば誰だってわかると思うよー」
ケタケタと笑いながら彼女が言う。
「そんなにわかりやすいの!?」と咄嗟に聞いたが「さぁーねー?」とはぐらかされるだけだった。
掴み所のない彼女と話しているとこういうことが多々ある。
タヌキはただキャッチボールをしているだけなのに彼女は素知らぬ振りをして全力投球してくるものだから油断も隙もあったものじゃない。
そんな彼女を横目に見ながら、今日のフェネックはよく笑うな、と思った。
「でもね……正直言うと私もまだよくわからないんだ」
はぁ、とため息をつく。
「確かに私は園長さんのことが好き……だけど。でもそれは私だけじゃなくてコモモちゃんやライチョウさんだってそうだし、まだまだ園長さんのこと好きな子はたくさんいて……。そんな中でこんな私が……って言ったらまたコモモちゃんに怒られちゃうかもしれないけど」
そう言って苦笑いを浮かべながら俯く。彼女に言われたことがまだ心の中をあたたかく照らしていた。
タヌキのコモモちゃん、という呼び方にフェネックの表情がふっと和らぐ。
「まだわからないの?そんなタヌキだから、皆は応援してくれてるんだよ」
その一言にタヌキが顔を上げる。
「コモモもライチョウも、ベリーさんもアライさんも、そして私も……。皆園長を救ってくれたタヌキのこと応援してる。別にタヌキが園長に告白したところで誰も抜け駆けだなんて思わない」
だから、と言い添える。
「もっと自信持ちなよ。そんなんじゃ他の子に園長を取られても文句は言えないよー?……そう、たとえば私とかねー」
「えぇ!?だってフェネックちゃん、さっき園長さんに気は無いって……」
「さぁーねー?女の心変わりは恐ろしいって言うからねー」
わざとらしくおどけた様子で彼女がからかう。
まだここに着いた時には明るかった空は、いつの間にか夕闇の濃い色に変わっていた。頬を掠める風が程よく冷たい。
「やーちょっと語りすぎちゃったかな」
「ううん。私も今日フェネックちゃんと話せて気持ちの整理がついた気がする」
「私のほんとのきもち、伝わったかい?」
「うんっ!」
その時あ、と思い出したように持ってきた紙袋を手渡す。
「この前借りたPIPファーストライブのDVD。ありがとう……私これのお陰でだいぶ元気貰えた」
「あ、それ園長のだから園長に返しといて」
彼女はなんとなしにそう言うと、踵を返し元来た道を歩き出す。
「えぇっ!?」という驚嘆の声は今日だけで何度発したことだろう。
彼女はどこまでも驚かせるのがうまい。
タヌキをからかい笑うその笑顔の下には一体どんな感情が渦巻いているのだろう。
彼女の先程言ったほんとのきもちは、もしかしたら誰にもわからないのかもしれない。
正直者のタヌキと化かし上手のキツネ、何もかも正反対のふたりの並んで歩く靴の音だけが気持ちよく空に響いていた。
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