第二話 ハーレム形成論・女性編

 唐突ですが、私は伝えたいことがあるのです。


 絶対信じてはくれないと思うけれど、聞いてほしいことがあるのです。


 とある高校に通い始めて二か月とちょっと、持ち前のコミュニケーション能力のなさと内向的な性格が起因してか、友達どころかクラスに知り合いの一人すらできなかった私、ハナ、十五歳の女子高生は、ありえない人物というか存在と出会ってしまったのです。


 それは嘘でもなんでもなくて、私が目にした真実に違いありません。だから、一応ではありますが、お話ししたいと思います。




 話は、とある日の放課後のことです。


 やや赤みがかった短めの髪を揺らしながら、時間つぶしに高校の図書室へ行った時でした。


 ちなみに、少し話はれますが、高校の図書室は私の好きな場所です。私以外の、スクールカーストの高い、青春を楽しく愉快に謳歌おうかしている皆さんが、高校の図書室になんて、余程のことじゃない限り来ないからです。

 図書室はとても静かで、騒がしくないから、いつも落ち着いていられました。何か時間が空くことがあれば、よく利用していたのです。


 でも、その日は本当に静かでした。どこか、防音室のような別の空間に、閉ざされたような感じです。


 私はいつものように横開きの扉を開き、その図書室に入りました。異様な静寂に、流石の私も何か異様に感じましたが、その時は特に何もなかったので、気にしませんでした。

 いつもいる司書さんや、図書委員の人も、その日はいませんでした。何かの会議か予定などがあったのだと思って、気にもせず、今週のおすすめコーナーにあった小説を一つ手に取り、読み始めました。


 タイトルは、『神様との出会い』だったと思います。けれど、まさかそれがきっかけになるとは思いもしませんでした。


 小説を手に取って、椅子に座って、読み始めようと表紙を開いた時に、不思議なことが起こったのです。


「……なっ、なにこれ」


 私の声が漏れました。今思えば、図書室でそんな声を上げてはいけないと思いますが、あまりに驚いたので仕方のないことだと思います。


 表紙を開いた本はパタパタと奇妙な淡い光を放ちながら、凄い速度でめくれていきました。急にとある一ページで動きが止まって、その瞬間に、景色が見えなくなるほど、真っ白な光に包まれました。


 私は、動揺し過ぎて、言葉を失いました。声にならない声を、呼吸するような音で出しながら、光に目が眩んで目を瞑りました。


 そして、ほんの少しの時間が経って、まぶたに映る光が落ち着いたので、ゆっくりと瞼を開きました。すると、白く染まった景色がじんわりと戻っていって、何事もなかったように静かな状態に戻りました。けど、そこに不思議な綺麗な声が唐突に響いてきたのです。


「おや、今回はすぐに出会えたようだね。これは、都合がいい」


 女性の声でした。その声を聴くだけで、性別に関係なく、虜になってしまいそうなそんな不思議な声でした。


 とても怖かったのですが、どうしても気になって、聞こえてきた方へ目を向けました。すると、驚くことに、誰もいなかった図書室に、ものすごく綺麗な美女が立っていたのです。


「えっ、誰ですか? 一体どうやって、入ってきたんです?」


 普段、家族以外とは、ほとんど話さない私も思わず聞いてしまいました。きっと、ひどく困惑していたのだと思います。すると、どうやら話が通じるみたいで、その人は喋り出しました。


わらわのことか? 妾はヴィーナという。君達、人間からすれば、神様という存在だ。君の二つ目の質問について答えるとすればね、“どこからか”という表現が正しいだろう。妾にも正確な位置が分からないものでね、強いて言えば、扉や窓ではなく、別のどこかから来たのだよ」


 ヴィーナさんとおっしゃるこの上ない黒髪の美女さんは、丁寧にそう言いました。私の理解が及ばないのは仕方ないことですが、とりあえず、彼女が特別な人だとはわかりました。そもそも、あんな風に登場するなんて、人間の域を超えていることは簡単にわかりました。


「その神様――のヴィーナさんが、一体何をしに来られたのですか?」

「そこの女性。言葉遣いに気をつけなさい。相手は神たる存在。『さん』ではなく『様』と呼ぶことだ」


 別の声が割って入りました。男の人の声です。口調はややきついですが、やや女性らしくもある優しさを含んだようなハイトーンの声です。気配に全く気が付かなかったので、「はぁっ!」とその人の方へ向いて驚いて、尻餅をついてしまいましたが、私がドジなわけではないので、そこだけは理解してほしいです。


「グラ、女の子に対して、言葉が強いのだよ。男の子は女の子に優しくしないといけないのだよ」

「申し訳ありません、つい忠誠心を覚えてしまって、やってしまいました。善処致します」


 金髪でイケメンの、どこかの映画か何かで出てきそうなその男性の方は、ヴィーナさんの方が、立場が上のようで、綺麗な姿勢で頭を下げていました。少し、可愛らしく思います。あぁ、ヴィーナさんと心の中で言っていたので、つい言葉に出ないように注意しないといけません。


「あの、ヴィーナ様でしたっけ、そちらの方は?」

「……あぁ、彼は私の下で働く、グラというものだ。彼は少し考えが堅いところがあるから、そこのところは気にしなくていいのだよ」

「グラさん、ですね。わかりました」


 この時は、どうも口から言葉が溢れました。これも、神様の力だったのでしょうか? よく、わかりません。


「それで、こんな学校の図書館に神様がご降臨されたのは、一体なぜなのですか?」

「あぁ、それはね。君の願いを叶えるためだ」


 唐突にそんなことを言われたら、びっくりするしかありません。クラスの中でも、かなり底辺に位置する私ごときに、わざわざ、降臨されたのですから。


「えっ、私の願いを叶える。そんなことをしてくれるのですか?」

「あぁ、その通りだよ。妾も以前から、人の願いを叶えてみたいと思っていたからね。君もどうやら乗り気のようであるし、利害が一致しているようだね」

「でも、どうして私なんかに、そのようなことを?」

「さて、それはなんでだろうね? 妾の考えを、君が考えてみるといいのだよ」


 結構重要な点のような気がするのですが、そこは、はぐらかされました。でも、私は少なくとも願っていることがあったので、気にしませんでした。


「さて、今から願いを叶える儀式を始めようか。君の名前は何だったかな?」

「あぁ、ええと。ハナです」

「いい名だ。ではハナ、君の願いは何かな?」


 私は少し考えましたが、やっぱり、望んでいることは一つでした。


「……今まで、残念な人生を送ってきました。だから、私はモテて、みたいです。かっこいい男性とお付き合いしてみたいです」

「なるほどね、わかったのだよ。君に恋のまじないをかけてあげよう。けれど、ここだけは注意をしてくれるかな?」

「はい、何でしょうか?」


 神様の眉が少し鋭くなりました。ちょっと、怖いですが、しっかりと聞きました。


「ハナの願いを叶えるのは間違いなく行おう。神様が嘘をついては、顔向けできないからね。けれど、妾が願いを叶えたところで、君の望んだ“結末”にはならないかもしれない。それだけは、妾にもどうしようもない。君の領分だからね」

「わかりました。注意して行動します」


 しっかりと誓って、頷きました。ヴィーナ様はそっと微笑んだので、私も口を綻ばせました。


「よし、では――【創造の根源たる揺籃期本テオス・インキュナブラ】。願いを叶えよ!」


 見たこともない、不思議な光を放つ巨大な本が、その図書館に現れて、光に包まれました。


「さて、願いを叶えた。君の望む“結末”になることを祈っているのだよ」


 光の中にヴィーナ様の声が響いて聞こえました。どんどん、静かになっていって、気配もなくなりました。


「……私から、少し助言をしておきましょう。あなたは、私の仲間だった人の面影があるので、折角ですから」


 グラさんの声が続いて、聞こえました。少し、心配してくれているような感じが、音の中に感じました。


「あまり、期待しないことです。人の関係というものは壊れやすく、もろいものですので」


 そのまま、消えていきました。とても、可哀そうなものを見ているような感じの声でした。私も小さく頷きつつ、少し怖くなってしまいました。


 その不思議な時間のあった日は、そのまま何も変わらず、進んでいって、家に帰って、若干眠れないまま、過ぎていきました。


 けれど、その翌日になると神様はしっかりと願いを叶えてくれていることが実感できました。いつものように等間隔に並んだ席の、窓側の端から二番目の、後ろから数えて三番目の席に座ります。


 窓側の隣の席には、いつものように窓の外の景色をぼぉーっと眺めている黒髪の精悍な顔立ちをしたアオイ君がいて、少し気にはなりますが、ほとんどというか話したことがないので、今は何もしません。


 私はいつものように、真面目に、一限目の授業の教科書を開きます。一限目の授業は世界史で、いつも早めに来ているので、結構、意味のない時間があります。とは言っても、登校の時間もあるので、この時間に来なければ授業に間に合わないかもしれませんし、わざわざ遅刻を選ぶ度胸なんて私にはありませんから、いつもこうしています。


 一限目の授業の前の朝礼が始まる直前、続々と人が集まってきます。


 すると、いつも友達と愉快な会話をされたり、携帯電話を頻りに見られて、誰一人だって私の方を向いたことなんてなかったクラスの男性の方達が、どうしてか私の方に目を向けているような気がしました。

 気のせいかと思いましたが、一限目の授業の後、十分の休み時間の時に、それが間違いでないと分かりました。


「えっと、名前はハナだったよな? なんか、お前綺麗になったな」


 唐突にクラスの人気者であるA君がそう言ってきました。いつも、クラスを盛り上げる人気者で、女子の人気もかなり高いと聞きます。


 いつも、友達の男性の方や仲睦なかむつまじそうな女性の方とお話ばかりされているはずだったのですが、なぜか私の方に、そんな台詞を放ってきたのです。


 かく言う私も、それほど魅力に溢れているとは自分でも言えませんが、それなりに顔は崩れていないと思っています。もちろん自画自賛ですが。でも、そうであっても、今まで一人だって、そんなことを言ってくれなかったですし、これからもないと思っていましたから、やっぱりヴィーナ様の助力のおかげなのだと思いました。


「えっ、あっ、ありがとうございます……」


 残念な受け答えでした。我ながら、自分のコミュニケーション能力のなさに、呆れました。


「……そうだ。今度、カラオケとか行かね? 他の人達とか呼んで、きっと盛り上がると思うぜ。どうだ?」


 初めて、お誘いを受けました。しかも、突然。クラスの女性の方が、こっちをちらっとこっちを見ました。何か痛く感じる刺すような視線でしたが、私はそんなことを考える余裕はありませんでした。


「いや、私なんかがカラオケに行っても……あまり、楽しくはならないと思うのですが」


 私は、なんて馬鹿なのでしょう。折角のヴィーナ様のお力添えを、無駄にしてしまいました。


 ですが、A君は笑って、返答しました。


「大丈夫、きっと盛り上がるからさ行こうぜ。同じクラスなのにあんまり、喋ってないからさ、折角だし一緒に話して盛り上がろうぜ」


 優しい言葉をかけてくださいました。とても、嬉しかったです。


「……そう言ってくれるのなら、行きます。予定に入れておきますね」


 初めて、まともなことを言えた気がしました。それで、


「よかった。じゃあ、今度の土曜日でいいか?」

「はい、大丈夫です」


 予定が決まりました。


 初めて、男性の方とちゃんと会話をしました。とても、有意義だったように思います。ですが、神様のお力はこれだけに留まりませんでした。


 昼休みになった頃、サッカー部のエースであるクラスのK君が話してきました。


「お前、すげぇ可愛いじゃん。今度、どっか、いこーぜ」


 軽薄そうな人でした。あまり、K君のことを存じてはいなかったのですが、好感は持てなかったです。

 ですが、他の女性の方からはどうやら好きな人が多いようで、私の方へ向けられた女性の視線はとても痛いように思いました。


「……急に何ですか。大丈夫です」


 弱々しい言葉でしたが、そう伝えました。ですが、K君は止まりません。


「そう言わずにさ、今度の休みに、久しぶりにサッカーの練習がオフになったんだよ。一人じゃ寂しいしさぁ、付き合ってくれよ」

「いえ、私にも予定があるので。結構です」


 また穏やかな口調で、言いました。ですが、


「そう言わずにさ。きっと楽しいぜ」

「大丈夫ですから。K君にはお友達が多くいるでしょう。その方たちとどこかに遊びに行かれては如何と思います」


 少し強く言いました。すると、K君は舌打ちを一つ打って、返答しました。


「なんだよ、釣れねーな。仕方ねぇ」


 とても、雑な口調でした。少し嫌悪感を抱きました。


 でも、モテる、というのはきっとこのようなことを言うのだと理解しました。全てが全て、うまくいくとは限らないのだと。




 何時間か過ぎて、帰宅することになりました。


 隣に座るアオイ君は未だに、一度だって私の方を向いてきません。嫌われているのでしょうか。少し残念です。


 ですが、今日一日、事あるごとに男性の方から話してこられました。今まで、友達の一人だっていなかった私が、突然急にです。これを神様の力と言わずして、何と申したらいいのでしょうか。


 鏡を見る機会がありましたが、私の顔はいつも通りですし、何か不思議なオーラでも出ているわけでもありません。ただ純粋に、急に好かれ始めました。


 やはり、ヴィーナ様は特別な存在なのでしょう。


 家に帰り、軽く勉強をした後に、別途に寝そべりそんなことを考えていました。

 ですが、よくよく考えていると、今更ではありますが、あのような不可思議で、途方もなくありえないことを当然のように信じてしまっている自分がいました。


「私、何もかも信じすぎているような気がします。これでは、いけませんね」


 ふと、小言を呟いてしまいました。


 けれど、それでも、私もこれで晴れて、豊かな高校生活の開始だと思いました。今まで、高校に行く意味がないような生活を繰り返していましたが、神様の力のおかげで、豊かな生活になったのだと思いました。


「……明日も学校が楽しみです」


 もう一度呟きました。ほのかに笑みが零れたように思えます。

 今日は、よく眠れそうだなと思いましたが、想像通り、気持ちの良い眠りに就きました。


 私は気持ちの良い目覚めを迎え、美味しい朝食を食べて、うきうきとした気持ちで学校に行きました。ですが、グラさんの仰っていたように、そううまくはいきませんでした。


 昨日と同じように、男性の方とはお喋りをする機会はありましたが、それ以上に、女性の方々の視線が気になって仕方ありませんでした。


「何、あいつ。A君と楽しそうに話して。A君とは私が付き合うのに」

「それに、あいつD君も狙っているらしいわ。今まで、何もしなかったから気付かなかったけど、とんだ淫乱野郎よね」

「あんな奴に、T君は似合わないわ。絶対に。どうせ、くだらない色仕掛けで男をたぶらかして、金蔓かねづるにでもしているんでしょうね。あぁ、T君可哀想」


 私に聞こえるように、女性のクラスメイトの方や別クラスの人が陰口を言っているように思いました。胸が苦しむような思いになりましたが、何よりも嫌だったのは、私にはっきりと訴えてこないことでした。皆さん、遠巻きに、男性の方や先生などには聞こえないように、それを呟いていることでした。


「それじゃあ、また。今度また誘うから、次はよろしくな」


 G君がそう言って、去っていきました。男らしさが外見から溢れていて、肉食的な男が好きな女性からはとても人気が高い人でした。

 男性の方とはよくお話をしましたが、ここまで十中八九、人気の高い、顔の整ったイケメンばかりでした。神様が選定しているように思います。


 今日も休み時間になりました。


(アオイ君は今日も、こっちを見ていない。やっぱり、嫌われているのですかね)


 窓際の席に座るアオイ君の方を、チラリと見ても、ずっと窓の外を向いていました。アオイ君も前の私と同じように、あまり友達がいないようで、あまり喋っているところを見たことはありません。ですが、前の私よりはずっと、お友達がいて、たまにそのお友達に話を振られた時は、顔を向けて軽く会話をしていたと記憶しています。


 授業中はとても真面目で、しっかりと先生の言葉に耳を傾けていらっしゃって、集中しておられます。そのおかげか、成績がとてもよく、校内掲示板に掲げられた成績上位者のトップ5に入っていたこともあった気がします。


 私も何回かその中に入っていたことがありますが――すみません、ただの自慢ですね。自重します。


 顔立ちもとても爽やかで、落ち着いていて、私としてもとても好感が持てます。この特別な力を彼に働かせてみたい気も少しはありますが、彼が動いてくれなければ意味がないので、ここは諦めましょう。


 今日もアオイ君とは会話することはありませんでした。ですが、隣の席では、数多くの男性の方とお話をしました。騒がしくしているのですから、もし邪魔であれば、謝罪したい思いもあります。今は心の中で「ごめんなさい」です。


 下校中、私の後ろから、僅かに声がしました。


「あいつ、調子に乗ってる。少し、お仕置きしないといけないわね」


 おそらく、私に向けての言葉でしたが、聞き流すことにしました。




 休みの日になりました。あの出来事が起こってから、五日目のことです。


 私の通う高校は土曜日に授業がなく、生憎、部活動などにも参加していないので、休日は基本的にいつも暇でした。

 ですが、今日はお出かけです。一人でなく、男の方と。


「A君。今日はよろしくお願いします」


 駅で待ち合わせていると予定通り、A君と会いました。声を掛けるとA君は手を振って、応えてくれました。


「あぁ、任せておけ。きっと、面白いところに連れて行ってやる」


 強く意気込んで、そう言ってくれました。そして、並んで歩き出しました。


 最初に行ったところは、ショッピングモールでした。とても広い、衣類店などが立ち並ぶ、大型のところでした。

 A君がおすすめだという、お店に行きました。様々な洋服が、立ち並ぶところでした。流行の女性服や格好のいい男性服が清潔に、整然と並べられていて、見栄えがとてもよく、お洒落なお店でした。


「ここだったら、俺にもハナにも似合う服が見つかると思う。行こう」


 私は頷いて、促されるままお店に入りました。


 まずは、私の女性服をとのことで、女性服のエリアに行きました。流行かどうかはわかりませんが、私の好きな感じの白いワンピースがありました。


「あっ、これ可愛いです」


 思わず、声を出してしまいました。一人でないので、別に問題はないでしょう。すると、


「そうか? 俺はこっちの方がいいと思うけどな」


 A君が薦めていたのは、ノースリーブで少し露出度が高いように思える紺色の服でした。正直私の好みではありません。


「う~ん、私はやっぱりこっちの方が……。爽やかで清潔感のある色の服が好きなので」

「いやいや、絶対こっちだって。大人っぽいし、きっと似合うって。こういう服に挑戦したことないんだったら、挑戦した方がいいと思う」


 すぐさま切り返して、A君はそう言います。何か、圧力を感じました。


「折角だから、試着してみよう。ほら、行こう」


 白いワンピースは置いたまま、紺色の服のみをA君は持って、試着室の方へ誘導しました。私も従うしかなくて、仕方なく歩きました。

 試着室に入って、カーテンを閉めます。着ていた服をおもむろに脱いで、その紺色の服を着ていきます。巨大な鏡に映る自分の姿に、おかしなところはありませんでしたが、少し感覚的にしっくりこない感じがしました。


「店員さん、可愛いね。この服は、個々の店のもの?」

「あっ、ありがとうございます。そうです、この店の服を使って、コーディネートをしているんですよ」


 カーテンを挟んで、試着室の外で、A君と店員さんの声が聞こえました。とても、楽しそうに会話をしておられます。私のことは二の次なのでしょうか?


 とりあえず、A君に選んでもらった服を、しっかりと着て、カーテンを開けました。


 A君と店員さんは至近距離にいて、少し驚いた様子でしたが、すぐに私の格好を一瞥いちべつしました。


「おぉ、いいじゃん! さっきの服より、ずっといいよ」


 A君は感嘆の言葉を述べました。確かに自分でも似合っているとは思いますが、胸や肩が露出していて、恥ずかしいです。


「お客様、とてもお似合いですよ。是非、ご購入を検討してください」


 店員さんは笑顔を作って言いました。


 ですが、私にこの服を買いたいという気持ちはほとんどありません。断ろうかと思いましたが、A君がそれを遮って言います。


「よし、買おう。俺も似合っているっていう保証をするし、服があって損なことはないだろ?」

「いや、私は……」

「店員さん、このままお会計できる?」

「はい、大丈夫ですよ!」


 話がどんどん進んでいきました。元々、コミュニケーション能力のない私に止めることは叶いませんでした。そして、お会計の際にさらなる災難が私に降りかかりました。


 流石に、私の本意でないものを買うことになってしまったのですから、お金くらいは少しくらい出してくれるのかと思いましたが、A君は一向に財布を出そうとはしませんでした。


「あの、少しでいいのでお金を出してくれないですか?」

「何言ってるんだよ、自分に似合う服を買うんだから、自分のお金で出さないと意味がないじゃん。将来の投資だと思ってさ」


 よくわからない理論であしらわれました。結局、不本意ではありましたが、私が全額を支払って購入しました。この時点で私は、この方に、いや男性に疑念を抱いてしまいました。その疑いが、真実でないことを祈って、A君との一日を続けました。




 私の疑ったことはおそらく真実で間違いありませんでした。


 A君を含んだ、他の男性とデートのような遊びを繰り返している内に、私でもこの異常性を感じました。


 グラさん、そして、ヴィーナ様が見据えていた未来が、見えたような気がしました。


 男性との交流を通じて、私は男性の欲望の強さを強く感じました。


 クラスの人気であるA君も、K君も、D君も、N君も、Y君も、皆が皆、欲望に満ちているのだと私は思いました。


 もちろん、高校生という成熟し始めたお年頃なので、女性に対して、興味を持つことは理解できます。ですが、そう言った恋愛感情のような、純愛的なものはないように感じました。

 今まで、出会った方々は皆、自分の理想の女性にしたい、そして、自分の道具にしたいっていう欲望が強いのです。


 A君を例に挙げるなら、私に、私自身が気に入っていない服を自腹で購入させただけでなく、恥ずかしい服装で街中を歩かされては、事あるごとに私の目を盗んで他の女性に声を掛けておられました。


 それだけに留まらず、事あるごとに私にお金をせびり、やや私の支払う割合の多い割勘定わりかんじょうを続けていました。


 他の男性も似たようなものでした。私の理想は二の次で、自分の欲望を満たす格好や態度を望んでおられました。それは、多分、彼らの相手が私でなくて、少し顔の整った女性であれば誰でもいいのだと思いました。


 結局、今まで出会った男性の方々は、私を道具としか思っていないのだと思います。お金を支払ってくれる、自分の力を誇示してくれる、自分の理想に染まってくれる、都合のいい着せ替え人形だとしか、操り人形だとしか思っていないのだと思います。

 私が、そう理解している頃には、貯金していたお金がかなり減っていて、精神的にもそれなりに病んでいました。


 ですが、神様に祈ってしまった私の不幸はまだ続きました。




 ヴィーナ様に願いを叶えられて、結構な時間が経ったある日、いつものように学校に行った時でした。


 私の上履きの靴が置いてあるロッカーを開けたところ、泥にまみれて、ボロボロになってしまった靴が、そこにはありました。何か月か使っていたとはいえ、これほどまでの状態になっていた記憶はありません。明らかに人為的なものを感じました。


 今まで、こんなことをされたことが無かったので、私はひどく焦りました。けれど、朝礼の時間は待ってくれません。どうしようかと迷った挙句、はらえそうな泥だけを掃って、仕方なくそれを履いて、教室に向かいました。


 そして、教室に入った時、私は理解するとともに確信しました。間違った願いをしてしまったのだと。


 窓際に近い私の机には「ブス」「死ね」「ゴミ」など、わかりやすく、酷く惨い言葉が、油性ペンで書き連ねられていました。消えないように、消させないように、大きく太く書かれていました。


 それでいて、クラスの様子はいつもと変わりませんでした。これが当然であるべきなように。


「……いや、何ですか……これは」


 思わず声が漏れました。クラスの既にいた女性の方々がチラチラとこちらを見て、クスクスと笑っていました。


 私は体が震えました。寒気を覚えました。恐ろしくなりました。けれど、何も言葉を発することも、先生に告白することもできませんでした。


 これが、自分の背負ってしまったごうだとそう思ってしまいましたから。


 ふと見ると、隣のアオイ君はいつものように、外を見つめていました。ですが、いつもとは違った雰囲気を感じました。


 ですが、それが何かを考える余裕などありませんでした。とても怖くて、仕方がなかったですから。


 その日から、紛う事なき『いじめ』が始まってしまいました。

 認めたくなくても、認めざるを得ない、悪質で、苛烈ないじめが、です。


「あんた、何調子乗ってんの。A君が可哀そうだと思わないの?」

「ブス、あんたみたいなの死んでしまえばいいのよ。誰だって、悲しまないわ」

「ほ~ら、悔しいですかぁ? 泣いたって、いいんだよ。泣き虫さん」

「皆に不快な思いをさせたんだから、当然の報いを受けてもらわないといけないよね? わかってる、ハナさん? とりあえず、全員分の課題を済ませなさい! ほら、早く!」

「おい、昼飯買ってきて。私は、ミックスサンドね。もちろん、“自腹”でよろしく」

「こいつ、人気者の男子のところに行って、媚売って、体売っているんだって。そんなにエッチなことが好きなんだったら、知り合いのおっさんのところに紹介してあげる」

「あっ、私も。面白いサイト知ってるから、情報を載せておいてあげる。感謝してよね」


 罵詈雑言を浴びせられました。どこか、皮肉っぽくて、憎しみのようなものが言葉の一つ一つに感じられました。


 多分これが、嫉妬なのだと思います。


 私だって、元々、クラスで楽しそうに過ごしている女性の方々にそのような感情を抱いていましたから、なんとなくわかります。きっと、その感情の最終地点なのだと思います。


 特に目立ちもしなかった、女子が、一夜にして、男性の視線を集めることになってしまう。そんなことになれば、元々、プライドの高いであろう女性の方々が、“嫉妬”を越えて、“憎悪”になってしまう感情になってしまってもおかしくはないでしょう。


 きっと、グラさんはこれを予期していたのかもしれません。こんな願いを願ってしまった、私の落ち度なのでしょう。受け入れるしかありません。


「やめてください」


 とはいえ、受け入れたくても、受け入れられませんでした。


 弱い言葉と声が漏れました。


「はっ、何言ってんの?」

「お前が悪いんだから、受け入れて当然だよね?」

「私達に謝ってよ。不快にさせたんだから、ほら、泣いてないでさぁ」


 すぐさま、鋭い言葉と口調で返されました。怒った時の、特に女性同士の場合の、女性の言い回しや言葉の中に溶けた闇の念のようなものは、何よりも恐ろしくありました。


 その恐ろしさもあってか、よく話しかけてくれた男性の方々は、遠くから見ているだけで、何もしてくれませんでした。

 それどころか、他の女性と話をしながら、侮蔑ぶべつするような視線を浴びせてくるぐらいまででした。男性の方も流されやすいのか、クラスの空気がそうさせるのか。とにかくそうなりました。


 今の拠り所は、担任を含めた、先生でした。


 ですが、そもそも、私が先生に訴える勇気もなく、他の女性の方々が邪魔をして、伝えることはできませんでした。かと言って、先生が自ら気づくということもありませんでした。大胆にしている部分もあったのですが、基本的には陰湿に、影に隠れて、虐められていました。それを、先生方が気付くはずもありません。


 でも、もし気付いたとしたら。そう、考えていた時もありました。ですが、そううまくも行かないと悟りました。例え、いじめが露わになったとしても、学校側は隠したいものです。


 自分の学校の経歴に、取り返しのつかない傷がついてしまうのですから。誰だって、隠してしまいたいものだと思います。なので、学校も、いじめが起こったって、無きものにしてしまうのだと私は理解しました。


 なので、私は――諦めました。


 これが私の背負った業だと、償わなければならない罪だと、そう思い込んでしまいましたから。――お母さん、お父さん、ごめんなさい。




 私は今、学校の屋上の落下防止の柵を登り、一歩進めば、落下してしまう縁に立っています。


 今までのこの不思議で、長くも短く、楽しくも辛い思い出は、全て“遺書”に言葉で遺しています。柵の向こうで、重みのある石を、風で飛ばないようにのせた、紙に書き残した遺書を置いてあります。


 私がこうした『決断』をしたその時から、どこで“その日”を迎えようかと考えていました。もちろん、女性の方々の激しい“いじめ”は続いていましたので、できるだけ早くとは考えていました。


 候補の場所としては、駅のホーム、自宅、家のお風呂、そのあたりが思いついた場所です。


 ですが、家の中で死んでしまっては家族の悲しむ姿が浮かんで、どうも死ぬに死にきれない気持ちにさいなまれるかもしれないですし、駅のホームから飛び降りてしまっては、私の無駄死にで、たくさんの人が困惑し、凄くお手間を取らせてしまうと思いました。


 頑張って耐え抜く、そうも、考えましたが、それ以上に私は疲弊しきっていました。もうあの女性の方、いや男性の方を含めたすべての人間が怖くて仕方がありませんでした。見るだけで、声が聞こえてくるだけで、触れるだけで、薄く感じるだけで、震えて仕方がありませんでした。なので、この選択を決断するに至りました。


 そして、選んだのがこの場所です。


 私にも少し意地や誇りのようなものはあります。なので、この場所なのです。私の運命の始まりにして、因縁の場所で、私はその日を迎えます。


 私は、私ハナがいた事実を、生きていた事実を、酷い目を受けた事実を、私自身の死で以って証明します。これは、私をいじめた女性の方々、不快な感情にさせた男性の方々へのせめてもの報いの置き土産であり、酷い願いをしてしまった過去の私への戒めです。


「おい、やめろ!」


 柵の向こうで、男性の先生が、そう言いました。ですが、私は足を止めることはできません。これが私の唯一の救いなのですから。


「考え直しなさい。生きていたら、幸せなことが」


 女性の先生が言います。ですが、私は思います。私にもう幸せはないのだと。なぜなら、私が罪を背負ってしまっているのですから。


「おい、人が落ちるぞ」

「ダメだ、間に合わない」

「いやぁ、やめて!」


 私の眼下では、私に気付いた野次馬や先生の方々が私を見上げて、色々な反応を見せていました。これは、私の思惑通りです。私という人間が、どういう形であれ、人の目に、人の心に刻まれるのですから、今の私には十分満足です。


「……皆さん」


 小さく言いました。ですが、周りの誰かには聞こえる声です。


「さようなら」


 左足を一歩進めます。もちろん、そこに地面も床もなく、ただの虚空があるだけです。


「やめろ」

「やめなさい」

「はっ!」


 先生の恐れるような声や絶句して声にならない声が微かに感じ取れました。ですが、私は目を瞑り、ほとんど声が届きませんでした。ですが、ほんの僅かに。


「ハナァァァァァァァッ!」


 叫んで、私を呼んだ声が聞こえたような気がしました。一体誰だったのでしょうか。疑問には残りますが、もう遅かったです。


 そして、身を投げた私は意識を失い、そのまま覚めることない眠りの中へと落ちたのでした。




「わかっていたことではあるが、少し寂しすぎるのだよ。グラも、そうだろう?」

「えぇ、私も少しはそう思います。ですが、ヴィーナ様の作られた物語を否定するわけではありません」

「いいのだよ、気を遣わなくても。君が、主人公の少女に何かを抱いていたことくらい、神様である妾には手に取るようにわかる。それに、この物語は妾の失敗だ。妾自身、少し思うところはある」

「では、どうするおつもりでしょうか?」

「そうだな、“世界”はできてしまっている。だが、ここで消してしまうのも、何か違うだろう。だから、“作り替えよう”か。新しい方向性、もしもの可能性を紡いでいくとしよう」

「ヴィーナ様がそうおっしゃるのであれば、私は何処へでも付き従います」

「そうか、では、参ろう。『添削』だ」


 そして、世界は“神様”の手によって、書き換えられました。

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神様のひまつぶし 松風 京 @matsukazekyosiro

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