間話 女神の恋愛観

 時間という概念が存在するのかは幾分か疑問ではあるのだけれど、とある日にヴィーナはグラに言った。


「……グラ、一つ質問してもいいだろうか?」

「はい、何でしょうか?」


 晩御飯の給仕の時、サラダをテーブルに並べていたグラにヴィーナが質問をする。


「君は、恋愛をしたことがあったかな?」


 グラは珍しく動揺したのか、コトリと、テーブルと皿のぶつかる鈍い音を立てて、僅かに眉間に皺を寄せた。表情を悟られないように、すぐさま微笑みの表情を作り、言う。


「……そうですね。恋愛と言えるかはわかりませんが、一人の女性を愛したことはありますよ」


 ヴィーナはふと、小さく頷いて。


「……そうか。いや、そうで“あった”な。悪い質問をした」

「いえいえ、とんでもないことでございます。……それで、なぜそのような質問を?」


 いい焼き目のフィレステーキを給仕しつつ、グラは返答した。


「そうだな、次の構想を練っているところなのだが、長らく一人で生きていたせいか、人を愛するということがよくわからなくてね、それを知りたいと思ったのだよ」

「なるほど、そうでしたか。ですが、私ごときの色恋沙汰など、ヴィーナ様のお力添えになどなると思えないのですが」

「いやいや、そんなことはない。誰であろうと、知識や経験というものは妾のためになるものだ。だから、もう一つ、質問をしてもよいか?」

「何なりとお申し付けください」


 グラは礼をした。ヴィーナは目の前にある豪勢な食事をチラリと一瞥いちべつし、グラの金色の瞳に赤い双眸をそっと寄せる。


「では、グラにとって“人を愛する”というものはどういうものかな?」

「そうですね。私の愚考ではありますが、とても幸せなものであると思います」


 小さく微笑をたたえて、グラは言った。


「ほう、その心は?」

「人を愛するということには、人間の生命の輝きが溢れております。だからこそ、辛くも苦しくもあるのですが、男女が本当に互いを愛し合うというのは、結局美しく、満たされるものだと私は思っております」


 ふふふ、と小さくヴィーナが笑って、続けて言った。


「なるほどね。面白い考えだ」

「それはよかった」


 ホッとしたのか、グラは小さく息を吐く。


わらわも物語を描いているとふと考えるのだ。特に、人の恋慕れんぼの結末が幸せになってくれれば、素晴らしいのに、とな。創造する側の神という立場から見れば、少し甘いのかもしれないのだけれどね。妾も結局、女だということだ。幸せな仲睦まじい姿を見たくなってしまうのだよ」

「いえ、とても素晴らしいお考えだと存じます。下らない侍従の発言ですがね」


 真っ黒な闇の世界の中に、ポツンと浮かんだ荘厳な白亜の宮殿。二人の微笑と小さな笑い声が、光と音となって広がっていた。


「まぁ、この物語は、また別の時に創り上げるとしよう。きっと、出来上がりはグラも納得するほどのものになると思うのだよ」

「それは、楽しみですね。私も美味しい料理を作りながら、待ちわびるとしましょう」

「さて、今日の献立は何かな?」


 グラに向けていた視線を、テーブルの方へ戻す。燭台に灯る蝋燭の灯りがほのかに、高級フレンチのように綺麗に飾られた品々を照らしていた。


「前菜として、新鮮な野菜を使ったサラダと生魚のカルパッチョ。メインとして、高級な牛肉を焼いたステーキを用意しております。特製のソースが余りましたら、自家製のパンをつけてお召し上がりください」

「いやぁ、とても美味しそうだ。久しぶりに、一緒に食べないか?」


 いつも食べ物に目が眩むヴィーナであるが、珍しくグラに提案をする。


「それは、有難いですが、私はヴィーナ様にお仕えしている者ですので、そう言った真似は」

「おや、グラは妾のことを“愛して”いないのか?」


 小憎らしい、含んだ笑みを浮かべてヴィーナが即座に返した。すぐに、グラは首を左右に振って、


「滅相もございません。私はヴィーナ様を心からお慕いしております」


 慇懃いんぎんとした言い回しと態度でグラは答えた。すると、またヴィーナもにやりと口元を弛緩させて言う。


「ならば、一緒に食べても問題はないだろう。妾とグラ、互いに愛し合うもの同士が、平等に食事をする。とても、“幸せ”であろう?」

「本当に良いのでしょうか?」

「先ほどから、そう言っているではないか。一緒に食べるのだよ」

「では、お言葉に甘えます」


 一度礼をし、自分の分の料理をヴィーナの近くのテーブルの上に並べる。


「準備が整いました」

「よし、ではいただこう」

「はい」


 二人で料理を頬張る。得も言われぬ美味が口の中に広がった。


「とても美味しいよ。流石に妾の“愛する”グラだ」

「それほどまでに褒められると、こちらとしても面映おもはゆい気持ちになるのですが」

「それも、それでいいだろう。グラも、妾を抱きたいと、一度くらい思ったことはあるだろう?」

「ヴィーナ様!」


 意表を突かれたグラの頬は真っ赤に紅潮した。その様子をヴィーナはとても可愛らしいものを見るように、面白おかしく笑っていた。

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