第4話「住めば都…」
ヒロ子の嫁いだ富美雄の家は久留米でも有名な旧家で富美雄の祖父、康蔵が両親に早く死に別れ、丁稚奉公から身を起こして漬物屋を元に青果市場を始める、当時、久留米内にあったドイツ兵捕虜収容所に野菜を一手に収めたり共同経営のレストランなど大きな商いで繁盛し一財をなし、また康蔵は大変な信仰家で久留米内の神社仏閣に寄進をしていてその中の五穀神社内にある石碑や高良大社の石灯籠にも康蔵の名前が刻まれている、また現在の西鉄久留米駅均衡の土地を広大に所有していた地主でありまた市議会議員まで務め久留米では中々の名士であったらしい
また富美雄の父、弥兵衛も康蔵時代になした財を元に暫くは安楽に暮らしていた
しかし戦後の税制度が変わり広大に持っていた土地は税金を払う為に手放して凌いでいた
弥兵衛はそのうっぷんを酒で晴らしさらに機嫌の悪い時には日本刀を抜き庭のモチの木に斬りつけていた
ヒロ子が嫁いで真っ先に目に入ったのがそのモチの木についた無数の刀傷であった
そんな弥兵衛も深酒で身体を壊し四十代の若さで脳溢血で他界する
なのでヒロ子が嫁いだ時には康蔵も弥兵衛もこの世にはなかった
また家の造りも変わっていた
当時、木造建築が当たり前な中、表家は木造、奥の面屋はコンクリートの二階建ての造りで窓にはシャッターがついている
戦時中、空襲警報がなっても電気を消す事もなくこのシャッターを閉めて中で宴会をしていたらしい
また地下もあり30人くらいは楽に入れる防空壕もある
これは大正末期あたりからまた戦争(第二次世界大戦)が始まるであろう事を予測した康蔵が空襲を受けても大丈夫なよう、とにかく頑丈にと、金に糸目をつけず数年がかりで建てた家で完成した当初には
「敵の空襲にも耐える家」
と地元新聞にも取り上げられた
この家が後にヒロ子が嫁いで六十年後にもほぼそのままの形で残りヒロ子を悩ます家になるとはこの時には誰も思わなかった
また富美雄には姉が二人居る
長女の千代子は既に嫁いではいたが千代子の嫁ぎ先の内田家は目と鼻の先であり婿の内田英也は当時、高校で美術の教師をしていたが後に絵画が認められ時のローマ法王に拝謁を許された
千代子は洋装姿の良く似合う美人であった
次女の広子…ヒロ子に広子であるので日本舞踊の花柳流の師範で花八木光君と名乗っていたので通称は「花八木」で通っていた
光君は幼い頃から日本舞踊をたしなみ後に花柳流九州支部の支部長まで務めた
この頃、伊田家に下宿していた久留米医大の学生、日向孝と一緒になった
常に着物姿で千代子に勝り劣らぬ美人であった
千代子が洋風、広子が和風と両極端であったがこの二人が一番仲が良かった
富美雄の弟の次男の孝次郎と勝雄、妹の久美子、圭子はこの時まだ大学生と高校生でヒロ子にとっては弟、妹といふより子供のような存在である
また義母の雪子は四十代で他界した弥兵衛にかわり伊田家の勝手すべてを取り仕切っていた
酒とタバコと三味線(長唄)が好きであまり家事が好きでなかったのでヒロ子は嫁いでからは弟と妹の弁当作りなど家事全般全てヒロ子がする事になった
祖母のスミもヒロ子のような家庭的な嫁が来た安心からかすっかり寝付いてしまいそれからはヒロ子の手厚い看病を受けて幸せな晩年を過ごした
さて富美雄…
生活が夜と昼とが逆
ヒロ子と新婚旅行に京都には出かけたものの日が高い内は宿の布団から出ずに夜になると起きるといふ生活ぶりをせっかくの新婚旅行先でも通した
これから富美雄が他界する一年前まで数十年間、ヒロ子は富美雄と二人で旅行に出かける事は一度もなかった
また富美雄の夜起きて昼間に寝る習慣を祖母のスミは煙管片手に
「富美雄ちゃん!そげなこつ(事)通らんばい!」
とは言うものの、富美雄も自分の結婚式に一時間近く遅れてくる程の強者
祖母が少々小言を言っても馬の耳に何とやらであった
これは本当にえらい人に…
いやえらい所に嫁いでしまったとヒロ子は思ったが実家の妹たちも結婚を控えてるといふ思いから
「まず殺される事はなかろう」
と自分に言い聞かせ耐える決心をした
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