コミック7巻発売記念SS【可愛い人(金糸雀・サイ)】①
『お母様はちょっと疲れちゃった……から、眠っているんだ』
『そっかぁ……いつもがんばっているからねぇ』
お父様が泣きながら、お母様を抱きしめていたあの日から――私達を取り巻く世界は一変した。
******
お父様は常に怖い顔で何かを考えていて、外出する
機会が増え、アイシャに笑いかけてくれることも、イシスをあやして抱っこしてくれることも、段々と少なくなっていった。
……おかあたま、どこにいるの?
おなかへったーって、イシスがないているよ?
アイシャもおなかへったなぁ……。
いつの間にか、アイシャにご飯をくれる人も、イシスにミルクをくれる人もいなくなっていた。
空腹に耐え切れなくなったアイシャは、粉まみれになりながら、大人がしていたことを真似てイシスのミルクを作った。
「おねえたまと、はんぶこね?」
……うえぇっ、おいしくない。
哺乳瓶に入れたミルクの半分を先に無理矢理に飲み込んだアイシャは、イシスの上半身を起こしてから、残り半分量になったミルクの哺乳瓶をイシスの口へと突っ込むと、イシスは嫌そうな顔で愚図りだした。
そうだよね。ママのとちがうもんね……。
でも、イシスものまないとダメなの。
アイシャは本能で、自分達の生命の危機を感じていた。
「よし、よし。イシスはいいこねぇ。おねえたまがずっといるから、だいじょうぶだよ」
アイシャは、おかあたまからイシスをたのまれたから、がんばるの。
おかあたまは、アイシャをいっぱいほめてくれるよね?えらい、えらいって。
お母様がいつもしていたように、イシスのお腹を優しくポンポンと叩くと、愚図っていたイシスがやっとミルクを飲んでくれた。
夜中になると、イシスが『おかあたまにあいたいー』って泣く。
アイシャだって、おかあたまにあいたいのに……。
……いつまでがんばったら、おかあたまはかえってくるの?
いつまでいいこでいればいいのかな?
アイシャは……つかれちゃったよ。
……おとうたまはどうしていないの?
おかあたまもおとうたまも、アイシャたちがきらいになったのかな……?
今まで慰めてくれたお母様とお父様はいない。
広い城の中にイシスと二人きり。
泣きたいのはイシスだけではない。
アイシャだって同じだ。
「……っ。ふぅ……」
不安と寂しさから、遂にアイシャは泣き出してしまった。泣き出したアイシャにつられるように、イシスの泣き声が激しくなる。
「うっ……く。イシス……ぐすん。いいこだから……なかないで?」
いつもなら泣き止んでくれるのに、アイシャが一生懸命あやしても、泣き止む気配すらない。
……アイシャは、こんなにがんばっているのにどうして、なくの?
「……もう、いやだ。…………うるさい!うるさい!うるさい!!なんでアイシャばっかり!!!」
アイシャが思い切り怒鳴った瞬間、イシスがビクリと身体を揺らした。
驚き過ぎたのか、瞳を見開いたまま固まっている。
こんなイシスを見たのは初めてだった。
途端に後悔と罪悪感。そして、恐怖が押し寄せてきた。
「…………あっ。ちがうの!ごめん、ごめん……ごめんね……」
怒鳴りつけるつもりなんてなかった。
ちょっと疲れただけだった。
イシスがしんじゃったら……どうしよう。
そしたら、アイシャはひとりぼっちだ。
アイシャはイシスをギュッと抱きしめ、泣きながら何度も何度も謝った。
――ペチ、ペチ。
「…………んっ」
――ペチ、ペチ。
「……んう。なぁに?」
気付けば、誰かがアイシャの頬を叩いていた。
瞼を擦りながら瞳を開けると、目の前にイシスの顔があった。
「あー、あーー。あぶぅ。きゃははっ」
イシスはニコニコと笑いながら、アイシャの頬を叩いていた。
アイシャはあのまま泣き疲れて眠ってしまっていたらしい。
床の上に横向きで寝転がっていた。
「……イシス、いたい」
ぷくっと頬を膨らませながら睨むと、遊んでもらっていると勘違いしているのか、ご機嫌なイシスがキャッキャと笑い出した。
「もう……」
アイシャがゴロンと仰向けになると、はいはいで側に来たイシスが、アイシャの額にコツンと自らの額をぶつけてくる。
「だから、いたいって……」
「あーうー。ねー?」
「……イシス。『ねー』って、もしかしてアイシャのこと?」
「うー、ねー。ねー」
アイシャの質問に同意するように、イシスが何度も言いながら笑う。
「………っ!イシスがしゃべったー!」
嬉しくなったアイシャは、イシスを抱き締めながら、頬擦りした。
イシスの初めての言葉が自分だったことが、とても誇らしくて嬉しかった。
「ねーね?」
「そうよ!アイシャは、イシスのおねえたまなのよ!!」
不思議なことに、たったこれだけのことなのに、今までの苦労が全て報われた気がした。
ふふーん。
おかあたまと、おとうたまに、じまんするんだー!
――ぐう。
「えへへ。おなかすいちゃった」
「ん」
「イシスも?じゃあ、ごはんにしょっか」
立ち上がったアイシャの後を追うようにイシスが着いて来る。
ふふふ。かわいいー。
イシスが可愛いと思えたのは久し振りのことだった。
「あっ!もくすはっけん!……たべれるよね?……んむ。んーー。あ、だいじょうぶ、だいじょうぶ」
もくす――もとい『モスク』とは、紫色の葡萄の形をした桃味なフルーツである。
「イシス。はい、あーーん」
「あーー」
口を大きく開けたイシスに、皮を剥いたモスクを食べさせる。
「おいしい?」
「んー!」
「じゃあ、もうひとつ――」
「アイシャー!イシスー!今まですまなかった!!」
バーーーンと勢い良く扉が開いたかと思うと、お父様が飛び込んで来た。
突然のお父様の登場に驚いたアイシャは、イシスにモスクを食べさせようとしたまま固まり、パチパチと何度も瞳を瞬かせた。
「あーーう!」
以外にも動じなかったイシスは、アイシャの指ごとモスクを口に含んだ。
「今まで二人きりにしていてすまなかった!使用人を解雇(始末)したことを失念していたんだ!お腹空いてないか?何が食べたい?この償いは何でもするぞ!!!……あ、モスクを食べてたのか」
お父様が来たら、たくさん我儘を言って、甘えてやろうと思っていた。
でも、先ずは―――。
「……おとうたま。ねぐれくとはいけません」
アイシャは、あわあわと慌てているお父様をジト目で見ながら、そう言い放った。
「……ぐっ!ネグレクトって、また随分難しい言葉を……!でもその通りだ……!」
床に崩れ落ちたお父様は、四つん這いになりながら俯き、ぐっと右手を握り締めた。
こんなに情けなくて格好悪いお父様を見たのは、初めてかもしれない。
アイシャの知っているお父様はいつも完璧で格好良かったからだ。
「ねー、んーー!」
イシスがアイシャの服をくいっと引っ張った。
「なーに?もっとたべたい?」
「ん!」
「ふふっ」
「ねーね?」
「んーん。なんでもないの」
イシスにモスクを食べさせながら、アイシャは思わず笑った。
――『お父様はね、とても可愛い人なのよ』
いつだったか、お母様がそう言っていた。
その時は分からなかったけど、今ならお母様が言ったその言葉の意味が分かった気がした。
「うん。おとうたま、かわいいね。おかあたま」
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