百合会議 完結編

 吐瀉物特有の鼻を刺す匂いが、カラオケボックスに充満していた。細川は全身の穴という穴から汁を垂れ流し、反町は目玉をひんむいたまま椅子の上で硬直し、河村は細川の背をさすりながら、狂気を孕んだ岡村の瞳を睨み付ける。


「……真相、ね。どうせ私たちの秘密を握って、強請ろうとでも言うんでしょう?」


 岡村は室内エアコンを換気モードに切り替えた。隣室から漏れてくるヘタクソなラブソングを吸気音が塗り潰す。


「先ほどから繰り返し申し上げている通り、私はクズと関わるつもりはありません。ただし、柳瀬先輩から頼まれた以上は、仕事を全うしなければならないと思っています」

「……ふふふ」


 岡村はこめかみをひくつかせた。河村の気丈な態度が気に食わなかった。


「総務の《何でも屋》さんは、ロジック未満の妄想しか披露できないのね。柳瀬が何を語ったかは知らないけれど、それを真実だと思い込み、単なる無根拠な決めつけで二人の人間を傷つけた」

「そうですか」心底どうでもいい言い分に、岡村は素っ気ない答えを返す。

「反町さんのものだとされるメモ書きは、いくらでも捏造ができる。細川さんのタリウムの件に至っては、被害者を名乗る二名の言葉を盲信しているだけ。偏った情報を並べ立て言いがかりをつけて、満足かしら?」

「不満ですね。あと一人、吊し上げなければならない人がいます」

「あら、それは誰なのかしら? 貴女が首吊りショーでもしてくれるの?」

「……警告はしましたから」


 ここまでの会議で、岡村は最大限の譲歩をしていた。

 反町の横領を暴いても、コソ泥など我関せずを貫き黙殺すると決めた。

 細川の数々のパワハラは、被害者であり加害者の北島鳥羽両名を説得して握りつぶしてやった。

 ふたりのエピソードの裏に隠れた真実を百合会議の作法でしてみせて、二度も警告してやったのだ。

 ――これ以上、百合会議の参加者が問題行動を隠し続けるなら、すべてを暴いて吊し上げる。岡村なりの最後の良心、無言のメッセージだった。

 だがそんな最後通牒も、百合会議議長・河村には届かなかった。


「河村さん。貴女は先ほど『ロジック未満の妄想』と仰いました。たしかに私はここまでの解釈において、意図してロジックに穴を空けています」


 岡村はあえて、に大きなロジックの穴を残していた。

 それは、各エピソードにおける重要な登場人物。

 なぜ反町は、業務上横領をはたらくことができたのか。通常の――岡村の働いている本社経由ではない、いわば裏口ルートで航空券を水増しして予約できたのか。

 なぜ細川は、北島と鳥羽に対して行ったパワハラ行為をなかったことにできたのか。いかにホソカワの権威を笠に着ようと許さざる鬼畜の所業の数々が、こうもまかり通っていたのか。


「本当は、あの人の真実について触れたくはなかったのです。その事実を明るみにすること自体が、彼女にとってはセカンドレイプにも等しいものですから」


 河村の目の色が変わった。

 気づいたのだ。岡村早苗この女


「すみません、柳瀬董子さん。貴女の心の傷に、土足で踏み入ることを許してください……」


 猛烈な怒りが、手中のキットカットの小袋を握り潰した。

 かつて毎日のようにこのお菓子をくれた女性のことを、岡村早苗は思い出す。


 *


「ごめん。お願いできるかな、……」

「なぜ毎回キットカットなのですか? 酢昆布ではダメなのです?」

「だって、『きっと勝つ!』だから」

「そうですか」

「ああ、興味失わないで。きっと勝ってほしいの、百合会議に。私は、あの人たちには逆らえないから……」

「承りました」

「……こんな私のためにありがとうね、早苗」


 *


 岡村はこれまでと同じように、結論から語った。ロジックを積み上げて結論を導くことを避けたのは、先に言ってしまわないと自身の心が耐えられないからだった。


「貴女がたはこの百合会議の場で、柳瀬董子さんをレイプしました」


 ギリと歯を食いしばり、岡村は続ける。


「レイプなんて言葉では生易しいほどの、凄惨な行為をし続けました」

「それもどうせ妄想でしょう? あるいは貴女がそうあって欲しいと願っているだけ。あら、もしかして貴女も柳瀬のなのかしら?」

「貴女に話す義理はありません」


 小さく息を吐き、心の中で柳瀬に詫びた。

 心が傷む。言葉がうまく出てこない。彼女への愛着と、その彼女が受けた仕打ちを思うと、口を開くことさえ躊躇われる。

 だが、柳瀬はそれを望み、自身に託したのだ。

 ならばできることは一つ。

 すべてを明らかにしないと、3名に『きっと勝つ』ことはできない。


「まずこの、百合会議についてです。これは私や柳瀬先輩が入社する前から続いていた日比谷グループの暗部、悪しき伝統。主催者は河村さんで間違いないですね」

「それが何か?」


 今回の百合会議は48回を数えていた。柳瀬に尋ねたところ、ペースは四半期に一度、つまり通年4回。逆算すれば12年前から続いていることになる。

 勤続12年以上の女性社員。その条件で《セキュア》を検索すると、該当者は自ずと絞られる。議長・河村、33歳女性だ。


「百合会議は当初こそは、百合を愛する同好の士たちによる懇談会のようなものだったのでしょう。ですが、ここ数年の百合会議はその様相をガラリと変えた。3年前の、柳瀬先輩の百合会議への参加がきっかけかと思います」


 当時、柳瀬董子は入社5年目の総務部員だった。その柳瀬から航空券の予約を頼まれ始めたのもこの頃だ。折しも同じ年、細川美玲がホソカワに縁故コネ入社している。


「長年百合会議を続けた河村さんは、百合会議の場を自身の城か何かだと考えるようになった。貴女の職場である経理業務で精神を摩耗したか、それ以上の出世が望めないことに気づいたか、あるいはもっとプライベートなことか。まあ理由に興味はありません、貴女のことなんてどうでもいいので。ともかく貴女は、百合会議の場を自らにとって居心地のいい空間に変えようとした」


 河村はあくまでも余裕を讃えて下卑た笑みを浮かべていた。

 彼女はそれこそこの場を支配する女王だ。岡村の話す真実など、女王にとっては気狂いした奴隷の世迷い言に過ぎない。岡村が話を聞いたとされる柳瀬も、彼女にとっては単なる奴隷だ。

 証言だけでは、意味が無い。裏付けがない以上、耳を貸す価値はない。

 なぜなら証拠はもう、壊れてしまったのだから。


「貴女はまず、権力を欲した。子会社ホソカワのご令嬢、細川美玲が入社したことを知った貴女は、彼女を百合会議に誘った。おそらく貴女はホソカワの経理部にコネクションがあるんでしょう、『会社のカネを社長パパにバレず自由に使える方法を知りたくないか』とでも言ったのではないですか? 細川は当然、それに乗ったはずです」

「ひどい言われようよ、細川さん? 何か言ってあげれば?」

「うおえっ……ゴホッ、ゴホッ……」


 嘔吐を繰り返した細川には、もう吐き出すものがない。

 実際、彼女の腹の中はもう割れている。用済みだ。


「次に貴女は、実績を欲した。優秀な社員とコネクションを持つことができれば、業務での自身の影響力も強まると考えたのでしょう。そこで白羽の矢を立てたのが、鳴り物入りで中途入社したエリート、反町華。しかも貴女にとって好都合だったのが、彼女の野心家な性格です。『ホソカワの令嬢とのコネクションを持てる』とでも言えば、中途で地盤の弱い反町にはこの上ないメリットになります。当然快諾したでしょうね」

「ど、どうせそれも妄想なんだろ!?」


 負けを認めないことが反町の信条だった。

 何度も何度もアタックを繰り返す、現代の若手営業にしては珍しいガッツの持ち主――という彼女の触れ込みは、その実、人好きのする『根が明るい活発な営業マン』として振る舞う方法を心得ているだけに過ぎない。ただその性格が重鎮たちの心に刺さり、寵愛を受けて現在の地位に登り詰めている。

 岡村は心の中で嘲笑する。

 お前はとっくの昔に負けている。虚飾にまみれた上っ面が剥がれた時点で。


「ですがフタを開けてみれば。細川は社内でパワハラを繰り返すクズで、反町は横領を繰り返す手癖の悪いクズだった。貴女は頭を抱えたでしょうね、自身が手に入れた権力と実績には、大きなデメリットが伴っていたのですから。そこで栄光を逃したくなかった貴女は、デメリットを帳消しにする方法を探した。ホソカワの事情に強く、かつ本社にもある程度顔が利く存在。そんな人物が居ないかと探し回って、貴女はとうとう見つけた。柳瀬董子を」

「ふふ、面白いね」


 余裕綽々で笑う河村の顔面をどれだけ殴って殴って、殴り倒したかったか分からない。ただ、拳を上げようとするたびに、握りしめられた小袋が岡村を制止する。


 ――こんな私のためにありがとうね、早苗。


 ひとたび殴ってしまえば、会社には居られなくなるだろう。

 少なくともこの場の3名は、岡村以上に社内での発言力を持っている。総務の《何でも屋》として、部署の垣根を越えて広く浅く顔が利く妙な出世の仕方をしている岡村でも、彼女らには勝てない。

 だから。

 きっと勝つためには、まだ真実を語る他ない。


「貴女は柳瀬董子を百合会議に呼びつけた。柳瀬先輩が不幸だったのは、彼女自身が百合好きで……同性愛者だったこと。先輩は、誘われた当初はとても嬉しかったそうです。自身の悩みに共感してもらえる人たちに初めて出逢えたのかもしれないと。そして先輩が出席した初めての百合会議で、貴女がたは……」


 岡村は言葉を詰まらせた。途端、河村がくぐもった笑い声を上げる。


「そこで、私たちは何をしたのかしら? 聞かせて、貴女の妄想を」


 止まってはいけない。

 どんなに辛く苦しいことだろうとも、話さなければならない。


「……貴女がたは、先輩の性的指向を……同性愛者のフリをして聞き出した。自らの在り方に悩んでいた先輩を騙して、カミングアウトに導いた。そして先輩の……服を脱がせて、一糸まとわぬ姿を撮影した……。どう説得したのかは知りません。聞きたくありませんし、私も先輩に尋ねることはできなかった……」

「なら、私の解釈を聞かせてあげる。たぶんね、こう言ったんじゃないかしら。『身体の悩みは私たちみたいなに相談するのが一番よ。だから脱いでみて?』って」


 握りしめていたキットカットの小袋が割けた。手の熱で溶かされたチョコレートが、拳の中でベタついている。


「……それから、先輩の不幸は始まりました。貴女がたはその写真を元に、先輩を強請った。『貴女の写真と性癖をバラまくぞ』と言って脅し、先輩を……思うがままの言いなりにした。反町は横領の片棒を先輩に担がせた。細川は、パワハラ被害者が必死の思いで密告してきた情報を先輩から聞き出し、さらなる制裁を加えた。クズ社員ふたりのデメリットは先輩がすべて帳消しにした」

「素晴らしい解釈ね。採点してあげましょうか」

「……続きがあります」

「そう? いったん聞きたいと思わない? ふふ」

「まだあるって言ってんだろ!!!」


 とうとうこらえ切れず、岡村は叫んでいた。

 暗く深い、凪いだ海のごとき恐怖すら感じさせるほどの冷静さは形を潜め、闘志と殺意を剥き出しにした嵐の化身へと豹変する。


「アンタらはやめなかった! 先輩が影で泣いていることを知っていてもはぐらかしてばかりで、手を変え品を変え先輩を意のままに操った! 犯罪の片棒を担いで、パワハラの証拠を握り潰して! 先輩は優しいんです! アンタらみたいなクズが相手でも頼まれると断れないくらいに優しすぎるんです! だからこそ貴女がたに強く出られなかった! 曖昧に笑うばかりで、自分の本当の気持ちを伝えられない人だから! それを貴女がたは……」

「『だって、嫌がってるように見えなかったから』」

「……言うに事欠いて自分達を正当化した。先輩は言いなりになるのが好きなんだと、アンタらは易々と先輩の尊厳を踏みにじった」


 痛む胸を押さえた。


「レズにも風俗があることを知って、貴女がたは先輩の名で勝手にお店を予約しましたね。そしてホテルにふたりを押し込み、感想を聞こうとしました。先輩はお店の方に理由を話し、行為もなく、ただ慰めてもらったそうです。初めて優しくしてもらったと先輩は泣いていました。ただ先輩はウソが下手なので、行為がなかったと知った貴女たちは先輩をひたすらに糾弾した」


 さらに続ける。


「『新しいオモチャを手に入れたから試したい』と言って、先輩の身体で実験した。先輩が血を出すと『おめでとう』などと笑って、どこもかしこも陵辱の限りを尽くした。本気で嫌がっている先輩に理解も共感も示すことなく、横領したカネで買ったの装着を強要し、会議の場ばかりではなくオフィスですら先輩を弄んだ」


 この事実だけは、語りたくなかった。

 泣きながらでもすべてを話してくれた先輩を想うとあまりにも惨めで、悲しくて、痛かったから。


「……いつだったか、ラブホテルで百合会議を開催したことがありましたね。いやいや会議に赴いた先輩は、見知らぬ男性たちが会場に現れて恐怖したそうです。貴女がたは思い思いの方法でカメラを回して、柳瀬先輩の痴態を撮影しました。『レズビアンが男のでも感じるか実験したい』と言って」

「実験結果を教えてあげるわね。柳瀬は、感じてたわよ。しっかりね」

「……………………」


 こらえろ。こらえろ。こらえろ。あと少しの辛抱だ。

 ここで表立った行動に出れば、すべてが水泡に帰してしまう。


「……何が百合会議ですか。こんなもののどこが百合だと言うんですか。貴女がたのやったことは、ひとりの人間の心も体も尊厳さえも踏みにじる鬼畜の所業です。私が初めて……先輩からキットカットを貰ったときのメモ書きには、本当は『ありがとう』なんて書かれていません。『たすけて』と書かれていたんです」


 *


「岡村さん。少しだけ、お願いしたいことがあるんだけど、いいかな?」

「なんでしょう」

「これを本社側で手配してくれないかな」

「わかりました。が、なぜ柳瀬先輩のところに本社の雑用が届いたのでしょう

ね」

「ええと、ね。私が本社の内線を取ったからなの。本社総務課の岡村さんたち、忙しそうだったから」


 ――思い出されるのは、かつての航空券の予約の出来事。

 反町の横領が発覚した瞬間。


「なるほど」

「うん、だから……」

「それウソですよね、先輩」

「……え?」

「ホソカワ担当の先輩に、本社内線を取ることはできません。それにご覧のように本社総務は暇してます。内線が鳴れば1コール以内に誰かが取りますよ。みんな給料泥棒扱いされたくないですから」

「えっ、と。そのね……」

「……そのメモ、航空券の予約ですよね。『×2』ということは2席必要ということですか。予約には搭乗者の氏名が必要ですが、どなたですか?」

「え、営業の反町さんなんだけど」

「……確認しました。反町さんの出張稟議は通っています。が、許可されているのは1名だけ。残る1名は?」

「あ、その…………」

「言いにくいことでしたら、言いたくなった時にお願いします。私は見て見ぬフリをしますので」

「……助けて、岡村さん…………」


 *


 岡村は歯を食いしばって耐えながら語る。


「……先輩は私の元に来るたびに、キットカットを持ってきてくれました。それは仕事を引き受けてくれた私へのご褒美などではありません。不正の片棒を担がされ、逃げ場もなく憔悴していく先輩からの助けを求めるメッセージでした」


 *


「岡村さん。このIDのクリアランスオファー、対応してもらえるかな」

「管理者の許可は取ってありますか?」


 ――思い出されるのは、かつてのクリアランスオファーの一件。

 細川の毒殺計画と握り潰してきたパワハラが明らかになった瞬間。


「……オファーを送ってきたの、細川さんなの。それも2回も」

「妙ですね。場所はどちらです?」

「ホソカワ化学工業の第三貯蔵庫。たしか毒劇物が保管されててセキュリティレベルも相当高いはずで――」

「《セキュア》を当たりました。入場拒否されているIDが2つありますね。IDは事務社員の浅野と三浦。心当たりはありますか?」

「うわ、やっぱり早いね岡村さん。私もちゃんと《セキュア》の操作覚えたほうがいいかな?」

「のんきなこと言ってる場合じゃないです、先輩。下手をするとホソカワから殺人犯が出ることになります。浅野と三浦に心当たりは?」

「浅野さんと三浦さんは……細川さんからパワハラを受けてる人だよ。だけど私が証拠を……」

「先輩。厳しい言い方になりますが、これ以上手を汚したくなければ浅野と三浦を呼び出してください。彼女らを止めなければいけません」


 *


「ねえ。私、仕事辞めようと思ってるんだ」

「はい」


 ――思い起こされるのは、細川に復讐しようとした2名との合コンの帰り。

 本当は、人目のない場所で話がしたいと先輩とともに入ったホテルの中。


「もう、耐えられないから……」

「分かっています。先輩はとてもよく頑張りました」

「だけど辞めたところできっとあの人たちは、私を……」

「……先輩、り残したことがあるなら私を頼ってくれませんか」

「そんなのダメだよ、岡村さんが手を汚すなんて間違ってる……!」

「間違っているのはあの3名です。どうせ彼女らは先輩を離しません。職場を離れたって突き止めて、先輩をストレスのはけ口するだけです」

「どうしてそこまで私を助けてくれるの……?」

「結論から先に言います。どうやら私は、先輩のことが好きらしいのです」

「え……」

「好きな人のために力を尽くしたいと思うのは、そんなに不思議なことでしょうか?」


 先輩は泣いた。先輩がひた隠しにしていた百合会議での仕打ちを、岡村は初めて耳にした。


「……こんな私を好きになっちゃいけないよ」

「いえ、気持ちは変わりません」

「…………」

「連中は私が殺します」

「それはだめ……岡村さんが捕まっちゃう……」

「私がそんなヘマをすると思いますか? 先輩に代わっていくつもの犯罪を握り潰してきた私が」

「……やっぱり、頼もしいんだね」

「すみません。先輩の意志を尊重したいですが、私は我慢ができません。頼んでください、頼ってください。そうでもないと先輩が……壊れちゃう……」

「……お願いします。だけど私にも、手伝わせて。岡村さんが指示をしてくれるなら、自分で……ケリをつけたい」

「……それが先輩のお気持ちなら、尊重いたします。では方法は――」

「その前に。私もね、岡村さんに告白したいことがあるんだ」

「はあ。なんでしょう?」

「早苗って呼んでいいかな? 早苗ちゃんの方がいい?」

「……ちゃんはやめてください。もう、いい大人です」

「じゃあやっぱり、早苗。ほら、早苗も」

「……董子先輩」

「先輩はいりません」

「……董子」

「早苗……」


 *


 日々を回想し終えて、岡村は長い再解釈を終えた。


「……これが、私の再解釈です。皆さんの発言と、私の解釈をぶつけた時の反応。そして先輩から聞き及んだことから、についてお話いたしました。河村議長、採点を」

「そうね、面白かったわ。ただすべて無根拠な妄想。マイナス3000億点ね」

「そうですか。残念です」


 話し終えた岡村の心に湧いてきたのは、怒りではなかった。

 笑いだ。

 どこまでも計算通りに事が進んだことの滑稽さだ。反町は目を剥き、細川は事実を知り発狂し、河村は証拠がない妄想だからと油断しきっている。事前に柳瀬から聞いた人物像を元に作り上げたプロファイルは、完璧に機能していた。


「ところで、柳瀬先輩からのプレゼントを預かっています。お出ししてもよろしいですか?」

「あら、素敵ね。裸の生写真でもよこしてくれるのかしら――」


 河村は――もとい、反町と細川はものの見事に固まった。

 岡村がハンカチの中から取り出したのは、USBメモリだった。


「こちら、百合会議の過去の議事録です。皆さんが働いた悪事の証拠がこれでもかと詰まった逸品でございます。もちろん、柳瀬先輩が犯罪に荷担していないように、柳瀬先輩は純粋なる被害者であるように、私のほうで解釈を変えさせていただきました。つまりはここにいらっしゃる3名の、犯罪の証拠です」

「なんっ……」河村は言葉を詰まらせる。

「お前ッ!!!」反町は掴みかかってくる。

「いや……いやぁっ……!」細川は再びパニックの発作を起こす。


 ざまあない。本当にざまあないクズども。


「そして、もうひとつ。柳瀬先輩からプレゼントがございます。まあ、もう皆さん召し上がった後だとは思いますが」

「は……!?」


 岡村は手のひらを開いた。ドロドロに溶けたキットカットの小袋だ。


「このキットカットは、パーティープレートの中にひとつだけ入っていたもの。不思議ですよね。なぜ小袋のキットカットがひとつだけ、カラオケ店の用意したお菓子の山の中に入っていたんでしょう? ここまで言っても分かりませんか?」

「……っ! ま、まさか柳瀬の再就職先って……!?」

「いい線突いた解釈です、河村議長。柳瀬先輩は現在、このカラオケ店でアルバイトをしています。そしてもうひとつ、耳寄りな情報です。細川さんを毒殺しかけたタリウムですが、あれを回収したのはどなたでしょう」

「ま、待てよ……! それじゃあたし達は……」

「やかましいクズどもですね。せっかく、我慢して我慢して、最高の解釈を味わわせてやっているというのに。いいですか? あのタリウムを回収したのは柳瀬先輩です。そして柳瀬先輩はこのカラオケ店で働いています。パーティープレートの中にはキットカット。キットカットの意味を知っていますか? 『きっと勝つ』なんですよ? あはは、面白いですね! 先輩は誰に勝つつもりなんでしょう! タリウムでどうやって勝つつもりなんでしょう!!!」

「柳瀬が私たちに毒を盛ったとでもいうの!?」

「いやああああああああああッ!!!」


 細川は再び嘔吐を繰り返す。狂乱だ。カラオケボックスの中を走り回り、外へ出ようとする。


「あっ! 開かない! 開かないッ!!! なんでっ、どうしてっ!? ていうか電話も繋がらない!?」

「言ったじゃないですかぁ! ここでバイトしてるんですよ、先輩は。ずーっと見てたんですよ、皆さんのことを! でもね、先輩は優しいから私にこう言ってくれたんです。『あの3名に少しでも反省の色があれば、助けてあげる』って。さあどうします? どうしますか?」

「なっ、なんでもする! なんでもするから助けてよ、岡村! カネがいい!? それとも男!? 欲しいものならなんだって揃えてあげるから!」

「呼び捨てにすんなクソガキ! 先輩にさせたみたいに全裸で土下座しろ! パパのカネで買ってもらったクソ高いブランドなんてクソガキには似合わないんだよッ!」


 細川は迷わなかった。着ていたハイブランドを引き裂く勢いで裸になり、ゲロまみれの床に額を付ける勢いで土下座する。

 岡村は細川の後頭部を踏みつけた。

 

「アンタらもだ反町、河村! 先輩に許してほしいなら裸一貫出直すと誓

え!」

「わ、分かったよ……! た、頼むよ岡村さん……もうやめて……!」

「私に謝るな! 先輩に謝れ! 先輩にしたこと全部謝って、先輩の心に付けた傷を一生かけて償え! 河村もだ!」

「……誠に、申し訳ありませんでした。柳瀬さん」


 カラオケボックスの室内で、3名が全裸姿で土下座をした。岡村はその後頭部を順番に踏みつけていく。

 汚らしい床にこれでもか、と。汚いクズどもには似合いの、ドロまみれの化粧を施して。

 その時、部屋に備え付けられていた内線電話が鳴った。


「おっと、先輩からの採点の時間です。そのままの姿勢で、慌てず騒がず私語厳禁で静かにお待ちください」


 岡村は受話器を上げた。

 そして電話口の相手――アルバイトをしている柳瀬董子と一言二言言葉を交わし「そうですかあ」と意味深に呟いた。


「た、助けてくれるって言ってた――言ってましたか!?」


 ゲロと涙でぐちゃぐちゃになった細川がいの一番に顔を上げた。

 張り倒したい岡村だったが、先輩の意志は堅いらしい。


「……先輩は、とても悲しんでいました」

「いやっ……!」

「ですが。皆さんがもう二度とこんなことを繰り返さないと約束してくれるのなら、許すと仰っています。よかったですね? 優しく愛にあふれた先輩で。皆さんのことを許してくださるそうですよ。私だったら絶対許さないところなのに」

「も、もうしません! 絶対にしませんから……ッ!」


 再び床に額を擦りつける勢いで土下座する3名を見て、岡村は手を叩いた。


「では、解毒薬をお渡しします。先ほどお話ししたタリウムの解毒薬、プルシアンブルーです」


 岡村はハンカチの中から、3人分の小瓶を取り出して床に置いた。


「どうぞ、の一杯をお召し上がりください」


 3名は小瓶に飛びついた。無味無臭の液体を一気呵成に口に、喉に、胃に流し込む。

 ほぼ同時だった。3名は途端にもがき苦しみ初め、顔を、喉を、髪の毛をかきむしり始める。


 すべては、計画通りだった。


「あぐっ……! 岡むッ……! アンタまさッ……!!!」

「ヒッ……グヒッ…………ヒッ………………」

「ガアッ……! アガアアアッ!!!!!」


「言ったじゃないですか。


 岡村はやっと、声を出して笑うことができた。


「毒が回るまでもう少々お時間があるので、私の本当のを聞いてくださいね。まず、皆さんが助かる術は始めからありません。貴女がたはこの百合会議の場で死にます。これは私と柳瀬先輩……いえ、董子が数ヶ月前から決めていたことです」


 3名の動きが弱々しくなる。


「どうすればうまく、そしてバレずに皆さんを死に追いやるか。私はずっと考えてきました。そこでようやく閃いたのが、このシナリオです。まず始めに、董子にはカラオケ店のスタッフとして働いていただくことにしました。董子の仕事は4つ。皆さんに毒の入っていないお料理を提供すること。携帯電波もWi-Fiも届かない電波密室を作ること。部屋の扉の鍵をロックすることと人払い。そして最後が、許したフリをする電話です」


 河村の腕が岡村の足に絡みついてくる。それを岡村は容赦なく蹴り倒す。


「私は皆さんに、董子との百合エピソードを皆さんが喜びそうな形で提供し、何も知らない風を装って妄想を披露します。まあ、少し喋りすぎた気はしますが、愚かにも皆さんは私が真実を告げているというのに謝らず抵抗した。そこで私はすべてをお話し、董子が飲み物やお菓子にタリウムを盛ったように装った。皆さんは見事パニックを引き起こし正常な判断力を失った。そこに来て、私が取り出した解毒薬のプルシアンブルーです。皆さん当然飛びつきますよね。そのプルシアンブルーこそが、致死量を遥かに超えた猛毒のタリウムドリンクだと知らずに」


 岡村はなおも続けた。


「さて、ここで状況を俯瞰して考えてみましょう。董子が現場を発見し、警察に通報します。警察はこの部屋に踏み込んで、3名の女性が全裸で倒れているところを目撃します。部屋に怪しいものはないかと調べると見つかるのは、プルシアンブルーの瓶。覚えているでしょうか。私はあの瓶をハンカチの中から取り出しましたが、皆さんは自分の手で掴みました。瓶についた指紋は皆さんの分だけ。そして証拠のUSBメモリには誰も指紋もついておらず、議事録を取っていたノートPCの指紋は既に消してあります。まあそれに私、本当は議事録なんて取っていません。実際に私が書いていたのは、皆さんの遺書です。あとは皆さんが動かなくなるのを待って、ノートパソコンに皆さんの指紋をべったりと付けるだけ」


 もう3名は動いていない。空調の音だけが室内に響いていた。


「と言うわけで、皆さんに相応しいというシナリオをご用意させていただきました。秘密は墓まで持っていけましたね」


 岡村は残りの作業を片付ける。完全犯罪を成立させるためのあらゆる手立てを打ち、自身の髪の毛の一本すら残さぬ丁寧さで、すべてを計画通りに遂行した。

 頼まれた仕事は終わった。

 頃合いを見計らうかのように、内線電話が音を立てた。


「はい」

『お帰りの時間です、お客様。お部屋は3名様でよろしかったですね』

「ええ、3名です。今はひとりだけ多いですが、私が帰れば3名になります」

『お忘れものなどはございませんか』

「私を誰だと思っているのでしょう」

『そうでしたね。本当に優秀な、私の後輩ですもの』

「後輩はやめてくれませんか。今はもう会社も違いますし」

『では、これからお迎えに上がります。バックヤードに案内しますね』

「ふふ、なんだか他人行儀で面白いですね」

『んー……。早苗の真似をしてみたんだけど、やっぱ変かな?』

「……董子は董子のままがいいですよ。どんな董子も私は愛せますので」

『死体のそばで言ってるって思うと、迫力あるなあ』

「あはは」


 二人は、シナリオにエンドマークを付けた。

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