百合会議 前編

 総合商社、株式会社日比谷商事の女子社員達の間には、一風変わった伝統があった。


「それでは第48期、百合会議を始めます」


 会議長である経理部係長・河村みすずの厳粛なる声と共に、総勢4名による会議の幕が切って落とされた。


 場所:本社から遠く離れた阿佐ヶ谷のカラオケボックス

 日時:令和2年1月16日

 時刻:19時

 参加者:河村(経理部)、反町(営業部)、細川(グループ会社・ホソカワ化学工業)

 書記――


「前回に引き続き、議長は河村が務めます。さて……岡村さんは初めてよね。話くらいは前任者の柳瀬さんに聞いたかしら?」

「ある程度は。今回は後学のため、書記として参加させていただきます」

「お願いね。不明瞭なことがあればツッコんで質問してくれて結構よ」

「分かりました」


 河村の指示通り、岡村早苗は議事録用ノートPCの書記欄に自分の名を書き足した。


 書記:岡村(総務部)


「さて。では初めての岡村さんのためにも、分かりやすい議題から発表してもらおうかしら」

「なら自分、いかせてもらいます」


 カラオケ個室で催される百合会議。その場で一番に名乗りを上げたのは、営業部の反町だ。

 いわゆるキャリアアップ転職で中途入社した反町は、英語と中国語を巧みに操るトライリンガルである。堪能な語学力と思考力、そして客の心の懐にスルリと入り込む人たらしぶりで、社内でも五本の指に入る売上を立てるスーパーエリートだ。

 岡村は議事録に「発言者・反町」と記載する。そして、どこか育ち盛りの子犬のような愛嬌を振りまく彼女の、一挙手一投足を見守ることとした。


「ドイツ出張中の話なんですが――」


 岡村は反町の語る話を、ノートに書き綴った。

 語り部たる反町が、海外営業員としてドイツへ出張した時の出来事。仕事の話もまとまって上機嫌の反町は「本場のビールを堪能したいのでオススメを教えて」と冗談めかして語った。すると顧客の女性――仮にエリスとしよう――から「一緒にどう?」と誘われ、ふたりしてベルリンのビアホールへ向かうことになったらしい。


「それナンパじゃないですか!? 流石ドイツ! 先進国!」

「いやまあ実際、ちょい期待しましたけどね。でも違うんスよ」


 合いの手を入れたグループ会社社員の細川に断りをいれて、反町は続ける。

 反町とエリスがビアホールに移動する折、たまたまエリスの友人――ヴィクトリアとする――と合流することになった。「日本が好き」というヴィクトリアのために反町は様々な「ここがヘンだよ日本人」エピソードを披露し笑いを取るが、途中で気づいたのだ。

 自分はこのビアホールで、一度でもエリスと直接話しただろうか。

 思い返すと、入店直後からそうだった。ヴィクトリアは英語もできるのに、エリスとの会話では反町の分からないドイツ語を使う。席を選ぶ際も注文を告げる際も。宴席の終盤など、反町の英語での会話をヴィクトリアがドイツ語で盛り上げて、エリスとふたりだけで笑っていたのだ。

 まるでヴィクトリアが、反町とエリスの会話を阻んでいるかのように。


「確信しましたよね。エリスとヴィクトリアは絶対デキてる。自分、完ッ全にピエロでした」

「はああああああああ!!!」


 途端、相づちを打っていた細川が奇声を上げた。岡村は迷ったが、その反応も記録することにした。細川、反町のエピソードに奇声を上げる。


「それ絶対デキてるからこそ反町さんをハブったヤツ! むしろその日の夜、めちゃくちゃ燃え上がるヤツ!」

「ちなみに二人とも爪綺麗だったよ」

「確定! どうですか議長、今の反町さんのエピソード」


 細川が一気にまくし立て、議長の河村に判断を委ねる。両手を顔の前に組んで聞き入っていた河村は「はあー……」と重苦しいため息をついて告げた。


「30億点」

「あざっす!」


 岡村は無心で、反町30億点と議事録に書き込んだ。


「ごめんなさいね岡村さん。今のエピソードで会議の全容は掴めた?」

「ええと」


 書記としての仕事に集中していた岡村は、河村の呼びかけに言葉を詰まらせた。今一度議事録を読み返し、反町のエピソードを反芻する。

 反町のエピソードは要約すれば、『エリスとの飲み会に現れた友人・ヴィクトリアに、会話を邪魔された』話だ。だがそれは反町にとっての出来事。エリスの友人であるヴィクトリアには、このエピソードはどう映っただろう。


「ヴィクトリアさんは、エリスさんとの間に入ってくる反町さんが邪魔だった。なぜなら彼女は極度のヤキモチ妬きで、反町さんにエリスさんを取られるかもしれないと警戒したから、でしょうか」

「それ! きっとヴィクトリアはイラついてる! 『エリスのバカ! なんで反町みたいな人を誘うのよ! だいたいこのビアホールはあたし達のヒミツの場所じゃなかったの!?』って! さすがヨーロッパ、感情がデカい!」

「いや、自分はラブラブぶりを見せつけられたのかもしれないと思ってるッス。あのふたり、首筋の目立たない位置に同じタトゥーがありましたし、手元はよく見えなかったスけど、あの腕のヒネりからすると多分手を……」

「ほああああああああああああああああ!?!?!? 揃いのタトゥー!? 見えないトコでの手繋ぎ!? あるいはもっとアレな場所を!?」

「反町さんプラス10億点」

「あざっす!」


 ――ははーん、この会議は上級者向けだな?

 悟った岡村は、とりあえず反町プラス10億点とだけ追記した。


「つまりこの百合会議は、皆さんが体験した女のエピソードを披露しつつ、その関係性について議論する場ということですね?」

「さすがね。百合の才能があるわ」


 そんなモンいらんと思った岡村だったが、世話になった先輩・柳瀬に後任を頼まれた手前、無碍にもできない。とりあえず笑ってやり過ごすことに決めた。


「じゃあ次はわたくし、グループ子会社、ホソカワ化学工業の細川がお話します!」

「男の園に咲いた百合、頼むわよ」

「ドンとお任せ下さい! これは私の同僚の話なのですが――」


 営業・反町の流暢な語り口に比べると、細川はとにかく話が下手だった。人物紹介として披露される小ネタはムラが多く、説明不足。話すべき情報と枝葉末節を区別できておらず、話の組み立ても上手いとは言えない。おそらく職場での落ちこぼれ社員に属しているのだろうと岡村はひとり納得する。

 しかしエピソードに対する熱意と自信は相当なものだ。反町が要点を整理してくれたおかげで、ようやく岡村も議事録を取れるようになった。


 細川のエピソードは要約するとこうだ。

 グループ会社・ホソカワ化学工業の製造部には3人の女性事務員がいる。一人は細川で、残りの二人は仮に北島と鳥羽としよう。

 北島は、茨城県出身。毎朝遅刻ギリギリに単車で乗り付けて、デスクに着くや否やヘルメットで潰れたハデな髪の毛と化粧を直すことが日課の元ヤンだ。常に煙草の煙を身にまとい、定時を回ればすぐに本社横のパチ屋へ向かう。戦績はお世辞にもよろしくないが、たまに景品のお菓子を細川にくれる。

 いっぽう鳥羽は、東京都出身。就業30分前にはデスクについて、地味めのストールを肩に掛けてひたすら文庫本を読んでいる文学女子ビブリオマニアだ。常にコーヒーの薫りを身にまとい、定時を過ぎればいつの間にか消えている。幽霊か何かなのではないかと初めは細川も思ったそうだ。そんな存在感薄めの鳥羽も、たまに労いのコーヒーを細川煎れてくれる。


 さてこの北島と鳥羽だが、関係は最悪、犬猿の仲らしい。

 お互い目を合わせず会話もなく、そもそも挨拶すらしない。仕事上どうしても話をしなければならない時は細川を伝言板代わりに使い、細川がいなければ――本人が目の前に居るのだから喋ればいいのに――付箋を貼り付けて処理する。とにかく仲が悪いのだ。居心地があまりにも悪いから、細川は昼休みになると同期のいる別部署に避難しているという。


「どうしてそんなに仲が悪いんですかね?」


 はたと記述をやめ、岡村は細川に尋ねた。すると細川は「そこ!」と奇声を上げて続ける。


「そこがこの話のコアなの!」


 話が無駄に前後しまくる前フリに辟易としてきた岡村だったが、この先が重要らしいことはよく分かった。細川が脱線も厭わず事細かに描写したおかげで、北島と鳥羽の人物像はなんとなく理解できたからだ。

 細川は続けた。


 元ヤン北島×ビブリオ鳥羽。

 ほぼ正反対と言っていい二人の間に、事件が起こった。と言うより二人の間に入っていた細川に不幸が降りかかった。

 細川が原因不明の体調不良で入院したのだ。


「そう言えば前回の会議は不参加だったわね。予後はどう?」

「以前よりは回復しました。まだ重怠いかなって感じはあるんですけど……」

「で、続きはどうなんスか? 細川っち」


 尋常でなく距離を詰めるのが早い営業反町に急かされて、細川は再び口を開く。

 話は、細川の入院中のことだ。

 なんと、北島と鳥羽が二人揃って細川の見舞いに来たのだ。あの二人が一緒に見舞いに来るなんて。心拍数が上がって看護師が駆けつけるほど、細川は驚いたそうだ。

 そこで細川は衝撃の事実を知らされた。

 なんと北島と鳥羽は、同性の元恋人同士であったのだという。別れた恋人と職場で偶然再会してしまった気まずさから挨拶すらできなくて、いつしか犬猿の仲だという噂が広まってしまったというのだ。

 そんな二人は、細川の入院で気づいたのだ。

 ――自分達ふたりの不仲が、細川のストレスになっていたのでは? と。

 心身を病むほどのストレスを抱えている自覚は細川にはなかったが、体調不良の原因は医師でもさじを投げるもの。原因不明の病だ。ならばストレスが原因というのもあり得ない話ではないのかもしれない。

 細川は「大丈夫」と笑ってみせたが、北島・鳥羽の気は収まらなかった。自分達の不仲が細川を追い込んでしまったことを反省し、これからは仲よくすると謝って去っていったのだという。

 現在、北島と鳥羽のふたりは、当初の不仲など感じさせないくらい、仲よく仕事をしているらしい。


「ということで! つまり私の入院が、破局カップルを復縁させたんです! どうですか! 尊いでしょう!?」

「枝葉末節が多すぎて判断に迷うトコではあるッスね。議長どうッスか?」


 すべてを黙って聞いていた河村は、「んー……」と唸った。

 お気に召さなかったのだろうか。議事録から目を離した岡村の前で、静かに言い放つ。


「20億点」

「えー!? もっと高いですよ!? 身を挺してくっつけたんですよ!?」

「では、細川さんの頑張りにプラス20億点」

「これで同点ですね反町さん!」

「やるねえ!」


 岡村は、議長の採点を議事録に書き込んだ。

 細川20億プラス20億点。合計40億点。

 だが、そこまで書いたところで岡村の手が止まる。


「……今の話、少しいいですか?」

「はいどうぞ! どしどし答えちゃいますよ!」


 ノリの軽妙な細川の発言がすべて真実だとすれば、どうにも噛み合わない点がひとつある。

 岡村は議事録の内容と記憶を整理しながら、細川に尋ねる。


「北島さんと鳥羽さんが元交際相手だったというオチは理解できます。ですが何故、わざわざ事実を細川さんに伝えたのでしょう?」

「いや、だからね。ふたりの不仲が原因で私は体調を崩しちゃったから、その謝罪として教えてくれたんだよ?」

「いえ。二人には、細川さんに事実を伝える必要性がないんです」


 百合会議の議場が静かにどよめいた。「どういうこと?」とでも言いたげに怪訝な顔を浮かべるのは細川ばかりではない。反町も、はてはガバガバな判定を下してばかりの議長・河村すらも岡村に視線を送っている。


「貴女の解釈を話してちょうだい、岡村さん。根拠のない妄想でも構わないわ」

「では、僭越ながら」


 岡村は瞬時に、事実とそこから導き出される仮定を組み立て、結論を先に話すことにした。


「おそらく二人は、何か都合の悪い真実を隠そうとしたんです。事実が明るみに出るくらいなら、同性愛者の元恋人同士だと告白して、仲良しこよしを演じる方がマシだとでも考えたのでしょう」

「なんだか探偵っぽいスね」と囃し立てる反町。いっぽう細川は目を点にして聞き返す。

「どういうことですか……?」

「ええと」反町ほど話を俯瞰できていない細川にも分かるように、岡村は説明の組み立てを変えた。


「細川さんは原因不明の体調不良で入院していたのですよね? 原因不明だと医師から告げられて、細川さんは気が気ではなかったと思います」

「え、ええ。そうです……」

「そこに二人が現れてこう言った。『自分達の不仲がストレスとなって、細川さんは心労から体調を崩した』と。細川さんはなんとなく安心したのではないですか? 体調不良の原因が分かったワケですから」

「はい、そんなこともあるのかも? って感じでしたけど」

「では、もしもの話です。もし、細川さんの体調不良が心労によるものではなかったとしたら? 本当の原因が明らかになると二人には都合が悪かったから、でっち上げてごまかしたとすれば?」


 呆然とした表情を浮かべる細川に、岡村は持論を展開する。


「私が理解できないのは、なぜ北島・鳥羽両名は自身のプライベートを包み隠さず細川さんに喋ったかという点です。いくら反省していたと言えど、同性愛者で元交際関係だったなんて普通は伝えません。お話を聞く限り、細川さんはそこまでお二人と親しい関係でもなさそうですし」

「で、でも。私は二人から話を聞いてものすごく納得したんですよ……?」

「細川さんを納得させるため、あえて告白したんでしょう。衝撃的な出来事に直面すると、人は判断力を失うものです」

「プレゼンのテクニックっスね。最初にインパクトを与えれば、途中のロジックにウソを混ぜても気づかれにくい」


 反町がうまく補足してくれたことに感謝し、岡村は細川の顔色を窺った。怪訝な顔を浮かべている。おそらく、理解が追いついていないのだろう。

 先に口を開いたのは岡村ではなく、静観を決め込んでいた議長・河村だった。


「なら聞くわ岡村さん。北島さんと鳥羽さんは、例えばどんな都合の悪い事実をごまかそうとしたの」

「ここからは私の想像ですが……」


 岡村はまず注釈をした。これから話す内容は、細川のエピソードから根拠になりそうな事実を恣意的に選び取って脚色したもの。

 だからこれは推理ではない。単なる想像。

 百合会議の参加者達がしているような、「こうだったら面白い」という妄想だ。


「北島・鳥羽の二名は、細川さんに毒を盛っていたのではないでしょうか」


「毒!?」


 岡村を除く百合会議の参加者三名は、一様に驚愕の表情を浮かべた。矢継ぎ早に理由を尋ねてきた一同に、岡村は事実で脚色した妄想を告げる。


「まず、事件の舞台はグループ会社のホソカワ化学工業です。主力商品は農薬や殺虫剤などの農業製品。毒を入手するにはこれ以上ないほど簡単です」

「ですが社内のセキュリティは相当厳しいんですよ!? 製造ラインも倉庫もIDカードがないと立ち入れませんし。第一普段工場の中に入らない事務員が忍び込むなんて不自然ですよ!」

「資格を持つ人間に盗ってこさせればいいだけです。従業員の大半が男性であるホソカワ化学では、北島さんも鳥羽さんも共犯者を見つけることは容易だったでしょう」

ね」


 議長河村は言葉を濁したが、理解は示したようだった。皮肉なものだが、男尊女卑の傾向が強いほど女の武器は効果を発揮する。


「使用された毒はタリウム化合物でしょう。殺鼠剤の成分であり、過去何度も同様の事件で使われたな毒物です。致死量に満たない微量であれば、せいぜい肌荒れ、喉の糜爛びらん、肝機能低下による虚脱感程度。医師もまさかタリウムを盛られているとは思いもしないでしょう」

「あ、あの二人はそんなことしません! お菓子もくれるしコーヒーだって煎れてくれるんですよ!?」

「そのお菓子とコーヒーにタリウムが盛られていたとしたらどうです?」

「ひえ……」


 細川は露骨に顔を引きつらせた。無理もない。やんごとなく尊い北島×鳥羽の百合エピソードを語ったはずが、自身の毒殺計画に話がすり替わってしまったのだ。

 その一方で、興味深そうに聞き耳を立てていたのは反町だ。


「じゃあ、どうして細川っちに毒を盛ったんスか?」

「それは細川さんだから、だと思います」

「私だから……?」細川は涙目で聞き返した。

「ホソカワ化学工業の細川さん。偶然の一致と片付けることもできますが、創業者一族の縁故コネ入社と考えてもおかしくはないでしょう。実際のところどうなのかは、私には分かりませんが」

「う……」


 細川はぎくりと肩を揺らした。否定しないところからして、彼女が経営陣に顔が利く存在であることは疑いようのない事実だ。


縁故コネ入社をひがんで毒を盛ったってことスか? それはちょっと無理筋じゃないスかね?」

「ええ、ですので」


 言いかけて、岡村はこの先を語るべきか逡巡した。

 いくら想像や妄想の類だとしても、言っていいことと悪いことがある。


「……構わないわよ、岡村さん。あくまで妄想なのでしょう?」

「そうですが……」声のトーンを落としたところで、辛抱たまらんとばかりに細川が叫んだ。

「そこまで言ったならもう全部言って! 焦らされる方がイヤ!」

「では岡村っち、どうぞ!」


 本人の許可が下りたので、岡村は告げることにした。


「北島・鳥羽両名は、細川さんを追い出すために毒を盛ったんです。理由はおそらく……細川さんは仕事ができないから」

「ひどくない!?」泣きそうな細川の一方、反町は苦笑した。

「まあ、それなら納得っスね」

「細川さん10億点マイナス。仕事できないから」

「みんなひどいっ!」


 言って河村と反町は笑い、細川は机に顔を伏せた。

 傷口に塩を塗る趣味はない岡村だったが、全部話せと言われたので妄想の外堀を埋めることにする。


「真相はつまり、縁故コネ入社した細川さんを追い出すための北島・鳥羽両名による社内いじめです。二人はそれぞれに、いじめがバレないように細川さんを追い出す必要があったんです」


 二人は当然考えただろう。細川を追い出したくても、表立ったパワハラ行為は使えないのだ。万が一明るみに出てしまい上に告げ口でもされたら、追い出されるのは自分達の方だからだ。


「そこで二人が目を付けたのが、簡単に手が届く毒・タリウムでした。タリウムの致死量を把握し、死なない程度に与えていく。北島さんはお菓子で、鳥羽さんはコーヒーで。長期間に渡って少しずつ、少しずつ。中毒症状による体調不良で休みがちになった細川さんが、自身の意志で退職を決意するよう仕向けたんです」


 タリウムは尿として体外に排出されるが、他の重金属がそうであるように少しずつ体内に蓄積されていく。すなわちタリウムを完全に排出しない限りは、その間ずっと風邪の初期症状にも似た慢性的な中毒症状が生じるのだ。

 よほど注意深い医師でなければ、こう診断するだろう。

 原因不明の体調不良。おそらく風邪。安静にしていればいずれ治る。


「ですが、ここで二人の計算が狂いました。細川さんの身に、予想したより早く、予想したより重篤な症状が出てしまったのです」

「それがこの間の入院ってことスね?」

「ええ、二人はそれぞれ独立して犯行に及んだのです。それぞれ別のルートでタリウムを入手し、それぞれ別の方法でタリウムを盛り、それぞれラインを弁えて細川さんを追い出そうとした。仕事ができないので」

「最後の一言は余計だからやめて……」

「ただ、偶然にも同じタリウムを使っていたことが二人にとっての不幸でした。まさか自分以外に、同じ毒を同じように盛っている人間が居るとは思わないでしょう。結果、想定以上にタリウムを盛られた細川さんは入院生活を余儀なくされた。二人は相当焦ったでしょうね、『ここまでやるつもりはなかった』と」

「それで、例の仲直りということになるのかしら?」

「はい。幸いにも医者がヤブだったため、タリウム中毒はバレなかった。原因不明として診察されていたため、二人のうちのどちらからともなく『自分達の不仲のせいで、細川さんが心労から倒れた』というシナリオを作り上げたのでしょう。同性愛者も元恋人も、恐らくはシナリオに現実味を持たせるためにでっち上げた真っ赤なウソ」

「ということは、北島さんと鳥羽さんは……」


 細川の問いかけに、岡村は小さく息を吐いて妄想を締めくくった。


「二人は、同性愛者でも元恋人同士でもないのに、さも復縁したフリを装っています。細川さんを毒殺しかけた事実を隠すため」


 あくまでもすべては、事実に基づいた妄想だ。実際にタリウムを盛ったかどうかは分からない。ただ、登場人物と語り部の関係性から、こういった解釈もできるということを伝えたまで。


「岡村さん」


 議長・河村は「はああああ……」とひときわ大きなため息をついて呟いた。


「100億点」

「いやー岡村っち、すごい解釈だね……!」

「ええ、見事な解釈を聞かせてもらったわ。相当エキセントリックな内容ではあるけど筋は通っている。それに『二人は復縁したフリをしている』という結末が最高に素晴らしいわ。不仲の二人が仲良しなレズを演じることになる顛末は、毒を盛ったという悪事の制裁にもなっている。やはり、百合の才能があるわね」

「さすが、柳瀬さんの後任は伊達じゃないスね」

「ええええっ!? か、解釈違いですよ!? あの二人は絶対そんなことしないですって!」


 岡村は小さく微笑んだ。いかにふざけた会議でも、認められるのは悪いものではない。

 議事録に「岡村100億点」と打ち込もうとして――とは言え、こんな会議に自分の名前を残すのは人生の汚点だと感じ、やめておいた。


「い、今の岡村さんの話聞いちゃったら……明日からどんな顔して二人に会えばいいんですかあ……」


 細川はハンカチで涙を拭っていた。さすがに突飛な妄想ではあるが、「仕事ができない」だの「同僚に毒殺されかけた」だのは、あまり人間的に好ましいことではない。

 岡村は一応「すみません」と詫びつつ、補足した。


「不安でしたら、タリウムを盛られた可能性があることを医師に伝え、プルシアンブルーを処方してもらってください。タリウム中毒の唯一の治療薬です」

「うう……いちおう病院に行きますけどお……」


 ひとまずこれで、反町と細川のエピソードは終わった。ノートPCで開いたままの議事録にエンドマークを付けたところで、議長・河村が岡村の名を呼ぶ。


「では、次は岡村さんね。貴女にも百合会議に相応しいエピソードを話してもらいましょう」

「ですが私は」岡村の言を遮って、河村は下卑た笑みを浮かべた。

「大丈夫、貴女が話しやすいように、議題はもう考えてあるの」


 河村はスマートフォンを取り出し、1枚の写真を見せた。


「語ってくれるかしら、岡村さん。貴女の先輩、柳瀬董子とうことの関係を」

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