コミック7巻発売記念SS【真夏の夜の恐怖】

「これは私が実際に体験したことなんだけど――」


***


真夜中。

ふと目が覚めた私は、乾いた喉を潤すために、真っ暗で静かな廊下を一人で歩いて、調理室へと向かった。

いつもならば、すぐに辿り着くはずの調理室への道のりが、この日は何故だかとても長く感じた。


不思議に思いながらも歩いていると、急に生温かい風が吹いてきて、私の頬にふわ〜って二度、三度撫でられるように当たった。

窓はしっかり施錠されていて、風が入る隙間なんて見当たらなかったのに。


半分寝惚けてるのかなーと、思いながらまた歩き始めると、今度は『タッタッター』って、背後からこちらに向かって、駆け寄ってくるような足音が聞こえてきた。

咄嗟に振り返ってみたけれど、後ろにあるのは暗闇と静寂だけで、誰の姿もない。


ゴクリと、私は思わず唾を飲み込んだ。

今までは何も考えていなかったのに、一気に恐怖心が込み上げてきたのだ。


――誰かが潜んでこちらを見ていそうな暗闇が怖い。

私には視えていないだけで、すぐ側にまで何かが迫って来ているかもしれないと、錯覚してしまいそうになるから。


静寂のせいで、バクバクと大きく鼓動する自分の心臓がやけに耳に残る。

物音一つしない暗闇の中に佇んでいると、全く知らない場所に一人取り残されたようで不安になる。

今、笑い声とか悲鳴とかが聞こえてきたならば、絶対に失神する自信がある。


唇をきつく結んで両手を握り締めた私は、クルリと目指していた方向へと向き直り、歩き出した。

このままここに居たら、進むことも戻ることもできなりそうだから。


歩き出した私の頬をまた生温かい風が撫でると、私の足音の後に、微かに別な足音が混じって聞こえた気がした。


スタスタスタ

『タッタッタ』


スタスタスタ

『タッタッタ』


よくよく耳を澄ませながら歩くと、確かに聞こえてきた。

その足音は私が歩き出すと一緒に歩き、私が止まると一緒に止まる。


……今まで気のせいだと、自分の気持ちを誤魔化してきたが……そろそろ限界だ。


窓も空いていない中での不自然な生温かい風と、明らかに私の後を付いて来ている足音。

――そして、刺すような鋭い視線。


部屋を出てからずっと、私は誰かの視線を感じ続けていたのだ。


……確実に誰かが私の後ろにいる。

そう確信したところで、今の私にはもう後ろを振り返る勇気はない。


怪奇現象こういうことは、当事者ではないから楽しめるのであって、当事者からすればとんでもない状況だ。


気付けば私は、半泣きで全力疾走していた。

もつれてしまいそうになる足を叱咤しながら、必死に動かす。


何度も生温かい風が当たり、足音には追い掛けられているのが分かるが、そんなことに構っている余裕なんてない。

手を掴まれた時には、無我夢中で振り払った。


早くこの状況から開放されるために、余計なことは何も考えないようにして、ただひたすらに調理室を目指した。



……後少し。もう少し。

調理室は、すぐ目の前だった。


無事に調理室の扉の前に辿り着いた私は、荒い息を整えながらドアノブに手を掛けた。


――その瞬間。

「ねえ、何してるの?」

耳元で誰かに囁かれた。


「ひ……………っ!?」

調理室に辿り着いたことで、すっかり安心して気を弛めていた私は、叫ぶ余裕もなく失神した。


***


「……そ、それで、どうなったの?」

顔を青褪めさせた彼方が、恐る恐るといった感じで尋ねてきた。


「どうもこうも……ねぇ……」

私は微かに瞳を細めながら、金糸雀とサイ。

そして、お兄様の顔を順番に見た。


「シャルロッテ、ごめんなさいね」

「主よ、あの時は申し訳ないことをした」

「僕は何も悪いことしてないけど?」


テヘペロの金糸雀とサイが可愛――じゃなくて。

不満そうな顔をしているお兄様には悪いが、タイミングが悪すぎたのだ。


「えっと……どういうこと?」

「実はね――」

私はキョトンと首を傾げる彼方に、その当時の状況の説明を始めた。



因みに、本日は彼方を我が家に招いて【アヴィ家inお泊り会】の真っ最中である。

みんなで客室の大きなベッドの上に座っている。


お兄様は彼方に考慮して、ベッドの側に置いた椅子に座っている。今は一緒に居てくれるが、怖い話が終わったら自室に戻るそうだ。


さて。夏にお泊り会。しかも夜ともなれば、『怖い話』をするのが定石だろう。

――ということで、私が一番怖かったことを披露していたのだ。



……え? 一番怖かったのはダンジョンの中のだろう?

って、何のことでしょうか?

私はスッカリ、サッパリ、綺麗に記憶の中から抹消したので、なーんにも覚えていません。

これ以上、何か言おうとするなら『ホーリー』唱えちゃうぞ☆



と、まあ過去の話は置いといて。


あの時の生温かい風は『金糸雀』で、付いて来る足音の正体は『サイ』だったのだ。

最後の耳元での囁き声は、言わずもがな『お兄様』だ。


夜中に空腹で目覚めた金糸雀とサイは、私の部屋からそっと出て、邸内で食べ物を物色していたそうだ。

何も見つからず、諦めて戻ろうとしたところ、部屋の近くで私の姿を発見した二人は、私の進む方向から目的地は調理室だろうと当たりを付けて、こっそり後をつけることにした。


何故、声を掛けずにこっそり付いて行ったのかと言えば、調理室に突撃してしまえば断わられないだろうと思ったらしいのだ。

例え、断わられたとしても、調理室の中に入ってしまえばこちらの勝ちだと。二人の『可愛い』外見を利用して、無理矢理に作らせようという……何ともあざとい作戦。


そんなことをされたら……作るだろうけどね!?


突然走り始めた私に、置いて行かれないように、金糸雀とサイも必死で追い掛けたそうな。


そこに偶然たまたまお兄様がいたらしいのだが、半泣きで必死に走る私には見えていなかった。

半泣きで調理室に向かい、ドアを開けようとする私を心配してお兄様が近付くのは道理であって、耳元で囁いたのは、真夜中なのを考慮してのことだったそうだ。


「でも、すっごーく怖かったんですよ!?」

私は頬を膨らませた。


「普通に声を掛けていてくれたら、あんなに怖がる必要なんてなかったのに」

唇を尖らせると、彼方が共感するように大きく頷いてくれた。


「そうですよ!シャルの手を掴んだ時に、声を掛けてあげれば良かったじゃないですか!」

「かなたぁ……」

共感してくれるだけでなく、みんなを怒ってくれるなんて、頼もしすぎる!!


ギュッと抱き着くと、よしよしと彼方が私の頭を撫でてくれた。


「それなんだけど、シャルの手を掴んだのは僕じゃないよ?」

「嘘!お兄様でなければ掴めないじゃないですか!」

彼方の腕の中からお兄様を睨んだ。


サイは猫だし、金糸雀は鳥の姿なのだから、私の手を掴むことなんて出来ない。

私は掴まれた指の感触をしっかりと覚えている。

あれは五本指のある手だった。


「僕は調理室の手前でシャルを見つけて、実際に近付いたのは扉の前だ。疑うなら、ずっと後ろにいた金糸雀とサイに聞くのが一番だ。君達はあの時のことを覚えている?」


「ええ、勿論よ。扉の前まで追い掛けていたのは、私とお父様だけだったわよね?お父様」


「ああ。確かに私と娘だけだったぞ。主よ」


「「……え?」」

私と彼方は一緒に固まった。


「嘘じゃないの……?」

「じゃあ、私は誰に手を掴まれたの?」


お兄様も金糸雀もサイも嘘をついているような顔ではないし、そもそも三人が嘘をつくメリットはない。


「次いでにもう一つ言えば、私達はシャルロッテの部屋の近くで、あなたの姿を見つけただけで、部屋から出て来るところから見ていたわけじゃないわよ?」


金糸雀からの思いがけない爆弾発言に、全身に鳥肌が立った。


「え……?」


だったら、部屋を出た瞬間から感じていた、あの刺すような視線の正体は……一体?


「ああ、そう言えば、最近使用人達が『出る』って噂してたのが、これかな?僕は怖くないし、そもそも信用もしていなかったけど」


……マジデスカ。

そんな噂があるなんて、知らなかった。

こんなの絶対にじゃないか……!


私の中でプツンと何かが弾けた音がした。


―――私が覚えているのはここまでだ。



「え……っ!?」

シャルロッテの身体から急に力が抜けたせいでバランスが崩れ、受け止め切れなかった彼方がシャルロッテを下敷きにしてベッドの上に転がってしまった。


「わ、ごめん!重かったよね!?シャル、大丈夫!?」

シャルロッテの上から慌てて彼方が退いたが、返事がなかった。


代わりに聞こえてきた呟き声に、耳を澄ませようと近付くと、シャルロッテがまたボソッと呟いた。


「……『ホーリー』?」

シャルロッテの呟きをそのまま彼方が口にする。


「マズい……」

そう言ったのは、ルーカスか、金糸雀か、サイか。

いや、三人共だったのかもしれない。


この状況で、真っ先に動いたのはルーカスだった。


「ロッテ!」

『ハーイ!オ呼ビデスカ?ゴ主人様ノ兄上様』

「緊急事態だ!僕達と家族、使用人のみんなに、今すぐに完全防御結界張れる!?」

『オ安イ御用デス!マッカサレヨー!』

「ごめん、よろしく!」


部屋の片隅で大人しく控えていたロッテに指示を出したかと思えば、シャルロッテから彼方を引き剥がした。


「きゃ……!」

「乱暴でごめん!今は一刻を争うから謝罪は後で」


荷物を運ぶかのように、ひょいっと抱き上げられた彼方は、真っ赤な顔で悲鳴を上げたが、ただならぬルーカスの雰囲気を感じ取り、無言で大きく頷いた。


「サイ!金糸雀もこっちへ!クラウン……は、自分で何とか出来るか。どこにいるか分かんないし」


(え……?い、良いのかな?)

(あらあら)

(頑張るんだぞ、我が息子よ)


ルーカスがロッテの目の前に彼方を降ろすと、金糸雀を背に乗せたサイが彼方の足元に到着した。

客室にいたシャルロッテ以外の全員が、ロッテの側に集まったことになる。

そして、遂に《《ソレ》が始まった。


ベッドに横になったまま、ブツブツと呟き続けていたシャルロッテが、ゆらりとゆっくり起き上がった。


「シャル!」

「シッ!ダメだよ!」

シャルロッテに駆け寄ろうとした彼方の手をルーカスが掴んだ。


「で、でも」

「今はダメ。我慢して」

「大丈夫よ。嵐のようなものだから」

「嵐……?」

「うむ。我等の手には余る天災のようなものだから、暫し待つのだ。聖女よ」

「天災……?」

彼方には全く意味が分からない状況だが、他のみんなは慣れているようだ。


チラリと横に立つルーカスを見上げると、心配そうな顔でシャルロッテを見つめていた。

誰よりもシャルロッテを大事にしているルーカスだ。きっと誰よりも側に居たいはずなのに、こうしているということは、我慢するしかない状況なのだろう。

彼方は何かの時に役に立てるよう、シャルロッテの動きに注意することにした。



「ふふ。……ふふふ」

ぼんやりとしながら暫くの間、天井を仰いでいたシャルロッテが急に笑い出した。


「後ろの正面だぁれだぁ~?」

ふらりとベッドの上で立ち上がったシャルロッテは、部屋の中をぐるりと見渡した。


乱れた前髪の隙間から、暗闇を孕んだような瞳が見えた。


「……っ!」

彼方は咄嗟に口元を両手で塞いだ。

悲鳴をあげてしまうところだったのだ。


トロンと柔らかくなった瞳と、歪に上がる口角。

壮絶な色香を孕んだその顔は、ゲームの中でよく見ていた【シャルロッテ・アヴィ】そのもののだった。


「……ルーカス様、シャルは……シャルはどうしたんですか?」

彼方の身体は恐怖で震えていた。


(こんなシャルロッテは知らない!)


彼方が恐怖している理由は二つあった。


一つ目は、いつもの優しくて温かいシャルを失う恐怖。

二つ目は、悪役令嬢となったシャルを殺さなければならないかもしれないと思う恐怖。


どちらもシャルロッテを大事だと思うが故の恐怖だった。


「シャルは大丈夫なんですか?」

(戻ってこれますか?)

彼方は涙目でルーカスを見上げた。


「……大丈夫だよ」

ルーカスは苦笑いを浮かべながら、シャルロッテを心から心配している彼方を安心させるために、彼女の頭にポンと手を乗せた。


「あれは発作のようなものだから」

「……発作?」

「うん。僕達の結界は念のためのものだよ。あんな状態でも僕達のことは攻撃しないから不思議なんだよね。まあ、父様はされそうになったけど、あれは自業自得だからなぁ。誰かが自分のせいで傷付いたらシャルは一生気に病むだろうからさ」

ルーカスは瞳を弛ませた。


「気が済んだら戻ってくるよ。でも、その時に倒れるから目が離せないだけ」

「そうなんですね」


彼方はシャルロッテを見た。


(悪役顔で笑いながら、次々に『ホーリー』を唱えているのは、発作のようなもの……トランス状態ってことかな?)


「ふふふ。諸悪の根源み~つけたぁ~」

部屋の中から一歩も出ていないのに、今のシャルロッテは敷地内全体を見通せているようだ。


「メガホーリー!!」

邸の内外に光の矢が降り注ぐ。


「ふふっ。あははははっ。喰らえ!ギガホーリー!!」

絶え間なく繰り出される無数の攻撃は、ルーカスが言った通りに、全て私達を避けている。


「トドメのテラホーリー!!……よっしゃー!殲滅完了!」


シャルロッテによる容赦のない一方的な攻撃は、漸く終わりを告げた。


シャルロッテノ発作は終了したらしく、ラスボス風悪役令嬢顔から、いつもの明るく優しい笑顔に変わった。


(戻ってきた)

彼方が安堵したのと同時に、シャルロッテは倒れた。ルーカスの言った通りだった。


「あ……!」

今回はベッドの上とはいえ、倒れればどこかに怪我をする可能性だってある。

シャルロッテが倒れることが想定済みのルーカスは、危なげもなく受け止めると、そのままそっとベッドに横たわらせた。


「ロッテ、お疲れ様。結界を解除して良いよ。後、みんなに発作が終わったことも伝えて」

『イエッサー!承知シマシタ。ゴ主人様ノ兄上』

「よろしくね」

ロッテを撫でたルーカスは、申し訳なさそうな顔で彼方を見た。


「さっきは乱暴に抱き上げたりしてごめん」

「いえ。分かってますから。ありがとうございま――」

笑顔でお礼を言おうとした彼方だったが、


「次もまたすぐにあるかもしれないから、先に謝っておくね?『ごめんなさい』」

「え……?」

ルーカスの次の言葉を聞いて言葉を失った。


「今回も主の攻撃も凄まじかったな。娘よ」

「ええ。今回は短い方で良かったですわ。前回の蜘蛛の時なんて、二日もかかりましたものね」

金糸雀を背に乗せたサイが、シャルロッテの眠るベッドに上がった。


「え?……二日も?」

彼方は思わず金糸雀とサイを二度見した。


「シャルと一緒にいたいなら早くね」

呆然とする彼方に向かって、ルーカスはにっこり微笑んだ。



――翌日。

スッキリと目覚めたシャルロッテが、自分のやらかしたことを知らされるや否や、彼方に土下座で謝罪したことは余談である。


また、彼方の【人生一番の恐怖体験】が、シャルロッテが発作を起こした時になってしまったことも余談である。


      ーーー終ーーー






****・****・****・****・***


ここまでお付き合い下さり、ありがとうございました。


夏と言えば怪談ということで、少しだけホラーテイストにしてみましたが、シャルロッテの存在が1番ホラーだったというオチに^^;


しかもこんなに長くなるとは……(汗)

少しでも楽しんでいただけたら幸いです。


よろしければ永緒先生のコミック最新7巻もよろしくお願いします!(ちゃっかり宣伝してみたり)


まだまだ暑い日が続くようですので、熱中症などにはくれぐれもお気をつけてお過ごし下さいませ。


今後ともよろしくお願いします!!



                 ゆなか

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