第2話~ただたいたたすたき~
あの日のゲージツ祭。
ジャパリパークにある一つの怪文書が生まれた。
『わぁ~!きれいな字だね!』
『これタヌキちゃんが書いたんだって!』
『すっごーい!でもどういう意味なんだろう?』
墨のくすんだ匂いと和紙にでかでかと書かれた九つの文字。
力はいらない。
その瞬間瞬間に想いを込めるだけでいい。
流れる筆に身を任せ、自由に今の気持ちを表現する。
そうして創られた世界は自分だけのもの。
「……で、出来た!うん、よく書けてる…よね」
意味なんて分からなくていい。
これは自分だけが知っている秘密のあいことば。
あなたに送る、たぬきことば。
第2話~ただたいたたすたき~
◇
「はぁ………」
いつになく重い頭をぼすん、と枕にうずめる。まだ顔の火照りが抜けていないように感じるのはきっと気のせいではないのだろう。
「……ぜんぜんうまく話せなかったな」
自分の部屋なのにどこか落ち着かない感じがたまらなく居心地悪い。今日の昼の事を思い出しながらタヌキは物思いにふけっていた。
あの時あんな話をしていれば、あの時こんな返事をしていれば…。考えれば考える程駄目な部分が浮かんでくる。そんな風にあの時の事をヤギのように反芻してはまた
「はぁ……………」
と溜息をつき悶々とする。今日の彼女は家に帰ってからというものずっとそんな調子だった。
そして急に
「~~~~~~~~~~~ッ!!!!」
足をバタバタさせながら布団を転がり回ってみたり、
「…………………………………………」
かと思えば今度はたぬき寝入りしたように動かなくなったり。静と動が入り乱れた彼女の情緒はまさに秋の空模様である。
「うううぅぅ~~………。でもまさか好きって言われるなんて………」
思い出しただけで頭が熱くなる。ともすれば記憶まで煮立ってしまうんじゃないかという程に。
あの時彼は確かにそう言った。正確には“最初”にそう言った。好きなのだ、と。そしてその後付け加えるようにしてこう続けた。
“いつも美味しそうに食べてくれるフレンズを見るのが自分にとっての生き甲斐であり、たまらなく好きなのだ”と。
しかし結局のところ彼女が聞き取れたのは最初の二文字だけでそこから先の事については一切頭に入っていないようだった。
「はぁ……。そ、それにしてもあんなに長くお話したのって多分は、初めてだよね………」
嬉しくてつい枕を抱きしめる。
思えば初めて園長と出会ってから結構な時間が経っていた。キッカケなんて無い。別に運命的な出会いがあった訳でも危機的状況を救われたりした訳でもない。気付いたらいつの間にか好きになっていた。恋の始まりなんてそんなものだ。
「そっ、そうだ…!今日の事お習字にして残しておこう」
タヌキには習慣があった。それは今日あった事を書にして残すというものだ。
元々は狸の毛が習字用の筆に使われているという事を知り、それならばと始めてみたのだがこれが存外面白くたちまち彼女は書道の虜になってしまった。その実力は折り紙付きで以前行われたゴコクチホーゲージツ祭でも非常に多くの評価を得ている。
「え~と……今日はどれにしようかな」
戸棚から紙とすずりを取り出し、慣れた手付きで畳に並べていく。今日は気分が良いから特別に良い墨も使おう。そうして準備しているとあっという間に六畳一間の彼女の部屋は物で埋め尽くされてしまった。しかしこの狭さも今となっては集中力も高める為のファクターでしかない。
「ふぅ………よし」
深く息を吸い呼吸を整える。
外から聞こえてくるのは微かな虫の音だけ。その声が静寂を揺らす。
タヌキはこの瞬間が好きだった。
静と一体となり無心で筆を動かす―――静と動が入り乱れたその時間は誰にも邪魔される事の無い自分だけの世界。
そしてみるみるうちに紙は見事な文字で埋め尽くされ、あっという間に一枚の“怪文書”が出来上がった。
“ただたいたたすたき”
「……で、出来た!うん、よく書けてる…よね」
いつも良い事があった日に書くのは決まってこの九文字。他の人から見たら違いなんて微々たるものだが今日のは特に上手く書けた、そう思った。
「おーさすがはたぬざえもん。相変わらずいい字を書くねー」
「ふぇっ!?フェネックちゃん!?」
突然後ろから掛けられた声に驚き一瞬心臓が止まる。振り返るとそこにはひょっこりと窓から顔を覗かせるフェネックがいた。その頬の緩みを見るにどうやら一部始終を覗いていたらしい。
「い、いいいいつからそこにいたの!?」
「いやいや今来たばっかりだよー。全然布団で悶絶してる所とか見てないから」
「そ、それってつまり全部見てたって事だよねぇ!?」
余りに自分の世界に入り込みすぎて全く気が付かなかった。顔から火が出そうになるのは今日これで何度目だろうか。しかしどうやらフェネックはただ単にからかいに来たのではなくある物をタヌキに渡しに来たらしい。
「タヌキって確かPIP好きだったよね?」
「え?う、うん……好きだけどそれがどうかしたの?」
「実はさー、ここに明日のPIP解散ライブのチケットが一枚余ってるんだけど……」
「えっ!?」
Penguin Idol Project、通称PIP。その名の通りペンギンのアニマルガールのみで結成されたアイドルグループでパーク内でその存在を知らない者はいない。そんな絶大な人気を誇る彼女達が先日突然解散を発表したのだ。
「……チケット先行はファンクラブ一次二次全て全滅、一般も一瞬で売り切れその倍率は300倍とも500倍とも言われていたあのPIP解散ライブのチケットが……」
「おぉ~……たぬぽんがこんなに早口で喋ってるの初めて見た」
どうやらフェネックはアライグマと行く為にチケットを取ったのだが明日急用が入って二人とも行けなくなってしまったのだという。あのPIPの解散ライブよりも大事な用事がこの世に存在するのか、しかし恵んでくれるというのならそれは願ってもないチャンスだ。
「行く!!!!」
当然と言わんばかりに返事をするタヌキ。同じ好きでもこうも違うものか、その積極性を少しでも園長に向けられればと思わずにはいられないフェネックだった。
「んじゃ確かに渡したから後はお若い者同士で頑張ってねー」
「う、うん!本当にありがとうフェネックちゃん!」
若い者同士…彼女の最後の言葉は気になったが今のタヌキにはどうでも良かった。あれ程までに欲していたPIP解散ライブのチケットが手に入ったのだ。彼女にはいくら感謝してもしきれない。
しかしこの時のタヌキはまだ知らない。
これがフェネックの仕組んだ“粋な”罠であるという事を…。
一方その頃ジャパリカフェでは…。
「お待たせしました!お二人の言われた通りタヌキさんの情報を集めてきましたよ!」
「うふふ……ありがとうベリー」
「やーん!さっすが探偵さん!頼りになりますね!」
コモドドラゴン、ライチョウ同盟とシベリアオオヤマネコのベリーがテーブルを取り囲み何やら秘密の会議をしている。
「それにしてもタヌキちゃんかー。確かにいかにも小動物っぽくて守ってあげたくなっちゃう所とかかわいいかも!」
ライチョウの鋭い洞察力が光る。あざとい事で有名な彼女だがそれだけにどういったタイプが異性にモテるのか熟知しているらしい。
「聞いた話によると明日はPIPの解散ライブに行くみたいですねー」
「……うふふ。そうと決まれば早速明日カ・チ・コ・ミに行きましょうか」
彼女の獲物に対する執着心は異常だ。きっと動物の頃の影響が強いのだろう。その不敵な笑みは向かう所敵なしといった様子である。
「……園長さんと私の恋路を邪魔する者は誰であろうと決して許さないんだから……」
「それはいいんですけどコモモさん、チケットは持ってるんですか?」
「……え?チケット?」
当然会場に入るにはチケットが必要だ。今回はパーク史上最大のライブともあって警備にはジャパリパーク警察班、通称鬼のジャパ警も目を光らせている。時期を改めた方が良いとライチョウは進言するも彼女は聞く耳を持たない。
「……ベリー。今すぐチケットを二枚用意して」
「えぇ!?いやいや無理ですよ!!あれ倍率800倍とか1000倍って話ですよ!?」
「……何としてでも入手してライブに行くのよ!」
「何か目的が変わってきてるような……。え?二枚?」
こうしてちゃっかり頭数に入れられたライチョウと共に、コモモはライブ会場に向かうのだった。
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