百合会議 後編
*
「岡村さんに引き継ぎたいことがあるの」
先輩への内示が正式な辞令に変わった頃、昨年九月末の出来事です。
私のデスクに、私物が入った段ボールを抱える柳瀬先輩が現れました。その日は柳瀬先輩の総務部勤務最終日、翌日は追い出し部署への左遷が決まっています。
「ポケットの中に入ってるから」告げられた私は、先輩の制服をまさぐります。
私の手が探り当てたのはいつものキットカットと、見慣れぬUSBメモリでした。
「また、不思議なお願いということですね」
「ごめんね。最後まで頼りない先輩で……」
お察しの通り、私が柳瀬先輩から引き継ぐ業務はありません。担当が違うからです。となると引き継ぎが指すものは、また妙な案件なのでしょう。先輩の頼みとあらば、別に断る理由もありません。
「構いませんよ。このUSBメモリのデータですか?」
「ううん。実はね、そのUSBに引き継ぎたいことが入っていたんだけど、データが読み取れなくて……」
先輩は、申し訳なさそうな顔をします。念のため接続してみようと思いましたが、本体が折れ曲がってしまっていました。これではデータ救出どころの騒ぎではありません。
「このメモリ、物理的に壊れていますね」
「ええっ!? 大事なデータが入ってたのに! あ、もしかしたらデスクの片付けしてる時にぶつけちゃって……」
「やってしまいましたねえ。ご愁傷さまです」
「な、直せないかな? 岡村さん、日比谷総務部の何でも屋さんって評判だし……」
誰が呼んだかは知りませんが、私はいつしか《何でも屋》と社内に名前を知られ始めていました。先輩が仕事を頼んでいる様子を目撃した誰かが勝手に広めたものでしょう。「岡村早苗はお菓子を与えればどんな仕事もこなしてくれる人」と認知されてからは、部署の垣根を越えた雑用がお菓子とともに舞い込むようになっていました。
給料泥棒と指差されず済むのはいいですが、はた迷惑な話です。
とはいえ――
「物理的に壊れていると無理ですね」
「そうなんだ……」しゅんとした先輩を励ますべく、私は尋ねます。
「データがないと引き継げない仕事ですか? あらましだけでも教えていただけたら、私のほうで対応してみますが」
「あらまし……」
先輩は珍しく、頬を赤く染めて続けました。
「百合会議を引き継いでほしくて……」
「は?」
さすがの私も意味が分からず即答してしまいました。今となっては会議の意味も分かりますが、その時はさっぱり呑み込めなかったのです。
「すみません先輩。その百合会議というのは?」
「あの、ね? まず岡村さんは、百合って分かるかな?」
「お花ですか? 白とか黄色の」
「ううんそうじゃなくて! その、女同士の――」
私はそこで初めて、先輩の口から百合の概念を聞きました。
――女性同士の友情や愛情その他もろもろ、はては対立関係を描いた物語のことを、百合と呼ぶらしい。
「説明していただいて申し訳ないのですが、あまりよく分かりません」
「そうだよね、うん、そうだと思う! 私も職場で何話してるんだろうって思ったし」
「まあでも、その百合とやらに関する会議であることは理解しました。百合については勉強してみます」
「あ、じゃあオススメを貸すから! 岡村さんを百合沼に引きずり込んじゃうよ」
「はあ、そうですか」
本日の百合会議に備えて、私は百合について研究をしてきました。
先輩から借りた書籍を読んだり、映像を見たり。そして、生物学上は女である私自身の経験を振り返ってみたり。
そこで、はたと気づきました。
俯瞰して考えてみると、私と先輩の関係は《社会人百合》に近いものなのかもしれません。
頼りない先輩と、やや冷徹ながらも面倒見のよい後輩。
百合愛好家の皆さんならば、きっとこのお話を気に入ってもらえることでしょう。そう考え、私はこの百合会議の場で、柳瀬先輩の話をしようと思ったのです。
それが、私にできる唯一の方法だから。
お世話になった先輩から頼まれた仕事をきっちりと引き継ぎ、すべてを終わらせること。それ以上に、不幸にも左遷され退職した先輩に報いる方法はありませんでした。
さて、もうひとつ。
皆さんがお気になされていた柳瀬先輩の性的指向についてですが、これは申し上げられません。大切な先輩のプライベートを切り売りしてまで、百合会議を盛り上げるつもりはありませんから。
何卒、ご理解くださいませ。私からは以上です。
*
岡村は語るのをやめた。彼女らにとっては知る必要がないからだ。
話は終わりとばかりに二杯目のアイスコーヒーを啜ろうとするも、岡村はグラスを滑らせてしまう。閉じたノートPCにコーヒーが掛かってしまい、おしぼりでPCを隅々まで拭き取った。
そんな折、顔の前で手を組んでいた河村が尋ねてきた。
「なるほど。USBメモリは壊れてしまっていたのね」
「ええ。懇意にしているITチームにも相談してみましたが、基盤が壊れていて不可能だそうで。結局、アレの中身は何だったのですか?」
河村は笑った。
ウソをつくための作り笑顔であることは、岡村にはすぐ分かった。
「会議の過去の議事録よ。あと、皆が持ち寄ったオススメ作品のリストとか、その感想ね。なくなってしまったのは残念だけど、ならば新しいオモチャを用意すればいいわ」
「ええ、そうしていただけると助かります」
河村に合わせて、岡村も笑った。
ただ内心では、3名への怒りの炎が燃え盛っている。話の途中で、何度感情を抑えつけたか分からない。なるべく3名の顔を見ず、パーティープレートの中にひとつだけ紛れ込んだ、キットカットの小袋を眺めて気を紛らわせていたのだ。
まだ、今ではない――と。
「さあ河村議長! 岡村さんの採点は!?」
「そうね、素晴らしい話を聞かせてもらったわ。歴代最高得点は確実」
「くーっ! もったいつけるッスね! じゃあ、ドラムロールやりますか! たぶんカラオケの中にあるはずッスよ!」
「じゃあ私探すー!」
にぎにぎしく盛り上がる3名を前に、岡村は隠し続けていた感情を露わにした。
「ちょっと待ってくださいますか」
「どうしたんスか、岡村っち」
「いえ。反町さんや細川さんのエピソードを解釈したように、私も、自分自身のエピソードを百合として再解釈したいと思いまして」
「さっきの話を百合として解釈するってことですか!? わー! 聞きたい聞きたい! 河村さん採点ストップです!」
3名はぴたりと固まった。そしてそれぞれ別の表情で、岡村を見つめている。
細川は楽しそうに目をきらめかせていた。まったくもって脳天気と言う他ない、疑おうとさえしない表情だ。
河村は、下卑た微笑みを見せている。すべてを見透かさんばかりの表情だが、河村は岡村の真意に絶対に気づけない。
反町は笑っていたが、わずかにこめかみをひくつかせていた。そして目が笑っていない。口角も下がっている。
おそらくこの3名の中で、これから起こることを朧気にでも把握しているのは、頭の回転が速い反町だろう。
ならばまず、反町から――潰す。
「構いませんか? 反町さん」
「いや細川っちそれは――」
「構わないわ。では、披露して貰おうかしら。岡村さんによる、岡村さんのエピソードの再解釈を」
「分かりました」
煮えたぎる怒りの感情を鍵として、心の奥底にしまい込んでいた本当の記憶をこじ開けた。
「まず始めに注釈します。これは私のエピソードから、根拠になりそうな事実を恣意的に選び取って脚色したもの、つまりは妄想です。ですのでできればお怒りにならず、ご笑納いただければと思います」
岡村の記憶は入社から二年後の、初めて柳瀬から仕事を頼まれた日に遡る。
「最初に柳瀬先輩から頼まれた仕事は、
「うんうん、たしかそうでした!」
「この航空券予約は不思議でした。一度ならいざ知らず、先輩は幾度となく私にメモを渡してくるのです。なぜでしょう? そう何度も何度も、まるで関係ない本社内線を先輩が受け取ることなどあるのでしょうか。何らかの理由を持った特定の誰かが、はじめから柳瀬先輩を狙って内線をかけている。そう考えるのが妥当ではありませんか?」
「ええ、そうね」
聞き役に徹した河村が同意の声を上げる。その隣では反町が目を泳がせていた。
岡村はテーブルの上にメモ書きを置く。
数字と記号の羅列に、「2席」予約を取ってほしいことを示す「×2」という記号が踊っている。
「こちらは実際のメモ書きです。内容は《ドイツ・フランクフルト空港行き。大人2名》」
河村と細川の視線が、反町に突き刺さる。
「とは言え。仮に柳瀬先輩を狙って電話をかけている特定の誰かが居たとして、それが誰なのかは分かりません。なぜなら私たち総務部員の仕事は、航空券を買うところまで。誰が乗ったのかを知ることはできません」
「そ、そうなんスね」
岡村は反町を見つめた。
本心では、この期に及んでシラを切り通そうとする反町を睨みつけたい一心だった。
「ですが、知る方法があるんです。乗客は搭乗手続きの際、WEB上やカウンターで、自身のマイレージカードと私の手配した航空券を紐付ける決まりがあります。搭乗チェックインと呼ばれるものです。つまり、チェックインがなされれば、誰が搭乗したのか分かります」
「すご! 本当に探偵みたい! で、犯人は誰!? 誰なの岡村さん!」
「短期間のうちに何度も移動していることを考えると営業社員でしょう。それも、相当にその手腕を買われている者。寄港地はドイツ、イギリス、フランスが多いことから、欧州担当と推察できます。それに当てはまる犯人と言えば」
「い、や。ちょっと待って……! あんたは――岡村っちはあたしが犯人だって言うんスか!?」
岡村は瞑目した。己が怒りを静めるため、ひと呼吸置いて続ける。
「……貴女のようなコソ泥を相手にする時間も惜しいので、結論から言います。私は、航空券の座席を予約してチェックイン履歴を見ました。搭乗者はハナ・ソリマチ、貴女の名前です」
「え……反町さんが犯人だったの……!?」細川の視線を避けるように、反町は俯く。
「そして同乗者の名前はユウ・モリ。《セキュア》で照合しましたが、そんな人物は日比谷グループにも取引先名簿にも存在しません。つまり社外の人間の航空券を、貴女の一存で会社に購入させたことになります。れっきとした業務上横領です」
「…………」
反町は押し黙った。
だが事実を突きつけたところで、岡村の鬱憤は晴れない。
「さて、ここからは妄想です。貴女はこう言いました。『最初にインパクトを与えれば、途中のロジックにウソを混ぜても気づかれにくい』。つまり、ウソを語る際は適宜真実を織り交ぜると信憑性が増すということ」
「……それがなんだよ」
反町は静かに、怒りを露わにした。語調が変わっている。スーパーエリート営業の化けの皮が剥がれた瞬間だった。
「反町さんのエピソードには、エリスとヴィクトリアという二人の女性が登場しました。これは舞台であるドイツにちなみ、名作『舞姫』から取ったものでしょう。教養を感じさせる、オシャレな仮名だと思います。ですよね、反町さん」
「そうだよ! 悪いのか!?」
「いえ、ただ。どうもおかしいと思った部分がありまして。偶然、ヴィクトリアさんと鉢合わせになる場面です。考えてもみてください」
岡村は必死で精神を落ちつかせ、なるべく――特に頭のゆるい細川にも理解できるように心がけながら妄想を披露した。
「貴女の話した通り、エリスとヴィクトリアが恋愛関係だとします。エリスが反町さんを誘うことは浮気に当たりますが、どこまでが浮気のラインかの倫理観は人それぞれです。ただ少なくとも、恋人と鉢合わせする可能性のある場所は選ばないでしょう。というか仮に、私がエリスなら絶対に避けますね、あとあと釈明が面倒ですし」
「だからそれはホントに偶然で……!」反町の弁明を無視して、岡村は続けた。
「そこで私は考えました。このお話は、語り部が入れ替わっているのでは? と。取引先の客と火遊びしようとして恋人と鉢合わせてしまったエリスこそが、反町さんなのではないかと」
「どういうことかしら……?」河村の疑問は至極当然のものだ。
「反町さんは、恋人のモリさんを会社のカネでドイツに連れて行きました。おそらくモリさんは横領のことなど知る由もないでしょう。ドイツ観光を思う存分満喫していたはずです。ですがその時偶然に、反町さんとそのお客さんがふたりでビアホールに入るところに鉢合わせてしまう。モリさんの心境は、どうだと思いますか。細川さん」
「んー。私はレズじゃないから分かんないけど、普通は『裏切られたー!』って思いますよね。せっかく好きな人と一緒に旅行に来たのに、そんなの見せつけられちゃったら余計に」
「だそうです。ひどい女ですね、反町さん」
「…………っ!」
「そもそも『偶然鉢合わせた』だなんて都合がよすぎますよ。こんなウソだってすぐバレそうな筋書き、はじめから作り話を披露する気なら絶対に避けるはずですよね、言葉巧みに契約を取り付けるエリート営業の貴女なら余計に。つまり貴女の言う通り『恋人と鉢合わせた』という部分は真実で、残りの部分はウソです。そうなんでしょう反町さん……いえ、エリスさん?」
「ち、違う……!」
「違いません」
岡村は断言した。反町の悪事の根拠はすべて握っていたからだ。
「先のドイツ便の翌日、貴女はドイツから日本へ帰る復路便の予約を柳瀬先輩に手配しましたね。席は1名。搭乗者の名前は、ユウ・モリ」
何も言い返せない反町へ、岡村はこの日初めて本心から笑った。
反町は横領などというせせこましい悪事を働いた上に、恋人を裏切った浮気者。そんな彼女に似合った当然の報いなのだ。嘲笑するより他はない。
「あーらら。別れちゃったんですね、モリさんと。モリさんかわいそー」
「テメエ……ッ!」
反町に胸ぐらを掴まれるも、岡村は冷静だった。どこまでも想定通りに逆上してくれたので、滑稽だったという方が正しい。
「反町さん。私は事を荒立てるつもりはありません。百合会議の参加者の秘密は墓まで持っていってもらうつもりですから」
「……喋らないんだな? 細川も。河村さんも!?」
反町は口角泡を飛ばして叫ぶ。返事を保留した両名に代わり、岡村が告げた。
「安心してください。貴女みたいなクズと関係していたことがバレれば、出世に響くので黙っています。残るお二人も同じでしょうね」
それを聞いて安堵したのか、反町は溜飲を下げた。力なくカラオケボックスのソファに倒れ込み、誰とも目を合わさぬよう下を向く。
「さて、これで航空券の謎は解けましたね。次は、《セキュア》のクリアランスオファーの件を再解釈していこうと思います」
岡村は記憶を過去に飛ばした。
事件は昨年。評判の悪い新システム《セキュア》が稼働から数日経った日まで遡る。
「柳瀬先輩から任されたクリアランスオファーの一件は、本当に危ない状況でした。もしかしたら本当に、死者が出てしまっていたかもしれません」
「そ、それって殺人事件を未然に防いだってこと!? だれだれ!? ていうか何があったの岡村さん!」
何も知らないのだな、と岡村は思った。
人より理解力が劣っている細川のため、岡村は素直にすべてを告げることにした。
「結論から言います。殺される寸前だったのは、細川さんです」
「は!?」
細川は当然の反応だ。河村も、項垂れていた反町すらも彼女の顔を見つめている。
「ど、どういうこと……!?」
「貴女のエピソードの後で、私が妄想を話しましたよね。北島と鳥羽にタリウムを盛られたという話。あれは実話です。危ないところでしたね?」
「え……」細川は絶句した。
「事件に気づいたきっかけは、クリアランスオファーを受け取った時です。内容は《ホソカワ化学工業第三貯蔵庫への立入許可》。本来は内規で定められた有資格者でないと許可はできないのですが、内規を飛び越えて許可を求めてきたIDの持ち主がいました。ホソカワ化学工業社長令嬢、細川美玲さんです」
「そんなことしてないわよ!? ホントよ!? 信じてよ岡村さん……!」
「ええ、申請したのは貴女ではありません。正しくは、何者かが貴女のIDを不正利用して、立入許可を求めてきたんです。ホソカワの社長令嬢のIDであればこちらの審査も甘くなるだろうと考えたのでしょうね。私の目はごまかせませんでしたが」
「その何者かって、まさか……浅野と三浦……!?」
細川が告げた2名の名前は、仮名であった北島と鳥羽の本名だ。ややこしくなりそうだったので、岡村は仮名のまま説明を続行することにする。
「ええ、そのお二人です。元ヤン北島とビブリオ鳥羽。彼女らは本当に、どこまでも不仲でした。元恋人でも同性愛者でもなく、それぞれホソカワの男性社員と交際しています。つまり、細川さんはものの見事に騙されていたという訳です」
「ちょっと待って私どうすればいいの……!?」
細川はパニック一歩寸前だった。顔面を蒼白させ、髪の毛をかきむしっている。河村と反町が落ちつくように告げるも、岡村はどこ吹く風とばかりに解釈ではない事実を淡々と並べていく。
「時系列順に説明しますね。まず最初に細川さんの殺害を企てたのは北島でした。彼女は交際中である男性社員に、第三貯蔵庫に保管されているタリウムを盗んでくるよう指示を出しました。対価はアナルセックスだそうです。やーん、えっち」
「いや……! いやあ……っ!」
「次に鳥羽も、北島と独立して同様の手口を計画します。とある男性社員から交際を迫られた鳥羽は、交際の条件としてタリウムを盗んでくるよう指示を出しました。ビブリオの鳥羽はミステリアスに映る人物です。その手の女が好きな男性は、喜んで危険を侵すでしょう」
「やめて……やめてよ……!」
「そうして細川さんのタリウムライフが始まりました。北島からはパチンコ景品のお菓子として、鳥羽からはコーヒーとして。殺すまではいかなくともせいぜい、肝機能障害で休職を余儀なくされる程度の毒を、二人から代わる代わる盛られることとなります」
「もうやめてやってよ、岡村! 細川さんが可哀想だろ!?」
どの口が言うのだろう、と岡村は反町に微笑みかける。横領の件が露呈した今、彼女はもう岡村に逆らうことはできない。
反町は押し黙り、パニックを起こして暴れる細川を抑えつけていた。
「ですが北島と鳥羽の計画は頓挫しかけます。《セキュア》が稼働を開始し、タリウムを手に入れることができなくなったのです」
《セキュア》の導入によって、社員たちは自由に社内を行き来できなくなった。自身の業務と関係のない不必要な場所へは立ち入れなくなったのだ。
北島と鳥羽両名の交際相手は二人とも、有資格者ではなかった。すなわち、タリウムが保管されているホソカワ化学工業第三貯蔵庫に立ち入れなくなってしまったのである。
「全社で最も《セキュア》を恨んだのは、北島と鳥羽でしょう。彼女らはどうにか《セキュア》の目を欺こうとしました。第三貯蔵庫に立ち入れる社員を籠絡しようとしたり、自身のIDを使ってダメ元で侵入を試みました。おかげで《セキュア》にログが残り、犯人の特定に繋がりました。我ながら、よいシステムを設計したと思います。なんせ人命を救ったのですから」
岡村の目の前で、細川は嘔吐した。喉に手を突っ込んで、胃の中を掻き出さんばかりの勢いで。何度とない、聞くに耐えない嗚咽。飲み物食べ物胃液がボトボトと室内にこぼれ落ちる。
「何をしてるの、細川さんっ!?」
「タリっ、ウムを、吐き出さなきゃ……! タリウムをっ……!!!」
そんなことをしても無駄なのに、細川は嘔吐を繰り返す。
同僚二名から盛られたタリウムは、すでに体内のありとあらゆる臓器に蓄積し、彼女の寿命を刻一刻と蝕み続けている。
「ここでようやく冒頭の話に戻ります。細川さんのIDを北島と鳥羽が不正利用した件です。両名はそれぞれ独立して、社長令嬢のIDなら申請が通るだろうと考えました。第三貯蔵庫の立入許可は、都合二回来たことになります。こんなものを怪しむなという方が無理な話です」
嘔吐を繰り返す細川のことなど気にも留めず続けた。
「さて。私の話の中に、柳瀬先輩の担当する子会社の社員二名と合コンをしたというエピソードがありましたね。もうご存じとは思いますが、柳瀬先輩の担当会社はホソカワ化学工業で、同席した社員二名というのは北島と鳥羽です」
岡村は自身のエピソードに、ウソを織り交ぜていた。もちろん信憑性を持たせるために、うまく真実も挿入している。航空券の件も、今回のクリアランスオファーの件も。反町と同じ『ウソを語る際は適宜真実を織り交ぜると信憑性が増す』という方法で。
すべては、百合会議の面々を楽しませるため。
楽しませて、本当の計画から目を逸らさせるため。
「あの合コン、いえ、事情聴取は私が先輩に頼んだものです。『大事な話がある』と伝えたら、両名は同席してくれました。彼女らは往生際がよかったです。第三貯蔵庫の立入を試みたログと、細川さんのID不正利用疑惑を突きつけたら、洗いざらい白状してくれました。そこで初めて、お互いが同じ方法で細川さんを休職に追い込もうとしていたことに気づいたようです」
あの時の二人の顔は、岡村もよく覚えている。まったくタイプの違う不仲の二人が互いに顔を見合わせて、「そんなバカな」とでも言いたげな、驚いた顔を晒していたから。
「ただ先ほどもお話した通り、私はクズと絡んで出世の道を閉ざされたくありません。しかもホソカワは柳瀬先輩が担当する会社です、先輩の経歴に傷をつける訳にはいきません。ですので毒殺未遂を握りつぶす代わりに、北島と鳥羽には、ある設定を演じてもらうことにしました。それこそが例の《元恋人同士の同性愛者》、ちなみに立案者は柳瀬先輩でした。あの人の百合好きも相当こじれていますよね。ふふっ」
「あの二人も……柳瀬もアンタも……! 絶対許さない……ッ! パパに言いつけて――おえぇッ……!」
「あーあ、ホントなんにも分かってないんですね。かわいそーな子」
岡村は普段の冷たいトーンをそのままに、突き放すように吐き捨てる。
「なぜ殺されかけたか分かっていますか、細川さん。貴女は同僚たる北島さんと鳥羽さん……いえ、浅野さんと三浦さんにどれだけの苦痛を与えましたか? すべて、私の耳に入っていますよ。事情聴取の場で、直接本人たちから聞きましたから」
事情聴取合コンで、二人はこれまで細川から受けてきたあらゆる苦痛をぶちまけた。この内容こそが、岡村が細川に同情できなくなった理由である。
細川の語ったエピソードは大枠ではウソのないものだ。ただし、彼女が意図して語らなかった部分に、毒殺未遂の真相が隠れていた。
「細川さん。貴女は北島さんが命よりも大事にしている単車を、社長令嬢の肩書きを使ってムリヤリ奪いましたね。北島さんが抵抗すると『パパに言いつける』と言って脅しましたね。そして工場内の私有地を乗り回し、ぶつけて大破させましたね。弁償はしましたか? していませんよね。ぶつかってきた方が悪いと意味不明な理由を並べてうやむやにしましたね」
「おえぇ……ッ! うおえッ…………」
「細川さん。貴女は鳥羽さんが長きに渡って純愛を貫いてきた交際相手を、ただ鳥羽さんに彼氏が居ることが気に食わないという理由だけで籠絡し、飽きてポイ捨てしましたね。鳥羽さんが自身の裸すら彼氏に見せられない男性恐怖症であることを逆手に取って、女の肉体とセックスの快感を彼氏に覚えさせて、別れさせたんですよね」
岡村は止まらなかった。
止めてはならないと、二人の被害者が叫んでいる気がした。
「そして……私が設計に携わった《セキュア》には、当然、貴女がマジメに働いていたかどうかの記録もしっかり残っています。不思議ですよね、貴女はデスクワーク中心のホワイトカラーなのに、個人PCを起動したログが月に数回しかないんです。教えてくださいよ細川さん。毎日毎日パソコンもつけずにどこで何をやってたんですか? 事務仕事を北島さんと鳥羽さんに任せて、スマホで動画でも見ていたんですか? インスタでもやってたんですか? 職場抜け出してホストとセックス三昧ですか? 二人に申し訳ないと思ってますか? 恨みを買って当然なことしてる自覚ありますか? どうなんですか? ねえねえ、教えてくださいよ? コネでスネかじり三昧のクソガキの細川美玲ちゃん!?」
「もういいでしょう、岡村さん! どうしてそこまでするの!?」
「どうしてそこまでですって?」
岡村はらんらんと目を見開いて、河村以下3名を睨み付けた。
口角を歪め、狂気を孕んだ笑みを浮かべたその刹那、手が伸びる。反射的に怯んだ3名だったが、岡村の手は危害を加えるものではなかった。
テーブルの中央、細川の吐瀉物にまみれたパーティープレート。岡村の手はその中にあるたったひとつだけの赤い小袋を掴んでいた。
「これでもまだ分からないんですか。しょうがない人たちですね」
岡村は普段のように、小袋の裏面にあるメモ書きに目を通す。
見慣れた筆致のマジックインキで「ありがとう」と書かれていた。
「じゃあ、教えてあげます。私がこの百合会議にやってきた真相を」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます