茶番催眠術


 催眠術。

 それは言霊であったり、五円玉に糸を通した振り子ペンデュラムであったり、レーザーポインターのまばゆい光や、果てはスマホアプリのタップ操作などで、他者を思うがままに命令、使役し、支配する術。

 科学と魔術の狭間、脳科学とスピリチュアル・オカルトの境界線上で揺れる怪しさ満載のそれは人の夢、人の業、人の欲望。

 これは、そんな異端術法を我が物にしようと挑む、少女達の物語である。


 *


「では実験を始めよう。準備はよいかな、つぼみ君」

「はい、賽河原さいがわら先輩」


 くゆりつぼみは、先輩である賽河原さいがわら瑠璃るりの真剣な眼差しに射貫かれ、密やかに胸を高鳴らせた。

 場所は賽河原の自室、23区内ギリギリにある清瀬のワンルーム。

 つぼみは学生の頃からの上下関係を引きずったまま、毎週末彼女の家に通っている。周囲に「半同棲中の恋人が居る」と鼻の下を伸ばしてノロけにノロけ、日がな一日結婚式場や新婚旅行のパンフレットを眺めては賽河原との新婚生活を妄想するのが趣味だった。

 そう、すべては妄想なのである。

 賽河原とのめくるめく日々の実現を本気で夢見ているのは当の本人だけなのだ。恋とは残酷なまでに盲目である。


「今日は催眠術に挑戦しようと思っていてね。このホワイトボードが分かるかい?」

「はい、何の変哲もないホワイトボードに見えます。プラスティック製の」


 賽河原の掲げたホワイトボードは、そんじょそこらの百均で手に入るような代物だ。見たままの感想を述べたつぼみに、賽河原はさも意味ありげに口角を吊り上げた。


「これはね、全国津々浦々の催眠術師が術を使った際に出る、脂汗を加工して作られたんだ」

「えっ? 脂汗から?」

「ああ、催眠術師の脂汗に特殊な処理を施してね。プラスティックの原料は石油だろう? つまり、脂汗からホワイトボードを作ることも不可能ではないということだ」

「なるほど!」


 賽河原の発言のいっさいを、つぼみは疑うことなく受けいれた。

 つぼみは、自身を科学の子だと信じている女だった。マイナスイオンとプラズマクラスターを肺いっぱいに吸い込み、食べられるアロマオイルを水素水に溶かして毎朝流し込んでデトックスするのが日課である。雨の降る日は傘をかしげる江戸しぐさを実践し、雨後の竹の子のごとく現れるビジネスマナーに則ってマジメに働くOLだ。最近は血液クレンジングに興味を示し、水素水よりも効果があるとされる重水素水の発売を心待ちにしている。


「しかも、催眠術師の脂汗というところが重要だ。術者が催眠術をかけるとき、彼らの脳細胞は異常なまでに活性化する。するとだ、いくつかの正常な脳細胞が壊れ、組織液に混じって体外に排出される。これが、術者の脂汗だ」

「えっ、じゃあ催眠術師さんの脳細胞は……」

「そう、彼らは自らの命を削って術を使っている。君も知っているのではないか? 毎日のようにテレビに出ていた催眠術師が、ぱったり出演をやめてしまうといったことを。あれはテレビ局に干されたのではない。……もう、出演できなくなったのだ」

「そんな……! どうしてそこまでして……」

「……命を賭してでも、催眠術の存在を証明したかったのさ。催眠術はオカルトやエセ科学ではなく、れっきとした科学的手法なのだとね」

「催眠術師さん……。今までオカルトだと思っててごめんなさい……」


 つぼみは心の底から、催眠術の存在を肯定した。

 世の催眠術師達は、自らの命を削ってまで催眠術を披露していたのだ。胡散臭い術だと笑われ、テレビ局でもバラエティ番組くらいにしか相手にされず、芸人やバラドル達を相手に頑張ってきた。きっと催眠術師達は、断腸の思いでカメラの前に立っていたのだ。


 ――催眠術は物笑いの種じゃない! 本当なんだ!


 そう声を大にして叫びたかったはずだ。世間から色眼鏡で見られ、胡散臭いと笑われても、本気で向き合って完成させたものなのだ。だからこそ、命を賭してでも世間に公表したかったに違いない。催眠術の存在を世間に認めさせたかったに違いない。世間の軋轢に悩める人々を催眠術で救ってあげたかったに違いない。

 だったら、とつぼみは結論づける。

 催眠術は実在することを信じ、証明してあげなければ、志半ばにして散っていった催眠術師達が浮かばれない。


「つまり、このホワイトボードは数多の催眠術師達の脳細胞が織りなされたもの。水性ペンで文字を書けば、催眠術として作用することは想像に難くない」

「はい! 実験を成功させて先人達の無念を晴らしましょう! 賽河原先輩!」

「よろしい、始めよう」


 お分かりのことと思うが、薫つぼみは呆れるほどに純粋であった。


「ではまず、簡単なところから始めてみよう」


 つぼみは、賽河原が水性ペンを走らせる様子を固唾を呑んで見守った。

 絶対に催眠術に掛からなければならない。催眠術に掛かったフリすら許されない。散っていった催眠術師の無念を晴らさなければならないという義務感と緊張感がつぼみを支配し、心身を硬直させる。


「まずは《リラックス》しよう。ソファにでも腰掛けてくれたまえ」

「そ、そうですね。分かりました」


 告げて、ソファに腰掛けてからつぼみは気づく。


「あ! いまあたし、いつの間にか座ってました! これが催眠術ですか!?」

「……ああ、どうやらつぼみ君はかかりやすいようだ。素晴らしい才能だよ」


 賽河原に褒められて、つぼみの心はウキウキスキップした。しかも、《リラックス》の効果からか、心身の緊張が解きほぐされているのが分かる。


「表情のこわばりも落ちついたようだね。沈み込んだソファも、いつもより優しく感じられないかい?」

「言われてみれば、そうかもしれません。これがリラックスということですか?」

「その通りだ。では、実験を続けよう」


 ソファに腰掛け、つぼみは賽河原を待った。ただ、先ほどのような緊張感はない。身体をすっぽり包み込んでくれるソファと、自身に特別な才能があると知った高揚感からか、どこか実験の続きに期待している向きがある。


「リラックスしたら小腹が空いてきたね。ここはひとつ、《簡単な手料理を作って》くれないか?」

「はい」

「ああ。材料は冷蔵庫に入っているものを使ってくれ」


 ホワイトボードの指示のまま、つぼみは冷蔵庫を漁った。ちょうど豚バラ肉とキムチが目に留まったので、ごま油で炒めて豚キムチを作り賽河原の前に置く。


「いいね。《ビール持ってきて》」

「はい」

「素晴らしいね。つぼみ君、気づいたかい?」

「え?」


 問われて、つぼみは眼前の光景が変わっていることに気がついた。

 賽河原は豚キムチを食べながら、缶ビールを呷っている。


「あれ? その料理とビールは……?」

「おや、君が作ってくれたものだよ? 覚えていないのかい?」

「……はい。ってことはもしかして、あたし……」

「かかっているんだよ、催眠術に」


 賽河原はビールを飲み干すと、再び水性ペンを走らせた。

 ホワイトボードには《おかわり買ってきて》と書いてある。

 途端つぼみはスッと立ち上がり、迷いなく部屋を後にした。タワーマンション中層階の廊下を歩き、エレベーターで地上へ。近所のコンビニで先ほどと同じビールを買い戻ってくる。


「ありがとう」

「……はっ! あたしは何を!?」

「財布の中を見てごらん。身に覚えのないレシートが入っているはずだよ」


 賽河原の言う通り、ビールを買ったレシートが財布の中に入っている。

 ここにきてつぼみは、催眠術の存在をとうとう確信した。


「あたし、掛かってたんですね……!?」

「そうだね。これで催眠術の存在は証明できたと言っていいだろう」

「やっぱり催眠術師の脳細胞はすごいんだ……」

「いやいや、そうではないんだよ」

「え?」


 つぼみは、苦笑する賽河原に尋ねた。催眠術師の脳細胞でないとすれば、いったいなぜ自分はあのような行動をしてしまったというのだろう。


「催眠術の正体は、認知の歪みと術者との関係性だ」

「それは……どういうことですか?」

「知れたことさ。つぼみ君は、私がホワイトボードになど書かなくとも、リラックスするし料理を作るしビールを買ってきてくれるだろう?」

「……はい。先輩の頼みでしたら」

「つまり、君は私を信頼している。しかも、命じた内容はどれも日常的なものだ。術者である私は、君に簡単な行動を取らせ、それをさもかのように見せかけていたんだよ。何度となく君を褒めて、ね」

「じゃあ、先輩は本当は催眠術をかけていなかったんですか?」

「かけるかけないという話ではないんだ。私がやったのは、君自身が催眠術にかかったと思わせること。いわゆる認知の歪みという心理学トリックだね」

「じゃあそのホワイトボードは……」


 賽河原は笑って、ホワイトボードの裏面を見せた。隅に小さく、百均のロゴ入りシールが貼られている。


「何の曰くもない、ただのホワイトボードだよ。君の意識を逸らすために用意したフェイクだ。人間の脂汗なんかじゃプラスティックは作れないからね」


 賽河原の言う通り、実験中のつぼみはホワイトボードにばかり意識が向いていた。書かれた内容を確実に実行しようと無意識のうちに思っていたのだ。くわえて、賽河原が褒めてくれたし、志半ばに散っていった催眠術師達の無念を晴らしたい一心だったのだ。

 だがフタを開けてみれば、すべてはタネも仕掛けもあるトリックであるという。


「さて、実験は以上だ。君も腹が空いたろう。先ほど買ってきたビールで晩酌にしないか?」

「……認められません」

「どうした、つぼみ君――おっと」


 つぼみは用済みになって捨てられたホワイトボードを回収し、再び賽河原に投げ渡した。


「もう一度実験してください。今度は、私が絶対にしないようなことを命令してもらいます!」

「いや、それは不可能だよつぼみ君。先ほど話したように、催眠術は認知の歪みを利用したものだ。マジックと同じで、トリックが分かれば騙されることはない」

「いいえ、催眠術は実在します!」


 力強く告げられ、賽河原はほとほと参ってしまったのだろう。ホワイトボードを手にしばし考え、水性ペンで命令を走り書きした。


「では、《服を脱いで下着だけになって》もらえるか?」

「わっ……わかりました……!」


 わずかに硬直を見せたものの、つぼみは着ていた服に手をかけた。つぼみの迷う様子は、賽河原の目には見受けられない。セーターにスカート、ヒートテックインナーとパンストを脱ぎ捨てて、下着姿になる。


「……何をやっているんだ、つぼみ君?」

「えっ、きゃっ……!? どうしてあたし、脱いでるんですか!?」


 つぼみは何も知らなかったとばかりに、脱ぎ散らかされた服で身体を覆った。ホワイトボードに書かれた《服を脱いで下着だけになって》という言葉に、彼女は従ってしまっていたのだ。


「もしやこれが、催眠術の真の力ということなのか!?」

「そ、そうですよ。そうに違いありません……! やっぱりあたし、かかりやすい体質なんです!」

「驚いたよ……。つぼみ君、君は類い希な才能の持ち主だ。千年に……いや、有史以来の逸材と言っていい」

「次もお願いします! なるべく無理めなものでお願いします!」

「ああ、では……。《下着のまま、私にご飯を食べさせて》くれ」

「はい……」


 つぼみの身体はひとりでに動いた。下着姿のまま、箸で摘まんだ豚キムチを賽河原の口元へ持っていく。

 彼女は、賽河原が書いたホワイトボードの命令通りに行動している。まるで魂のない人形だ。


「はっ!? あたしは何を……!」

「見事だよ、つぼみ君。ここまでとは思わなかった……。下着姿でのサービスはとても淫靡で素晴らしいものだったよ」

「あっ、あたしそんなことしちゃったんですか!? きゃっ、きゃーっ……!」


 既にお分かりのことと思うが、つぼみは催眠術にかかったフリをしているだけである。催眠術にかこつけて、普段できない賽河原へのアプローチを行っているだけなのだ。

 つぼみは思い人に褒められた嬉しさから心がホップステップジャンプしそうになったが、あくまで動揺している風を装った。


「つ、次もお願いします先輩!」

「いやしかし、これ以上に絶対しそうにないこととなると限られてくるだろう?」

「かっ、構いません! 催眠術の存在を証明したいんです! 覚悟はできています!」

「……そうか、そこまで言うなら」


 賽河原はペンを走らせる。

 一方で、つぼみはどんな命令を下されるのだろうと期待に胸をときめかせる。

 下着姿の次は、ご飯を食べさせるという奴隷じみた行動。ここからさらに、輪を掛けて絶対しなさそうな行動へ続いていくはずだ。


「なら、《私にキスをしろ》。どうだ、できないだろう?」


 つぼみの思考は固まった。

 薫つぼみ、御年23歳。これまで23年生きてきて、キスなど一度もしたことがなかったのである。


 ――どうしたらいいの!?


 もちろん、知識の上では知っている。映画やドラマ、小説など創作物のクライマックスシーンで挿入される情熱的なベーゼ。何度となく脳裏で、賽河原を相手に繰り返してもいた。

 だが所詮、そんなものは想像上のキスである。実際に行動に移したことはなく、行動に移せぬままだから、今も賽河原との関係はサークルの先輩後輩止まりなのだ。

 もう一歩先へ進みたい。催眠術にかこつけて、ファーストキスを捧げたい。


「なんだ、やはり催眠術は眉唾か。そうだろうと思っていた」

「い、いえ……! 分かりました……」


 覚悟は決まった。

 つぼみは賽河原の膝の上に腰掛け、彼女の顔を見下ろした。

 美しい顔だと改めて思う。入学直後のサークル新歓コンパで一目惚れしてからはや5年、ようやくにしてふたりの関係を先に進ませるきっかけをこうして手に入れたのだ。


「どうした、できないのか?」

「……キス、します」


 四の五の言っていられない。

 賽河原が催眠術だと思っているのをいいことに、ドサクサに紛れてキスをする。そう決め、奥手な自分にサヨナラバイバイして、恥じらいを捨てて飛び出した。


 ファーストキスは、キムチの味がした。


「……まさか、本当にキスまでするなんてな」

「はわっ!? あ、あたししちゃったんですか!?」

「ああ……」

「……あの。イヤじゃなかったですか?」

「……悪くはなかったよ」


 賽河原のどこか恥ずかしそうな表情が、つぼみの心を爆発させた。

 とうとう、先に進むことができたのだ。なぜなら普通のサークルの先輩後輩は、口づけまで交わすことはない。これはもう、一歩先の関係だと言っていい。つぼみが何度となく妄想しているゴールに確実に近づく第一歩だ。


「じゃあ先輩次は! 次はどうしましょう!?」

「……いや、待ってくれつぼみ君。君に謝らせてくれ」

「え……?」


 賽河原は頭を垂れた。ひどく申し訳なさそうな弱々しい声で、彼女は謝罪を述べた。


「こんな形で、君の唇を奪ってしまって申し訳ない。責任のすべては私にある。このホワイトボードがこれほどの力を持っているとは、露とも思わなかったんだ……この通りだ、すまない……」

「先輩、でもあたしは――」

「こんなホワイトボードは破壊しなければ……!」


 言って賽河原はホワイトボードを折り曲げようとする。

 だが、つぼみとしてはそれでは困る。ホワイトボードがなければ、これ以上関係は進まない。キスだけの関係のまま、また5年10年と何の変化もなく留まってしまう。つぼみが奥手なばかりに。


「待ってください! 壊しちゃダメですっ!」

「つぼみ君……?」

「あたしが普段絶対にできないこと、命令してください! どんな無理めなことでも構いません!」

「君はそうまでして……。どうしてそこまでできるんだい……?」

「催眠術の証明は、世界のためなんですっ!」

「つぼみ君……。君はやはり、骨の髄まで科学の子だね。君の自己犠牲精神を、先達も喜んでくれるだろう」

「……はい! じゃあ――」

「だが、もうお終いだ。非人道的な実験は、科学者倫理に反している。少なくとも、私の良心が痛むのだ。愛すべきつぼみ君を犠牲にしているとね」


 賽河原は、あくまでもつぼみに命令する気はないようだった。良心の呵責に耐えかねて、実験を終わりにしてしまったのだろう。

 だが、つぼみは彼女の発言を聞き逃さなかった。


「……なら、先輩の良心が痛まない範囲で、実験を続行してもいいですか?」

「何をする気だ……?」

「こうするんです!」


 つぼみはホワイトボードを奪い取り、水性ペンを走らせた。


「《薫つぼみは、先輩とセックスする》! これなら先輩の良心は痛みませんよね!?」

「何を書いているか分かっているのかつぼみ君!? それは催眠でもなんでもない、単なる意思表示だろ!?」

「違います! 催眠です! あたしは催眠術に掛かっています! めちゃくちゃ先輩のこと犯したくなってきました!」

「いや待てつぼみ君――」

「待ちません!」


 つぼみはすべて投げ打って、賽河原に馬乗りになった。彼女が腰掛けていたベッド目がけて身体を押し倒し、5年間温め続けて腐りかけていた気持ちを吐露する。

 と、その前に。

 ホワイトボードの内容を《薫つぼみは、先輩に告白する》と書き換えた。


「初めて逢った時から、ずっと好きだったんです! 綺麗で頭もよくて、ちょっと変わってる先輩に憧れて、文系だったのに理系に転科だってしたんです! 寂しかったらウチに遊びにきてもいいよって言われたとき、あたしは本気で嬉しかった! あたしはずっと、寂しいんです! ずっと先輩のそばに居たいんです! だからどんなに仕事が忙しくたって、友達や上司との付き合いがあったって、毎週末ここに来てるんです! おかげで友達なくしました! 上司のあたしを見る目も最近冷たいです! でもそんなの、先輩に比べたらどうでもいいことです! 毎日、先輩で妄想してます! 二人っきりのデートなんで何万回も行ってます! キスだってしました、全身触ったりなめ回したりあんなことやこんなことなんてどれだけ妄想したか数えきれません! ごめんなさいあたし変態ですドがつくレベルのド変態です! 先輩が好きなんです! あたしは先輩のすべてを手に入れたいんです! 先輩の身体も心も、先輩が隠してる秘密も、服の下に隠れているほくろの数まで完璧に把握したいんです! ちなみにあたしの予想では、先輩の見えない場所のほくろの数は16個です当たっていますか!?」

「か、数えたことはないな……」

「分かりました数えます責任持って! お願いします、先輩! あたしと付き合ってください! 結婚してください! 家族にしてください! 同じ墓に入らせてください! ずっとそばに居させてください! 気が狂ってるのは分かってます! 分かってるんですがあたしは自分の気持ちを止められないんですだってホワイトボードに《告白する》って書いちゃったから! 催眠術にかかっているからあたしの心の中身が全部ボロボロ出てきちゃうんです! こんなこと普通は絶対に言ったりしません、おのれ催眠術許せません!」

「そうか……。君のそれは、催眠術のせいなのだな」

「そうです全部催眠術がさせたことです! でもあたし後悔はしていません! 催眠術でもなければあたしは! 自分の思いの丈をここまでハッキリ長々と喋ることなんてできなかったはずです! あたしは先輩が大好きです! デートしたいです! キスしたいです! 先輩が望むならどれだけアブノーマルなプレイでも付き合ってみせます! 他の男や女相手でも寝ます! 本当はイヤですけど喜んでくれるなら! 先輩の喜びが、あたしには幸せなんです! ですが、先輩を幸せにする自信はありません! お察しの通りあたしは、催眠術がなければ思いきったことなんてできない奥手も奥手、クズみたいな女です! そしてこんなクズみたいな自分を、先輩が好きになってくれるだろうなんて都合のいいことを考えています! 素晴らしい先輩に相応しい相手とは到底思えません! ですがっ――!」

「もういいよ、つぼみ君。君の気持ちは伝わったから」


 賽河原は、ホワイトボードに書かれた文言を消した。

 つぼみは息が切れたようにベッドに倒れ込み、激しい呼吸を何度も繰り返す。一気に、猛烈な勢いでまくし立てて告白したために過呼吸を起こしたのだ。

 そのまま数分、呼吸が落ちつくのを待って、賽河原は口を開いた。


「気づいてやれなくてすまなかったね。5年間もの長きに渡って私を好いていてくれたなんて、思いも寄らなかったよ」

「な、何のことですか……? あ、あたしは……催眠にかかっていたので……何も覚えていませんけど……」

「ふふ、君は本当にやさしいね。こんなもので催眠になんてかかるはずがないというのに」

「いえ、そんなことは……なくて……」

「……とは言え、君は催眠術にかかったという体裁でないと、本当の自分をさらけ出すことはできないのだろう。ならば――」


 つぼみがそれ以上の言葉を継がないように、賽河原は再びペンを走らせた。


「《催眠術にかかったという体裁で、セックスしよう》。これならどうだね? つぼみ君」

「え……それって……」

「……皆まで言わせないでくれ、恥ずかしい」


 つぼみは瞬時に呼吸を整え、再び賽河原を押し倒した。

 宿願を果たしたつぼみの体温を感じながら、賽河原もすべてが上手くいったことに胸をなで下ろす。


 実は、賽河原は、つぼみの好意も奥手ぶりも最初から分かっていたのだ。

 だが、賽河原がアプローチをかけるような真似は死んでもしたくなかった。

 なぜなら、告白されたかったのである。今後も先輩としての優位性を保つためには、どうにかして奥手なつぼみに告白させる必要があった。賽河原は中途半端にプライドが高かったのだ。

 そこで思い当たったのが催眠術だ。

 催眠術にかかったという体裁であれば、奥手のつぼみでもアプローチをかけられるかもしれない。だからホワイトボードの前フリを丹精込めて準備して、意地でもつぼみに告白させる状況に持っていったのである。

 つまりすべては、単なる茶番であった。


 ちなみにこのあと滅茶苦茶セックスした。

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