第8話~恋はトマトと梅干しと中濃ソースとチョコレート味 後編~

 タヌキは彼女の告白をただ静かに聴いていた。

 まだフレンズ化して間もない頃、一人滝にいたところをセルリアンに襲われ園長に助けられたこと、グループ結成に一緒になって尽力してくれたこと、バレンタインで暗闇の中周りの目を盗んで彼と密着したこと、そのどれもがタヌキにとっては経験したことのない、とても羨ましいものだった。

「す、凄い……。園長さんと暗闇の中、み、密着……」

「うふふ……。まぁそのあとちょっとした手違いで食べたチョコレートにあたって倒れてしまったのだけど」

「えぇ!?だ、大丈夫だったの?」

「えぇ。その時は園長さんが自ら私のことをお姫様抱っこして救護室まで運んでくれましたの」

「お、お姫様抱っこ……」

 頭がくらっとする。彼女はそのことすら特に鼻にかける様子もなくただ淡々と話していた。もしかしたらこれ以上の何かをしているのかもしれない、そんな不安が頭をよぎる。何か、と言ってみたもののそれが具体的にどういうものであるのか想像出来ないのがもどかしくもあり、有り難くもあった。

「で、でも!私だって……!」

 思わず声が出る。しかしその先に続く言葉が見つからなかった。

「……よく考えたら私、園長さんから何もしてもらったことない……」

「何もってことはないでしょう?」

「だ、だってこの前のライブで園長さんが付けてたリストバンドは貰ったあとすぐに駄目にしちゃったし、昨日園長さんが家まで来てくれたけど結局その日は……」

「……あなた馬鹿にしてる?」

 え、という言葉が出るより先に彼女が矢継ぎ早に言葉を浴びせかけてくる。

「園長さんの付けていたリストバンドを貰った?園長さんが直々に家に来た?そんなの……そんなの!私は一度も経験していない!!」

 捲し立てるように一息で言うと、そこでプツッと電池が切れたように「羨ましい」とただ一言呟いた。

 露骨に肩を落として落ち込むのを見て、この人でもこんな風に落ち込むことがあるのだと思った。

 好きな人が自分以外の誰かと親しげにしていたり、何かを貰ったりしていれば誰だって嫉妬もするし羨んだりもする。それはタヌキが彼女達に散々抱いてきた感情でもあった。そう思うとより彼女の存在が身近に感じられ、途端に親近感が湧いた。彼女だって自分と同じ、恋する乙女なのだ。

「コモモさんでもそんなに嫉妬したりするんだね……。ちょっと意外」

「失礼。私としたことがつい取り乱してしまいましたわ」

 はしたない、と口元に手を当て元通り優美な微笑を浮かべる。

 彼女のこのスイッチのオンオフが激しい、言ってしまえば情緒不安定なところも今では自然に受け入れられていることに気付いた。ついさっきまでの恐怖は一体どこへ行ってしまったのか、自分でも不思議に思ってしまう。

「それに」と彼女が続ける。

「私は園長さんの全てが欲しい。園長さんの愛を、身体を、心全てを私のものにしてしまいたい……。あなたのようなライバルに負けない為にも、ね?」

 ――ライバル。彼女は今確かにそう言った。その言葉を聞いて急に胸の奥がじわり、と温かくなる。思わずえへへ、と笑みがこぼれるのを見て彼女は不思議そうに首を傾げた。

「ごめんね。私、地味だしコモモさんみたいに自分に自信も持ってないから……。だからあなたみたいな素敵な子から認めてもらえたんだって思ったら嬉しくて」

 まさか自分が彼女から恋敵ライバルとして認識されているとは正直思ってもみなかった。

 確かに彼女のこれまでの行動を見ていれば敵対視されているのは明らかなのだが、彼女と自分とでは持っているものが決定的に違う。それは勝負にすらならない、虎と子猫が戦うようなものだ。そう思っていた。

「タヌキさん。自分の事をそういう風に言うのはやめなさい」

「えっ?」

 ぴしゃり、と強い口調で言い放つ、その有無を言わさぬ物言いに一瞬、何故自分が注意されているのかわからなかった。何か彼女の機嫌を損ねるようなことを口走ってしまったのではないかと思案するが、彼女がそれよりも先に続ける。

「いい?言葉というのは言霊といって口にした瞬間に魂が宿ると言われている……」

「ことだま?」

「そう――。そうやって自分を貶める言葉ばかり発するのは自分は駄目だと自己暗示をかけているのと何も変わらない。気付いた時には本当にその通りになってしまっているということだって十分有り得るの。私は……あなたにちゃんと前を向いて、胸を張って進んで欲しい」

 それまでの険しい顔をふっと緩める。

 彼女が、言った。

「誘われているのでしょう?園長さんに」

 一瞬呼吸が止まった。

 胸がぎゅ、と音を立てて締めつけられる。背中に流れる汗が自分のものとは思えない程冷たかった。

 掠れた声が喉まで出かかって、そこでつかえる。

「どうして」と言ったつもりだったがどこまで彼女に聞こえているかわからなかった。


 昨日、タヌキの家を訪ねた園長はタヌキを心配すると同時に思いも寄らぬ言葉を掛けてきた。もう一度PIPのラストライブに行かないか、と。

 初めは何のことを言っているのかわからなかった。ラストライブがもう一度あるというのも初耳だったが、その衝撃よりも彼から誘われたということの方がずっと勝っていた。

 その時自分はどんな顔をしていただろう。

 嬉しさ、愛しさ、不安、戸惑い…。隠し切れないその全ての感情がごちゃまぜになって嵐のようにタヌキを襲う。

 堰を切ったように溢れ出る涙は拭っても拭っても止まる気配を見せず、まるで破裂した水道管のようにいつまでもわあわあと湧き上がっていた。きっと酷い顔だったに違いない。

 結局その日は涙が止まらず、泣き疲れてしゃがれた声ではい、と一言返事だけして帰してしまった。

 今思い出しても顔から火が出そうになる。まさか彼女が知っていたとは思わなかったが、そのことについては特に触れなかった。


「あなたには園長さんを救ってくれた恩がある。だからそのチャンスをあげると言っているの」

「そ、そんな恩だなんて……。あれは無我夢中でやったことだし別に褒められるようなことじゃ」

「……園長さんから聞きました。あなたがあの時どうやって彼の応急処置をしたのか」

「えっ」

 彼女は何でもお見通しといったように微笑んだ。そしてあくまで気丈に振る舞うふりをして続ける。

「勘違いしないで。これは私とライチョウさんで決めたこと。私達があなたにあげるチャンスはこれっきりよ」

「うん……。ありがとう。私、頑張る」

「まぁ私達的には頑張って頂かない方が有難いのだけど……うふふ」

 そう言ってすぐに「冗談よ」と微笑む。

 困り顔が可愛くてついいじめたくなっちゃうと言われて、前にフェネックにも同じことを言われたことを思い出した。類は友を呼ぶとはよく言ったものだ。

「そろそろかしら……」

 急に彼女が空を仰いだ。ここに来た時から少しずつ傾きかけてた太陽は今や頭上をはるかに通り過ぎ、向こうに見える森林公園の辺りまで差し掛かっている。

 今まで気付く余裕すらなかったが、丘の上に設立された体育館は裏手であってもそれなりに見晴らしが良かった。

 陽が落ちてゆく。

「どうしたの?」

「うふふ……。まぁ見てなさい」

 太陽が眼下の森林公園を照らしていく。ちょうどそれが併設された植物園の温室の前に達した時、その中が無数の眩い光で覆われた。

「これって……!?」

 幾重にも折り連なった温室の中を金色の夕陽が縦横無尽に駆け巡り、乱反射し、目の前を黄金の海原へと変貌させていく。中に見える白やピンクの花々が歌うようにその身体をゆらゆらと揺らしていた。

 言葉が出なかった。

 人は本当に美しいものを見た時、こんなにも無心になるのかと思った。

 呼吸をすることさえ忘れて、暫くはその光景から目を離せなかった。「綺麗でしょう?」という彼女の声でようやく意識が戻る。

「ここは私とライチョウさんしか知らない絶好の穴場スポットなの。あそこに咲いているのは全てローダンセというキクの仲間」

 花言葉は『飛翔』、『変わらない想い』、そして『終わりのない友情』――。

「タヌキさん、こんな言葉を知ってる?恋はトマトと梅干しと中濃ソースとチョコレート味――。色んな味が混ざり合って時にはぶつかり、時には思いもよらぬハーモニーを生み出すこともある……。あなたらしい、あなただけの恋愛を目指しなさい」

 彼女が何故、今日自分をここへ呼び出したのか、今ようやく理解した。

「それで……その。……改めて感謝するって、少し照れくさいですね。……これからも、よろしくね?」

「………うんっ!こちらこそ、よろしくね!コモモちゃん!」














「やー良かったねぇ。無事仲直りできたみたいでお姉さん安心したよ」

「良かった……。タヌキちゃん、ちゃんと来てくれたんだ」

 時と場所を同じくして、木陰からその事の顛末を見守る二人の影があった。別に示し合わせた訳でもなく、ただ偶然そこに居合わせてしまったといったようにフェネックはライチョウと出会った。

 通り抜ける風が肌寒く、随分と長い時間が経ってしまったのだと気付いた。

 太陽は既に西の空を照らすことを止め、その世界を早々に闇へと誘おうとしている。

「で、ライチョウはどうしてこんなとこいるのさ」

「そういうフェネックさんこそ。覗き見はめっ、ですよ?」

「私はいつだってたぬぱんち君の味方だからねー。見守るのが義務なのさ。……まあ本当のこと言うとコモモに気圧されてあわあわするタヌキが見たかっただけなんだけどねー」

「……嘘ばっかり」

 ライチョウの顔が歪む。悲哀、侮蔑、そのどちらとも取れる表情は見ているこちらの方が辛くなりそうだった。

 瞬時に理解する。同情されているのだと。

「んーもうっ!コモモさんといいフェネックさんといいどうしてそんなに素直じゃないかなあ」

 彼女が足元の小石を蹴った。ぽーん、と綺麗な放物線を描くように飛んでいくかと思われたそれが、思いの外不格好にころころと転がって止まる。

「私はともかく、コモモはこの上なく素直だと思うけど」

「そういうことじゃないんですよぉ!そうやって嘘ばっかりついてるといつか後悔しちゃうんですからねっ!」

「いつか、ねぇ」

 独りごちるように呟く。「もうとっくの昔にしてるんだけどな」と言いかけて、やめた。

「私とコモモさんが出した答えはあれです。園長さんの命を救ってくれた彼女を応援するって決めた。……あなたは、心の底からタヌキちゃんを応援していますか?」

 胸にちくり、と針に刺されたような痛みが走る。その針にまるで毒が塗ってあったのかと思うほど、その一言はフェネックの全身を一瞬にして食い荒らした。

 わかっている。

 自分がどれだけ中途半端な気持ちで彼女と関わってきたのかということくらい。

 自分が一番よく理解している。

 だからこそ、これ以上事が及ぶ前に自分の立場を、気持ちの整理をつけなければならない。

 タイムリミットが迫っていた。

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